千階層

 意を決して千階層に繋がる階段を下りた。

 階段を下りきると真っ白な扉がひっそりとその存在を主張。

 俺はドアノブに手をかけて手首を捻り扉を押して開くと真っ白な光が俺を襲う。


『ようこそ。良くここまで辿り着かれました』


 頭に直接響く声。

 目を開けると目の前には薄い衣を身に纏う女性の姿。

 何百年も前に見たことのある姿だ。


『私はリーシュと呼ばれるこの世界の調停者』


 彼女は名乗る。

 リーシュといえば女神教と呼ばれる各地に教会を構える教団の主神だ。

 俺は女性を見据えていたが辺り一面が真っ白でどこが地面かもわからなくなりその場に尻をつく。

 座っていればなんてことない。

 するとリーシュと名乗った女性は俺の目の前に現れてしゃがみ込む。

 服の生地が薄くて胸がよく見える。

 本当に人間の女と変わらない。


「ここは……?」

『ここは貴方がバハムルの森の迷宮と呼ぶ次元の歪みの最深部──世界から切り離された空間──そうね、人間たちの言葉で表せば神域とでも言いましょうか』


 神域──。

 そう言う割に迷宮には魔物がうじゃうじゃ居るし、何なら過去に出会った勇者に似たものや魔王に似たものまで遭ったけど。


『次元と空間の捻じれ、歪み、軋轢──そういったものが揺らいでこの世界を生み出しました。この迷宮はその中心として生じたものなのです』


 それってどういうこと?

 ゲームの世界じゃないのか?

 頭の中で疑問が右往左往。

 思考が全く追いつかない。


『そして、世界は取り戻しました。シドル・メルトリクス───いいえ………』


 リーシュは唇が触れそうな距離まで詰め寄って俺の頬に手を添える。

 そして、こう言った。


高村たかむらたすく


 彼女は俺の前世の名を口にする。


「どうして、その名を──?」

『その昔、この世界に一つの魂が迷い込みました──』


 リーシュはその言葉を最初に言葉を紡ぐ。


『その魂はこの世界への執着が強く、どれだけ本来の場所に返そうとも、その魂はこの世界に留まりました。そして、異界の魂はある女性に身ごもった子に宿りました。本来宿るべき魂を喰らってまで──』


 え?

 それってどういう?

 俺が……っていうか前世の俺が執着……ってもしかして。

 シーナ・メルトリクス・エターニアが推しだった前世の俺が俺を食らったと?


『それがこの世界が辿るはずの世界線を変え、不安定のままのはずのこの世界に安定を齎してしまったのです』


 リーシュの目に力が籠もると、急に鼻腔を刺激する甘い香りがこみ上げてきた。


『そのせいで、私の使徒であったアグラートが貴方に懸想し子を成すという例外が発生しました。世界が安定しアグラートが使徒しての役割が損なわれてしまったためです。そこでアグラートは世界の調和を保つために貴方の影響を強く受け継いだ子を生むという選択をしました』


 まるでそれは想定していなかった──とでも言いたそうに。

 間近の彼女はまるで生きている人間みたいに温かみのある手で俺の頬を擦り潤ませた目で俺を見下ろす。


『そして、私も選択の時──』


 女神リーシュは俺の頬に触れる手を撫で下ろして首へ、胸へと手をゆっくりと動かした。


 全ての事を終えて、俺は思う。

 エロゲの世界はやはりエロゲの世界だった──と。


 隔絶されたバハムルの森の迷宮の千階層。

 ここでどれほどの日々を過ごしたのかはわからない。

 見渡す限り真っ白な空間で上も下も区別がつかない。

 けれど眠って目覚めて日に一度か二度、何かを食べていた気がする。

 記憶があやふやなのだ。


『──その魂を還しましょう』


 最後に頭に響いた声がそれだったはずだ。

 そうして長い眠りについたのだろう。



「カーテンを開けますねー」


 女性の高い声が耳に入ってきた。

 サーッと言う音がして真っ暗だった瞼の裏に赤みを帯びた光が差す。

 重い瞼に力を入れて持ち上げると視界がぼんやりして、窓から太陽の光が直接、俺に注がれていた。


「……眩しい」


 視界はまだよくわからない。

 けれど、白い天井に白いベッド、白いカーテンが周囲を覆って右の窓から太陽が覗いている。


「あ……」


 白い服を着た女性が俺の顔を覗き込んだ。


「わかりますか?」


 そんなことを訊く。

 わかるに決まってる。


「はい。わかりますけど……」

「先生をお呼びしてきますから少しお待ち下さいね」


 パタパタと大きな足音で女性は去っていった。

 それから少しと言わず直ぐに女性は白い服を着た男性を連れて戻ってきた。


「高村さん。わかりますか?」

「あ……はい……」

「では、お名前を教えて下さい」

「シ………じゃなくて、高村佑……です?」

「はい、では生年月日、わかります?」

「はい……十月──」


 気がついたら俺はシドル・メルトリクスじゃなくて高村佑に戻っていた。

 でも、シドル・メルトリクスとしての記憶は確かにある。

 それも五百年分くらいの──。それでも、高村佑としての記憶も健在。

 シドルとして生きていたときと全く同じということだな。

 それから、俺はどうしてここに居るのかをお医者さんが教えてくれた。

 俺は昏睡状態で運ばれて半年くらい植物状態だったらしい。

 死んだのかとばかり思っていたけどそうじゃなかったのか。

 現状の把握は直ぐに済んで俺も何となく理解。

 俺の目が覚めたという連絡を受けた両親と妹は直ぐに病室に見舞いに来るのだが──。

 母さんは泣きながら喜んで父さんは何も言わず大人しく俺を見てたし、妹も涙ぐんでたな。


──なんか拍子抜けだな。夢オチってわけじゃないんだろうけど、まるで夢と変わらないじゃん。


 なんて思っていたが翌日。

 朝の面会時間になると揃いの制服姿の二人の女の子が俺の見舞いにやって来る。


「お兄さん、私たちのこと覚えてる?」


 とてもかわいくて胸の大きな女の子だ。

 ふたりとも背が高めだけど、一人は女性にしてはとても大きい。

 背が高い方は可憐な顔立ちでとても可愛らしく、もうひとりの方は凛としてキリッとした印象。


「ごめん。わからない」


 でも、誰だか分からないんだ。


「忘れちゃったんですか?」


 凛とした子が眉をハの字に歪めて悲しそうにする。


「小学校のころに一緒に登校してた恵谷えたに陽菜ひなって覚えてる?」

「私は井辺いべ莉愛りあよ。思い出せます?」


 俺が小学校六年生の頃に俺に付き纏っていた小学一年生の女の子だ。

 登校班が一緒で朝は常に俺の手を引っ張って──。

 正直、女の子なのにクソガキだと思っていたんだけど……。

 俺が今二十四歳になったばかりだから彼女たちは十八歳のJKのはず……。

 それがどうして俺がここにいると分かったんだろう?

 ストーカーかよ。


「どうして俺が入院したって分かったの?」

「ご近所ですし、倒れて入院したって伺ったから、小学校のころにお世話になったよしみでお見舞いに行きたいとお母様にお許しをいただいたの」


 井辺さんが言う。


「目が覚めたって昨日聞いて、居ても立っても居られなくなって莉愛と一緒に学校をサボってここに来ちゃったの」


 ニコリと可憐な笑顔の恵谷さん。

 いや、お見舞いに来たのは良いとしても、サボりはダメでしょ。

 そう言おうとしたら、恵谷さんと井辺さんが驚くべき言葉を口にした。


「私たち、覚えているよ。シドルも覚えてるでしょ?」

「ようやっと、再会できたね。シドル」


 彼女たちは俺をシドルの名で呼んだ。


「え? ええ? ど、どういうこと?」


 何故、彼女たちがその名を知ってるの?

 疑問が頭を駆け巡る。


「私、物心がついた頃から前世の記憶みたいなのがあって──」


 俺がシドルとして生まれたのと同じ。

 フィーナもイヴェリアもこっちに転生していたのだとか……。

 でも、俺、こっちで生きているということは死んでなかったということなんだけど、植物状態で魂があっちの世界に飛んでいってしまったのか。

 それって時間の流れがおかしくない? と、思ったけれど、世界を渡るときは次元の歪みを利用するらしいから、その魂の意思や願いの強さでどうにかなるのかもしれない。

 女神リーシュがそんなニュアンスで俺があのエロゲの世界で生を受けたと言っていたしね。


「ということで、あらためて──こっちでもよろしくね」

「は──はぁ……」


 まだ事態を甘く飲み込めていない俺は恵谷さんに生返事を返した。


「ふふ……」


 その様子を見ていた井辺さんが含み笑いをして、


「私たちは学校なので、また、お見舞いに来ます」


 と、俺に伝えて恵谷さんに準備を促した。

 俺は井辺さんにも「はい」と生返事を返すだけで、あまり多くのことを口にできず、彼女たちが俺の病室を出ていく後ろ姿を眺める。


 恵谷さんと井辺さんはそれから毎日、学校帰りに俺のお見舞いに通い続けた。

 俺はと言うと半年間も植物状態だったせいで筋力が落ち歩くのもままならず、日々のリハビリの結果、目が覚めてから三ヶ月後に退院。

 会計を済ませて病院を出るというところで、恵谷さんと井辺さんが迎えに来た。


「おにいさん、退院おめでとう」

「佑さん、荷物をお持ちします」


 恵谷さんは俺の右に並び、井辺さんは俺が左手に持っていた荷物を手にとって左に並び立った。

 そう言えば小学生のころもこんな感じだったな──と、そんなことを思い出しながら感覚的には五百年ぶりの自宅に帰る。


 なお、蛇足ではあるけど、エロゲのために作ったいくつかのMODにお金を寄付してくれた人たちが居たおかげで入院費用は賄えた。

 こんな俺を応援してくれた皆様に感謝、感謝、感謝──。


 陵辱のエターニアの世界でラスボスとして生きた俺は、主人公がバッドエンドを迎えたクリア後(?)の世界で快適な人生を途中までは送れた。

 それから、こっちの世界に戻ってきたらあっちの世界での嫁さんが転生していて、こっちでも押しかけられてしまったわけだけど、それなりに快適な人生を送れそうだ。


 それにしても──。

 陵辱のエターニアというゲームを作った会社は知っているけれど、この物語の脚本を書いたのは女性なんだよね。

 クレジットではメインシナリオにひじり女華ひめかと書かれていた。

 思い過ごしだったら良いんだけど、何となく気になる。

 家に帰ったらまたやり込んでみるか。


≪了≫

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エロゲのラスボスに転生したけどクリア後の世界を快適に生きたい ささくれ厨 @sabertiger

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