聖女の旅 二

 聖堂で待たされているハンナは聖堂の入口から見て正面──聖堂の奥でステンドガラスから差し込む陽光に照らされた白磁の女神像の真ん前に近付いた。


「とても綺麗になさっているのね」


 白く輝く女神像はとても良く手入れされている。

 その像の佇まい感心しながら、ハンナはその場に跪いて手を組み女神像に祈りを捧げた。

 すると【職能:聖女】の効果で女神像が淡く輝き彼女の周囲に幾つもの燐光が煌めく。


(こんなの、見たことがない──)


 ファルテは女神像に祈るハンナに目を奪われた。

 まるで停止した時間の中に陥ったのかと、静止した光の粒子とそれを纏って淡く輝くハンナに、ファルテは目だけでなく心まで釘付けにされる。

 それは恋愛感情などというものではなく、純粋に、美しく儚い花が必死にその彩りを保とうする様に、その輝かしい生命を支えたいと思わせるほどの尊さがファルテのその心を強く引き寄せた。


(なんて綺麗なの──!? これが修女……。いや、こんなのは今まで一度も見たことがない)


 ふと気になって、ファルテは彼女と同じくハンナに目線を向けているグレーテルを見る。

 グレーテルはこの光景を何度か目にしている。

 ハンナの祈りは聖女と呼ぶにふさわしい神々しさを持ち、そして、その祈りが治癒の効果を高めていた。

 故に、祈りの効果で光属性魔法のレベルが八であるものの、治療に限り絶大な効果を発揮する。

 そしてそれは、見るものの心を掴んで離さない清廉さがあった。


 ハンナが祈りを終えて立ち上がると止まった時間が動き出す。


「こんな綺麗にお祈りをする修士は初めて見た……」

「ふふふ。私も初めて見たときは驚きました。もう何度も見てますが、いつ見ても感動するの」


 ファルテが思わず漏らした言葉にグレーテルが応じた。

 グレーテルもハンナの祈りに魅入った一人。これまで立ち寄った教会でもこの光景を見ている。

 ちょうど、奥から出てきた先の修道士のゴアと一人の男性が聖堂に入ってきた。


「ようこそおいでくださいました。私は司祭を勤めさせていただいておりますセロンと申します。どうぞよろしくおねがいいたします」


 法衣に身を包みセノンと名乗る男はハンナの前に跪く。


「頭を下げなくても良いですよ。どうぞ、ご自由になさってください」

「お言葉に甘えて──」


 ハンナの言葉にセノンとゴアは顔を上げて立ち上がった。

 小柄なハンナに大柄なゴアと中背のセノン。二人の男性がハンナを見下ろす姿勢となる。


「今回は巡業修士として参りました。こちらは護衛のグレーテル・ザイルです」


 セノンとゴアが立ち上がると、ハンナはグレーテルを紹介。


「グレーテル・ザイルと申します。どうぞよろしくおねがいします」


 と、グレーテルは胸に手を当てて頭を下げた。


「では、早速になりますが、お部屋を用意いたしましょう」


 セノンがそう言って連れて行ったのは教会の奥から入って少しばかり豪華な個室。


「このような立派なものではなくて、通常の巡業修士に用意する部屋でお願いいたします」


 部屋に通されたハンナはセノンに薦められた部屋を断って一般的な巡業修女に貸し与えられる大部屋のベッドを望む。

 グレーテルと同じ部屋で寝泊まりをするためには教会の要人扱いではなく、一般的な巡業としてでなければならない。

 ハンナの考えに対してセノンは彼女の表情から察して、彼女の希望を受け入れることにするが、ハンナはセノンよりも地位が高いため、憚られる気持ちになりながらも確認をする。


「巡業者向けの大部屋は綺麗ではありません。ハンナ様に相応とは思えませんがそれでも宜しいのですか?」

「構いません。私は平民の出ですから、そのようなことを気にしませんよ」

「そうですか。であれば修女が使用する大部屋にご案内いたしましょう」


 ハンナはセノンが希望を受け入れてくれたことに感謝をして彼に笑顔を向けてみせる。

 彼女はエロゲのメインヒロイン。それもシリーズを通して活躍し、シンプルなデザインの衣装が多く、飽きの来ない可愛さを持った美少女。

 セノンは目を大きく見開いて見惚れてしまった。

 それはセノンの傍らのゴアも同じで──、


(これが聖女様──)


 と、揃ってハンナに心を奪われる。

 ハンナは男のそういった機微に敏感だ。だが、彼らは迫ってきたりしないだろうと確信していて目を伏せ、


「お願いします」


 と、一言だけ声に出してやり過ごす。

 それから部屋に着くまでの間、言葉を少なくハンナたちはセノンとゴアの後に続いた。

 本来ならばゴアに案内させるつもりだったセノン。

 大部屋までの間、チラチラと後ろを見てハンナを気にしていた。

 ハンナは目を伏せて彼らの足に目を向けて歩いたわけだが。


 八人分のベッドが置かれた大部屋に案内されたハンナとグレーテルは、奥の二つのベッドに荷物を纏めて置いた。

 共に来たファルテは空いてる椅子に腰を下ろして休んでいる。


「毎度のことながら、寝泊まりに困らないって本当に凄い。貴族の旅行や騎士の遠征よりもずっと待遇が良いわ」


 脛当てクウィスを外してベッドに腰を下ろしたグレーテルは今日もベッドがあることに感動する。

 グレーテルは仕事柄、王族の外遊についてまわることがあった。

 その折、宿泊施設の手配が間に合わないなどの場合に下っ端のグレーテルは野営を強いられる。

 遠征ではベッドに横たわった経験がない。

 だから、今回、ハンナの従者として巡業に随行していて寝泊まりに困らず湯浴みまでできるという環境に感激した。


「私もこの厚遇に毎回驚かされてます。以前、ダンジョンの攻略や戦に向かったときにはこのように安全な場所でベッドに横たわって眠れることなんてありませんでしたから──」


 同じくベッドに座るハンナはグレーテルの言葉に協調する。


「──とはいえ、多くの巡業者と同じく、私もこの教会で数日、奉公しなければなりませんけれどね」


 修士の巡業は金銭を必要としない。

 食事は教会でお世話をするし、寝泊まりだけでなく洗濯や風呂など、全て面倒を見てくれる。

 ただ、それに甘えるわけではなく、修士は教会で数日の間、教会での奉公に勤しむことが定例。

 短ければ二、三日──長くても一週間から二週間と滞在して教会に訪れる貴族や平民の祈りを見届け、時には、彼らの願いに耳を傾けて必要であれば魔法を行使して治癒の類を施す。

 ゆく先々での奉公が彼ら彼女らにとっての修行ということでもあった。


「ハンナ様とグレーテル様はいつまでの滞在の予定?」


 ファルテは訊く。


「そうですね……。二日ほど──長くても三日ほど滞在させていただいて次の町へ向かおうと思っています」


 ハンナはどの町でも二日で教会を発ってここまで来ている。

 それはここでも同様。


「随分とお急ぎだね」


 ファルテの口からそう出るのは、彼女はこの町の衛兵として従事していて主に町の出入りを監視している。

 多くの人間が出入りしている宿場町だが、巡業でやってくるものたちは特殊な記録簿に名を残すため記憶に残ることが屡々。

 そして、ファルテから見て多くの巡業者は一週間ほど滞在してから次の地へと赴く。


「そうなの。できれば早くにサンミケール修道院についてグレーテルを戻してあげたくて……」


 ハンナは大陸の最西端──ロセフォーラ王国の西の汽水湖に浮かぶ孤高の修道院として広く知られるサンミケール修道院に向かっていることを伝えた。

 聖女としての品格を身に着け、より多くの人間の支えになりたいと今のハンナは考えている。

 これまで勇者に抗うことができずに重ねてしまった数々の罪に対する償いだと思っていた。

 それをバハムル王国で行うことはもうできないが、それでも、訪れた先では人々の助けになろうと心に決めている。

 この旅は故郷から──国から追放だと言うのに、フィーナ王女の計らいでグレーテルという素晴らしい従者を貸してくれた。

 サンミケール修道院は多くの巡業者にとって聖地に近く、サンミケール修道院を目指して旅をする。

 だが、本来なら二日ごとに町を転々とするほど急ぐわけではない。ハンナにとって借り物の従者を家族や恋人のもとに早く返してあげたいという想いがあった。

 ハンナが伝えた話は、ハンナは片道の巡業なのだとファルテに悟らせる。

 何かしらの理由があるんだ──と、ファルテは感じ取った。


「そうっすか。ハンナ様は訳ありっぽいね。深くは聞かないけど」


 ファルテは未だにハンナの身分を知らない。

 ハンナもそうだが、グレーテルの身分もわからずにいる。

 隣国とはいえ、他国の──特に表立たない情報は伝わりにくいものだ。

 ハンナが聖女だということも、ハンナが国外追放されて今ここにいることもファルテの知るところではなかった。


「とにかく、そういうことなので──私は一段落しましたから、教会のお手伝いをしてきますね」


 ハンナはそう言って法衣を纏い、足早に大部屋から出る。

 大部屋に残ったグレーテルとファルテ。


「ハンナ様っていつもこうなの?」

「ええ。そうですよ。一息付いたかと思ったらすぐに聖堂に出て職務に従事してるんです。気になるなら見に行ってみます?」


 ファルテはハンナの忙しなさが気になってグレーテルに訊くと、グレーテルは聖堂に誘った。

 グレーテルは一応護衛だからと遠巻きに様子を見にいくことが習慣付いていて、当初は突然放置されることに苛立つことがあったが、今ではすっかり慣れてしまった。


『グレーテル様にもご家族がいらっしゃるでしょう? でしたらのんびりしていられませんから』


 当初は護衛だというのに放置されては堪らないとハンナに訊いたらそう答えられて、それからというもの、グレーテルはハンナの行動に疑問はない。

 とはいえ、グレーテルは子爵家の娘ではあるが側妻の子でほぼ平民と変わらない扱いを受けて育っている。

 子爵の趣味で側妻に迎えただけあり、母親に似た彼女は整った顔立ちをしており、時に求婚されることもあった。

 だが、彼女は正妻に迎えられないのなら父親譲りの槍術を活かして働きたいと考えて王国兵に志願。

 それから女だからという理由で王城に勤める近衛騎士として召し上げられ、城内では勇者アルスの近くに置かれることもあった。

 グレーテルは女性の象徴である乳房が小さいことが理由でアルスの目に止まることがなく、放置され続けた挙げ句に当時の国王であるジモンから『役に立たない下民の子』という罵りを受けてシモン王子の監視役に留まる。

 その後、フィーナに職を解かれ暫定的にエテルナ領の領兵として収まったものの、ザイル子爵家がジモン国王に従う派閥だったことや処刑されたジモン配下の近衛騎士と見られることがあって居心地の悪さを感じていた。

 そんな時にフィーナはハンナを大陸西端の修道院に向かわせるための護衛を募る。

 グレーテルはこれを良い機会だと捉えて即座に応募。

 ハンナと同じ女性という理由ですぐに採用が決まり、出発までの時間も短かった。

 母親にはとても心配されたが、父親の子爵からの言葉は少なく、気にもとめられていないと感じたグレーテルは、エテルナに帰らなくても問題ないと考えている。

 そうして旧王都を発ってからというもの、グレーテルは聖女ハンナには驚きの連続だった。

 教会では司教という非常に高い地位だというのに、平民だろうと貴族だろうと分け隔てることなく丁寧に対応をする。

 疲労が色濃く見えていても、誰にも悟らせまいと笑顔を絶やさず聖女の権能で光属性の治癒魔法を注いだ。

 その柔らかく温かい光に包み込まれたものたちはハンナに平伏し深く頭を下げて権能による治癒を享受。

 それを与えるハンナの姿は聖女そのものだった。


 グレーテルはここまでのことを思い返してファルテはどんな反応をするのか気になっている。

 大部屋を出て聖堂に差し掛かると既に聖堂には多くの人がハンナに向かって祈りを捧げていた。

 奥の扉から遠巻きにハンナの様子を伺うグレーテルとファルテ。

 ハンナの前には敵国とはいえ、聖女と崇められる彼女をひと目見ようとする人々で聖堂が埋め尽くされていた。


「すごい人──」


 ファルテは思わず声を漏らす。


「ハンナ様が教会の聖堂に出るといつもこうですよ」


 グレーテルはファルテの独り言に言葉を返す。


「そんなになの?」

「そうよ。もうなくなってしまったけど、エターニア王国の聖女様ですからね」

「聖女──?」


 ファルテはハンナが聖女だということをここまで知らず──


「私、無礼を働きました。教会の人に怒られませんかね?」


 と顔が青褪める想いに陥る。

 巡業でやってくる修士たちの殆どは身分が低いからファルテはハンナやグレーテルが平民や冒険者だと思い込んでしまっていた。


「ハンナ様はそんなことで怒ることはありませんよ。むしろ、気楽なんじゃないでしょうか」


 それから、グレーテルは自身の身分を明かし、ハンナが平民の出であることを伝えた。

 ファルテはハンナだけじゃなくグレーテルに対しても無礼を働いたと地べたに這いつくばろうとしたが、グレーテルはそれを静止してこれまで通りに接して欲しいと何とか説得。


「けど、そういうことだったら納得。今まで一度も聖堂に入り切らないほどの人がいるなんてことなかったし──」


 何故か人の歩行速度よりも速く、聖女が町にやってきたということが広まって、この教会の混雑が生じている。

 普段はほとんど人が来ないこの町の教会。

 ファルテは教会の身分のことはよく知らないが、司教と言う立場で町の教会の司祭よりも偉く、隣国だったエターニア王国で聖女として活動していたことを知り、ハンナを一目見たいと押し掛ける民衆に納得した。

 とはいえ、これまでの無礼を咎められることはないと言っても失礼を詫びなければならないとファルテは考えるが──、


「ハンナ様は教会の人間とはいえ、親しみやすい人柄の女性だし、こうして人が集まってくるのはいつものことなんです。でも、ファルテ様のように気軽に接してくれてるほうがハンナ様は気が楽で落ち着くと思いますよ」


 とグレーテルに言われた。

 そんなやり取りでファルテは気持ちが軽くなってふうっと一息、息を吐く。


「なら、良かった。私、教会のことって何も知らなくってね。職能ジョブ技能スキルの鑑定でしか来たことがなくて、こういうの全然知らなかった」

「セロリアでは平民でも教会で鑑定をするの?」

「そう──。十歳の誕生日を迎える月に領主からの指示書が届くから、それを持って教会で鑑定をするん──です」


 ファルテはハンナが聖女、グレーテルが貴族のご令嬢ということを知って、変にかしこまってしまった。


「ははは。話し方は今までのままで良い。ハンナ様もそう望まれると思うし、私にも今までのままで良いですよ」


 ファルテの様子にグレーテルは気楽に接してもらいたいとそう伝える。


「わかりま………。ん。わかった」


 グレーテルの言葉にファルテは今まで通りの言葉遣いで話すことにした。


 エターニア王国では鑑定は高額で貴族ですら手が出ない。

 それを隣国のセロリアでは平民にも鑑定をさせているという。

 それを知ったグレーテルは驚いた。


「話は戻るけど、鑑定を平民にまで振る舞うとは──。エターニアでは貴族でも高額な寄付金でようやっと鑑定してもらえるっていうのに……」

「セロリアでは鑑定は巻物スクロールを国が負担するみたいで、身分を問わず子どもは皆、教会に来て鑑定させられてて──」


 セロリア王国では簡易的なものだが鑑定を施して、有用な職能や技能を持つ子は保護して身分と照らし合わせて適所に登用する制度を布いている。

 そういったわけで、セロリアの人々は身分に問わず教会との接点が小さい頃からあって、平民でも聖女見たさに押しかけてきたりする。


「それにしても、本当になんというか──」


 そんな話を途中にして、ファルテはハンナの様子に魅入る。

 時折見せる光の粒が優しく浮かんでいるのを目にしていた。

 同年代の女の子が多くの人たちに光属性魔法を施し、民衆の病や傷を癒やしている。

 ファルテは聖女の姿に心が掴まれていた。


(私、ハンナ様についていってみたい──)


 そう思い始め、ファルテは気持ちが逸り、すぐに行動に移す。


「済まないけど、私はもう帰るよ。明日の朝にまた来るね」


 そう言い残してファルテは教会から去った。

 残されたグレーテルはファルテを見送ると身分で隔てることのないハンナを眺める。

 疲れている様子は伺えるものの、それでも笑顔を絶やさず治癒を続けるハンナに目を細めた。


 翌朝──。

 ハンナとグレーテルが目覚めると大部屋には旅支度をしたファルテが丸椅子に座って待っていた。


「おはようございます。ハンナ様」

「おはよう──ございます。ファルテ様……」

「お、おはようございます。その格好は──」


 ファルテが挨拶をするとハンナとグレーテルはファルテの姿に違和感を持つ。

 椅子の傍らの荷物がただ事ではないことを物語っていた。


「昨日、兵舎に戻ってしばらくお暇をもらったんです。ハンナ様の巡業に同行させて欲しいんです」


 それから紆余曲折。

 様々に意見を交換して、ハンナとグレーテルはファルテの申し出を受けることに──。

 そうしてバハムル王国からグレーテルと二人で出国したハンナは異国の地で訪れた最初の町でもうひとりの従者を得る。

 女性だけのパーティだから、二人より三人のほうが安全なのは間違いなく、彼女たちは姦しく大陸の西端にある修道院へと向かった。

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