絶倫勇者とサキュバス魔王

「こうしてニンゲンの生活に入り込むと、睡眠も食事もいらない私たちって時間をただ浪費しているだけで面白くないわ」


 今まででは考えられない。

 アグラートは窓から見える緑々しく茂る木々とその向こうに見える青空を眺めていた。

 アグラートは幹部のリーリス、ナーマ、エインシェット、エストリと滞在し、先に訪れていたニキはバハムルの森の迷宮に入り浸っている。

 そして、彼女たちにはそれぞれに個室が与えられていて、それぞれにバハムルの使用人がついていた。

 しかし、アグラートは使用人を呼ぶことなく、淫魔のスキルで魔力で練り上げた衣装を身に纏う。


「もう良いわよね?」


 普段の露出の多いスタイル。

 祝賀会ではシドルから露出は控え目にというお願いを聞いて肌の露出を最小限に留めていた。

 全裸でベッドに横たわっていたアグラートは外が明るくなってから、最低限の布面積の衣装に身を包む。

 ベッドの縁に腰を下ろして窓の外を眺めていたら部屋に叩音が響いた。


「アグラート様。お連れ様が参りました」


 使用人の声がノックの音に続く。


「どうぞ」


 アグラートが許可を出すとガラッと引き戸が引かれて扉が開いた。

 バハムルの離宮の扉はすべて引き戸。

 これは古い小さな領城に倣ってのものだった。

 開いた扉をまたいだのはアグラートに付き従う幹部たち。


「私たちに部屋を個別に割り当てるのは良いとして、私たちって眠らないし食べないから退屈よね」


 リーリスは言った。


「そうね。ニンゲンに合わせるというのはこうも苦痛だとは思いもよらなかったわ」

「ウチもさー、暇だったから出ようとしたけど、気配を感じてやめちゃったよ」


 アグラートがリーリスに返して、エストリが発言。

 部屋に備え付けのソファーに座っている。

 二人がけのソファーが一つに一人がけのソファーが二つ。

 その中央にローテーブルが配置されてその上には水が注がれた瓶が置かれている。

 エストリはその一人がけの椅子に座ったのだ。


「イヴっちだよね?」

「そうそう」


 エインシェットがエストリの言葉に反応してエストリが答える。

 イヴェリアはアグラートたちの間ではイヴっちと呼ばれていた。

 半年の間、イヴェリアを魔都マハラの魔王城に招いてともに過ごしている。

 ニンゲンなのに淫魔みたい──というのが彼女たちの間でのイヴェリアへの評価。

 それもそのはずで、ほんの少しコツを教えただけで淫魔の種族スキルである【吸精★】や【魅了★】のみならず【房中術★】まで覚えた。

 しかもイヴェリアの【魅了★】は常時発動型。意識して抑えることはできるものの淫魔と同等レベルで種族固有のはずのスキルを自在に操るイヴェリアは彼女たちにとって同族といってもいいほど。それで、イヴっちと敬称で呼び合う仲に進展したのである。

 そして、極めつけに、魔族の間ではアグラートにしかない魔法──【契約魔法★】までイヴェリアは修得している。


「イヴっちは本当、ニンゲンじゃなかったらアグにも匹敵するのに、ニンゲンだってことが本当に残念……」


 ナーマが言う。


「ニンゲンってレベルの上限があるのがね──」


 エインシェットが続いた。


「けど、その代わりに親の能力を遺伝というかたちで受け継ぎやすいし、他種族との間にも子を設けられるんだから、私たちみたいに一代で終わるわけじゃないのよね」


 リーリスが言う通り。この世界の人間はレベル99が上限である。

 レベルの上限がない魔族やドワーフ、エルフたちは延々と成長し続けられるが一定のレベルを超えるとレベルアップが非常に遠い。

 長命種であるが故にレベルアップが遠いのだが、そこに一人の例外が存在した。


「だから、私たちにはシドルくんが必要なの」


 アグラートは嬉しそうに言葉にする。

 ハイエルフの女王が一生に一度だけ他者に付与するスキルにより、シドルは人間の上限を超えてしまった。

 それはレベルだけに限らず、寿命さえもシドルは人間の域を既に卒業している。


「特定のスキルは無理にしても、汎ゆる武具を扱うセンス──ほぼすべての魔法を高度なレベルで使いこなす技術。それに、無限に湧き出る魔力──」

「ウチらに取り込むには最高の逸品……」


 魔族が強さを求めるのは本能的なもの。

 魔王アグラートもその一人。

 シドルの子を身ごもれば、彼の能力を引き継いだ強力な魔人が生まれることはほぼ確実。

 アグラートがシドルを──シドルの濃密な魔素を思い浮かべて舌舐りする。

 この場の四天王と呼ばれる幹部もアグラートと同じ考えである。


「生まれた子どもを新たな魔王に──」


 それが彼女たちの本当の目的だった。

 つまり、彼女たちにとってシドル・メルトリクスという新興国の王は攻略対象なのである。

 このときの彼女たちはシドルが【絶倫★】というスキルをバハムルの森の迷宮の深層のボス、プロトタイプ・ブレイブから入手して覚えたことをまだ知らない。


 この日、朝食は南棟の大きな食堂に集まって食べることになっていた。

 アグラートたちは食事を摂る必要は全く無いのだが、シドルと接触を図るために参加する。

 食堂に入るとニンゲンの女性が何人もいるし、数人の男性の姿も見えた。

 一人はメルトリクス家の現当主、トール・メルトリクス。もうひとりは旧エターニア王国の王子で現エテルナ領の領主シモン・エテルナ。

 アグラートは無用なトラブルは避けたいと【魅了★】を抑えることにする。

 それでも、トールとシモンの目はアグラートたちに向いていた。

 彼らも年頃の男性なのだ。


 しばらくして、シドルがイヴェリアとフィーナを左右に従えて食堂にやってきた。

 彼の後ろにはカレン・ダイルとソフィ・ロアが続いている。

 そして、そのシドルから感じ取った気配──。


「シドルくん──」

「シドルっち………」


 魔族の女性たちはシドルに魅入ってしまった。

 シドルは【魅了★】を発動していないというのに、彼から漏れ出る魔素がそうさせる。

 彼女たちにはシドルの魔素に当てられて性的な興奮を得てしまった。

 それでもある程度理性を保って【魅了★】の発動を抑えられるのは彼女たちが高位の存在だからだが──。


「男性として、一つ、成長したのね……。それがコレって凄まじいわ……」


 アグラートまでシドルに当てられてしまっている。

 この時、彼女たちはシドルから漏れ出る濃密な魔素に心を奪われた。

 昨日までとは全く異なる質の密度を持った魔素──。

 本来ならばシドルの【MP自然回復★】で過剰に回復した分だけがシドルの身体から溢れ出るのだが、今はそれだけではなかった。

 特にアグラートはこれほどまでの強度の魔力と、それから溢れる強い魔素──精気とも言えるエネルギーに当てられて強い思慕を抱いてしまった。

 このせいで、シドルという人間の男が頭から離れることは二度とないと、彼女は後世で語ることになる。


 それから、ここにもうひとり、シドルの魔素に当てられた女がいる。


「ハンナ様、どうなさいました?」


 ハンナの様子に彼女の護衛で聖騎士のグレーテル・ザイルが様子を確認。

 公式の場だから念の為敬称をつけたわけだが──。


「あ……いいえ……何でもないです………」


 ハンナは狼狽えた。


「ハンナ、大丈夫?」


 同じく聖騎士のファルテもハンナの心配をする。

 ハンナは席が近い魔族たちが熱気を帯びた視線をシドルに向けていることに気がついた。


(あのような方たちにまで──)


 これまで異性に対して身体は許しても心を動かしたことのないハンナは、アグラートたちの恋慕を込めた目を見て自身の心に宿った感情の名を知る。

 これがきっかけで不感症だったハンナの身に変化が訪れるのだが、それはまだ先のこと。

 しかし、それが──


(あれだけのことをした私がシドル様に懸想するなんて、本当に烏滸がましいよね──)


 と、諦念と恋慕の間で悔やんでも悔やみきれない人生を苦しむことになった。

 そして、その苦しさを紛らわせるためにハンナは自身の半生の全てを忌憚なく綴る決意にも繋がる。


 少し離れた席ではケレブレスとネイルが並んで朝食を摂っていた。

 同じ席にはネイルの実母のラリシルと妹のルシエル、それと、モルノア・テルメシルというハーフ・ダークエルフの女性が食事を楽しんでいる。

 食堂に現れたシドルを見てケレブレスは言う。


「シドルはどうやらまた一つ、その霊格を高めたようじゃのう……」


 武芸に長けたイシルディル帝国の皇帝で【バトルマスター★】という職能を持つネイルもシドルの変化に気がついた。


「シドルから溢れる魔素の濃度がこれまで以上に凄まじい……不慣れなものは当てられてしまうだろう。シドルは気がついていないのか?」


 ネイルの言葉にラリシルとルシエルも同調。

 彼女たちは以前、シドルから口移しという形で魔素を得たことがある。

 そのときにエルフとしての霊格を取り戻し、本来のエルフとしての人生を歩み始めている。

 ネイルほど精神的な強度を持っていないラリシルとルシエルはシドルの魔素に身体の芯が高ぶり、その刺激の強さのあまりに酔い始めていた。

 彼女たちがシドルを見ると彼の左にいる女性が嫋やかな微笑をアグラートたちに向けていることに気が付く。


「あの、イヴェリアという女性も凄まじい……」

「イヴェリアは余が魔法を授けてから研鑽を怠っておらぬようで……あれだけ濃い魔素を何食わぬ顔で自分のものにしておる。末恐ろしい女じゃ」


 ネイルの言葉にケレブレスが返した。


「まるで魔女──」


 モルノアが呟くと、ケレブレスが「イヴェリアは魔女じゃからのう」と答える。

 すでに人間の限界に達しているのに、それでも尚、イヴェリアは向上心を失わず、研鑽を続ける。

 その結果が、シドルから漏れ出る強烈な魔素を自分のものとして身に纏い魔力へと変換という離れ業。


「シドルを攻略するには先にイヴェリアを──シドルよりも前に口説かねばならぬな」


 ケレブレスの言葉にネイルは同意を示した。


 彼女たちがそう結論付けたがイヴェリアの心中ではシドルがここまでの女性たちの懸想を集めることを誇らしく感じている。

 シドルがこれほどまでの魔素を漂わせているのは彼女たちと夜遅くまで初夜を楽しんだことに起因するわけだが、シドルが失った精力を生気として即座に回復してしまう【絶倫★】の副次効果のせいだった。

 即時回復という効果で体外に放出した精気を補うために即座に魔素を生気に変換し、さらに体内で精気に変換される。

 この即時回復はシドルの魔力や魔素に対しても有効で【MP自然回復★】と相乗効果を以て相当な量のオーバーヒールとなっていた。

 過剰な魔力と魔素はシドルの周辺に漂い、特に魔素に影響されやすい種族やスキル、職能を持つ者を狂わせることになる。


 そのせいで、【絶倫★】を新たに得たシドルは淫魔サキュバスの魔王の攻略対象となり異形ながらも美しい彼女たちからの執拗なアプローチを受けることとなった。

 ゲームの世界であれば【絶倫★】を始めとしたスキルの持ち主の勇者が淫魔の魔王とその幹部を攻略するはずなのだが、勇者が滅び、シドルが【絶倫★】を覚え、勇者のそれ以上の効果を発揮したために、スピンオフ作品【凌辱のエターニア外伝 ─絶倫勇者とサキュバス魔王─】とは真逆の展開を迎える。


 こうして高村たかむらたすくの記憶を持つシドル・メルトリクスは【凌辱のエターニア外伝 ─絶倫勇者とサキュバス魔王─】のストーリー導入部と同じ時代に進んでいった。

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