通行許可

 雪原を血に染めた氷上会談からしばらく──。

 バハムルの冬はより一層厳しさを増していた。

 ドワーフの背丈よりも高く雪が積もり、人々の往来をしばしば遠ざける。

 そんな状況のバハムルにモリア王国が、また、使者を寄越した。

 届けられた書簡にはレギンの印で封じられ、その内容は、


『モリア王国の通過を許す。通行時の安全を保証する』


 と、簡潔に認められていた。

 同封されていたのは通行許可証。

 ただ、モリア王国の平野部を通るためだけの許可証だろう。

 山脈に広い坑道を作って都市を形成する王都に入るつもりはないしね。

 だから、ただ、通り過ぎるだけのために使うもの。

 あの日、レギンを連れて行った魔族領の魔王に仕える四天王の一人、エストリが迫ったんじゃないかと邪推。


「ありがたく頂戴いたします」


 俺は使者に口頭で伝えただけで、返信の手紙を作成せずに彼を返した。

 もう既に無礼と捉えられても俺は構わない。

 争うなら争うで致し方なし。

 あの会談で彼らに刃を向けられたことは忘れてはならない。


 それから、数日──。

 通行許可証を貰ったということで俺はキキを故郷へ送ることにした。

 同行メンバーにイヴェリアが一人。

 俺とイヴェリア、そして、キキの三人でバハムル湖を徒歩で渡りモリア王国を縦断。

 それから魔族領に入って、おそらく、いくつかの獣人族の町や村を経てソマリ村へ。

 魔族領の冬はバハムルよりもずっと厳しいらしいので準備は怠れない。

 農民からロバを一頭、譲って貰えたので、雪船をロバに引かせるつもり。

 そのお蔭もあって冬場でも暖を取るための用具を運べる。

 そんな感じで旅支度を整えて、いざ出発。


「気をつけていってらっしゃい」


 フィーナを始め、ソフィさんやカレン、それに母さん、その他にルシエルやモルノアと言った人たちに見送られてバハムルを旅立つ。


「フィーナ、済まない。誕生日を祝ってあげられなくて」

「ごめんなさいね。フィーナを一人にしてしまうのは心苦しいけれど」


 キキを送り届けるだけの旅だが、その同行者として俺とイヴェリアが随伴。

 年の瀬はもうすぐというこの時期。つまり、フィーナの十七歳の誕生日を俺とイヴェリアは近くに居てあげられないことを悩んだ。

 それでも、来年の戴冠式や結婚式といったイベントが控えていることからキキを送り届けるタイミングは今、行くしか無い。

 そうして皆で相談して決定した。


「一人で決めたことじゃないし、私も納得してるから。それに、魔王や魔王の幹部と接したシドルとイヴなら、万が一の事態でも対応できるでしょ。私は一人じゃないしさ」


 ということで淋しさを隠してるのは理解した。


「お土産は楽しみにしてて。きっと良いものを持ち帰るから」


 イヴェリアはフィーナにそう言ってハグをする。

 それから、イヴェリアを慕う〝生徒〟たちが彼女の周りに集まり始めた。

 そんな中で、イヴェリアに


「〝学校〟のことはお任せください」


 と、俺の母さんを筆頭に、フィーナの母親のマリー・エターニアと姉のリアナ・エターニアがイヴェリアに声をかける。

 先生が増えて今では学校と呼ばれて親しまれている青空教室。

 冬場は冷え込みが厳しいことでクラスを分けて空き家を使って授業をしていた。

 教養と魔法。それと、行儀作法。

 教え子たちの中から優秀な兵士が生まれた実績もあるし、エテルナの学院への入学者まで排出。

 そうした実績が出始めたことで学校としての機能に変わっていた。

 ちなみにエテルナは今、フィーナの弟のシモン・エテルナが領主として治めている。

 シモンの家名はエターニアだったのだが、エターニア王国を廃したことでエテルナ領としたため、このエテルナを家名として改めた。

 まだ少年の域を脱しないシモンの下、エターニア王国時代から仕えている貴族たちの助力もあってそれなりの領政を運営。

 なお、エターニア王国時代の王立第一学院などの名称はそのまま存続している。

 王都の学校は初等部から高等部まで王国内のエリートが集う第一から、落ちこぼれたちの寄せ集めと揶揄される第六まで存在する一大学園都市。

 凌辱のエターニアシリーズでは舞台となった第一しか出てこないが、ソフィさんが第六の卒業者ということもあって、その設定が生きているのかもしれない。

 そんな感じでそれはこれからも変わることなくエテルナは学園都市として多くの研究機関等とともに発展していくはずだ。

 来年からは国外からの入学希望者も受け入れる方針だし、今後はどんどん栄えていくというのは目に見えていた。

 ともあれ、バハムルで青空教室を始めたイヴェリアは村の者たちからの人気が高く、尊敬の目を向けられている。

 だからこそ母さんを始めとしてマリー様やリアナ様もイヴェリアを尊敬する。


「ありがとう。とても助かります。学校のこと、お願いいたします」


 イヴェリアは年上の彼女たちに深々と頭を下げた。


 その横では──


「カレン様、短い間でしたが本当にありがとうございミャしたニャ。これからも精進しミャす」


 と、キキとカレンが話してた。

 彼女は俺たちの愛玩動物──だったが、カレンには武芸を教わっていて短い期間ながらも上達具合はなかなかのものだったらしい。


 そうして俺たち三人はバハムルを離れた。

 【召喚魔法★】を使って精霊を喚んで旅をすることもできるが魔族領ではどんな種族がいるのかを俺は把握していないし、人間よりもずっと魔力や魔素に対する感応が強いらしい。

 今回は先日、いざこざがあったドワーフの国を通過し、魔族領へと進行するということもあり、余計な刺激を与えるのは避けたいため、控えることにした。

 そう言えば、ゆっくりと歩いて行くと言うのは初めてかも知れない。

 キキをロバに乗せてロバのペースで歩みを進める。

 これはこれで悪くない。


「こうしてゆっくり歩くのも悪くないわね」

「そうだな。今までいろんなものに追われていて旅を楽しむ余裕がなかったもんな」

「シドルとこうしてお出かけするのはエルフの森に行って以来かしら。あれからもう三年になるのね」

「三年って長いようで短くて、短いようで長いよね」

「ええ、本当に。とは言え三年よ? ヴィレアやイェレミスはすっかり大きくなって成長の過程を見られなかったことを姉としてとても後悔したわ。シドルだってそうでしょう? トールとジーナも見違えるほどでしたでしょう?」


 イヴェリアの言うことはご尤もで、トールとジーナは本当に見違えたんだよな。

 母さんは俺を追い出してからのことを未だにグチグチと後悔の言葉を並べてるくらいだし。

 三年という言葉に、俺はキキが奴隷として従事していたのが三年という話を思い出した。


「そういえば、キキは三年前にソマリ村から拐われたって言ってたね」


 キキは俺が引くロバに乗って退屈そうにしている。


「はいニャ……。三年はニャがかったニャ……」


 キキにとっての三年はとても長いものだったらしい。

 それもそうか。

 モリア王国の坑道を掘り進めて坑内を拡張する作業に延々と使われていた。

 気が狂いそうな仕事を続けるのはさぞ辛かったのでは。

 そんなことが伺われる表情をキキはしていた。


 それから、太陽が傾きかけて西の山の影がバハムル湖を覆おうとし始めると、俺たちは野営の準備をする。

 場所はモリア王国の船着き場まで数百メートルと言ったところか。

 キキがいるし、やはり争ったということもあって、モリアにお世話になるわけにはいかないと判断。

 ロバを停めて、俺がテントを張り始めると、イヴェリアが調理の準備を始めた。


「今日は、ソフィ様が作ってくださった料理を温めるだけなので、私がするわね」


 つまり、料理が苦手(?)なイヴェリアでもできると言いたいらしい。

 彼女は料理が苦手なわけじゃなく【職能ジョブ:大魔女★】に象徴する素晴らしい魔法で適切に焼く。

 この焼くということに限ればイヴェリアはソフィさんやカレンにも匹敵するほどの熟練さを見せてくれる。

 恐らく、温めると言う点でもそうであろう。

 ここはイヴェリアに任せて問題ないな。ということで、


「ん。じゃあ、俺はテントを設置しておくよ」


 と、そんな感じで良い具合に役割が分担。

 実は俺よりも手際が良いイヴェリア。

 彼女は一人でダンジョンに潜って寝泊まりを繰り返してレベリングをしたという過去があるかららしい。

 そういった経験を彼女はバハムル村の村人たちに広めていたな。


 食事を終えて後片付けを済ませると、太陽が落ちて周辺は夜の帳が下りる。

 光源に使えるのが魔法しかないから、周辺は視認することが難しい。

 魔力で生み出す光を明るくすることはできるけど、なにせ周辺が真っ暗だから、ちょっとの明るさで居場所がバレてしまうだろう。

 俺には【魔力探知★】があるし、イヴェリアには【魔素探知★】というスキルがある。

 キキは猫人族という種族の特性で夜目が利いていて星空程度の明るさがあれば地表のだいたいのことは鮮明に見えるそうだ。

 ソフィさんという索敵やこうした活動に大変便利なヒロインがいないけど、これだけのスキルがあれば何とかなるはず。

 なお、精霊を召喚するのも考えたが、エルダードワーフなどに居場所が察知される可能性があるので自重。

 キキの【雲隠れ★】というこういうときに有用なスキルを持つ人材はいるけど、彼女のMPはとても少ない。

 スキルの発動状態を数十分と維持できないので頼ることはできない。

 そんなわけで、キキを寝かせてから俺はイヴェリアと交替で見張り野営の見張りをすることにした──はずなんだけど。


「シドルと一緒に旅だなんて昔を思い出すわね」


 日が落ちて焚き火に薪をくべながら雪船に俺とイヴェリアは隣り合って座っている。

 俺の左にイヴェリア。彼女の定位置だ。


「昔というほど前かなって思ったけどあれから四年ぐらい経ってるんだよな」

「そうよ。シドルが国を興すまで、私はバハムルから出ることはなかったもの。魔女という名が広まったのはあんまりだったわ。今思えば酷いものよね」


 イヴェリアはアルスとハンナとの決闘するその日まで、学院ではまるで罪人とかわらない扱いを受けていた。

 それに嫌気がさして修行に出たり、学院に戻ってからの扱いは悪化。


「まあ、そのおかげでシドルとの時間を積み重ねられたのだし、我慢しなくても良くなったということにはとても感謝しているわ」

「本当は、あんなことになる前になんとかしたかったんだけど……」

「あのときにどうにかできたとは思えないのよね。それこそ力を持ったものの思い上がりでしかないわ。シドルが寸前で助けてくれたのが最善だった。あの時宜でしか私の命は繋がれず、今こうしてシドルの隣にいることはできなかった。そう思えて仕方がないのよ」


 前世の俺が初めて自分で買って遊んだエロゲのラスボスだからな。

 彼女は主人公と聖女との決闘で死ぬというのがゲーム中での運命だった。

 そのことをどこかで何かを感じ取っているのかもしれない。


「だから私は、シドルに感謝しているし、こうして今、シドルと同じ時間を生きていることが幸せなのよ。シドルが私を助けてくれなければ私は未来を夢見て描くことなんてできなかったでしょうから……」


 白い息を大きく吐いてイヴェリアは言った。

 呼吸をするたびに広がる白い息は俺とイヴェリアが今ここで生きているということを実感させている。

 隣り合って座って、僅かながら衣類越しに伝わる体温も、俺とイヴェリアが生きている証。


「そうだね……」


 白い息に言葉が乗る。

 俺は続けて、


「先に休んでて、良いよ。これからもっと寒くなるから冷やさないようにね」


 と、イヴェリアに伝えた。


「そうね。お言葉に甘えさせてもらうことにするわ」


 イヴェリアはそう言って、立ち上がる所作の途中で動作を止めると、俺の唇に軽く触れるだけのキスをする。


「何かあったら起こしてちょうだいね」


 そう言って彼女はテントに入っていった。


 翌朝。

 野営の後片付けを終えて、俺達はドワーフの王国、モリア王国の船着き場に到着。


「こんにちは。魔族領に抜けるための通行の許可をいただきたく。この許可証で通してもらえるでしょうか?」


 警備兵がいるので、彼に通行許可証を見せた。


「念の為、名を名乗ってもらおう」


 ドワーフの警備兵は大仰に振る舞う。


「バハムル王国のシドル・メルトリクス、彼女はイヴェリア・ミレニトルム、そして、猫人族の彼女はキキ・ソマリ」


 俺から順番に紹介すると、警備兵が「その許可証が本物かどうか確認する」と通行許可証を持って奥へ下がった。

 入れ替わってやってきたのは複数名の衛兵。


「シドル様。大変申し訳ございませんでした。通行許可証については伺っております。通行を許可しましょう」

「ありがとうございます。通してもらえないかと思いましたよ」

「申し訳ございませんでした。きちんと言ってきかせますので何卒ご容赦を。それよりレギン陛下の謁見は希望されますか?」

「今回のところは遠慮するよ。彼女キキを故郷に送り届けるのが優先ですし」

「そうですか……。わかりました」

「もし、レギン様に何か言われたら、シドルがよろしく言っていたとお伝えください」

「承知いたしました。では、この通行許可証はお返ししますので、国境を越える際には警備兵にご提示ください」


 俺は衛兵から通行許可証を返してもらって、無事にモリア王国を縦断するための通行を許可された。

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