閑話

聖女の旅 三

 バハムルでの滞在を終えた聖女ハンナと従者の聖騎士、グレーテルとファルテは馬車に乗り、バハムル城の城門を出た。

 城門前広場には円形の水汲み場がそのまま残っている。

 この広場も円形ではあるが城から南北に伸びる街道を中心に碁盤の目状に町が東へ南へと広がっている。

 市街地南側の郊外にはバハムル湖から伸びる川と、更に南にバハムルの断崖があるため全ての道が整然としているわけではないが、敷き詰められた道路の下に上下水道が敷設されていて市街の景観を美しく象っていた。


「とても良い街よね。ここは」


 ファルテが御者席で手綱を握っているため車内にグレーテルとハンナの二人。

 車窓から眺めるバハムルの町並みが美しく映り、グレーテルはこの街に感動した。


「……ええ、そうね」


 ハンナは相槌をうつがどことなく上の空。


「ねえ、ハンナ。どうしたの?」


 心配になったグレーテルが訊いた。


「や、あ……なんでもないよ。ここの町並みよね。本当に綺麗だよね。ここまで整ってるのは見たことない」


 ハンナは車窓に目を向けると街を歩く人たちに目を奪われる。


「ここに来たときも思ったけど、本当に様々な種族が居るのよね……」


 ドワーフやエルフ、人間と交配が進んで血は薄くなったとは言え耳が人間よりも尖った褐色の肌を持つダークエルフいった人間に近いが人間とは異なる種族。

 犬人族をはじめとした獣人族。人とも魔族とも言い難い見た目の魔人もいる。


「そうだ。ネイル様でしたっけ? お話が上手く纏まって良かったよね」


 グレーテルが切り出したのは祝賀会でのネイルとの交渉。


「そうよね……」


 ハンナは気の抜けた声で返したが、


「イシルディル帝国に行かなくても良くなったのは助かりましたが、行けなくて残念という気持ちもあります」


 と、弱々しく声を振り絞る。


「そうだけど……。ハンナ、なんかおかしいよ? どうしたの?」


 グレーテルがハンナの顔を覗き込むと熱を帯びて頬が赤いハンナの顔が見えた。


「体調が優れないの?」


 心配でグレーテルは問う。


「いいえ、そんなことはないけど……」


 ハンナは言い淀む。


「もしかして、男?」

「………」

「良い男、たくさん居たもんね。シモン王子は別として、シドル陛下の弟のトールくんも年下だったけど格好良かったし、他にも──」


 グレーテルは戴冠式や婚姻儀礼で様々な人間を観察していた。

 祝賀会でもそれなりに異性と会話もできてある部分ではそれで満足している。


「聖女だから恋しちゃダメとか男と遊んじゃダメとかそういう決まりはないんだから、少しくらい自由にしても良いんじゃないの?」


 グレーテルはハンナの反応を見て異性絡みだと察した。

 ハンナはこれが恋なのかもしれないと感じはしたものの、その相手が悪いと思っている。

 何せ旧敵だし、自分は勇者と身を重ねた女だというのもあった。

 自らの手を汚すことはなかったけれど、彼らの所業を黙認したことで後ろめたさもある。

 それでも、彼から感じた女神の気配──。

 女神リーシュと同じ神気を彼が持っていた。

 シドルの魔素に当てられて高揚を覚えたハンナだが、シドルから魔素だけでない覚醒した聖女として感じ取れた神気がハンナの心を捉えている。

 まるでそれは女神より賜った権能が彼の神気を求めるかの如く──神への懸想が彼に置き換わる──そんな錯覚さえある。

 もしそうなら──。


(私はなんであんなことを──)


 ハンナは過去が苛まれると悔やんでも悔やみきれない。


「私は──多くの命が奪われることに心を痛めてきたから……。もし、私が誰かに恋をしたとしても、それを素直に楽しめないと思うの」


 その相手から彼ならなおのこと。

 ハンナは未だにリリアナ・ログロレスの最期を忘れることがなかった。


『シドル……さ……ま……』


 リリアナは確かに彼の名を声にした。

 そのときの情景が、何年も経った今も色褪せること無くハンナの記憶に焼き付いている。

 それがハンナの目の前で初めて人が息絶えた瞬間だったからだ。

 残酷にもその直後に彼女は首を斬られ胴から頭が引き抜かれた。

 勇者の影響下にあった当時はなんとも思わなかったのに【主人公補正★】による思考誘導をレジストし始めたころから、リリアナの死に際が鮮明に蘇る。

 本来の思考の私だったら、あの時、胃の中のものを全て吐き出してしまっただろう。

 あれを見て泣き叫んだかもしれない。

 自分の行動が彼女の命を奪ってしまって、それでも尚、聖女として崇められる──私はそんな存在じゃないのだと罪悪感に押し潰されただろう。

 彼女にとって、死に際の──アルスの影響から開放されたあの瞬間に、彼を想い、最期の力を振り絞って名前を声にするほどの存在だった。


(あの人も、私と同じ気持ちだったんだろうか……)


 今になって、それが何となく分かる。

 ハンナは車窓から小さくなっていくバハムル城を眺めて王立第一学院に入学した頃から愛用しているペンと、旅の記録などを綴ったノートを取り出して、この気持ちと過去の自分に向き合うために思い出の一つ一つを文字に綴って残すことにした。


 馬車は順調に進み、バハムルの断崖に差し掛かる。

 以前は馬車で通行することが不可能だったが、長い工事の末に大きな馬車がすれ違うほどの道幅を確保している。

 この断崖の道路の作りが独特で、ぐるぐると曲がりくねった道を岩をくり抜いて作られたトンネルと崖際にせり出した広い道路を何度も繰り返し出入りしてぐるぐると降りていく。

 上りのときもこの整備された道路に感動を覚えたが、帰りとなる下りでも同じだ。

 何なら景色が上りよりも下りのほうが眺めが良く景色に目と心が奪われる。


「バハムルの人たちはこの景色を頻繁に見られて羨ましい」

「わかります。とても壮大よね」


 窓から見える景色では飽き足らず──


「御者席に出てましょうか」


 と、前方の扉を開いてハンナはファルテの隣の補助席に座り、グレーテルは扉から身を乗り出して外を眺めた。

 障害物がない景色は更に壮大で「ふぁーー」と感嘆の声を漏らす。

 馬車は灰色の路面を進み進行方向にはトンネルの入口が見える。

 トンネルに入ると壁がところどころでくり抜かれて外からの光が差し込んで暗くはない。

 しばらく進むと大きな曲道を経て再び崖側に出る。

 今度はバハムル側で対向車線の向こう側に景色が広がった。

 ここも路面は灰色で車輪がガラガラと音を立てて進む。

 ブリーチングで速度を調整しながら馬車はゆっくりと坂道を下る。

 この路面はセメントがのされていてほぼ真っ平ら。

 雨が降っても滑りにくく晴天時と比べてペースが落ちないため天候に左右されずに一日で越えられる。

 これがシドルの案で、シドルが召喚した土の精霊ノームを使役してドワーフたちと作り上げたバハムルの峠である。

 もともとの道を拡張しただけではあるが、精霊たちの協力を得ながらいくつか検討した結果、もともとある道を拡張したほうが良いということになって現在に至る。


「ところで……ハンナ」


 補助席に座ったハンナにファルテは聞きたいことがあった。


「ん?」

「ハンナってあのバハムルの王様や后さまたちと知り合いだったの?」


 ファルテは隣国の出身でハンナの出自などは詳しく知らない。

 だから、シドルとの会話や、祝賀会や食事の席でのフィーナやイヴェリアとの会話が微妙な距離感であることが気になってた。

 けれど、聞くに聞けなくて今の今まで我慢した。


「はい。一応、学友──ということになるのかな……」


 ハンナがエターニア王立第一学院に通っていたことはファルテに伝えたことがあった。

 なおグレーテルはエターニア王立第三学院の出身であるため校舎は違うが決闘騒動のときは会場にいたことを打ち明けている。

 エターニア王立学院は周辺国にも名が知れている。

 現在は改名されてエテルナ領立学院となっておりシモン・エテルナが未だ生徒だというのに総理事に就任している。


「学院といえば、シモン様ってキュンキュンしてやばかったわ」


 シモンが学院の総理事をしているというのは本人が言っていたし、若い女性たちもそう言っていたからファルテの記憶の中では学院とシモンという単語が強く結びついていた。

 ファルテがシモンの話をし始めたのでハンナはホッとした。

 シドルたちとの過去を掘り下げられると辛い気持ちにしかならないからだ。

 そして、シモンと言えばグレーテル。

 彼女は以前、幽閉されていたシモンの監視役をさせられていて、シモンのあられもない姿を拝んだことが何度もある。


「シモン殿下は昔から王妃殿下に似てとてもお美しい方でした」


 グレーテルが口をはさむ。

 今でこそ自慢話になるところが当時は家からも憚られ、アルスのお世話役につけられたところで貧乳だからという理由で放逐された。

 致し方なく幽閉中のシモンのお目付け役として従事。


「そんなに近しいはずなのにシモン様とお話してないの?」

「私はほら、こんなだから──」


 胸がないことをアピールするグレーテル。

 シモンはシモンで露出の激しいアグラートたちや、ハイエルフのケレブレス、ダークエルフのネイルをチラチラと見てたことをグレーテルは知っている。

 シモンはその突出した美貌で女性たちの視線と歓声を一身に浴びて育った。

 それが彼を歪めた原因の一つとなっている。

 戴冠式に出席するためにバハムル領に入ったシモンは自身の性癖を完全に理解する出来事に遭遇。

 彼は街に入ってバハムル城に向かう道すがら一人の獣人族を見かけた。

 胸当てとサブリガという露出の激しい服装の狐人族。

 大きな胸をゆっさゆっさと揺らして闊歩する姿はまさに獣。

 大きな尻尾と太ましい太ももに彼の性的嗜好が刺激された。

 シモンは人ならざるものに性的興奮を抱くタイプだったらしい。

 そして、それが祝賀会などでの場で貴族としての付き合い以外で人間と関わらなかった理由の一つであった。

 なお、この美麗な元王子のシモン・エテルナはエテルナに帰領したのち、直ぐに勅命を発布。


──エテルナ領立学院は門戸を広く開き人間のみに限らずドワーフ、エルフ、魔族に関わらず入校希望者を受け入れる──と。


 エテルナはその後、一大学術都市として大きな発展を遂げるのだが、それはシモンの性的欲求を満たすためだということは後の人間には知る由がなかった。

 つまり、シモンが顔見知りのグレーテルに目を向けなかったのは貧乳だからという理由ではなく、彼が人外を好んだためである。


「どこかに良いオトコ、転がってないかなー」


 貧乳で自身のないグレーテルはそうボヤく。

 彼女たちは非常に見た目の良い女三人。女だけの三人で旅をしているというのに浮いた話が一切ない。

 男が欲しい──と言いつつ、言い寄る男は拒絶する。

 彼女たちの理想は高かったのだ。


「私らよりちょっとだけ強いだけで良いのにそれがなかなか居ないもんね……」


 聖騎士の二人はその職能を影響もあり、男勝りの強度を持っている。

 だが、グレーテルもファルテも自分は女の子で強い男に守ってもらいたいと願っていた。

 それこそ力に物を言わせてカッコよく迫られたい。そんなときを待っている。


「あなた達は男性に対する感性がおかしいから、良い男性に恵まれないんだよ」


 ボソリとハンナは呟く。


「ハンナはもうちょっとくらい異性に興味を持って良いと思うよ」


 ハンナの声が届いたファルテが言い返した。


「まあ、それはさておいて──。バハムルは本当に良いところだったわ」

「そうだね。ご飯も美味しかったし空気も綺麗だった」

「悪い人が居ないし、変な男に言い寄られたりしなかったわ。治安良すぎじゃね?」


 ハンナが話を変えるとグレーテルとファルテも乗ってきた。

 こうして話をコロコロと変えながら馬車は進み半日が立つ頃には崖下の宿場町に到着。

 彼女たちはそこで一泊して、大陸西端の国、ロセフォーラ王国にあるサンミケール修道院を目指した。

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