魔女のお願い

 王城というにはあまりにも粗末な建物。

 そこに戻ったのは日が傾いた夕方になってからだった。


「シドル。聞きたいことがあるの。ちょっと良いかしら?」


 家に戻ってきたばかりだというのに俺にそう言ってきたのはイヴェリア。

 キキと二人で戻ったけれど、キキは居間でじっとし始めて動こうとしない。

 この場にはフィーナも居るのに、フィーナは俺とイヴェリアに視線を向けるだけで口を開くことはせず、俺とイヴェリアをあくまでも見守るという様子。


「俺は構わないけど」

「なら、こっちに来て頂戴」


 イヴェリアの声で向かった先は応接室。


「魔族領──。シドルも公爵家の出なのだからそのくらい知ってるわよね?」


 向かい合って座るのかと思ったら二人掛けの椅子に尻を並べて座っている。

 そこで二人きりで会話をするのだが、開口一番で魔族領の話。

 俺も貴族として教育を受けて育っているから魔族領だって知っているし、魔王が治めていることも知っている。

 魔族領は魔族と一括りにしているけれど様々な種族が居て一枚岩ではなく、魔王は君臨しているだけで表舞台にでることはほとんどない。

 だから魔王がどういうものなのか、それは誰にも分かっていなかった。


「もちろん、知ってるよ」

「バハムル湖の湖上に突然現れた圧倒的なあの魔力の渦。あれは魔王だったのでしょう? だというのに、とっても女の匂いがプンプンするのよね。精霊魔法による遠視ができなかったのは、その魔王の力。だから見られなかったみたいなの。どのような者でどのようなお話をしたのか教えてくださらないかしら?」


 イヴェリアは魔王アグラートとはまた違った強烈な謎の威圧感を俺に向けて放っている。

 俺は恐る恐るアグラートのことを話した。


「──ということがあったんだ」


 できるだけ詳しく伝えると、イヴェリアは魔王に劣らない大きく実る胸部を俺の胸に押し付けてくる。


「それを、このくらいの距離で話したのね?」


 そう言って女悪魔みたいな笑みを浮かべる。

 さすが【大魔女★】という職能の持ち主──というより魔王と変わらんぞ。


 イヴェリアは彼女が知らない女性と俺が密接に関わることを嫌がる傾向がある。

 俺の周りの女性関係を把握した上で、王侯貴族の仕事の一つとして深く係る女性とそうでない女性というのを明確に分別していた。

 だから、イヴェリアにしてみたら自身の見知らぬところで俺が私情で関わる女性に対して嫉妬する傾向があるんだろう。

 フィーナは『話してくれればそれで良いよ』とは言うけれど裏でこっそり始末を着けそうなタイプだけど、イヴェリアはそれとは違い俺にがっつりお灸を据えるタイプに思える。

 加えてこの子は鼻が利く。下手なことは出来ないのだ。


「や……やましいことは何もしてないよ……」

「そんなことくらいわかってるわ。だって、シドルだもの」


 そのシドルだものというのはきっと真面目で融通が利かないところがあるという意味だろう。

 俺が言葉を返さないでいたらイヴェリアが言う。


「お願いがあるの」


 と──。


 イヴェリアがこのバハムルに来てから既に五年。

 最初はレベリングをしたり一緒にダンジョンに潜ることが多かったがカンストしてからはダンジョンに対する熱意が薄れたという。

 それで始めたのが教育。

 当初のバハムル領は教育水準が著しく低くて、学問どころか字を識るものは稀。

 足りてる部分といえば生きるための、生活を続けるための知恵と農作業に対する技術。

 最初こそカレンが領民に慕われる姿を見て憧れたのかもしれない。それでもカレンに倣って見様見真似で領民たちと接し教えているうちに、イヴェリアに魔法を教わりたいという子どもの言葉が発端となり、青空教室を開いて魔法だけじゃなく、学術教養、そして、行儀作法と教学を広げた。

 最初こそ数人だったが、厳しいながらも優しく教えるものだから次第に人を集めていく。

 これが遠因となってバハムルは兵力が増強されていくんだけど、イヴェリアは自身の経験や学んだことを惜しみなく伝播。

 エターニア王国の学院ではエリートだったからこのバハムルで教える分には全く問題はなく、イヴェリアの声に熱心に耳を傾ける領民が増えていった。

 イヴェリアのお陰で教育水準が上がり、バハムル領はエターニア王国内で最も識字率が高い領地となっている。

 これはバハムル王国となった今も変わらない。とはいえ圧倒的に母数が低いから何とも言えない部分はある。

 その後、俺の母さん──シーナ・メルトリクスが手伝い始め、今では、フィーナの母親のマリー・エターニア、同じくフィーナの姉のリアナ・エターニアがイヴェリアを手伝っていてバハムルの教育現場はこの見目好い女性たちを目当てにした男性と、彼女たちに憧れる女性たちで賑わいを見せていた。


 ちなみにフィーナの母親、マリー・エターニアはイヴェリアの叔母に当たる。彼女の母親とフィーナの母親は双子の姉妹だからね。

 そのマリー様とリアナ様は、


「私たちってフィーナと違ってシドルが王様になるために人の前に立って勇者やお父様を討とうとしたわけでもないし、あの惨状でエテルナに戻ったら殺されちゃっても仕方ないよね」


 という言葉で結局バハムルで引き取ることになり、フィーナとイヴェリアとの結婚式の後に俺の後宮に入るという名目でここで生活を送ることになっている。

 言うなれば、側妻一号と二号ということになりそうだ。


 話は反れるが、もう一人の王族。

 フィーナの実弟のシモン・エターニアには叙爵をしてシモン・エテルナ伯爵となった。

 まだ十二歳の彼にエテルナ領の領主として治めてもらってはいるが、彼は母親に似たのか可憐で可愛らしい顔立ちをした美少年。

 彼が領主として執政官とともに表に出ると女性たちの黄色い声が留まることを知らないのだとか。

 アルスや前国王の支配下では散々な状況だったが女性たちからの圧倒的な支持を集めるシモンのおかげでエテルナは活気を取り戻しつつあった。

 こういうときにも見た目の良さというのは役に立つものなんだなと甚く感心したものである。


 そんな感じでバハムルに話を戻すと、バハムルでは教育する側の人数がある程度増えてきたことでイヴェリアに少しばかりの余裕が出てきている。

 そこで出てきたお願いというのが──


「魔族領に行くときは私を連れて行ってくださらないかしら?」


 ということで、キキを送り届ける時にイヴェリアを伴うことになるらしい。

 ここで首を横に振れば『また女かしら?』なんて言われかねない。

 とは言っても、なんだかんだでイヴェリアが一緒に来てくれるなら俺も心強い。


「ん。わかった。魔族領に行くときはイヴェリアにも声をかけることにするよ」

「ありがとう。約束よ」


 イヴェリアはさも嬉しそうな顔で〝約束〟だと言った。

 イヴェリアって本当に可愛らしくて好きなんだけど、とっても怖いんだよね。

 メンヘラとかヤンデレっていうわけじゃないんだけど、一言にして厳しい。

 なのに、誰に対しても真摯に接するから、彼女こそ聖女というに相応しい女性なんじゃないかとさえ俺は思ってしまう。

 でも【大魔女★】なんですよね。

 彼女も魔力だけなら、魔王にも匹敵するのではなかろうか。。

 人間として生まれていなければレベル99の壁を超えて天使や悪魔を超えうる存在に間違いなくなれただろう。

 イヴェリアに対してはそう思っていた。


 イヴェリアとの話が纏まり、二人で居間に戻ると居間ではキキを中心に賑やかに騒いでいる。


「キキちゃん、こっちこっちー」


 俺が作った猫じゃらしを模した玩具でソフィさんだけじゃなく、フィーナとカレンも一緒になってかまっていた。

 で、今はソフィさんがキキをいじってる。

 ソフィさんもだけど、カレンもキキと遊んでいる時はですます調じゃないんだよな。

 猫人族は獣人族の一つで人型のネコ。

 その習性もネコに近いらしい。

 そんなわけで、猫じゃらしがキキに効果的だった。


「ニャッ!!」


 と、猫じゃらしに飛びかかっては、逃げた猫じゃらしを注視して首をヒョイ、ヒョイと動かしては目線をキョロキョロと動かして猫じゃらしを捉える。

 キリキリと踏み足に体重をかけて飛びかかる予備動作をし始めると、ソフィさんがひょいひょいと猫じゃらしを動かして挑発。

 そうやって彼女たちがキキで遊んでいるとふいにキキは気配を消す。

 俺からは彼女がどのあたりにいるのか【鑑定★】で追っているのでだいたいわかる。

 それから続けて彼女は【認識改変★】を使った。

 居間の扉を開けて出るために、扉を開けていないと他人の認識に介入するつもりか。

 だけど、それは悪手だ。


「みーつけた!」


 フィーナがキキの居場所を特定して服の裾を掴む。


「ニ゙ャッ!?」


 バレない。と、そう踏んでいたんだろうが、フィーナには自身にかかるスキルを分析して即座にレジストするというチートスキルを持っている。


「どうしてバレたニャ……」


 キキは逃げ切れなかったことに肩を落として嘆いた。

 また、遊ばれちゃうのニャ……と言わんかリに。


 そんな時だった。

 玄関から扉を叩く音が聞こえてきたのは。


「シドル様。モリア王国からの使者が来て、シドル様との会談をレギン・モーラン国王が希望されていると伝えてきました。いかがいたしましょう」


 粗末な王城にやってきたのはこの王都の執政を任せているジョルグ・アイスン。

 彼に伯爵位を与えて、このバハムル村の政治を担う役割を与えている。

 もともと村長として村人とカレンや生前のバハムル領主との橋渡しをしていた者。

 バハムル王国の建国にあたってとても尽力してくれていたからフィーナに相談した上で伯爵位を叙爵した。

 彼に与えたアイスンと言うのはバハムル湖の別名でモリア王国の呼称にちなんだもの。

 そのジョルグを玄関に迎え入れると、彼は直ぐに要件を伝えてくれた。


「会談はいつ行いたいか聞いている?」

「は。それが明日にでもということで、しかも、場所はバハムル湖の湖上。モリア王国とバハムル王国の中間地点に場を用意するとのことでして──」

「そうか、では、明日の正午に向かおう」

「畏まりました。では、そのように伝えておきます」


 そう言って胸に手を当てて頭を垂れるジョルグは何か思い出したのか「そういえば──」と切り出して、


「キキ・ソマリを同席してほしいと希望がございました」


 と、言葉にする。


「それは考えておくよ。──検討すると伝えておいてくれ」


 俺はそう答えた。


 それから、翌日──。

 前日のうちにまた犬ぞりをコニにお願いしておいて、俺とキキ、イヴェリアの三名とコニの合わせて四名で指定の場所に向かった。

 ジョルグから聞いた通り、本当に中間地点に豪華なコテージが出来ている。

 これが氷上に建てられるってすごいな。

 どんだけ氷が分厚いんだろう。


 コテージの入口にはドワーフの衛兵が扉の両脇に立っている。

 それに五十名ほどの兵士が周囲に展開していた。


(もしかしたら、戦闘になるかもしれないな)


 俺とイヴェリアは武器を携帯していないし、キキとコニは非戦闘員。


「遅れは取らないと思うけど万が一のために、備えておいてくれ」


 犬ぞりから下りてコテージへ向かう道すがら、俺は彼女たちにそう伝えておいた。

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