淫魔

「ようこそ、おいでくださいました」


 深々と頭を垂れて俺たちを出迎えたのはモリア王国の高官の一人。

 互いに名を名乗り、挨拶を済ませた。


「ジオット様ですが、本日は戴冠式の前日ということもあり準備のため、謁見をご遠慮させていただいております。何卒、ご容赦くださればと願っております」


 高官によると、ジオットが出迎えて接待をするべきところ、戴冠式の前だから準備が忙しいということらしい。

 昨日あたりに着いていればジオットを伺うことができたのかもしれないがそれは仕方ない。

 気にしていないと伝えると高官が俺たちをモリアの都市部の中心地にある豪華な建物に案内する。


「本日は私どもの迎賓館に滞在いただき、明日の戴冠式をお待ちいただけますようお願いいたします」


 そう言って何度も頭を下げる高官。

 だが、それよりも、その迎賓館からただならない魔力の渦の存在を俺は感じ取る。


「迎賓館ですか……すでにこちらに滞在している要人がいらっしゃるんでしょうか?」


 と、訊いてみるものの、この魔力には覚えがある。

 つまり訊くまでもなかったわけだ。


「魔族領のアグラート様御一行がすでに滞在しております」


 高官の回答は予測していた。

 一行──ということはアグラートの他にも居るんだろう。


「私も気になっていたけど、魔王幹部が勢揃いしているみたいだわ」


 俺の左に並ぶイヴェリアの声。

 その声に高官が応答。


「魔王様は幹部勢揃いで数日前にご来国くださいました。それからこちらのモリアを査察していただいております」


 つまり、俺が見た魔王と幹部たちが揃って迎賓館に居るのだ。

 広い迎賓館だから何もなければ顔を合わせることもないだろうけれど、彼女たちは気配に敏感だから俺が来ていると気づいているはず。

 そんなことが高官には伝わるわけもなく、彼は俺たちを迎賓館に招き入れた。


 扉を開き敷居を迎賓館に入るとエントランスにはこの世のものとは思えない美貌を持つ異形の女性たちが俺の顔に目を向ける。


「あら、シドルくん、いらっしゃったのね」


 第一声はアグラートのものだ。

 その艶かしく耳を擽る美声は俺の下腹部に血液を集めて高ぶらせるほど……。

 そう、彼女の常時発動型の【魅了★】が俺を惑わす。


「カレがアグの言ってたシドルくんなのね」


 リーリスがアグラートに確認をした。


「そうなの、リーリス。シドルくん、良いオトコでしょう?」


 アグラートの言葉を聞いた青白い素肌を持つリーリスが蛇の如き目で俺を見据えて割れた舌先を使って舌舐りしてみせる。

 一瞬、ゾワッと悪寒が背筋を這うが何故かどこが刺激的なのかリーリスから漂う淫靡な空気に俺は更に身体を強張らせた。

 おそらく彼女も【魅了★】を持っているのだろう。

 そう思わせるものがあった。


「ええ、本当に……。とっても良い匂いがするわね」


 声色は違えど手足に蛇の鱗に似た模様を持つリーリスがうっとりとした目線を俺に送る。


「良い匂い……。たしかに──」


 額の上から生える二本の角が印象的な彼女も淫魔サキュバスのナーマ。

 髪は黒く、瞳はアグラートと同じく真紅の瞳。背中に生える羽はグリフォンの羽に似た形状。

 長い黒髪と角に隠れている耳は人間のそれとほぼ変わらない形に見えた。

 胸は大きいのだが、俺の左右に居る二人の女性と俺の視界にいる六人の女性は三度見してもまだ目が釘付けになるほどの大きさを誇っている。


「ナーマも好みだろう? ボクもひと目、このシドルくんを見たときからずっと気になっているんだ」


 小柄でボクっ娘のエインシェット。

 彼女は以前、軽く会話を交わした程度だったけど、熱を帯びた視線をナーマと共に俺に向ける。


「ねえ、ウチの言ったとおりだったでしょー? それとあっちの女の子もなかなかなんだよ。こっちに取り込みたいくらいよ」


 というのは吸血鬼のエストリ。

 魔王とその幹部の中で数少ない淫魔でない種族の女性だ。つまり、この場の魔族で唯一、常識的な布面積の衣服に身を包んでいる。

 彼女とは会ったことがあり、その時にイヴェリアも同席していた。

 魔力を全く感じさせない彼女は俺にとって相性の悪い相手だ。もし彼女の【魅了★】を不意打ちで食らったらレジストできるのか不安でもある。

 そして、この魔王アグラートと四天王と呼ばれる彼女たちが、陵辱のエターニア外伝─絶倫勇者とサキュバス魔王─の攻略対象。

 ゲームではエターニアの王となった勇者アルスが彼女たちとの行為で【房中術★】と【絶倫★】、【鑑定★】などのスキルを駆使して籠絡して完全支配するという本編のクリア後の世界の物語として表現されていた。

 俺の前世の記憶によると、この外伝の描写には多々思うところはあったけど、エロければ良いかという感じで受け入れらる。

 好感度に好意、隷属というステータスの増減で彼女たちの態度が変わり、支配度と精力がシナリオの進行状況という感じで進行していた覚えがあった。

 ゲームでは【鑑定★】で見られる数値という説明だったけど、プレイ中でもアグラートには効かなかったことから、魔王は【鑑定★】に対する感知能力があるんだろう。

 前に話した時もそんな感じだったし。

 ということは、四天王のリーリス、ナーマ、エインシェット、エストリには【鑑定★】を使っても問題はないということだな。たぶん──。

 それと、もう一人。この場には見覚えのない女性がいる。


「ニキから見てシドルくんはどう見えてるかしら?」


 アグラートが彼女に訊いた。

 見た目はまるで人間。腰から伸びる小さな羽がなければ人間としか思えない女性だ。

 スラリと伸びる手足だが、大きな胸とお尻、むっちりと膨らむ太ももは男の欲情を殊更強く刺激するほど。

 髪の毛は赤茶色で、大きな目には紫色の瞳がゆらゆらと輝いてる。ぷっくりと膨らむ唇は美しい桜色で好印象でさえある。

 アグラートの問いに、ニキと呼ばれた女はこちらに視線を向けると、フィーナが反応。


「【精気感応★】って……シドル、気をつけて。スキルを使われてる──」


 どうやらスキルをこちらに向けて使用したらしい。


「あら、ニキの【精気感応★】に気が付くなんて、貴女も素晴らしい才能の持ち主なのね」


 アグラートは艶のある声でフィーナに言う。

 魔王は少しばかりの威圧感を放っていて、フィーナはアグラートの声に少しばかり身を引いていた。

 武器を持っているとは言え、この中では力を持たない彼女だから、こういった反応は当然。

 後ろでカレンが剣の柄に手をかけている。


「そこまで警戒なさらなくて良くってよ」


 アグラートはそう言ってニキを見て俺に近付いてきた。


「どうかしら?」


 と、アグラートがニキに訊いたのは俺の目の前に近寄ってから。

 ニキという女性はこうして近くに見るととても綺麗な顔立ちだ。

 これがゲームに出てきていたら前世の俺はきっとドハマりしたに違いない。


「これは──魔素?」


 ニキが俺の周りで鼻をクンカクンカと鳴らし始める。

 ニキの行動に反応したのがイヴェリアだった。


「シドルの身体からは濃密な魔素が漏れ出ているの。きっとそれが貴女にも効果があるのでしょう?」

「そのようですね。私の空腹が満たされるこの感覚──まるで上質な男性から精を受けた後のよう……」


 イヴェリアは何故か勝ち誇った笑顔をニキに向けている。


「貴女は〝食べる〟必要があるものね──それがシドルくんの傍らにいるだけで満たされるということは、彼の傍らであれば吸精せずとも生きていられるわね」

「そのようでございます。このお方の傍らにいるだけで、これほどの満足感……。私もアグラート様やリーリス様と同様に食事を必要としない淫魔になれそうでございます……」

「それは、シドルくんが近くにいるから、そう錯覚するだけでしょう? でも、〝食べる〟必要のない私ですら、まるで精をお腹に注がれ続けているような多幸感……。シドルくんから溢れる魔素が私たちの飢えを満たしているのね」

「そのようでございます──」


 蕩けた表情で下腹部を撫でるアグラート。

 ニキもアグラートと同じく恍惚とした顔で俺を見詰めていた。

 二人の話に聞き耳を立てていた魔族の幹部たちも同意見なのか口端を緩やかに釣り上げて目を細めている。

 まるで彼女たちの攻略対象が俺だと言わんばかり。

 そんな状況が俺の両隣に陣取るフィーナとイヴェリアには面白くない。

 特にフィーナは俺の右腕をガッチリと掴む手に力が籠もっているのがわかる。

 アグラートもそれは察していたのか、フィーナをちらっと見てから口を開いた。


「えー……と──」

「フィーナ・エターニアと申します」


 アグラートとフィーナは初対面。

 アグラートが名を呼ぼうとしたがわからなくて言い淀んでいたらフィーナが自分から名乗った。

 長身の女性がにらみ合う姿は迫力がある。


「フィーナ……ね。私はもうわかってると思うけど、アグラート。名字みたいなものはないわ。よろしくね」

「こちらこそ、よろしくおねがいいたします」


 アグラートが名乗ると、フィーナは俺の右腕から手を離してカーテシーを見せた。


「では、改めて、フィーナちゃん」


 と、アグラートは話を戻して言葉を続ける。

 ちゃん付けで呼ばれたフィーナは「は?」とでも言いたげに目を丸くしていてとても可愛らしい。


「別にシドルくんをとって食べるつもりはないのよ。けど、私たち淫魔は──ここにいる吸血鬼のエストリもだけど───生き物の精を糧としているわ。特に多くの種族と交配できるニンゲンの精はとっても好ましいもので、贄として襲うこともあるくらいなの。私たちが吸った精は体内で魔素に変換されて、私たちの命を繋いでいるのだけど、シドルくんはそこに居るだけで私たちのような原種に近い魔族の命を繋いでしまうのよ」


 アグラートは言葉を区切って、イヴェリアに視線を送る。


「イヴェリアちゃんはわかるわね? 貴女、シドルくんの魔素を吸ってるでしょう?」


 アグラートの問いにイヴェリアは無言で肯定。

 その様子を見ていたニキが不思議がった。


「ニンゲンなのに吸精をされるのですか?」


 アグラートに問いかけたのか、それとも、イヴェリアに問いかけたのか。

 ニキの表情や向きからは分からなかった。

 けど、それに答えたのはアグラート。


「イヴェリアちゃんはニンゲンなのに、エルフが使う【精霊魔法】をとても高い精度で使えるみたいなの」

「そんなニンゲンも存在するのですね……」

「イヴェリアちゃんなら私たち魔族が使うような固有のスキルを覚えることができるんじゃないかしら? 【精霊魔法】ってそういう類だし」


 アグラートはそう言って横目でイヴェリアを見ると、それに気がついたイヴェリアは満更でもない顔をした。

 彼女はどうも魔法に対する探究心がもともと強いが、最近は自身の成長の見込みがないことで向上心を削がれている。

 それを補うためにバハムル領民に教育を施していたわけだけど、ここに来てイヴェリアが身につけられる新たな魔法があるのかもしれないということにイヴェリアは内心喜んでいることだろう。

 そういう顔なのだ。

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