ソマリ村
犬人族の集落で食事に招かれた翌朝。
俺たちはセーブルの集落を出た。
「食糧、とてもたくさん戴いて助かったわね」
かんじきを履いた足が雪を踏んでぎゅうぎゅうと鳴る。
服を着込んだイヴェリアはロバが引く雪船にこんもりとした野菜を見て言った。
「犬人族は骨のついた肉しか食べないのかと勝手に思い込んでたけど意外と野菜も食べるんだなって感心したよ」
「ウチは肉が少ニャくて物足りニャかったニャ……」
「でも、野菜を煮込んだスープはとても美味しかったわ。薄塩だったけど野菜の甘さがとっても体に染みてバハムルに戻っても食べたいと思える料理だったわね」
「まあ、当面は道中で犬人族のスープに近い料理は出せるけれど」
人参、かぼちゃ、大根などが多く、その他にキャベツやカブが雑に積み込まれている。
食糧の中には肉類も多く、骨付きの鶏肉が凍った状態で野菜のなかに混ざっていた。
雪船がこんもりとした様子を見れば、食糧を補充できればと思って立ち寄った甲斐があったと満足できる。
ドワーフの──モリア王国との問題を解決できたら犬人族とは仲良くしよう。
ともあれ、こうして道中は穏やかに進む。
料理は俺が担当して、食生活はそれなりのものになっていた。
エロゲの世界だと言うのに、エロゲのストーリーとは異なり、セーブルの集落でサブヒロインとなるラヴァ・セーブルを連れ出せなかったが、イヴェリアとキキと一緒に楽しい旅程を送る。
バハムルを出たときと同じく、俺とイヴェリア、キキの三人で更にカザド山脈を南に眺めながら北西を目指した。
◆□◆
猫人族は犬人族みたいに多くの種類があるそうだ。
セーブルの集落を出てから、キキとの会話で詳しく聞いた。
ただ、慣れない存在に対して威嚇するよりも先に逃げる方を選ぶらしい。
距離を取り、危害がなければ警戒しながらそのままやり過ごす。
危険性があるのなら威嚇を交えて飛びかかっていく。
そういった面では猫人族の多くは犬人族よりもずっと好戦的なのだとか。
「もう少しで村に着くニャ」
セーブルの集落を出て七日になるころ。
かんじきで雪の上を歩いていたらキキがむせび泣く声でそういった。
「やっと………帰れるニャ……」
涙ぐむキキだが、まだ半日から丸一日かかるだろう。
だと言うのにキキは望郷の念に駆られて涙をこぼした。
「三年だったかしら?」
「はいニャ……」
「長いわね。私も似た経験があるからキキの気持ちがよく分かるわ」
イヴェリアは涙を流すキキの頭に手を置いて抱き寄せる。
「あと、もう少しよ。今日のところはゆっくりして明日、ご両親にうんと甘えると良いわ」
キキが落ち着くのを待って俺たちは再び雪の上の歩いた。
半日ほど経過して空が夕焼けで赤く染まり始めるといくつかの気配が近寄ってくる。
「何か来るわね」
俺と同じタイミングでイヴェリアも気付いた。
「結構な数だけど、個々の魔力はそれほどではないね」
犬人族とそれほど変わらない魔力の強さ。
それでも人間よりは魔力が強いのは魔族だからということだろう。
「ああ……あ……」
キキが再び足を止めて嗚咽を漏らした。
同族の気配でもしたのだろう。
村が近いし、獣人族は気配に敏感らしいから俺たちに気がついている。
その中に同族がいると察知したから近付いているんじゃないか。
「迎えに来たんじゃないか?」
俺がキキに言うと、彼女は声を出さずに頷いた。
それから数分もしないうちに彼らは俺たちの前に姿を現す。
「キキ!」
大きな声で彼女の名前が呼ばれた。
「お兄ちゃん!」
キキは声の方向に走る。
少し離れたところでキキがお兄ちゃんと呼ぶ小柄な猫人族と抱き合って再会を喜んだ。
ロバを引く俺と左隣を歩くイヴェリアが歩いて近づくと彼女たちは俺とイヴェリアに向き合う。
「キキをここまで送っていただいて本当にありがとうございます。私はキキの兄で名をニギ・ソマリと申します」
キキより少し背が小さいニギと名乗った少年。
猫人族は多胎妊娠するらしく同じ年の兄妹が数人いると聞いていた。
その一人が目の前にいるニギ。
名乗り終えて彼は言葉を続ける。
「私たちの村に案内いたしましょう」
「お兄ちゃん。ウチらはロバを引いてるから今日はムリニャ。先に帰ってて良いからウチらはウチらで明日、村に着くように向かうニャ」
ニギがソマリ村へと招待してくれるらしいが、キキは猫人族の足の速さでニギが考えてることを察して言い返した。
「あ、そうか……。ど、どうしよう……」
「お兄ちゃんは先に帰ってパパとママに知らせてほしいニャ。ウチはシドル様とイヴ姉さまと一緒に村に行くから。二人ともとんでもなく強いし優しいから大丈夫ニャ」
「うん。分かったよ。じゃあ、父さんと母さんに知らせて村で待ってるよ」
猫人族の集団はニギの先導でソマリ村に帰っていった。
確かに足が速い。ロバを引いているからあれにはついていけないな。
キキの表情は晴れやかだった。
きっとニギという少年がモリア王国で生き別れた兄なのだろう。
再会直後にどんな会話をしたのか俺は聞いていないからわからないけど、ニギの様子からもそれが見て取れた。
この日は眠りにつくまでの間、キキから村のことや兄妹のことを聞き続ける。
彼女も帰郷にテンションが高くてなかなか寝付けず意気揚々と話していた。
夜明け。
番をしていたら東からとてつもない魔力の塊が飛来する。
「何ッ!」
思わず声にしたが、魔力の塊はこちらに向かってくるのではなく、ソマリ村に降りた。
「シドルッ!!」
イヴェリアは慌ててテントから飛び出して俺の名前を呼ぶ。
俺はこの魔力の塊に覚えがあった。
「魔王アグラート……」
「魔王ですって!? これが……」
以前、会ったときもそうだけど、彼女は魔力を隠すつもりが全く無い。
「シドル様ッ!!」
遅れてキキもテントから飛び出してきた。
身体中の毛が逆立っている。
キキは以前も魔王に会っているから覚えがあるだろう。
でも、それが故郷にあるのだから心境は複雑なのではないか。
けれど、彼女の高度な索敵スキルはまだ警鐘を鳴らすに至っていないらしい。
「ここまで強烈だと精霊魔法が行使できないわね」
どうやら精霊と悪魔は相性が悪いのか、互いに干渉し合って特性を打ち消し合っているっぽい。
「とにかく、村に急ごう」
野営の後片付けをしてキキをロバに乗せてからソマリ村を目指すことにした。
ソマリ村に着いたのは昼を過ぎてから。
昼は食べず、ソマリ村を真っ直ぐに目指した。
村は静寂としている。
ソマリ村は魔族領でも北部に位置していてとても寒く、雪が多い。
かんじきがなければまともにあることができないのはこれまでとかわらない。
猫人族は寒さを好まず冬場はまとまった食事が摂れたら家からめったに出ることがない。
キキの兄が迎えに来たのが珍しいくらいだ。
「家に帰りたいけど、帰りたくニャい……」
一際大きな建物の前に着いた。
ロバの上のキキは家からあふれる只ならない魔力と雰囲気に完全に呑まれている。
「凄まじい魔力ね。魔素もシドルほどではないけれど恐ろしいほど……」
そういう割に、それほどの恐れを抱いていないのは凛とした表情でわかる。
そうしてしばらくの間、家に入るのを躊躇していたら、両開きの扉が開かれた。
開かれた扉から一人の女性。
足元は冷たい雪が敷き詰められているのにヤギに似た脚が伸びる素足。
視線を下から上へと移すとやや小柄ながらメリハリのある体型の持ち主。
くびれた腰はとても細く華奢。
大きな胸は小さい体に際立つ存在感を主張する。
背中にはコウモリの羽が生えていて背中でたたまれているのが見えた。
大きく開いた胸元と素肌を露出する両肩。
細い首に小さな頭。
とても可愛らしい感じの顔立ちだけど長くふわりとした真っ白な髪の毛。
真っ赤なつぶらな瞳。そして、ヤギの角。
彼女もまた、スピンオフ作品のサブヒロイン的な魔王の側近。
四天王と称されるサキュバスのエインシェット。
その彼女が、雪を踏む音をさせずに近付いてきた。
誰も触れていない門が開き、俺たちの眼前に小柄ながら美麗なエインシェットが立ち止まる。
真っ赤な林檎みたいに艷やかな少しばかり厚ぼったい唇がゆっくりと開かれた。
「おかえりなさい。キキ・ソマリ。そして、ようこそ。シドル・メルトリクスと、イヴェリア・ミレニトルム。ボクはエインシェット。
彼女は、女性だと言うのに右手を胸に当てて左手を伸ばし頭を下げるボウ・アンド・スクレープを見せる。
見事な身のこなしに一瞬、見惚れたが、エインシェットの足下を見ると足跡がないことに強烈な違和感を感じさせられた。
言葉を失いつつあった俺より先に、イヴェリアがエインシェットの挨拶に答えてカーテシーを返し、
「初めまして。エインシェット様。イヴェリア・ミレニトルムでございます。私の名までご存知でらしたとは驚きました」
と、笑顔で応じる。
先にイヴェリアに挨拶をさせて申し訳ないと思い、俺も軽く自己紹介。
「私はシドル・メルトリクスと申します。モリア王国の対岸の国、バハムル王国の国王です」
エインシェットがしたボウ・アンド・スクレープではないけど、腕を回して頭を下げる程度に留めた。
俺は頭を上げてから、最後に俺の右で小さく震えているキキを紹介。
「こちらがキキ・ソマリ。この度はこの子をこのソマリ村に届けるために参りました」
「ああ、聞いているとも。屋内で我らが女王がお待ちだ。案内しよう」
屋内にはアグラートがいる。
俺たちは、アグラートが待つソマリ家の応接室に通された。
「アグ、キキ・ソマリとバハムルのお二人を連れてきたよ」
応接室に入るとエインシェットは二人がけのソファーに艶かしく脚を組んで座っていたアグラートに声をかける。
「ごくろうさま。ひさしぶりね。シドルくん。お姉さん、あなたのことがとっても恋しくてね。ここで待たせてもらっていたのよ」
人間では表現しきれない艶やかさを持つ魔王アグラート。
頭がクラクラする香りを周囲に漂わせている。
「それはどうも。それよりも、こちらのキキ・ソマリをこの家に届けに来ました」
「先にそっちね。この村の長で屋敷の主ですもの。こちらにいらっしゃるわ」
魔王の後ろに控えるキキによく似た猫人族の男女。
彼女の両親だろう。
キキはアグラートに圧倒されて放心状態に見える。
「キキ、おかえりなさい」「おかえり」
魔王の手前、畏れ多くて素直に喜べないのだろう。
キキもそれは同様で、アグラートに気圧されて言葉にならない。
「ただいま。戻りました」
声を小さく振り絞るだけで精一杯らしい。
「そちらのお二人も、キキを届けてくれてありがとう。私はアビ・ソマリ。キキの父です」
「キキを届けてくれてありがとうございました。母のニアン・ソマリです」
形式張った言葉しか出てこないが目に涙が浮かんでいて心の奥では再会を喜んでいる。
どちらも少年少女に見えるほどの小ささで、毛並みから上品さを伺わせた。
「再会を喜びたいでしょうから、ここでの対応はもう良いわ。私たちで彼らの応対をさせてもらうから」
ソファーに背をもたれるアグラートが片手で合図をすると、アビとニアンは応接室の入り口に移動。
「シドル様。すみみゃせん。ウチはここで──」
「ん。あとで改めてご挨拶させてもらうよ」
「はいですニャ」
両親の行動を鑑みてキキは俺に声をかけて応接室から出ていこうとする。
そのすがら、イヴェリアがキキに一声かけた。
「キキ、また後で、伺わせていただくわ」
「イヴ姉さま。待ってますにゃ」
キキは俺とイヴェリアに笑顔を向けると、可愛らしいしっぽをくるりと動かして、
「では、お言葉にあみゃえさせてもらいみゃす。失礼いたします」
と、両親の後を追った。
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