第22話 ラント

ラントの家屋は劣化が激しい。生活水準が低く、建物の改装が進んでいないからだ。行政は急成長する町の開発に手一杯で、ラントの基盤である工場群もまだ古い設備のままだ。鉄製なので錆びが見え、木造の建物には雨染みが浮かんでいる。プレハブの壁には黒い汚れが入っていた。


「すいません」


 ヤマトは民家を片っ端から訪問していく。ラントの人達は、基本的に人柄が良い。皆が助け合って生きている町だからだ。


「あら、ヤマト。どうしたの」


 サルファが出て来る。彼女は30代の母親で、料理中だったのか生成り色のエプロンを身に着けている。肩までの赤髪はウェーブしていて、燃えるようだ。サルファの足元には4歳の少年が隠れている。


「あの、エリザを見なかったですか。何処にも見当たらないんです」


「あら、そうなの? でもゴメンね、私は知らないわ。ここ3日は見てないかしらねえ。家の前の坂を上って行く姿を見たのが最後ね、一週間くらい前だったと思うわ。いつも美しい後ろ姿だなあと思っていたんだけど。ジョシュ、エリザ様見てない?」


「ううん、見てない」


 ジョシュは顔を半分だけ出して、かぶりを振った。


「分かりました。ありがとうございます」


「早く見つかるといいわね」


 ヤマトは次の家に移動した。


「エリザを見ませんでしたか」


 次に出てきたのは町の大工・ローガンだ。50代でガタイが良い。短髪で無精ひげがトレードマーク。棟梁である彼には色んな情報が舞い込んでくる。


「何、エリザ様が居ない?! いや見てねえな。俺が最後に会ったのは5日前だ。裏手に空き地があるだろ? そこでエリザ様が祈りを捧げてらっしゃったんだ。俺達はあの方に何もしてないのに、大したお方だよなあ――。おい、ヤマト。エリザ様はラントに必要な方だ、必ず探し出せ。何か思い出したらすぐに伝えてやる」


「宜しくお願いします」


 また次の家へ。


「なぬ、エリザ様が。いや、ワシは見とらんぞ。ヤマト、お主責任を持ってエリザ様を探し出すんじゃ。あの方はこの町に必要な方じゃ。以前ワシが荷物を持っていたら代わりに持って下さってな。虹色の孔雀の話をして下さったんじゃ。お若いのに出来たお方じゃ――。ヤマト、必ず見つけ出すんじゃぞ」


 西地区の人々に声を掛け続けたが、有益な情報は手に入らなかった。


唯一の情報は、ヤマト達が出発した日の昼にエリザを見掛けたという少女が居たことだ。アナという4歳の少女で、遠くから手を振ったらエリザは振り返してくれたという。特に変わった様子は無かったと証言している。


ヤマトは一旦町の中央に戻り、ギラン達との合流を図る。


「何処に行ったんだよ、エリザ」


ラントの町の中央は、大きな広場になっている。最も多くの人が行き交う場所だ。肉屋に向かう母親、ボール遊びをする子供達、鉄骨を担ぐ大工、シートを広げてフリーマーケットを開く旅の商人、一芸を披露する大道芸人。


 広場の中心にはジュベルの初代の王であるゼイン王の銅像が立っている。剣に盾・鎧を身に着け、丁度朝日が昇って来る方角を向いている。凛々しく自信に満ちた顔付きだ。


 銅像の周りは円形で鉄の足場が敷かれ、3人はそこを集合場所にした。ヤマトが到着してから5分後にギラン、10分後にウォードが現れた。入手した情報を照らし合わせていく。


「こっちは確かな情報が掴めませんでした。昼頃に姿を見た人は居たんですが……。お2人はどうでしたか」


「こっちもアカンわ。エリザちゃんの家が西地区やから、東には普段からあんまり来(こ)んからな。中には西地区が優遇されてる言うてる奴まで居(お)ったわ。そいつはシバいといたけどな。ワイも東に住んどるけど、エリザちゃんはあんまり見掛けへんねん」


 続いてギラン。


「ワシは中央に確認してみたが何も掴めておらんかった。腑抜けどもめ、役に立たん。じゃが奴等が情報の全てを提供しているかは怪しいがの」


 ヤマトが顔を顰める。


「どういうことですか」


「そのままじゃよ。警備や護衛は手柄を挙げたいものじゃからな。ワシらみたいな一般人に先を越されれば面子が潰れてしまう、奴等はそれを阻止したいんじゃ」


「そんな。民間人が行方不明になっているのにですか。それもエリザですよ。この町の大切な人物でしょう」


「だからじゃよ。そのエリザ様を救出すれば、住民からの信頼は強まる。そうすればその後の仕事も円滑に進めやすい。流石に無いとは思うが、エリザ様が居なくなれば奴等の権力が高まるということじゃからの」


 ヤマトは絶句する。自分達の為に捜査を滞らせているのだとしたら許せない。


「まさかそいつらがエリザちゃんを拉致ったいうことは無いよな」


懸念したのはウォード。


「そんなことしていたら、僕は町を破壊しかねませんよ」


 ヤマトは息を巻く。


「爺さんには悪いけど、あのオッサンはいかにもあくどそうやからな」


「オッサンって」


「ジドラじゃろ」


 ギランが答えた。


「そや。あのオッサンはいかにも『大義の為の必要悪』とか言いそうやからな」


 黙り込んだギランを、ウォードは見逃さない。


「何や爺さん、やっぱり何かあるんか」


「……ここだけの話じゃぞ。昔そういった不祥事が発覚したことがあった。ジドラは首謀者じゃなかったが加担させられていた。まだワシらが駆け出しだった時代じゃ」


「……最低ですね」


 ヤマトはジドラを侮蔑する。雷神戦では責任感の強い善人かと思ったが、見込み違いだった。


「奴の弁護をするわけじゃないが、それ以降は奴の悪事は聞かない。今、憶測で判断するのは止めようではないか」


「……」


 そこで全員が黙り込んだ。ややあって、ヤマトが口を開く。


「2人は休んで下さい。疲れているでしょうから」


 ウォードは小さく欠伸をする。


「そやなあ。ワイはちょっと休ませて貰うわ。このままじゃ頭働かんし」


「……ワシはジドラに会ってくる。何か情報を持っているかもしれんからの」


 とギラン。


「僕はもう少し皆に聞いて回りたいと思います。じゃあまた後で」


 井戸端会議が終わり、ヤマトはすぐに駆け出す。ウォードが声を掛ける。


「ヤマト、あんまり無理すんなよ。少し休んだらワイも手伝うからな」


「はい」


ヤマトは土の広場を駆け抜けて行った。




 次にやって来たのは北地区。北地区はラントの中で最も貧しい地区である。人々は貧困な生活をしており、建物が一層古い。壁の一部が剥がれたり、トタン屋根に穴が開いている。玄関は暖簾を垂らしただけのあばら家ばかりだ。


民家と民家の上に屋根が張ってあり、太陽が差し込まない通路がある。その近辺には物乞いをする老人達が地べたに座っていて、ラントのスラムと言われている。ゴキブリも寄り付かない一帯である。


最北部には以前まで稼働していた廃工場があった。効率を重視する為中央への集中化が進み、操業を停止した。現在は廃墟となっており、子供達の隠れた遊び場となっている。


廃工場は取り壊すか改装して、新たな施設か住宅を建造するかが話し合われている。エリザが創設したLCFS(ラントチルドレンズ・フューチャー・スクール)は、現在中央の広場かエリザの家の周辺、またはラント郊外で授業を行っていて、廃工場の跡地を学校に出来たらと2人で話していた。エリザはいつもラントと子供達の未来を考えていた。


「エリザ様が。いやあ、知らねえな。つい最近も食糧と不要になった食器を恵んで貰ったんだ。あの人は本物の精霊だ、早く見つけ出してくれよ兄ちゃん。じゃねえと死んじまう奴がいっぱい出ちまうよ」


「ああ、あの綺麗な姉ちゃんだろ。見てねえな。あの姉ちゃんを見つけ出したら一発ヤラせてくれんのか? 冗談だ、マジになるなよ。おい、誰かあの綺麗な姉ちゃん見た奴居るか? ああ、そうか。誰も見てねえってよ」


 北地区は家屋が入り組んでいて、迷路のようだ。バイクが通れるくらいの狭さが基本で、ゴミが散らかり、野良猫やイタチ・ネズミの巣窟となっている。ほぼ全ての家が平屋で、2階建ての家は階によって住んでいる人間が違う。家同士の距離が極端に近いので、住民トラブルが絶えない。ラントの事件の約半分はこの北地区で発生している。


 貧困な生活を送るホームレス、どうやって収入を得ているのか分からない若者集団、裏家業の4・50代の刺青入った中年、1人で子供を育てるシングルマザー、夫に先立たれて心が荒んでしまったお婆さん。ヤマトはラントのスラム街を訪ねて回るが、有益な情報を得られない。端まで来て、ヤマトの目に廃工場が留まる。


「一応行ってみるか」


此処に居るとは思えなかったが、ヤマトは中に入る。雀の涙ほどでも望みがあるなら覗かずにはいられなかった。現状手掛かりが無く、焦燥している。こうなればもうエリザが何処に居ても不思議ではない。


「頼む。居てくれ」


猫の手を借りる気持ちで廃工場へと入って行った。


 廃工場は3階建てだった。周りが金網フェンスで包囲されている。


このフェンスは住民や動物の侵入を防ぐ為の物だ。だが誰が破ったのか、金網の一部に人1人が通れる穴が開いている。金網の存在価値が半減している。


 日中は子供達の遊び場で、夜は素行の悪い若者の溜まり場。更には裏家業の人間達の取引の場所としても利用されている。


3年近く前にこの工場の最上階で首吊り自殺があり、一般の大人達は寄りつかない。北区のホームレス達でさえ住み着かないのである。死んだのは行政に関わる人間であり、実は自殺ではなく他殺だったという噂が今になって流れている。事件はただの自殺と処理されているが、真相は藪の中だ。現在の廃工場の主は屋根裏に住む烏達となっている。


「こんな所に居る訳ないか」


そう思いながらも、ヤマトは探索を続ける。工場は壁が所々に損壊しており、外が見えている。本来入口じゃない場所からでも中へ入れた。


中の物はほぼ撤去済みだった。所々に壊れた機械や脚が一本折れている椅子、落下した天井が放置してあるだけで、人の気配は無い。床には砂塵や鉄屑・鳥の糞や動物の死骸が落ち、虫が歩き回っている。長居したい場所では無かった。


2階に上る。誰も居ない。


壁面には赤や黄・黒に白のスプレーで落書きがしてある。どうやら此処が若者の溜まり場のようだ。「Fuck Off」・中指を立てた両手・ピストル・気味の悪い大きな瞳。特に陰湿だったのは毛むくじゃらのボールみたいな魔物の絵だ。不快さと恐怖を感じさせた。


「何だこれ」


 ヤマトは絵の中に文章を見つける。文章は赤いスプレーで書いてあった。


《無数に枝分かれする運命の一つ》


 ヤマトはその文字を手でなぞる。スプレーが指に付着したのでまだ新しい。一体誰が書いたのだろう。どういう意味で、誰に向けて? 


フロアの隅には小さなテーブルと3脚の椅子が置いてあった。夜な夜な若者達が使用している痕跡が残っている。テーブルの上や周辺の床に、割れた瓶・使用済みのマッチに注射器・スパナ。テーブル上にはウォッカが零れている。


 最上階の3階へ。この階が最も損壊が激しかった。


天井に3つの穴が開き、鉄骨や水道の配管が崩れ落ちている。水道管の先端から点々と水滴が落下する。壁面の大半は破壊され、外から大部分が見えている。高さも相まって、風がよく通った。


「居ない、よな」


 ヤマトは期待していなかったが、肩を落とす。もう他に詮索する場所が無かった。ヤマトは一通りフロア内を探し、立ち去ろうとする。


「次だ、次」


 時分に言い聞かせる。次は東地区に向かおうか。いや、東地区はウォードが聞き取りをしてくれていた。ならば南地区が良いか。


「ヤマト」


 考えていると、ヤマトは声を掛けられた。床に向いていた視線を上げる。


「リリー。どうしたんだい、こんな所で」


 リリーは胸にお気に入りの人形を抱いている。赤いエナメルのパンプスがやけに映えて見えた。


「エリザ様を探しているの」


「そうなんだ。何処かに行っちゃったみたいで。リリー何か知らないかな」


 ヤマトはしゃがんで少女の目線に合わせる。よく見るとリリーは左目が青く、右目が赤い。


「手紙は読んだ?」


「え。手紙って」


「ヤマトの家の扉に挟んであったよ」


「本当かい?」


「うん」


 少女が小さく頷く。ヤマトはラントに戻ってきてからまだ自宅に帰っていなかった。そのままエリザの捜索に動いたからだ。


 ヤマトはすぐに自宅に向かう。


「リリーありがとう。また今度お菓子をあげるね」


「うん。ヤマト頑張ってね」


 走り出すヤマト。駆け足で2階への階段を降りて行く。その途中で立ち止まった。


自分の家は、地上からかなり高い場所にある――。


ヤマトは3階へ戻った。


「リリー。どうやってあんな高い所まで、」


 ヤマトが戻ってくると、リリーはもう居なかった。


「リリー?」


 リリーはもう居なかった。物が無いので隠れる場所は無い。何処へ行ってしまったのか。


 不審に思いつつ、ヤマトは踵を返す。リリーは何処に行ったのかより、エリザを心配する気持ちの方が強かった。今はエリザが最優先だ。


 2階の壊れた窓からヤマトは跳躍する。工場から飛び出して、周囲のフェンスを越えた場所に着地する。来た道を全速力で戻って行った。


「……」


 その姿を、リリーが屋根の上から見下ろしていた。無感情な顔をしていた。


「君には役目がある。世界の救世主、それが君に与えられた使命なのだ」


 リリーは黄金の空に向かって瞳を閉じる。


「もうすぐこの世界は『仮想』から『現実』となる。その為に、君には戦って貰わなければならない」


 その両眼を開くと、周囲の鴉達が一斉に飛散した。


「さもなくば――」


 リリーの姿が夕日と重なる。次の瞬間には、少女の姿が消えていた。




急いでヤマトは自宅に戻った。


ヤマトの家は、巨大な円柱の建物の一室だ。ラント住人の4分の1がこの集合住宅に住んでいる。円柱の建物はメリダスを加工して出来た鉄で、鉛色。その建物の外側に螺旋階段が設置され、ヤマトの家は高さ42メートルの場所にあった。


部屋番号は「Sフロアの25・5階」。「S」はsouthを意味している。「N」や「E」の25・5階は無い。25・5の次は「26のW階」である。


 最初に住んだ時は高さが怖かったが、住んでいる内に慣れた。夏場は風が心地よく、冬は星が綺麗だ。星空は現実世界よりも燦々としている。


ヤマトは勢いのまま家の中へ飛び込んだ。一枚の封筒が、床に落ちていた。


――現実世界と同じ状況だ。


落ちている黒い封筒を慌てて拾う。


 当然のように宛名も宛先も書いていない。開封すると、1枚の紙が入っていた。


 そこにはエリザを拉致した内容と、今何処に監禁されているかが書いてある。


「……。ふざけるな……!」


 ヤマトは紙を思い切り握りつぶした。全身から怒りが迸る。


 今すぐにでも飛び出して行きたかった。敵陣に乗り込み、エリザを攫った相手をこの手で敵を殲滅してやりたい。強くなった今の自分ならそれが出来る。


だがまずはギラン達に伝えるのが先だった。ヤマトはメッセージを吹き込んだクリティアをレターピジョン(伝書鳩)で2人に送る。


 夜になったら廃工場に来て欲しいと伝言した。苛立ったままヤマトはベッドに寝転がる。無理矢理目を閉じた。


 礼子の事件。そしてエリザの失踪。ヤマトの気はささくれ立っていた。


身体は強制的に停止したが、精神は激しく暴れ回っている。全く寸分も眠れそうになかった。


 結局、一睡も出来ずにヤマトは2人との集合場所に向かった。


  

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