第17話 事件

「良い天気だ」


 9月下旬に入り、秋の足音が近付いていた。楓が主役になるのはまだもう少し先だ。夏の残暑が続けば12月になるかも見られるかもしれない。温暖化の影響で紅葉の季節も少しずつ時期が遅れている。


 今年の夏は特に暑かった。酷暑日(40℃以上の日)が東京で7回も観測し、9月で30℃後半を6回もマークしている。中旬以降は気温が低下しているが、それでも今日の最高気温は30℃近い。日中はまだまだ半袖で過ごせる気候だった。


 とは言え夏の永遠のアイドル・カブトムシは引退し、世話好きなミンミンゼミは人々を起こす役を止めた。ドローンみたいな飛び方のオニヤンマやステンドグラス模様のアサギマダラは、今が働きざかりと言わんばかりに病院の中庭を飛び交っている。


 中庭を横切る大和は、ベンチに腰掛けるスーツ姿の男を見つけた。茶色のジャケットをベンチの背もたれに掛けている、半袖シャツ姿の50代の男。大和はすぐに視線を逸らして考え事をした。


 昼ご飯は何にしようか。最近流行の店員が居ない無人カフェは苦手だ。最新の自動販売機で大手コーヒーショップの飲み物を気軽に飲めるのは有難い(店員と対話せずに済むのも大和にとっては有難かった)が、自分みたいな人間は及びじゃない。


 ならばラーメンはどうか。駅前のラーメン屋なら半個室で店員も居ない。自販機で注文すれば自動的に席まで運ばれてくる。そんなことを思案している時に、大和は声を掛けられた。


「ちょっと」


 振り向く大和。


「はい」


「新、大和さんですね」


 先程のスーツの男が立っていた。堅い口調だ。


「そう、ですけど」


 見覚えが無く、大和は訝しむ。


「私、刑事の山形と申します」


 山形が警察手帳を取り出して見せる。額には汗が浮かび、眉間に皺が寄っていた。


「少しお話をお伺いしたいのですが」


「え」


「お母様のことで」


 山形は最後の部分の声を小さくする。大和の背中を一筋の汗が流れていった。




「お好きなものを頼んで下さい」


 大和は昔ながらの喫茶店に連れて来られた。一軒家の外装で、外周に木が植えてある。店前にレトロな看板が立てられ、2階部分は居住スペースとなっていた。赤い屋根が時代を感じさせた。


 店は80代のマスターが50年以上経営している。入店するなり山形は、「奥借りるよ」と奥へ進んでいく。中央にカウンター兼厨房があり、銀髪のマスターは返事もしない。マスターはシャツとベストを着用していて仕事への拘りを感じさせた。


「じゃあアイスコーヒーで」


「ミルクとシロップは」


「頂きます」


「マスターっ。アイスコーヒー2つ、1つはミルクとシロップ入りで」


 山形は大声で注文する。このスタイルが浸透しているのか周りの客は反応しない。


 客層は高めだった。マスターと同世代のお年寄りが3名1組、別で高齢の男性が1人、30代の売れない作家が1名、スナックで働く化粧が濃い40代の女性が1名。それぞれ新聞を読んだり、パソコンで作業をしたり、窓際で物憂げに煙草を燻らせている。誰1人として他人に興味が無く、自分のことに集中している。


「それで、母の話というのは」


 山形に声を掛けられてから、大和は虫の知らせ感じ取っていた。突然刑事が声を掛けて来たのだ、耳寄りな話とは考えづらい。


「ええ」


 山形が煙草に火を点け始める。


「失礼」と言い、山形は紫煙を廊下側に向かって吐く。


「そのことなんだがね。大和君はお母さんから怪我のことを何と聞いているんだい」


 渋い声で山形が言う。


「駅の階段から転げ落ちた、足を踏み外してしまったと……。それが何か」


 また紫煙を吐き出す山形。その表情は険しい。


「やっぱりそうか……」


 一息置いて、山形が言う。


「実はね、礼子さんが何者かに背中を押されたという目撃情報があるんだよ」


「えっ?!」


 大和は大声を出す。どういうことだ。誰かに押された? ということは。


「じゃあ誰かの犯行ってことですか」


 ドラマの台詞みたいだった。だがこれは現実だ。


何故母が危害を加えられなければならない。


「計画的かどうかはまだ不明だが、誰かに押されたのは何人もが見ている」


 礼子はSJR(Super Japan Railways)に乗って隣町に向かおうとした所を誰かに押された。大和は信じられなかった。


何故母さんが。その前にまず。


「何故、母さんは僕に言わなかったんでしょうか」


 その問いに対しては、山形はすんなりと回答を示した。


「それは君を心配させたくないからだろうね。自分が事件に巻き込まれた、誰かに狙われたと言いたくなかったんじゃないだろうか」


「そんな」


 大和は母親の性格を考えた。人を否定しない、思慮深い母だ。山形の言い分は正しく思えた。


「実は君が来る前に私は病室に居てね。でも息子が来るから今日は帰って欲しいと言われたんだ」


 だから病室の椅子が温かかったのだ。礼子がお見舞いに来る前に事前に連絡を入れてと言った本当の理由は、恐らくこっちだ。


「それでもしかしたら息子の君に知られたくないんじゃないかと思ってね。それでどうかな、何か心当たりは無いかい。君のお母さんを恨んでいる人物に」


 尋ねられたが、大和は全く思い浮かばなかった。


前に住んでいたマンションで隣人とちょっとしたトラブルになったことはあった。でも新家が引っ越す前に相手が出て行き、それきりだ。あるいはスーパーのパートで上司と反りが合わないと聞いたことはある。一度口論になったと。だがそれももう2年以上前だ。母のプライベートな交友関係についてはあまり知らない。と、大和が山形に伝えていく。


話しながら、大和は気が動転したままだった。これまでの人生で警察にも刑事にもお世話になったことが無い。それがいきなり、母が事件に巻き込まれたなんて。


「そうか……。分かった、ではその人達も調査の対象に入れてみよう」


 山形はそう言ったが、その中に犯人が居ないと踏んでいそうだと大和には見て取れた。大和自身、その中に犯人が居るとは思えなかった。


大和は母親の人間関係を殆ど知らないのを思い知る。礼子が普段誰と連絡を取り、誰と会って、誰と親しいのか。


 まず礼子が誰かと会う回数は少なかった。職場の同僚や学生時代の友人、近所の主婦仲間は居たが、その関係は単発的だった。特定の人物ととりわけ親しくしていると、大和は聞いたことが無かった。


「その、犯人の特徴は無いんですか。性別だったり、身長や体重、服装について」


 大和は少しでも犯人の情報を知りたくて問い質す。もしかしたら聞き出した情報から誰かを思い出すかもしれない。


「犯人は恐らく男。身長170センチ前後、体格は痩せ型。服装は濃紺のスーツだ。だが決定的な特徴が無いんだよ」


 確かにありふれている。身長も服装もこの日本に大勢居る外見だ。これでは特定の誰かを連想するまでは絞れない。


「でも、すぐ捕まりますよね。ニュースでも事件が起きてからすぐに捕まっているし」


 大和は期待を込めて言う。日本の警察は優秀だと聞く。


「いや。あれは星の数ほどある事件の一部を報道しているに過ぎないよ。世間では事件が1日に何件も起こっている。交通事故だけでも1日500件以上起こっているからね。メディアは警察が解決したほんの一部を切り取ってテレビやネットニュースで流しているだけだ」


「そうなんですか……」


「じゃないと報道も仕事が無くなるからね。それに警察にとっても自分達が優秀だと思わせられて丁度良いんだ」


 大和は気落ちした。だが考えてみればそうだった。1日で報道される事故・事件の数などたかが知れている。わざわざ捕まえられそうにない案件をメディアで流したりしない。警察の無能さを世間に知らせるだけだからだ。なるべく成功例を流して優秀さを刷り込む。それが犯罪を食い止める抑止力にもなる。


 ではこれからどうやって犯人を特定するのか。その疑問には、山形が話し始めた。


「現在、駅や周辺施設の防犯カメラを確認している。昔に比べて監視カメラも増えているし、何と言うのだったっけな、ああそう、IOT化が進んでいるからね。何かしらの情報は出てくるさ」


「はい」


「例えば改札を通る時や無人タクシーを使っていれば決済した電子マネーの跡が残る。この現代で何の足跡も残さないのは有り得ないよ。


だから大丈夫だ。何か分かり次第大和君に報告する。だが君も気を付けてくれ。もし礼子さんに恨みを持つ人間が犯人なら、その親しい人物を狙う犯罪者も少なくない」


「分かりました」


「1人で出歩く際は充分気を付けるように」


 そう言い残し、山形は喫茶店から出て行った。


1人残された大和は、その場で考え込む。


 何がどうなっているのか。何故礼子は襲われたのか。誰が、何の目的で?


大和は山形との会話の中で何か思い浮かびそうだったが、それは霧のように思考の森に紛れて消えてしまった。そもそも母親が自分に事件のことを知られたくなかったのは、本当に山形が言う優しさなのだろうか? もしかして別の理由が?


「どうなってるんだ……」


 グラウンド・オルタナスとエリザ達のお陰で人生が充実してきた矢先、不幸が襲ってきた。山形は「もしかしたら単なる通り魔的な犯行かもしれない」とも言っていたが、大和にはそうは思えなかった。


 いつの間にか、店内の客は全員居なくなっていた。


礼子の入院から1週間が経った。が、事件に進展は無い。


 この期間で山形から一度だけ連絡があった。礼子の上司や元近隣住民は違う可能性が高いと言っていた。上司にはアリバイがあり、元近隣住民は他県に引っ越している。その電話の中で、山形は今回の事件の不自然な点を漏らした。


「どうしてだか駅以外の防犯カメラに犯人らしき人物が見当たらないんだ。途中で着替えた可能性があるにしろ、映像で見る限り着替えは持っていなかったようだし、何処かで購入したなら足が付く。何かがおかしい」


 大和は捜査に関する知識が無いので、何とも言えなかった。が、ベテラン刑事が言うのだからそうなのだろうと、その言葉を信じた。


 まず大和は、礼子から直接話を聞きたかった。心配させたくない親心は理解出来たが、知らない方が危険ではないのかと思ってしまう。2度お見舞いに行ったが、礼子は事件のことを話さなかった。こちらから言ってしまおうか迷ったが、言わなかった。大和は母の気遣いを優先させた。


それとも、礼子は何かを隠しているのだろうか。例えば犯人の目星が付いていて、その犯人を庇う為に。例えばそれが――。


自宅で1人大和が素人推理していると、スマートデバイスが振動した。ウーバーイーツで頼んだ牛丼が届いた通知だった。


《ベルギー・ブリュッセルで行われていたG21の会議で、メタバースに関する法律が否決されました。仮想空間に長時間滞在するあまり、筋肉の低下、現実世界でのコミュニケーション不足などが危惧されており、メタバースへの参加時間を定める法案でした。先進国の中でも、メタバースが経済の基盤の1つになっている国が増えていることが、改めて認識されました》


大和はテレビを点けっぱなしにしたまま玄関に向かう。扉を開いた所に、小型のロボットが待ち構えていた。黒色の円柱形配送ロボットだ。高さは1メートル程度で可愛げがある。


まず牛丼は、飲食店からドローンで運ばれ、マンションの入口でこの配送ロボットが受け取る。牛丼を受け取ったロボットがマンション内を移動し、エレベーターに乗って此処まで運んできた。指紋認証で引き出しが開き、大和は牛丼を抜き取る。


 自動で引き出しを閉じた配送ロボットは、虫の鳴き声みたいな電子音を出し、廊下を進んで行く。するするとエレベーターに乗り込んで行った。


「ここの牛丼久しぶりだな」


 大和は玄関を閉じ、リビングへと歩いて行く。袋の中からは食欲をそそる匂いが流れてくる。あと少しでリビングに入る手前、背後で何かが落ちる物音がした。


「ん?」


 大和は振り返り、目を凝らす。何も無い。いや、土間に一枚の白い紙が落ちている。


 ――何だ? 


 牛丼の袋を置き、紙を拾いに行く。つい先程はこんな物は落ちていなかった。ポストに挟まれていた物が落ちたのか?


 怪訝に思いながら、大和は紙を拾い上げる。紙はÅ4用紙で、三つ折りにされていた。


 何か、嫌な予感がした。


「何だ……?」


 恐る恐る、紙を開く。紙には、英文でこう書かれていた。




《Come to our side.Otherwise you will lose something precious》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る