戴冠式

 門庭は開放され、俺は左右に王国の貴族たちと各国の要人の前で民衆の前に経っていた。

 バルコニーからは門庭を埋め尽くす──とまではいかないが領民が多く、その他に近隣から物見客もいるだろう。

 ここは人口が増えたと言ってもまだ三千には届かないからね。


「偉大なる全能の女神リーシュ様の名の下、バハムル王国の新たな王、シドル・メルトリクスは女神の祝福を賜りこの地に豊穣をもたらし──」


 透明度の高いハンナの詔が魔力を載せて周囲に揺蕩う。

 まるで水面に落ちた雫が緩やかな速度で円を描いて広がる波紋のように。

 これが覚醒した聖女の言霊なのだ。

 彼女の言葉の一つ一つが耳から侵入して身体の内側から揺さぶる。

 ハンナの声に魔力が宿ると、彼女が掲げた王冠が光の粒子に包まれてぼんやりと光りを放ち始めた。


「──私、聖女の名を賜ったハンナが偉大な女神リーシュ様の名代として新たな王となるシドル・メルトリクスに冠を与えましょう」


 俺はハンナの前に跪くと、彼女が俺にゆっくりと王冠を頭に載せる。

 すると、王冠に宿った光の粒が強く眩いて、視界を真っ白に染め上げた。


──なんだ!?


 顔を上げたらそこにはいつぞやか見た女性の姿。

 薄っすらと透けた衣からは様々なものが見えている。

 以前、俺が召喚魔法を授かったときに見た女性だ。


『久し振りね。シドル・メルトリクス』


 女性の声は頭に直接響いてくる。

 強烈な魔力を感じた。


「召喚魔法を授かったとき以来でしょうか?」

『そう──あの時、私は目覚めたの』


 女性は大きな乳房をゆさゆさと揺らして俺の眼前に迫ると、俺の頬に手を伸ばして顔を近付ける。


『私の権能の一部を貸し与えたものの願いを聞き入れました。貴方には既に私の恩恵を与えていますから、その恩恵でさらなる権能を授けましょう』


 身動きができずにいる俺に、女性はそう言って俺の唇を奪った。

 重なった唇から熱い何かが吹き込まれる。そのまま、彼女は光の粒子となって、その粒が俺の口から体内に侵入。


──熱いッ!! 熱い───ッ!


 体中を熱気が巡る。

 それでも、以前ほどではなく、気を失うまではいかなかった。

 それまで眩くて周囲が見えなかった視界が徐々に回復すると俺の目の前にはハンナがニコリと微笑みをむけていた。


 冠を授かった俺は立ち上がり、門庭に集まる民衆の前に出た。

 これで、俺は正式にバハムル王国の国王となったわけだけど、さっきのあれが気になった。

 既に恩恵を与えてるって言っていたから【召喚魔法★】のことだろう。

 俺は【召喚魔法★】の詳細を確認すると、精霊や神獣、悪魔、天使だけでなく、神霊が増えていた。


「女神リーシュ様は言いました。本来あるべきこの世界の未来を取り戻した真なる英雄がシドル・メルトリクス。神に愛されこの地で平和を育んだこのバハムル王国は私の名の下に繁栄を約束しましょう──と」


 ハンナは俺が民衆に戴冠した姿を見せていたら、そんなことを口走っていた。

 聖女というか、戴冠式の授受でそんなことを言うものなのかと疑問に思ったが、その時は彼女の言葉を受け流した。


 それから──。

 戴冠式に続いて、そのまま婚姻儀礼を続ける。

 最初にバルコニーに出てきたのはフィーナ・エターニア。

 エターニア王国の第二王女で俺の従兄弟で幼馴染。

 再会してからの彼女は精力的に動いて、エターニア王国とバハムル陣営を結び付ける役割に徹してきた。

 そのお蔭でバハムル王国を興してからは多くのエターニア貴族がバハムル側についてくれて、エターニア王国を倒してからも国の再建に尽力する。

 彼女なくしてはバハムル王国は成し得なかった。

 純白のドレス姿の彼女は、スラリとした長身だからか可愛らしい顔立ちがよく目立ち、この壇上とも言えるバルコニーでは一際目を引く容姿である。

 歩く度に大きく揺れる乳房もまた、彼女の個性だ。


 続いてバルコニーに出てきたのはイヴェリア・ミレニトルム。

 ミレニトルム公爵家の長女で俺の幼馴染。

 フィーナより背は低いけれどそれでも女性では長身の部類の彼女。

 フィーナと同じ純白のドレスに身を包んでいるというのにイヴェリアはどことなく神秘的で妖艶な空気を身に纏っている。

 フィーナに見劣りしないその大きな乳房を携えて少しばかり開いた胸元をぶるんぶるるんと揺らしながら俺の左側に歩いてきた。

 俺が戴冠したときよりも、フィーナが出てきたときよりも、観衆の声がずっと大きい。

 このバハムルでは女性といえばイヴェリアかソフィさんと言う固有名詞が出てくるほどで、酒場では色気の強いイヴェリア派と癒やし系のソフィ派でしのぎを削り、推しの発言が熱く行き交うという人気ぶり。

 イヴェリアを救い出してから七年。彼女はそれから俺とともにレベリングしたけど、そのさがら領民に文字の読み書きや計算、行儀作法や魔法などを教え始めた。

 レベルがカンストしてからは更にそういった教育に力を入れてバハムルの教育水準を底上げし、強力な兵団を育てあげたり、バハムル村の発展に最も貢献したと言える。

 凛とした面持ちで整った顔立ちの持ち主の彼女は俺の隣で上向きの口端で民衆を見渡した。

 離宮に住む人間の中で最も民衆に近い存在だろう。門庭からはイヴェリアの名を呼ぶ声が絶えない。


 俺の右にフィーナ、左にはイヴェリア。

 正面に再びハンナが婚礼のための詔を読み始める。

 ハンナが祈りを紡いでいる間、イヴェリアは真っ直ぐにハンナを見据えていた。

 イヴェリアはハンナとの決闘によって命を奪われそうになった。

 思うところがあって当然。きっと、今も快くは思っていないはずだ。

 俺も同じだからね。でも、フィーナはハンナを戴冠式や婚姻儀礼の祭司として呼び寄せた。

 そこに意味や意図があるはずだし、俺もハンナと対面して教会を設置してくれなんてお願いもした。


 ハンナの詔が終わる。

 この世界でも結婚は契約だ。


「では、婚姻の証として、指輪の交換をお願いします」


 永遠の愛を誓い合ってハンナから差し出されたのは二対の指輪が二組。

 最初に俺とフィーナが指輪を手に取り左手の薬指に指輪に嵌め合ってキスをする。

 それから俺とイヴェリアが指輪をトレーから手に取ってお互いに左手の薬指に嵌めてからキスを交わした。

 俺の左手の薬指には手前からフィーナとの指輪、イヴェリアとの指輪とピッタリとくっついている。

 生まれてからずっと、寄り添って生きてきた証であると言わんばかりの存在感だ。

 とはいっても、それほど派手な装飾を施された指輪ではなく、ミスリルで作られたシンプルなリングだ。

 緩やかに湾曲しているけれど、俺の左手の薬指にはフィーナとイヴェリアの指輪がピッタリと隙間なくくっついていた。


 式典を終えたので城内の一階にある大広間に移動。

 ここに来賓の方々を招いて立食形式のパーティーを開いた。

 で、俺はイヴェリアとフィーナを左右に従えて正面のハンナと相対。

 彼女の後ろには聖騎士の二人──グレーテルとファルテがドレス姿で立っている。


「本日はどうもありがとう。旧エターニアの形式での結婚式といたしましたので、本日までご挨拶を交わすことができなかったことをご容赦ください」


 フィーナはそう言ってカーテシーを披露し、それを謝罪とした。

 エターニア王国では結婚前の男女は結婚の一週間前から肉親とともに過ごし伴侶となる相手と顔を合わせないことになっている。

 新婦のほうは更に肉親以外の何者とも顔を合わせないという習わしもあった。

 バハムル王国はエターニア王国の系譜であり、その血統もエターニア王国を継ぐもの。だからエターニア王国の文化や習慣をそのまま引き継ぐことにしたのだ。

 なにせ俺の母さんにも王位継承権があったくらいだからね。

 それをハンナも理解してもらっているわけだけど──。


「いいえ。こちらこそ。この度は栄えあるバハムル王国の戴冠式や婚姻儀礼の祭司として招かれたことを光栄に存じます。私こそお礼をさせていただきたいくらいですから──それよりも、私──」


 ハンナはフィーナとの話を切り上げてイヴェリアに顔を向けると「イヴェリア様に謝罪と懺悔をしなければなりません」と顔を伏せて声にした。


「────」


 イヴェリアは何も言わないが『言いたいなら言えば良いじゃない』とでも言いそうな表情をしている。

 それを察してかハンナが言葉を紡ぐ。


「私、学校に通っていたときにイヴェリア様にとても無礼を働きました。こうしてお会いできて光栄で、イヴェリア様の婚姻の祝を述べられてとても誇らしいと思っておりますが、これまでイヴェリア様にしてきたことを考えるととても謝罪だけでは足りないと考えております。いくら勇者の影響で従う必要があったとは言え、償いきれないほどの罪を犯しました。もし、イヴェリア様が私の命をお求めでしたら差し出す覚悟はできております」


 イヴェリアと目を合わせていないけれど、その面持ちからハンナには覚悟があったことが伺えた。

 イヴェリアはそんなハンナをみやって俺から身体を離すと、ハンナに近寄る。


「──悔しい気持ちもあったけれど、貴女を憎んだことはないのよ。貴女のことはシドルの情報を追いかけている間にある程度は把握してましたから。それに、決闘のことは恨んでも怒ってもいないわ。あれがきっかけでシドルとともに時間を重ねて私は成長できたし、それに、誰にだって過ちはあるし、いちいちそれを咎めたって私も貴女も未来を歩めないじゃない。ハンナだって苦しんだのでしょう? 償いはそれで充分」


 イヴェリアはそこまで言うとハンナを抱き締めて、


「だから、これで恨みっこはなしということにしましょう」


 と、そう言った。

 イヴェリアはハンナに対してはそう怒っていなかったからね。

 身分不相応なところは注意をしたことはあっても、それだけだったし、わざとぶつかられた時はイラッとはしていたけど、それを勇者に漬けこまれただけで、怒ったりはしなかった。

 ハンナはそんなイヴェリアの優しい声を聞いて


「ありがとうございます」


 と、耳元でイヴェリアに感謝を返した。

 それから、身体を離すとイヴェリアが表情を切り替えてハンナに質問を投げかける。


「ところで、式典のときの魔法──かしら? あれはどういうものなの?」


 イヴェリアは魔法オタクだった。


 イヴェリアがハンナと話している間。

 俺とフィーナは国内の貴族たちや周辺の国々の王族や高官と挨拶を交わし、食事や酒を楽しんだ。

 その間、アグラートたちを始めとして、イシルディル帝国の皇帝ネイルとも目が合ったし、ケレブレスとも視線が何度も交わった。

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