閑話

聖女の旅 一

 背の高い国境の壁。

 バハムル王国となった旧エターニア王国の西端のヴェスタル辺境伯領にある関所。

 この関所を越えると異国である。

 関所の門は大きな馬車が一台通れる程度で大きくないが、見るものの心を躍らせる剛健さのある砦のその外壁。

 それを見て──、


(ここから出たら国へ戻ることはないのね)


 大門を前にしてハンナは胸の内で独り言ちた。

 家族と共に暮らしていたときはとても幸せだったけど、大教会に引き取られてからというものは散々な人生。

 それでも、家族の墓を置いて国を出るのは些か悔しさが残る。

 国賊となった勇者アルスの一番の側近だったことからハンナが生きながらえるには国を出るしかなかった。

 とはいえ、旧エターニア王国の王女、フィーナがハンナを大陸西端のサンミケール修道院までの巡業を命じたのは彼女に対する温情。

 ハンナはそれを甚く実感しているから甘んじて拝命した。

 フィーナにしてみれば、勇者に加担したからと言って教会の司教という役職の彼女をおいそれと勝手に処分をすることができない。

 ハンナは勇者の傍にいたとはいえ、聖女としての働きは見事なもので多くの支持者を得ていた。

 だが、何かしらの処分を与えなければアルスの被害に遭った貴族たちへの示しがつかないため、再編中にある大教会の幹部と相談をした結果、大陸西端にある巨大な修道院として名を馳せるサンミケール修道院へ巡業させて、無期限の国外追放という体をとる。

 バハムル王国が軌道に乗り情勢が安定したら、修道院で名を挙げたハンナが旧王都のエテルナに戻っても角が立たないだろうとフィーナは見据えていた。

 しかし、若い女を一人でやるわけにもいかず、フィーナは希望者を募ってハンナの巡業に護衛をつけることにした。


「ハンナ様。関所を通過する許可をもらってきたよ。さあ、行きましょう」


 元気な声でハンナを促すその少女が、フィーナが選んだハンナの護衛、旧エターニア王国近衛騎士の一人、グレーテル・ザイル、その人。

 国境を越え聖女のハンナはグレーテルと二人で国境の関所を跨いだ。


 関所の門をくぐり、砦の外壁を抜けると西に向かってなだらかに下る草原。

 その先には村落が見える。

 草原にはところどころ野営の跡が残っていた。


「こちらのほうは初めてですが、グレーテル様はこちらに参られたことはございますか?」

「いいえ、私も初めてですよ。それよりも〝様〟は良いですから。呼び捨てにしてくださいって言ってるじゃないですかー」


 グレーテルはザイル子爵家の三女。

 ハンナよりやや高い背丈の標準的な女性で、身体の凹凸もハンナとは違って標準的な女性らしさを讃えている。

 それでも、魔力を扱いに長けていて華奢ながら豪快な槍術で王国のエリート騎士の組織である近衛騎士団の一人として採用された。

 王都の──それも王城に勤めていたのにアルスの手にかからなかったのは、グレーテルの胸がアルスが望むほどの豊かなものではなかったからである。

 そのおかげで被害に遭うこともなかったし、シドルが城に攻め入ったときには幽閉状態だったシモンの監視役であったことから死なずに済んでいた。


「子爵家のご令嬢をおいそれと呼び捨てることは平民の私にはとても畏れ多くて──」

「それを言ったらハンナ様は教会の司教様。私なんて子爵家に生まれたと言っても側妻の子。平民と本当に変わらないんです。それにもう、エターニア王国は滅んじゃいましたし、ここはもう隣国ですし、エターニアでの身分を持ち込むのは野暮ですよ」

「そういうことなら──と、言いたいところではありますが、どうも慣れなくて──」

「フィーナ殿下に仰せつかった護衛任務ですし、ハンナ様のおかげで寝食には困らないのはハンナ様が教会の司教様だからというのもあるんです。今の私は騎士ではありますが、ハンナ様の従者ですから、もっと気軽に参りましょうよ」

「わかりました。努めてみます」


 二人の少女は門を出ると更に西へと歩みを進める。


 エターニア王国の隣国に位置するセロリア王国。

 先の内紛では混乱に乗じて国境の門を打ち破ろうと数千の兵を纏めて攻め進んだが、フィーナが纏めたヴェスタル領の兵で難なく追い払った。

 その際にフィーナは王子たちを数人捕縛していて有利な条件で和議を結んでいる。

 数十分ほど歩くとセロリア王国側の最初の宿場町であろう村落にたどり着く。

 ここにはセロリア王国兵が数十人程度常駐しているが、この辺りを治めている辺境伯の領兵が国境の村の守衛を勤めている。

 セロリア王国はこの宿場町よりも旧エターニア王国側に兵士を進めることができない。

 フィーナと交わした約定によるものだが。

 その宿場町を囲む外壁をくぐるために村の東門に差し掛かると村の守衛が呼び止めた。


「この村に何用か説明いただこう」

「私はハンナと申します。エターニア王国──バハムル王国を出て西方のロセフォーラ王国のサンミケール修道院へ向かう道程、立ち寄らせていただきました。こちらのものは私の護衛でグレーテル・ザイルと申します」


 守衛の尋問にハンナが答え、グレーテルの名を口にすると、グレーテルは手を胸に当てて頭を下げる。


「修女か──。では教会への立ち寄りということでよろしいか?」

「はい。本日はこちらの教会のお世話になろうと思いまして──」

「そうか、良かろう。教会までの案内のものを用意しよう。こちらへ参れ」


 兵士はそう言って踵を返し、ハンナとグレーテルに付いてこいと促した。

 修女というのは教会に所属する女性の僧侶の総称で、修女に限らず多少身分のある僧侶は女性の従者を伴って大陸を巡業するという風習がある。

 そのため、僧侶がこうして教会を訪ねて通行門を叩くといったことはどの町でも行われていた。

 今回のハンナとグレーテルも同じく捉えられて、教会までの案内を用意してもらう。

 兵士の詰め所の前に着くと


「ここで待ってくれ」


 と言われて、ハンナとグレーテルは詰め所の扉の前で待たされた。

 周囲には男だけかと思われがちだが、この世界には魔法があり、肉体の強度で劣る女性でも魔力で身体能力を強化して性差を補うことができる。

 魔力の量と扱いでは女性の方が若干素養が高い傾向があるため、平民や貴族など関わらず、兵士や騎士と言った職に就く女性は少なくない。

 詰め所から出てきた女性の兵士。ファルテもそうした平民でありながら町の衛兵に従事する女性の一人。

 先の兵士に変わって彼女がハンナに話しかけた。


「ここからの案内は私が担当することになったの。早速だけど教会まで案内するよ」


 ファルテは名を名乗ること無くハンナとグレーテルを教会へと伴う。


「よろしくおねがいします」


 ハンナがファルテの後ろについていくと、グレーテルも少し早足でハンナの隣に並び歩く。

 ファルテの長く毛量の多い赤髪は何かを思い起こさせるものがあった。


「ハンナ様は修女として巡業するには随分若く見えるけど歳はいくつなの?」


 少し歩く速度を落としたファルテが問う。

 どこの世界であろうとそうだろう。

 女性だけで人目が少ない道を歩くというのは物騒だ。

 それも若く見目良い娘なら下卑た欲を向けられて賊に限らず様々に絡まれることもある。

 バハムル王国になった後でも平民に貨幣や物資が行き渡り始めたが、それまで賊を家業としていたものたちは変わることはなく、少ないながらも行商や旅人が賊の被害に遭うといったことはなくならないものだ。

 だと言うのに、まだ大人になりきらない少女が二人。無防備にも旅をしているのだからファルテは気になった。


「私は十七歳です」

「私はハンナ様より歳は上で、十八歳になったばかりです」


 ハンナとグレーテルが答えると、ファルテは驚いてみせる。


「私とそんなに変わらないんだね。なのに、女の子が二人で巡業って物騒じゃない?」

「ええ、こう見えてもほんの少しの心得はございますので───それにグレーテルは優秀な槍の使い手で、ここまでとても助けていただいてますから」

「そっか──私はファルテ。平民だけどここの領兵で、歳はグレーテルと同じ十八歳だよ」


 ファルテはハンナたちに感心して、名を名乗った。

 歳も近く、グレーテルは護衛の騎士だが、騎士というには比較的に軽装だ。

 一部、肌が露出しているが、これはエターニア王国時代の末期に城内の近衛騎士の間で流行した女性用の騎士服。

 胸と肩を覆う硬い革の鎧のほかは膝当てクウィスのみという軽装。

 男を誘っていると言われても文句は言えないだろうが、グレーテルの佇まいから並の男では敵わないんじゃないかとファルテは感じ取っている。

 対してそれほど発言をしないグレーテルから見てファルテは軽量な厚手の布生地の装備で身を包んでいて、武器が小さく目につかない。

 ファルテは小刀や小槍を使う兵士で、身軽な装備を好む。

 戦の際には斥候としてそれなりに活躍をした。

 先の小競り合いでもエターニア軍と接触し後方支援の部隊に所属して戦闘にも一時参加している。

 軽やかで体の軸がぶれない足取りのファルテにグレーテルはただならぬ技量の持ち主なのではと思い始めていた。

 実際、ファルテは平民上がり。

 そんな彼女が領兵として従事できたのは、十歳になったころに職能ジョブ技能スキルに恩恵を授かっていたことが判明したからだった。

 それから領兵に迎えられて訓練を重ね、彼女は才を伸ばす。そうして、貴族の出の男たちに引けを取らない兵士へと成長を遂げている。


「歳が近かったんですね」

「見るからにそうだから隊長が私にキミたちの案内に命じたんだろうね。教会は町の反対側にある。私の実家からも近いしね」

「けれど、私たちは助かりました。男性でしたら少しばかり気を使ったでしょうから」

「まあ、隊長も、若い修女に男性を伴わせるのを嫌ったんだよ。若い男って何をするかわかんないしね」

「私はもう男性にホイホイと付いていくような軽率なことはいたしませんからご安心を」


 ハンナの言葉から、そういった経験があるのかとファルテは感じ取った。

 勇者アルスに絆されて散々に使われて悔いを残しているハンナは、この場の三人の女性の中でも最も異性に慣れている。

 アルスの命令で女性を釣ってきたこともあれば、彼の餌食になった女性たちを申し訳なく思いながら懺悔し、葬送の祈りを捧げ続けたこともあった。

 何よりも、勇者アルスが善良な英雄として名を広めていたから、彼に憧れる女性たちが甘言に乗ってアルスに近寄ると、現実のアルスを知って泣きながら穢されていく様に、ハンナは同情心を持っている。

 そういった経験から男性に対する余裕を持っているのは確かで、そこにファルテは違和感を覚えたのは当然の運び。


「さすが、その若さと見た目で大陸を巡業する修女様だけあって、男への警戒を怠らないってことね。尊敬」

「それは、私が同年代の女性よりもそういった経験を積んでいたから、男性へのあしらい方を少しだけ身につけただけのことですよ」


 作り笑いをファルテに見せるハンナの横で、彼女の言葉が耳に痛いグレーテル。

 グレーテルはこれまでの旅路で男性に声をかけられて、応じることが多々あった。

 だが、その度に「ごめんなさい。この通り、急いでおりまして」とグレーテルと男性の間に立って誘いに横槍を入れていた。

 それから「男性はああやって声をかけて、良いことばかり言って女性を誘い出してるんですよ。連れて行かれたら何をされるかわかりませんから、絶対に応じてはなりません」と注意を受けている。

 そうしたやり取りをしているうちに数時間が経っていた。


「あれが教会だよ」


 ファルテが指をさす建物。

 それほど大きくはないこじんまりとした建造物で、建屋の周囲の庭には農作物が植えられている。


「私はここで啓示を受けたんだよ」


 と、ファルテは言葉を続けた。


「そうだったのね。それでここまでの案内をしていただけたということですか。ありがとうございます」

「いや、こちらこそ。おかげで少しばかりの間、実家で過ごせるし、修女様が滞在している間は教会に通うつもりだし」

「そうなんですね。では、短い間になると思いますがよろしくおねがいしますね」


 ファルテはハンナとグレーテルの監視役として帯同を命じられたのだな──と、グレーテルは察する。

 考えてみればこの国境の小さな村落にやってくる二人の若い女。隣国のエターニア王国かその南に位置するイシルディル帝国のどちらかからやってきたのだろうと考えられたのなら、それもそうかと腑に落ちる。


 教会に入ると柔らかな日差しがステンドガラスで色をつけて差し込むエントランスホール。

 どうやら入って直ぐの部屋が聖堂で、真正面に胸の前に手を掲げる女神像が光に讃えられて燦々としている。

 旧王都エテルナの教会の豪華絢爛な大聖堂の女神像と違い、若干みすぼらしくて貧相に見えた。


「エターニア──バハムル王国のエテルナの教会から参りました司教をさせていただいてますハンナと申します」


 聖堂にいた修道士にハンナが声をかけると、その修道士がハンナが身につけている腕輪を見ると、片膝をついて頭を下げる。


「ようこそ当教会へおいでくださいました。私はゴアと申します。こちらの教会の司祭を今お連れいたしますので、少しお待ち下さい」


 ゴアと名乗った修道士はエントランスホールとなっている聖堂から奥に入っていってこの教会の管理者を呼びに行った。

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