修道院

 大陸の西端。ロセフォーラ王国の西海岸にある砂浜上の孤島。

 日に二度の干潮でなければ入ることのできないここ、サンミケール修道院。

 この修道院には数千人の修道女が住み込み、また、男性の聖職者も居住を構える。

 女神リーシュを崇拝するこの教会は大陸全土に信徒を抱える大陸の一大宗教。

 今日もハンナは修道院の中央大聖堂に足を運ぶ。


「おはよう! ハンナ」


 部屋を出たハンナに気さくに話しかけてきたのはハンナとともにエターニア王国を出て修道院に住まいを移したザイル子爵家の三女、グレーテル・ザイル。


「おはよう。グレーテル」


 ハンナはグレーテルの挨拶に答えてカーテシーを返した。

 その所作はとても美しく二年前とは比べ物にならないほどに美貌を増している。

 女性らしい均整の取れた凹凸の効いた体型は純白の法衣で隠しきれないほど。

 美麗な流線型で見る者の目を離さない聖女の流麗な動作にグレーテルは見惚れる。

 すると、今度は別の女性の声がする。


「ハンナ。おはよう」


 彼女はファルテ。

 セロリア王国の平民でスキル持ちだったから士官して門兵として勤めていたが、退職してハンナに同行。

 グレーテルと同様にこの修道院に住んでいる。

 彼女たちは聖騎士を得て正式に聖女ハンナに仕える騎士となった。

 修道院での鑑定では【職能:聖騎士】と修道院に来てから異なる職能を得ている。

 これはハンナも同じで、修道院での研鑽を重ね一年ほど前に【職能:聖女★】として覚醒を果たした。


「では、参りましょうか」


 ハンナはグレーテルとファルテを従えて中央大聖堂へと向かう。

 居室のあるアパートメントは中央大聖堂まで歩いて十分ほどの距離にある。

 この孤島には背の高い建物が犇めいていて門のある東側以外の北、南、西に小さな聖堂があり、中央に大きな聖堂を眺める形で作られている。

 ハンナは修道院の北側にあるこのアパートの一室に部屋を借り、ハンナの部屋の両隣がグレーテルとハンナが住む。朝は早く日の出とともに大聖堂に向かって朝の祈りを捧げるのが日課となっていた。


「ハンナ様、おはようございます」


 道すがら、住人で同じ修道を歩む女性たちに声をかけられる。

 同じ道を歩むと言っても彼女たちはこの修道院に住むものの中では非常に若い上に、身分も異なる。

 身分と言っても貴族や平民というものではなく、この女神リーシュを崇拝する女神教の中でのこと。

 覚醒したハンナは枢機卿により身分を大司教に改められている。

 たった一年で出世を果たしたわけだけど、もともとエターニア王国の大教会でも司教として勤めていたのでワンランク昇格したというだけの話として捉えていた。

 中央大聖堂から放射状に伸びる直線の道をハンナたちは歩く。

 海風が緩やかに流れて彼女たちの髪を凪いでいるのだが……。


「それにしても、ちょっと外に出るだけで髪の毛がベタベタになるの、どうにからならないですかね?」


 朝だと言うのに潮風で髪の毛がごわつく。

 そのせいでハンナもグレーテルも長い髪の毛をバッサリと切り少年のごとく風貌である。

 それでも、傾国の美女と囁かれるほどにハンナの美貌はこの二年で磨きがかかっていた。


「私はもう諦めました。髪の毛も切りましたし」

「私もだよ」


 ハンナとグレーテルは潮風でひっつく髪の毛が気色悪くて住み始めてから早々に髪を切っている。

 もともと短かったファルテは潮風に当った髪の毛が長いほど不快感が強いということを知らずにいた。


「まあ、それでもここは水がふんだんに使えて日に何度も髪を洗うことができるから、もう気にしないことにしたの」


 ハンナは笑顔でファルテに言う。


「ねー。こっちに来たばかりの時は本当にひどかったんだから」


 グレーテルは頭の後ろに手を組んで言う。

 髪を触ったのは潮風に当った髪が気になったからだ。

 グレーテルはザイル家という子爵家の貴族の出であったが、自身が三女ということもあって、この平民の二人とは気を楽にして過ごせている。

 この教会に来て洗礼を受け、聖騎士として覚醒してからは特にだ。

 家を出るまで、グレーテルは肩身が狭い思いで生きてきた。

 エターニア王国に住んでいた頃は勇者の世話役の騎士として働いたものの勇者の好みに適わず女としての自信すら失われた。

 だが、ハンナと出会い旅をして辿り着いた修道院でグレーテルは聖騎士となる。

 聖女の傍らでハンナを守る女神の名の下に武器を持つ騎士となった。

 聖槍を賜り、その槍を背負った彼女はようやっと報われた──女として魅力が欠落していてもこうして身を立てることができたのだと自分の価値を実感する。

 とはいえ、グレーテルはグレーテルで母譲りの美貌を持っており見目好い女騎士として陰ながら人気を二分している。

 その二分の片割れがファルテ。

 ファルテは生まれも育ちも平民でたまたまスキルがあったから領兵になれた。

 それからハンナに一目惚れしてファンになり、ある意味、追っかけとしてついて回っている。

 ファルテもグレーテルと同じく、修道院で聖騎士として覚醒。

 彼女は聖弓を賜ってハンナの手で清められた矢を番える弓の使い手となった。

 聖騎士としてハンナに仕えるグレーテルとファルテは教会での地位を司祭に改められてハンナの付き人として従事している。


 三人がまだ薄暗い大聖堂に入ると、女神像の前で祈る初老の女性の姿が見えた。

 彼女はこの修道院を束ねる院長として働き、枢機卿の身分を持つミリアラ・ファン・ティエラ。


「おはようございます。ミリアラ様」


 ハンナが両手を胸元で重ねて握り、目を伏せて頭を下げる。

 今日の幸を祈る女神教の挨拶みたいなものだ。

 グレーテルとファルテもハンナに続いた。


「おはよう。ハンナ。今朝も早いわね」


 ミリアラはハンナの祈りに右手を胸元に当てて目を伏せ、そして、頭を下げる。

 ハンナたちの祈りを快く受け取ったという意味を持つ挨拶だ。

 それから女神像に祈りを捧げて大聖堂の清掃を行う。

 修道院ではこういった作業は身分を問わずに取り組むことになっている。

 厳密に言えば身分が全く関係ないわけではないが、ハンナたちは主に大聖堂内の清掃をすることが多かった。

 掃除が終わるとミリアラが便箋に入った手紙を取り出した。


「バハムル王国のフィーナという女性からハンナにお手紙が届いたの。確認してくださる?」

「はい」


 バハムル王国はエターニア王国を滅ぼした新興国でフィーナはエターニア王国の王女。

 既知の名にハンナは眉を一瞬動かしたが、ミリアラからおずおずと手紙を受け取った。


「ここで確認させていただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ、どうぞ」


 ハンナは便箋の封を解き、中から手紙を取り出して読む。


「ミリアラ様。バハムル王国の戴冠式と新しく王になるお方の婚姻儀礼の招待状を戴いたようです……」


 エターニア王国が滅び、バハムル王国が興ったことはここ、ロセフォーラ王国でも知るところで、ミリアラも当然知っていた。

 フィーナがエターニア王国の名代として書簡を認め、ハンナに渡してミリアラに届けさせたこともあり、ミリアラは大陸中央の情勢をある程度把握することになったわけだが、それからというもの、これまで無縁だったイシルディル帝国からの来訪者が見え始めたこともあって大陸中央の変革に好奇心を唆られている。

 ともあれ、戴冠式に高僧が傘下するのは女神の名の下に王として君臨することを許すという儀式であるから、それに聖女として名を挙げたハンナを指名したのは理解できた。


「許しましょう。ハンナ。貴女をバハムル王国の戴冠式への参加を、私──枢機卿として、このミリアラ・フォン・ティエラが命じましょう」


 ミリアラは即座に許可をする。


「承りました。ティエラ卿」


 ハンナはそれを受諾した。


「グレーテルとファルテはハンナの従者としてともに行きなさい」


 ミリアラは続けて、グレーテルとファルテにも命を下す。

 それから、言葉は続き、


「近年イシルディル帝国からの来訪者が増えておりますから、バハムル王国の戴冠式を終えたらイシルディル帝国に向かってもらいたいわね。そこで皇帝との謁見して近況を確かめて来てほしいの。そのための書簡を作るのでお願いするわね」


 と、ミリアラは伝えた。

 それから、大聖堂での公務を進めながら、その合間にフィーナへの手紙を綴ってその日のうちに送り出す。

 手紙には戴冠式への参加を了承する返答を認めた。

 逆算をすれば数週間のうちには出発しなければならない。

 あれやこれやと脳裏に巡るが、故郷を出て二年で帰郷を果たせると、ハンナは思ってなかった。

 それはグレーテルも同様だが、彼女はもう実家に関わるつもりがない。

 ファルテに関しては親が生きているうちに顔出しくらいできればそれで充分としか思っておらず、二年ぶりに親の顔でも見に行くか程度の気持ちでしかない。

 そんな思慮を巡らす彼女らを前にミリアラは言葉を継ぎ足す。


「あ、それから──今回は女神リーシュの名の下、教会の使者としてサンミケール修道院から派遣するという体裁ですから、大司教──聖女の名に恥じない馬車を用意いたしましょう」


 ミリアラの言葉の通り、数週間後の夜明け前。

 クーペという形状の屋根付きの馬車に乗り、ハンナたちはサンミケール修道院を出発。

 御者はファルテとグレーテルが交替で担当。

 足を使って移動した最初よりはずっと楽な旅路になるはずだった。

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