第3話 グラウンド・オルタナスとの出会い

こうして大和は職安に出向いた。日中に人前に出るのは、地元のスーパーの面接に落ちた時以来だった。もう数か月以上前だ。大和は硬い足取りで歩を進めた。幸い知人とは会わなかった。


「此処だ」


 初訪問した職安。思っていたより、ずっと綺麗だった。数年前にリノベーションされていて、外壁の色はサンドベージュ。入り口の前にはバリアフリー対策でスラロームの坂道と手摺りが備わっている。花壇には黄色や紫の花が咲き、さながら新設された病院のようだ。


 中も清潔感があった。クリーム色のタイルは照明を反射させ、観葉植物が殺風景を解消している。職を探す空間には真っ白のテーブルと海外製のパソコンが一列に並び、企業のオフィス然としていた。


「32番のテーブルをご使用下さい」


 20代前半の女性に案内され、大和は席に移動する。周りでは皆黙々と仕事を探している。年齢層は幅広く、30代のスーツ姿の男性から定年を過ぎた白髪の老人まで。大和くらいの10代の若者は殆ど居なかった。


 パソコンで求人を探していく。これといった希望は無かった。大量にある求人の中から、とにかく受かりそうな求人をプリントアウトする。係りの職員の元まで持っていく。


「宜しくお願いします」


 女は「高梨」という名前だった。胸元に名札が付いている。高梨との面談が始まる。


「ざっと見て、希望条件は無いですか。業界や職種、雇用形態などは」


 大和が母親以外と話すのはかなり久しい。話し方がたどたどしくなってしまう。というより、そもそも人とのコミュニケーションが苦手だった。


「えっと、特に、ありません。これまでも面接は受けてたんですけど、もういっぱい落ちてしまって、働ければ、何でも良いです」


「そうですか」


 高梨は素っ気ない返事をする。大和はやや気まずくなった。


「では、新さんはご自身をどんな人間だと思っていますか」


「ええと、分かると思うんですけど、人とのコミュニケーションがあまり得意じゃありません。なんかその、上手く話せなくて。学校でも、上手に馴染めませんでした……」


 高梨は「それだけ?」という視線をしている。


「では、新さんの長所は何ですか」


「あ、敢えて言うならゲームが得意です、……」


 沈黙が生まれた。


大和はこの場に居るのが嫌になってきた。自分で言葉にしてみて分かったのは、こんな人間誰も雇いたくないだろう、ということだ。自分でもそう思ってしまった。


こんなんじゃ仕事、紹介して貰えないよな――。


 怖がりながら大和は視線を女性に戻す。女性は意外な質問を投げてきた。


「因みにですが、その好きなゲームというのは何ですか?」


「え、えっと『グラウンド・オルタナス』っていうゲームなんですけど……」


 また沈黙。それから。


「そうですか!」


 女性がいきなり両手を叩いた。大和は驚いて椅子から転げ落ちそうになった。


「でしたら新さんにピッタリの案件があります! メタバースはご存知ですか?」


「メ、メタバーシュですか。ええっと、一応知ってますけど……」


 メタバース企業のCEOのスピーチを見て此処に来た、とは言わない大和。


「なら完璧です!」


 ――何が? 


 大和は訝しむ。


メタバースは近年最注目されている分野だった。毎日1回は耳にする。


ビジネスからゲーム・趣味まで、世界の投資家やアメリカのジャイアント・テック企業が参入する最注目のテクノロジーだ。


「そのメタバース内でのお仕事です」


「え? いやあ、えっと、僕なんかがその、働けるんですか。働いた経験も無いのに」


 待ってました、と言わんばかりに女性が答える。


「大丈夫です、メタバースに一切お仕事の経験は不問です。勿論お仕事によりますが、今回紹介させて頂くお仕事には必要ありません。パソコンやデジタルの知識が多少あれば就労可能です。それこそがメタバースの特長でもあります」


「そ、そうですか……」と大和は相槌を打つ。


「しかも、そのメタバースの世界とはグラウンド・オルタナスです!」


「えっ?!」


 今度は大和から大声が出た。驚き過ぎて今度は本当に椅子から転げ落ちた。


 周辺の人に見られて恥ずかしい。気にしてない素振りで椅子を直す。席に着いた。


「実はまだ開始して半年なんです。めちゃくちゃお勧めですよっ」


 メタバースとはざっくり言うなら仮想空間のことだ。


メタバースは幾つも存在し、その中にそれぞれの世界や街がある。個々にビジネスやコミュニティが生まれている。現実世界に似た世界から、大学のサークルに近いもの、全く異世界のメタバースもあり、無数のメタバース空間から自分に合った世界にだけ参加する。


 2020年代前半に市場に出回り始め、メタバースを形成する技術や思想が次々に生まれていった。ブロックチェーンにNFT、DAO組織など。


 ブロックチェーンはデータの改ざんを防ぐシステムだ。ブロックチェーンのお陰で暗号資産が成立し、ネット上の犯罪・マネーロンダリングを防止できる。NFTは替えが利かない「証明」だ。ネット上では容易にコピーが可能だが、NFTを用いればそれが「本物」だと証明できる。アーティストの作品や大企業の経営者のツイート、更にメタバース内の街や土地までもNFT化され、価値の略奪が無くなった。DAO組織はDecentralized Autonomous Organization、日本語で「分散型自立組織」だ。これは一般企業とは違い社長・経営者を立てない、参加者全員が平等な組織を指す。権力が集中せず全員に発言権がある。個人が尊重される組織である。


 好みの世界にだけ参加できるのも、メタバースが支持される要因だ。戦闘ゲームが好きな人が集まるメタバース、読書好きな人が集まるメタバース、アートが好きな人が集まるメタバースなど。


 現実的なメタバース世界には商業施設やマンション・ホテル・美容室・カフェ・鉄道が作られ、多くのアバターが生活している。アバターの外見は自分好みに変化が可能だ。これも世界中の人達に支持される理由の一つである。


人間は予め定められた外見で生まれてくる。つまり自分では見た目を選べない。体重くらいは努力でカバー出来るが、性別や身長・髪質・肌色は大きく変えられない。これまでそのことを嘆く人達は大勢居た。


 メタバースはその悩みを解決したのである。髪の癖を無くす、派手な髪色に挑戦する、目を大きくする、強靭な肉体を作る。望んだ通りのアバターを作れる。


敢えて怪獣やロボット・宇宙人に扮する人達も居て、メタバース世界は現実世界以上の多様性で成り立っている。メタバースは人類史上初、外見の呪縛から解き放ったと言われている。


 社会に馴染めない人達の受け皿になったことも、メタバースの需要が高まった要因だった。現実世界で人間関係が上手くいかなかった人が、自分の居心地が良い得意分野の空間だけに居られる。現実世界でコミュニケーションが苦手だった人も、メタバース空間では自信を持って主張できる。アバターの自分で接するので、主張出来るようになったという報告が相次いでいる。


 現在では「メタバース世界の自分の方が好き」と答える人が過半数を超えている。自分の好きな外見で、得意な分野の中に居られることで、その人本来の性格や内面を発揮できる。それがコミュニケーション能力や仕事のパフォーマンス向上に繋がった。


 また、スポーツで挫折した人や生まれつき身体に問題がある人、高齢者や障害を持つ人が自由自在に行動できる。


メタバースは現実世界の多くの悩みを解決し、人々に新たな夢や希望を抱かせた。そのメタバースの世界に、グラウンド・オルタナスが誕生したという。


「グラウンド・オルタナスへの参入人数は日に日に増加していますし、メタバース関連の企業は株価が軒並み上昇しています。絶対に今がお勧めです」


世界ではこの10年でメタバース関連の企業が急成長を果たしている。スタートアップ企業で「兆」単位の時価総額を誇る企業が幾つも生まれ、一気にトップ企業の仲間入りを果たしている。


因みに世界のトップ企業の時価総額はいずれ400兆に達すると言われるアメリカのテック企業群の1社だ。この10年でジャイアント・テックは更に突出し、株価の集中が国際社会で問題視されている。ジャイアント・テックは元々SNSや動画サービス・携帯端末で人気を博していたが、得意分野に捕われず金融や食・自動車に電力など、多方面に進出していった。


企業イメージに捉われず挑戦していったことが奏功したのである。反対に柔軟な経営を出来なかった企業は衰退していった。


「メタバースのグラウンド・オルタナスは完全歩合制です。だから初めは収入が安定しないかもしれませんが、ゲームの方を好きな方でしたら絶対に成功しますよ」


「はい」


「グラウンド・オルタナスは今後必ず世界を席巻します。これから一緒に、新たな世界を創造しましょう!」


 大和は高梨に両手を握られた。


 対談が終わる頃には、大和はグラウンド・オルタナスへの参加を決めていた。

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