離宮

 昇降機を降りて一階。

 ここから東の廊下を進むと城から離宮へとつながる回廊に出る。

 途中、訓練場なんかがあって何人かの兵士が剣や槍を振っていた。

 こうして見ると城内の設備はほぼ完成している様子。

 時折、手直しをするドワーフや土の精霊たちを見る程度だった。


 離宮は回廊の先。

 バハムル湖上に建設されていた。

 湖底に杭を打ってその上に基礎を作って床を上げて作ったのだろう。

 とても幻想的な風景だった。

 杭は真っ黒で光沢を放っているからガルヴォルン製か。

 ガルヴォルンはイシルディル帝国で産出する隕鉄が原料で、精錬すると光沢を放つ漆黒の金属になる。

 このガルヴォルンという金属はとても丈夫で軽量なことからイシルディル帝国の女帝ネイル・ベレス・メネリルが全身鎧として愛用するほどのものだ。

 彼女の持つ多くの武器もガルヴォルン製。

 俺が身につけている軽鎧もガルヴォルン製だったりする。

 そのガルヴォルン製の金属製の杭を贅沢に使った桟橋を進み湖上の離宮の敷地に入った。

 門を通ると離宮は概ね平屋の作りでほんの少し物見塔程度の二階が見える。

 庭は芝生で覆われていた。芝生の下は砂利と土とかそんな感じだろう。

 下がどうなっているのかが気になる。

 離宮の外周は塀で覆われていて外の様子を見ることはできない。

 物見塔はそのためにあるのだろう。後で昇って周囲を見てみたい。


「ここからが私たちの新しい住まいだよ」


 フィーナが四枚の引き戸が折り重なった玄関に立って俺たちを手招きする。

 静かな音で戸が開くと玄関から一段高くなった小上がりに内履き用のスリッパが並べられていた。


「靴は履き替えてね」


 ということらしい。

 どことなく前世の日本の家に近い感覚だ。

 中には女性の使用人が数名。

 俺たちの靴を脱ぐのを手伝ったり、外套や武具を預かってくれる。

 ここで靴を脱ぐという行為が武装を解除する一助となっているのかカレンも違和感なく剣を預けていた。


 それから広くなった応接室、居間にキッチンと見て回る。

 台所は食堂、居間と隣り合っていて旧来の小さな屋敷とそう変わらない印象を受ける。


「この辺は、今の家と変わらないんだね」

「ん。だって、カレンもソフィ様も料理はするって言うし、だったら今とそんなに変わらなくて良いでしょってことになったの」


 つまり、カレンとソフィさんはこれまで同様に一緒に住み続けるということだ。


「でも、ここは私たちが主に住むスペースで、奥にはまだ空いてる部屋があるの」


 居間から出て一旦玄関口に戻ってから反対側に進むと先程の台所とは別に少し広い調理場が見えた。

 その隣に広い食堂が設けられている。


「こっちが私たち以外の女性やその子どもたちが利用するところね」


 ここが南棟と呼ばれる場所らしいけれど、こっちのほうが多くの部屋があって、交流室みたいな居間を広くしたスペースが確保されていた。

 最初に行ったところが北棟と呼ばれていて中庭を窓越しに見ることができるが南棟と比べると面積が狭く部屋もそれほど大きくない。

 主に俺と正妃の居室と言った感じで、それにカレンとソフィさんの個室がある様子だった。

 南側はまた別で、俺の母さんや妹のほかにフィーナの母親と姉が入居するのが決まっているらしい。

 ファウスラー公爵家の娘のレーネの居室まであるので、側妻として寄越された女性たちを住まわせるために用意したものなのだとか。

 数日のうちに俺たちが、この新しい住まいとなる離宮に引っ越したら南棟に住む女性たちが入居する手筈となっていた。

 なお、俺たちが今住んでいる屋敷は、兵士の詰め所として使用される。

 こうして、だいたいのことはフィーナが培った人脈を使って進めてくれていて、順調に準備が整っていた。

 俺もイヴェリアもこういう政治に関しては得意ではないし、何なら家から追放された身だから満足に教育を受けることができていない。

 中途半端な知識や学しかないから王族として高度な教育を受けていたフィーナに頼りきりになっていた。


 それから、翌日──。

 屋敷から離宮へと家具や荷物の運搬が始まった。

 新しい居室は俺とフィーナ、イヴェリアの三人が過ごす部屋で、今までみたいに名目上のフィーナの部屋とかイヴェリアの私室というものがなくなっている。

 屋敷から荷物が搬出されるのを見届けると、俺とフィーナ、イヴェリア、それに、カレンとソフィさんは新しい王城を通り抜けて離宮へと移動。

 昨日一緒に地上に戻った淫魔のニキは今度は単独でバハムルの森の迷宮に向かったので今は居ない。

 で、離宮の入り口の反対側──離宮の東端に北棟と南棟を繋ぐ細い廊下のその中央に大きくない引き戸で隔てられた一室に俺たちは待機している。

 離宮に設けられた部屋の中でもここだけは異質で、何のための部屋なのかとても気になった。


「この部屋って何の目的の部屋?」


 この部屋は南と北を繋ぐ廊下の中央に扉があって、そこから入ると広い空間と一つの大きなベッドがどんと置かれているだけ。

 調度品の類はほとんど無く、ベッド以外は気休め程度のソファーと椅子に小さなテーブルしかない。

 離宮で最も質素な造りの部屋。

 俺はフィーナにこの部屋の用途を訊いた。


「ここはシドルが側妻たちと過ごすための部屋ね」


 要するにヤり部屋ということらしい。

 さすがエロゲの世界。と、思っていたが、どうもそういうことでもないらしく。


「私たちバハムル王国は新興国。いくら私が旧エターニア王国の王女だったからと言っても、既に亡んだ国だし、何ならお父様がアルスの行った蛮行のせいで快く思っていない貴族や民が少なくないの」


 フィーナは言う。

 神獣を召喚する俺という存在をフィーナは存分に利用した。

 ファウスラー公爵家みたいに最初から娘を差し出してきたところもあればそうでないところも当然ある。

 そういうところには俺の血を引く子を送れば良いとフィーナは考えた。

 俺の血脈を広めて盤石の体制を作り上げたいと考えていた。

 人間の寿命は短いからということらしい。

 とは言え、俺としてはこうした封建的な統治より、いつか政治が王家から離れて合議制や代議制みたいな感じに収まってくれたらと思ってる。

 声に出したことはまだ一度もないけれど。


「ともあれ、イヴが魔王の下で学んで来たのは私たちにとってもとても良いものになったわ」


 フィーナはそう言って俺との会話を結んだ。

 イヴェリアはアグラートの下で研鑽し、多くのスキルを覚えてきた。

 その一つに俺も持っている【房中術★】というのがある。

 このスキルはエッチなことだけでなく、健康状態の維持や出産などにもその効力を発揮する。

 子を成しやすい状態を維持し、その時宜をスキルが把握させる。

 ここでは俺にしか使えないものが、イヴェリアも使えることが判明して、フィーナはバハムルの繁栄を確信したという。

 君臨しても統治をしない俺の──きっと、フィーナもイヴェリアもそのつもりだろう──その数少ない仕事で、この新興国が末永くあるために最も重要な仕事に高い確度を持てる。

 フィーナとイヴェリアの間でもきっとその利害が一致してるんだろうな。

 フィーナと俺の会話をイヴェリアは目を細めて眺めていた。


 離宮への引っ越しは丸一日かかった。

 部屋の一つ一つが屋敷よりも広くなったけど、居間にいるメンバーは変わりない。

 俺たちに使用人がつかないのはカレンやソフィさんが俺やフィーナ、イヴェリアの側仕えの扱いだからだ。

 特にカレンは護衛の役割もあるし、そもそも、このメンバーで戦闘力がないのはソフィさんだけ。護衛はいらないのだ。


「前より広くなりましたけど、家具とか一切替わってないから新鮮味があまりないですねぇ」


 夕食を食べているときのこと。カレンがこう話を切り出した。


「カレン様もやはりそう思いますよね? 私も……というか窓の外を見て、引っ越したと実感できますが、家具の位置などは変わってませんものね」


 カレンの言葉にソフィさんが返す。

 ソフィさんの言うとおりで部屋は新しくなっても何故か家具の位置は変わってない。

 それに居間と台所、ダイニングの位置も前の屋敷とそう変わらない作りで代わり映えしないので、引っ越したという実感に乏しい。


「私たちが住む北棟は、バハムルの領城を参考にしていてそれほど変えていないのよね」


 フィーナがこの間取りを採用したらしいけど、これまでの生活から大きく変えることを避けたがったというのが何となく分かる。

 ただ、離宮は平屋でこの居間リビングから廊下に出て東方向にいくつもの部屋が並んでいる。

 浴室やトイレなどを隔て、カレンの私室、俺とフィーナ、イヴェリアの寝室、ソフィさんの私室という感じに配置されていて、その奥には空き部屋が数室。

 更に奥に二階建ての物見塔があってそこから南棟へ繋がる細い廊下が伸びている。

 居間から出ればそこからは新居という実感は湧くのだが──。


 そんな感じで、八年近く暮らしたバハムルの小さな領城から、バハムルの王城へと居を移した。

 王城の裏手に──湖上の離宮を建造し居室としてこれからの生活を送る。

 物見塔から見える景色はこれがまた格別で、王城と違って対岸まで見ることができないながらも湖の地平線の北にはカザド山脈の東端の山影が見えるし、東側に目を向けると世界樹のいただきがひっそりと見える。

 これも王城の天守閣から見られたものだけど、もしかしたらエルフの森に近い湖岸に船を停められたなら直接の往来ができるのではないだろうか。

 しかし、エルフは閉鎖的で人間を嫌う者が少なくない。今も森からエルフたちが来るけれど、彼らは外の世界に興味があったり、迷宮での挑戦に心を奮わせたい人たちばかり。それでもドワーフの国を跨がなければバハムルに渡れないために諦めてしまうエルフもいる。エルフとドワーフとは基本的に犬猿の仲なのだ。

 エルフたちの森側に桟橋や船着き場ができればモリア王国を経由せずにバハムルに渡れるので、今以上にエルフがやってくることになる。でも、冒険したいエルフだけではないし、人間を嫌うエルフだって少なくない。

 そんなわけで、もし、ケレブレスに桟橋を作ろうと言えたとしても、反対するエルフが少なくないことでその決定は遠い未来になることだろうことはわかりきっている。

 ともあれ、こうして大きくなったバハムル城と新しくできた離宮に移ったことで高所から見られる景色がこれからのバハムルを描き出してくれたのかもしれない。

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