真冬の湖上で

 キキを引き取って数週間。

 バハムルの冬は深まりを見せ、踏み均された雪道が、その厳しい寒さを物語った。

 冷え込みの激しい日々は広大なバハムル湖を氷結させ、対岸への通行を容易にさせている。

 そんなわけで、以前までのバハムルと違い、真冬でも村内には行き交う人々が見え、活発に行動していた。


 そんなときである。

 対岸のドワーフの国。モリア王国から使者が訪ねてきた。

 どうやらモリア王国の高官でレギン・モーラン王の勅使らしい。


 応接室に通して向かい合って座り、俺の後ろにはカレン。

 ドワーフの高官の後ろにはモリア王国の国章をかたどった鎧を装備する兵士が立っている。

 武器は事前に預からせてもらっているから武装は鎧だけということになる。


「本日は、シドル陛下のご拝謁に与れたこと、恐悦至極に存じます。この度は我が主君より書簡をお届けするよう仰せつかっておりまして、参らさせていただいた所存にございます」


 と、随分と丁寧に述べて書簡を差し出した。

 俺は「ん」と大仰に返答して、カレンに書簡を取らせてから開けてもらい書状を受け取る。


 手紙に書かれていたのは、援軍とキキ・ソマリの返還を求めるものだった。

 モリア王国は現在、魔族領から攻撃を受けており、その救援として援軍を送ってほしいとのこと。

 それとキキの返還については、ただ、返還を求めるだけでその理由については省かれていた。


 援軍を送るのは吝かでないにしろ、キキの返還には応じられないな。

 人道的に扱われる保証がないし、何より彼女の保護者や親族の情報すらわからない。

 こちらで預かっている以上、彼女の身の安全を優先するべきだと俺は考えた。


「カレン。紙とペンを──」


 俺はその場でカレンにペンと紙を用意してもらい、レギンへの返答を書いて書簡を作成。

 内容は、援軍については検討。キキの返還は拒否。それらを認めてカレンからドワーフの高官に渡す。


「これをレギン陛下に届けてくれ」


 手紙の内容は言葉にはしなかった。

 それから、彼に帰ってもらった後、フィーナと相談をして、俺とソフィさん、そしてキキの三人でモリア王国近辺へ偵察に行くことにする。


 凍った湖上を走る乗り物と言えば犬ぞりである。

 バハムルは馬が少なく、馬車や乗馬での往来を領内では避ける傾向があった。

 何せ数年前に岩塩や灰銀などの採掘の便宜を図る代わりに譲り受けた馬しかないし、それ以降モリア王国から馬を譲り受けるどころか購入することもままならなかった。

 買いに行ってもヴェスタル領よりも高額というくらいにぼったくられるし、バハムルという村はモノはあっても金がないので、高額なものほど諦めが早い。

 そんなわけでバハムルのほうは馬より犬を使う。

 で、犬ぞりを借りるためにバハムル村の北部にある、とある農家を尋ねる。


「シドル陛下、こんにちは。今日は何用で?」


 以前、俺が犬と犬ぞりを借りたときに同行してくれたケナが元気な声で気安い挨拶をしてきた。

 こういうのが俺は良いんだけどな。と、思いながら


「随分、大きくなったね。今、何ヶ月くらいになるんですか?」


 ケナのお腹は大きくなっていた。

 羊飼いの家の彼女は婿を迎えて農場の手伝いを続けている。

 俺とそれほど変わらない年だと言うのに色気が半端ないのは人妻だからだろう。

 お腹を擦りながらケナは言う。


「来月には臨月なんですよ。初めての子なので楽しみ半分、怖さ半分というところで──」


 俺は男だしそういう気持ちは分からないけれど、フィーナやイヴェリアが妊娠したら似た気持ちになるのかなと考えた。

 とはいえ、ケナはとても幸せそうだし、実際は楽しみにしてるんだろう。


「それは何より。丈夫で良い子になると良いね」

「はい。健康に生まれてきてさえくれればそれで良いんです。あの──」


 ケナはお腹を擦る手を止めて俺に向き直して、


「よろしかったら、この子の名前、シドル様におつけ頂いても良いですか?」


 と言ってきた。

 これから犬を借りるというときに断りにくいんだけど「ケナのお父さんや旦那さんに名付けてもらわなくても良いの?」と訊き返す。


「セイも父も、シドル様の名付けなら喜ぶと思いますから」

「そういうことなら検討するよ」

「はい。では、期待してますので! あ、そういえば今日って──」


 結局、俺がケナの子の名付けをするらしい。

 まあ、それは良い。


「犬ぞりをお借りしたくてお願いに来たんだよ。前みたいに助手がいたらと思ったんだけどケナに頼めなさそうだと思ってどうしようかなって今考えてた」

「そういうことなら、私の妹が行けると思います。少し待っててもらえます?」


 そう言って大きくなったおっぱいとお腹を揺らしてケナは家の方に戻っていった。

 ケナが家から出てきたのはすぐだった。

 そして彼女の後ろに控えているのはケナとそれほど変わらない背丈の女の子。

 妊娠して胸が大きくなっているケナよりも胸がでかい!

 あ、いかんいかん。また胸を見てた。

 最近、フィーナにもイヴェリアにも『シドル、おっぱい見すぎ』とよく言われる。

 クセみたいなものなんだよ。

 と、思っていたらケナがなにか勘付いたらしい。


「この子が妹のコニ。おっぱいばっかり立派になっちゃってさ」


 とケナがニヤニヤしてる。

 対してコニはもじもじと顔が赤くなっていてボソボソと小さな声で自己紹介をした。


「コニです。あの……犬ぞりを借りたいと言ってたってお姉ちゃんから聞きました」


 俺の自己紹介を待たず、彼女は犬ぞりのことを言う。

 きっと緊張してるに違いない。


「犬ぞりを借りに来たシドルです。よろしくお願いします」

「こっ……こちらこそお願いします」


 がばっと頭を深く下げて、激しい動きで姿勢を戻すものだから、その大きなお胸がバインバインと弾む。

 俺が見すぎた所為か、コニは胸元を押さえて弾むそれを手で隠す。


「お見苦しいものをお見せしてごめんなさい」


 謝られたが悪いのはガン見してる俺だ。


「あ、いや──大丈夫だ。問題ない」


 謝られたのを受け入れるのも俺が謝るのも何か違うと感じて訳の分からない返答をしてしまった。

 素晴らしいものに目が奪われるのは男のさがだからな。仕方のないことだ。

 気を取り直して、犬ぞりに話しを戻す。


「それで、犬ぞりについては大丈夫だったのかな?」

「はい。以前、シドル様に犬ぞりを用意してからは毎年、冬には犬ぞりを使う需要がそれなりにあるので、明日とかでも行けると思います」


 ケナが答えて、言葉を継ぎ足す。


「今回はコニにお供をさせるつもりです。コニも犬の扱いが得意なのでお役立てください」


 ケナが言い終えると「よろしくお願いします」とコニが続いた。


「では、明日行けるなら明日にしたい。朝八時頃に湖畔の船着き場で落ち合おう」

「わかりました。では、準備をしますので、明日、湖畔にコニを参らせます」

「朝──八時ですね。頑張ります」


 どうやらコニは朝が苦手らしい。

 寒いしね。前世の世界なら絶対に布団から出たくないって思っちゃうもんな。

 バハムルは朝の冷え込みが厳しいから余計に。

 そんな感じで犬ぞりを借りる約束をして粗末な領城に戻った。


 翌朝──。

 バハムル湖畔の船着き場に行くと四台の犬ぞりとたくさんの犬が停まっていた。

 約束通りにコニが来てくれた。


「おはよう。コニ。待たせてしまったみたいですまない」

「おはようございます。シドル様。私もちょうど今来たばかりですから」


 四人分の雪船。

 どうやら一人一台の割当らしい。

 ああ、二人で一台で良かったと言っておけば良かった。

 前回、犬ぞりに乗った俺とコニだけが手綱を握るで良かったんだ。

 ちゃんと考えていればと後悔。

 しかし、せっかく用意してもらったし、ソフィさんにもキキにも良い機会だ。

 冬にこのバハムル湖を渡るには馬より犬が良い。

 馬ほど速くないけれど、馬と違って休憩が要らないのは前回使ったときに思った。


「ここここ怖いニャ……」


 コニが犬ぞりに乗ったことのないキキとソフィさんにレクチャーをする。

 それでキキが椅子に座り手綱を握ったところでワナワナと震えて怖がっているらしい。


「キキちゃん、大丈夫。走る時も私が傍にいますから」


 と、コニはキキを宥めてる。

 そんなこんなで少し時間を要したがモリア王国に向かって出発した。


 道中は俺とソフィさんの【認識阻害★】で他者からの察知を避け、ソフィさんの【周辺探知★】と【気配察知★】で索敵をしながら進。

 そして、何と言っても【飛脚★】の効果だ。

 ソフィさんの超便利スキルなのだが、パーティーメンバーの移動速度が二倍。

 これは乗り物も対象で、今、乗っている犬ぞりも【飛脚★】の効果が絶賛発動中。


「ぎゃあああああああああああ──」


 と、キキは叫んでいるけれどコニが上手にフォローしてくれているからついてこれていた。


 走り出して小一時間。

 間もなく対岸に到着というところで非常に強い魔力の塊が飛来する気配がした。


「シドル様! 何か来ます! 上空です」


 もうすぐ接岸するというところで犬ぞりは速度を落とし、そして、停止。

 上空には人が──羽根が生えた人間みたいな物体がこちらと同じく停止している。

 モリア王国の湖岸を袖に、凍った湖面が雪原と化して地平線まで続く。

 薄い水色の寒空には漆黒の装いの女性型の……鳥なのか?

 コウモリの羽根を生やした人間だ。

 それが徐々に上空から降りて来て、俺は息を飲んだ。


「美しい──」


 思わず声を漏らしたが、それは、ソフィさんとコニも同様。

 その女性に目を奪われていた。

 ただ一人、キキはその姿を見て身を強張らせていたが。


 長身で美麗。

 真っ赤な長い髪と真紅の瞳。

 ハイエルフのケレブレスよりも長く尖った耳だが、何より特徴的なのが角。

 ヘラジカみたいな角を生やした──。


───魔王。


 彼女はキキ・ソマリが登場するスピンオフ作品とはまた別のスピンオフ作品で登場するヒロインだ。


 凌辱のエターニア外伝 ─絶倫勇者とサキュバス魔王─


 そんなタイトルで発売されたエロゲだ。

 四天王と魔王を攻略するシミュレーション形式のゲームで、キキが登場する『猫耳美少女とニャンニャン冒険記アドベンチャー』とはまた違った作風のエロゲだった。

 とはいえ、もうこの世界には勇者はいない。


 音を立てずに雪原に降り立った彼女は。

 口を両端を釣り上げてニコリと笑みを向けてきた。


「初めまして。私はアグラート。ニンゲンが魔族領と呼んでいる国の統治者というところかしら」


 寒いというのに肌の露出が凄い。

 お尻が出るマントに胸はほぼトップに被せてるだけの布でヘソは覆ってないし下も局部しか覆ってないんじゃないかと思えるほど布面積が小さい。

 脚は膝上まで覆うタイトでかかとが細いブーツ。

 腰から伸びる漆黒のコウモリの羽根。

 背丈はフィーナと同じくらいでおっぱいがとても大きい。

 フィーナに負けず劣らずといったところだろう。

 それにしても強烈な威圧感。

 強い魔力を体内に宿しているのがよく分かる。

 アグラートに【鑑定★】を使おうと思ったけどフィーナみたいに勘付かれるかも知れないと思って自重した。

 だが、自制できない俺の視線にアグラートが気付いて俺の目の前に近付いてきて言う。


「まあ、初対面でそんなにジロジロ見てくるなんて厭らしい男ね。貴方のこと教えてくれる?」


 アグラートと名乗った女悪魔サキュバスは二の腕で寄せて持ち上げた乳房をせり出すと俺にその真紅の瞳を向けてきた。

 クラクラしそうなほど、魅惑的なその身体と瞳。

 美しい顔に魅入られそうだ。


──これが魅了チャームか。


 恐らく種族固有のスキルだろう。

 であれば鑑定を向けたら【魅了★】が映るんじゃないか。

 はっと冷静さを取り戻せはしたが、これは確かに美しい。

 前世の俺そのままの人間なら是非にとお願いしたいほどだったんじゃないか。


「俺の名はシドル・メルトリクス。この湖の湖岸に王都を置く国の王です」


 冷静さを取り戻したというのに彼女から漂う甘い芳香と魅惑的な造形はナチュラルに見惚れるほど。

 その角も翼も、人間にはないものだというのに、それらは彼女の美を高めている。


「レジストしたか。噂には聞いていたがこれほどのものとはね。お姉さん、貴方に興味を持ったわ」


 アグラートは俺に身を寄せ突き出る乳房が俺の胸に触れそうなほどの距離で顔に手を差し出すとサラリと頬を撫でた。

 ひんやりとした感触だからかサラッとして気持ち良い。

 だが、とてつもない魔力が皮膚をヒリヒリと感じさせた。


「それはどうも……」

「まあ、でも、今はまだ、その時ではないわね。何れお会いしましょう。私もすることがあるからね」


 そう言って彼女は残念そうに身を離すと、


「そこの子猫ちゃんに用があったけれどもう良いわ。それと貴方に私たち魔族が治める土地を自由に往来することを許しましょう。何なら私たちに会いに来ても良いわよ」


 と、言い残して飛び去った。


 魔王と名乗ったアグラートが飛び去ってしばらく。

 氷上の俺たちはまるで停止した時間が動き出したみたいに止まった風が再びそよいで頬に突き刺さる。

 あの時、俺以外は──犬も含めて、言動を行えたものは居なかったそうだ。

 魔王を目の前にして、あまりにも強烈な魔力の波動に身動きを封じられていたのだとか。

 緊張から解かれたソフィさんは俺を呼び止める──。


「シドル様──」


 彼女はスキルで把握した状況を俺に教えてくれた。

 アグラートは既に居らず、モリア王国と交戦していた魔王の幹部らしき者も戦場から去ったらしい。


「ここまで来たけど、もう偵察は要らないな。帰ろうか」


 戦ってる気配はもうないし、だったら俺たちがこれ以上ここに留まる必要もない。

 そんなわけで俺たちはバハムルへと引き返した。

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