第16話 お見舞い
「よし、鍵は閉めた」
自宅を出る大和。
大和はとうとうジュベル1の剣士となっていた。ジュベルでは毎年一度大会が開催され、大和は「戦士部門」に数年前から出場していた。初出場の3年前はベスト32、2年前がベスト8(その際に敗れたのがその年の優勝者だった)、去年は準優勝で、今年悲願の初優勝を果たした。
優勝賞金は100万ドルで日本円にして1億7000万円。賞金により新家の生活は豊かになり、駅前のタワーマンションに引っ越した(内見はVR技術を用い自宅で済ませた)。
因みにウォードは「闘士(ファイター)部門」で盤石の連覇を果たしている。最強の戦士の称号を欲しいがままにしており、難攻不落の城を築いている。
新家の新居は60階建ての34階。礼子は「もっと質素な所で良い」と遠慮していたが、大和が恩返しの為に押し切った形だ。今では礼子も新居の設備に満足して生活している。
自分で生活できる収入を得られるようになり、大和は以前よりも自信を持てるようになった。外出する頻度が増え、以前は何処に行くにも人目が気になっていた。洋服屋、カフェ、公共交通機関、美容室。己の意志を伝えるのも苦手だった。それがグラウンド・オルタナスでの成功で変化した。大和は自らを変えてくれたグラウンド・オルタナス、そしてエリザに感謝している。
ダンスパーティー以降、ヤマトはエリザと2人で会う時間を積極的に増やした(今ではさりげなく誘えるようになった。……それは嘘だ。まだ少し照れる時がある)。
関係を深めた2人は、正式に恋人となった。大和にとって人生最大の幸福の瞬間だった。
露店で買い物をし、町の外れの丘で星を眺め、ヤマトの家がある円柱の建物の屋上から夕日を眺めた。
人生で初めてキスもした。それ以上の行為も。現実世界では未だに女性との交際経験は無いので、他人からはそれは経験に入らないと言われるかもしれない。だが大和は気にならなかった。
たとえそれがメタバース世界での恋愛だとしても、ちゃんと心は通じ合っている。その事実があれば充分だった。誰かに認めて貰う必要など無かった。
尚、世間ではメタバース内での結婚が話題となっている。「メタバース婚の許可」の声はメタバース世界への参加者と比例して増えている。
世界中で議論が行われており、元々LGBTQや何らかの差別に遭った人は賛成する傾向で、恋愛の自由を主張している。ただ、現在の世界の一般論では許可される可能性は低そうだ。
理由の1つは現実世界との重複婚に繋がる可能性があるからだ。メタバース婚をするならば現実で結婚してはいけないのか、それとも2つの世界で結婚が認められるのか。認めるならばどちらの家庭を優先させるのかで問題になると指摘されている。
そして人類という大きな枠組みで見た時に、人類発展の妨げになると危惧されている。もし仮にメタバース空間で子供を授かったとしても、現実世界には連れて来られない。メタバース婚が主流になってしまうと、人類そのものの衰退に繋がる。それを世界の首脳陣は避けたいからだ。
以上の理由から、各国の上層部・為政者は反対し、一般人の方が賛成の傾向にある。国の上層部だけで見ると、アメリカやヨーロッパを始め、対立することが多い中国やロシア・中東も、反対で意見が一致している。
どれだけ賛成意見が増えても世界の上層部が否定的ならメタバース婚の実現は難しいだろう。だが大和は諦めるつもりは無かった。メタバースの世界の重要度は日々増しており、抗議を続ければいずれ道は開かれる。民主主義とはそういうものだと大和はそう信じているし、ひいては「結婚」という形に捉われる必要も無いのでは、とも考えている。
人類の未婚率は21世紀に入ってから上昇していて、メタバースの出現で更に加速した。日本では男性の生涯未婚率は39%・女性が32%まで上昇している。実に3人に1人が独身の時代となっている。
そしてもう1つ、メタバース婚の壁となっているのが家族の承認だ。もし本人同士が望んでも、周りの家族や友人・親戚に認めて貰えるとは限らない。昔ほどでは無くなっただろうが、家系の血筋を守りたいという家庭はある。
大和は頻繁にエリザやギラン、新たに仲間に加わったウォードの話を礼子にしているが、エリザとの恋愛話は出来ていない。もしその話をして、どんな反応が返って来るのかを考えると言えなかった。嘆かれるのか、否定されるのか、怒られるのか、それとも許して貰えるのか。
大和は母子家庭で育ち、誰よりも礼子に感謝している。だから母親を悲しませるようなことはしたくない。だからといって、エリザとの関係を諦めたくはない。エリザのことは真剣に想っている。
今、大和は礼子に会いに行っている途中で、この後エリザとのことを話すかは分からない。が、いずれは話さないと、とは思っている。
「病院に行くのも久しぶりだな。いつ以来だろう」
大和が病院に向かっているのは、礼子が現在入院しているからだ。数日前に、駅の階段で足を踏み外してしまったのである。階段の13段目からだったので命に別状は無かったが、運悪く膝の骨が折れてしまっていた。そのお見舞いだった。
「此処だ」
礼子が入院するこの病院は3年前に出来たばかりで、アメリカの出資で建てられた。だから外観からして従来の雰囲気とは違う。日本の病院は白色が圧倒的に多いが、この病院は外壁がマットなベージュ色だ。よくある四角い外観では無く、中央の建物が円柱の形で両左右はシンメトリー。病院というより科学館か学校に近いデザインになっている。
敷地には芝生があり、大学のキャンパスのようだ。中央には小振りな噴水とその上部に時計が付いている。
中は更に日本の病院との違いが見えた。床のタイルにデザインで木目が入り、受付前の待合には背もたれのあるソファーが設えてある。丸みを帯びたフォルムだった。1人用の椅子も多く、背もたれから肘掛けが一体化していてライムグリーンの色味。天井には細長い照明が3列で平行に並んでおり、ベンチャー企業のオフィスを連想させた。
青色の制服を着た看護師と一緒にエレベーターに乗り、4階へ。フロアに出て右に曲がる。高齢の患者たちは電動式の車いすに乗り滑らかに移動している。大和は礼子が入院している403の病室を発見し、扉を3回ノックした。
「はい」
中から礼子の声が届く。
「母さん、俺。大和」
「入って」
扉は自動で開いた。中から礼子が操作していた。
「よく来てくれたわね」
「普通だよ」
奥の窓がやや開いていた。風でカーテンが僅かになびく。礼子は陽光が差し込むベッドに座っていた。
「足はどう」
礼子の足はまだギプスで固定されている。大和が持ってきた文庫本はベッド横のトレーに置いてあった。未だに本やスケジュールをアナログ品で済ませる人間は多くない。大体の人は電子版に切り替えている。
「平気よ」
礼子が答える。
大和はキャスター付きの丸椅子に腰を下ろした。少しだけ温もりを感じ、誰か来ていたのかと気になる。だが何となく聞かなかった。特段、礼子の交友関係に興味は無かった。
「大仰に見えるかもしれないけど、無理に動かさなければ痛みは無いわ。心配掛けたわね」
1人で家族を支えてきた礼子は誰かに迷惑が掛かるのを極度に嫌がる。息子の大和は、「もう少し頼ってくれて良い」と常日頃から言っている。収入も増え、これまでの恩をやっと返せるようになったのだ。反対に、抱え込まれる方が心配だった。
「俺の方は心配要らないよ。それより足を踏み外すなんて」
「そうよね。色々考えながら歩いてたからそのせいだわ」
礼子はあと数年で還暦を迎える。若くは無いがお年寄りと言うには早い。これまでずっと健康だったので、事件の話を聞いた時大和は困惑した。人生100年時代になったとは言え、老化しない訳じゃない。現在の日本平均寿命は91歳で、世界1位を死守している。それが高齢社会を促進している要因でもあったが。
「駄目だろ気を付けないと。何考えてたんだよ」
大和は持ってきたタオルや着替えを置いていく。
「んー……色々よ。老後のこととか」
「良いよ、お金なら俺が何とかするから」
年金の支給年齢は現在68歳まで上がっている。今後の財政次第で70歳に引き上げられるそうだ。他の健康保険や所得税・消費税なども金額が上がっていて、他国に比べて経済成長率の伸びと見合っていない。
「そう言ってくれると助かるけどね。でも皮肉なものよね、寿命は伸びてるけどその分役に立てない期間が増えるだけとも言えるから」
悲観的なことを言う礼子。
「別に良いんだよそれで。年配の人達はそれまで周りの人や国の為に長い期間働いてきたんだから。老後はその見返りみたいなもんだって。死ぬまで働かないといけないなら何のために生きてるか分かんないじゃん」
「それもそうね」
「そうだよ。でもメタバースがあるじゃん。働こうと思えば高齢の人でも働けるよ。母さんもやってるだろ」
「メタバースでの仕事か。考えたこと無かったわ。おいおい考えるわね」
2人共この件についてそれ以上追及しなかった。
「それで母さんは何処に行こうとしてたの」
「えっと、それは」
礼子が言い淀む。
「何だよ。息子に言えないことかよ」
まさか誰か男の人と? 大和は疑念を抱く。
「教えろよ。気になるだろ」
「う~ん、じゃあいいわ。その代わり口外しちゃ駄目よ」
「分かってるよ。ていうか言う相手が居ないよ」
礼子が苦笑する。
「向かってたのは笹川さんの所よ。覚えてない? 『かえちゃん』って」
「ああ」
礼子の口から出てきたのは懐かしい名前だった。笹川家の母・桜子と礼子は、大和が幼い頃から交友関係がある。2人は元々職場の同僚だった。笹川家には大和の4つ上の1人娘が居て、名前は楓。秋の終わりに生まれたからそう名付けられた。
幼少期、大和は楓によく遊んで貰っていた。楓は大人びていて面倒見が良く、赤のスカートが良く似合うお姉さんだった。その頃から礼子はパートの掛け持ちで忙しく、大和はよく桜子と楓に面倒を見て貰っていた。大和が覚えているのは夕焼けが浮かぶ近所の公園で、楓にブランコを押して貰っている場面だ。楓はいつも添えるくらいの優しさで手を繋いでくれた。今思えば大和の初恋は楓だった。
「何で笹川さんの所に」
「それがね」と礼子は笹川家を訪問しようとした理由を話し始める。
実は大和が知らない間に楓は結婚していた。楓が22歳の時だから、4年前だ。その楓が離婚したいと悩んでいて、礼子はその相談をされていた。それで久しぶりに家にお邪魔することになっていた。
楓は1人息子の親権を取りたがっていて、これは日本の裁判では勝ち取りやすい傾向にある。楓が離婚を躊躇う理由は、1人で育てられるかが心配だったからだ。
楓は大学で英語を学んでいたが、就職はせずに結婚した。正社員で働いた経験が無かった。その上職業が淘汰されていく時代だ。そういった不安要素が重なり、離婚してしまって平気か踏ん切りがつかなかった。そこで桜子が1人で子供を育てた礼子を頼ったのである。
「私も大変だったから、相談に乗ってあげたかったのよ」
「それは乗ってあげないとだね」
「かえちゃんなんて若いし幾らでも仕事先は見つかるでしょうに。いざとなったら今度は内に子供を預けても良いし。そうなったら大和も手伝いなさいよ」
「そりゃ手伝うよ。でも俺、子供が嫌いじゃないけど相手をするのは得意じゃないよ」
礼子は嘆息した。
「そんなの誰だってそうです。皆やって慣れていくものなの。それを男の人達はやる前から文句を言うじゃない。家事だって何だって」
生前の父と何かあったのか。と思いつつ大和は言わない。
「ん~、分かったよ。いざそうなったら手伝う。でも料理は出来ないからね」
「了解。じゃあ今度笹川さんに提案してみるわ」
「はいはい」
「それよりただの事故で良かったよ。病院の人から連絡を貰った時、心配したんだから」
「ああ……、それはごめんなさいね。気を付けるから」
礼子は申し訳なさがあるのか、言いづらそうだった。
「じゃあ俺はそろそろ帰るよ」
楓やその他諸々の話をして、1時間が経っていた。大和は病室を出ようとする。
色んな話をしていて、エリザの話をするのを忘れていた。ただ離婚の話をした手前、結婚の難しさを説かれて終わりそうだった。今日は話さなくて正解だったかもしれない。
「あ、大和」
背中から礼子の声が届く。
「何」
「お見舞い、そんなに来なくて良いわよ。貴方も色々と忙しいでしょ」
大和は憤慨する。
「何だよ。そんなこと無いよ。俺の交友関係の無さは母さんが良く知ってるだろ」
「それは知ってるって言うのも悲しいけど……。じゃあこれから来る時は事前に連絡を入れて頂戴」
「何でだよ」
「だってお母さんの友達が来てるかもしれないから」
何を思春期の息子みたいな。と大和は聞いていたが、理由を聞いて納得する。ひょっとすると先の話に出た桜子かもしれない。
「そういうことね。分かった。じゃあ前日には言うようにするよ。それで良いだろ」
「それで良いわ。じゃあ気を付けて」
大和は病院を後にした。
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