主人公だった男
話は遡り──。
エターニア王国の英雄、勇者アルスはミレニトルム公爵家を越えた先にある上級ダンジョンを目指したが、ミレニトルム公爵家は既に王国から離反し、越境が許されず領都から東に向かうことが出来ずにいた。
ファウスラー公爵家から離縁されたサレアとその娘のルーナ。そして、奴隷のエルミアと王国の近衛騎士サラ・ファムタウと王都の屋敷に引き籠もっている。
「クソッ! どこもかしこも俺の顔を見るや関所を閉じやがって」
シドル・メルトリクスとこれまでの戦いで何度も見た自身の死。
いつも気がつけば王都のこの屋敷のベッドに横たわり同じ朝を何度も迎えた。
何度も何度も繰り返し見る夢。
目が覚めると汗でびっしょりと濡れている。
アルスの白日夢はいつも唐突にやってきていた。
初めて、その夢を見たのはメルトリクス公爵家の邸宅に忍び込んだ日。
シーナ・メルトリクス・エターニアの私室に押し入って手をかけた時だった。
あれから何度と無く自分の首が飛び、心臓を貫かれ、神獣に踏み潰されると言った自身の死が生々しく記憶に過る。
それはあたかも、それを経験したかと思うほどに、その時、その瞬間の感触が蘇った。
それからだ。
アルスは何度か自身の強化のためにダンジョンに潜った。
そして白日夢は繰り返す。
階層の入口やセーフティゾーンで何度も夢を見た。強い魔物に何度も殺され、敗走すら叶わずに全滅し夢から覚める。
脳裏に焼き付いた夢の記憶が毎回再現するから、いつからか夢で見た記憶を頼りに攻略を進めていた。
これと同じ夢をエルミアとサラも見ている。
繰り返し見る悪夢に抗うため、彼らは自らの強化を図っていた。
「アルス様。ここより先はどう頑張っても行けなさそうです。引き返しましょう」
王都の北。湖畔にある上級ダンジョンに挑んだ時、階層を一つ二つと越えた頃にサラの進言で攻略を止めた。
強さが足りない。
エルミアはアルスの判断を待つ。
アルスの奴隷の彼女には選択権がないし、意見をすることもできない。
ただ出来ることといえばアルスと共に戦うかアルスに身体を提供して肉便器として扱われるかのどちらかだけ。
アルスと共に食事をしたこともなければ同じものを食べた記憶もない。
(人間なんかに──ッ)
そう思うことはあってもアルスに対しては不思議と好意を抱いていた。
その証拠にある朝。エルミアはアルスの──
「エルミア。来い」
という声に身体がピクリと反応し、下腹部の奥が疼くとジワリとした熱気を帯びる。
頬にカーッと熱が広がり、自身がこれから起こる出来事に期待を寄せているとエルミアは自覚した。
ゆっくりと頷いて、
「はい」
と、エルミアが返事をするのを見たアルスは無愛想に言う。
「脱げ」
アルスの言葉にエルミアは従う。
今、この部屋にはエルミアとアルスの二人だけ。
共に同じベッドで寝ることは無いが奴隷のエルミアはアルスの私室で眠ることを許されていた。
アルスにとっては使い勝手の良い女。
凹凸に乏しいがそれでも見目麗しいエルフの女。殊更彼女を気に入っていたのは人間では到達し得ないその美しさ惹かれてのこと。
アルスは夢で見た記憶を忘れるためにエルミアを抱いた。
スッキリしたところでアルスは全裸で横たわるエルミアを足蹴にしてベッドから落とすと
「朝飯、頼むわ」
と、そう言ってベッドから立ち上がる。
「かしこまりました」
エルミアは酷い扱いを受けていたとしても従う以外に方法がない。
アルスの屋敷には従者はいない。
アルスとエルミアのほかはサレアとルーナ、それとサラの三人がそれぞれに私室を与えられてそこにいついている。
彼女たちもアルスに使われる身なのだが、サラは近衛騎士という仕事があるので朝早くに城に出ていた。
貴族の出の彼女たちは料理ができない。
だからエルフのエルミアが料理をするのだが、ほとんどが野菜に味をつけただけで満足な調理を施したものはなかった。
それにパンを添えて食事を摂る。
(たまには美味いものが食いたい)
アルスは思うが、ここ数日は男たちが軍に徴兵されているから店が満足に開いていない。
開いていたとしても年老いた老人が店に出ている程度。
店で働く若い女達はアルスの手にかかったものが多く、彼の行動範囲においては店が満足に開いていないという事態に陥っていた。
そのため、サラが城から食料を入手している。
国王のジモンはアルスの名を出されると何故か弱く、何でも提供してくれた。
サラがジモンから食材を譲り受けても調理をするのはエルフのエルミア。
多くの貴族が去ったこの王都ではレストランや食堂など貴族に向けた店は閉まっていて外食が出来ない今、アルスたちの食生活はそれほど良いものではなかった。
それから数日──。
大教会では聖女ハンナが城から登城命令が出ていた。
アルスたちと何とか逃げ遂せたハンナはしばらく大教会の一室で仕事にあたっていたが、それほど休む暇がないままの呼び出し。
そして城に向かう道すがらアルスたちと合流をした。
「ごきげんよう」
ルーナが最初にハンナに挨拶をする。
アルスとルーナ、他に奴隷のエルミアと近衛騎士のサラ。
「ごきげんよう。ルーナ様、サラ様」
ハンナは白い法衣を抓んで流麗にカーテシーをして見せた。
(平民上がりのくせに、見事なものね)
七年という付き合いのあるルーナとハンナだが、出会った当初からハンナの所作は見事なものだ。
ハンナは大教会に引き取られてからというものハンナには上級貴族顔負けの教育を施し、聖女として人の前に出して教会の品格を下げない程度に育て上げていたその成果をルーナの目の前で披露していた。
「ごきげんよう。ハンナ」
「こんにちは」
ハンナの挨拶にルーナは魔道士のローブを抓んでカーテシーで返す。
サラは声だけだったが。
「よぉ、ハンナ。今日はよろしくな」
十七歳にしては甲高い、時には気色悪さを感じさせる声でアルスはハンナに挨拶をする。
ハンナとアルスはここ数年。満足に共に過ごすことがない。
たまにパーティーを組んで遠征をするがその時でも数えるほどしか身体を重ねない。
そういった付き合いに落ち着いていた。
「アルス。久し振りね。遠征以来になるのかな?」
「そうだな。俺は忙しいからよ。お前のこと、可愛がってヤれなくて悪いな」
アルスはそう言うものの、何度も絞って使い古した雑巾みたいで、アルスにとって縒れて使用するのが躊躇われる──アルスにとってハンナは扱い難い女性に成り下がっていた。
「貴方が教会に来てくださらなくてとても淋しかったわ。でも、お元気そうで何より。さあ、陛下のお呼び出しですから遅れないように参りましょう」
ハンナはニコリと笑顔を向けてアルスの機嫌を取った。
彼女は豊穣を象徴する実りの果実はささやかではあるが、人の目を引く美貌の持ち主。
そんな美女の笑顔だからアルスは心が絆されて安堵する。
「今日は久し振りに全員での行動だな。さあ、行こうか」
気分を良くしたアルスは女性たちを率いて王城に向かった。
アルスたちが王城に着くと、城門には気を失って蹲る衛兵が目に入る。
「どうした? 何があった?」
アルスは倒れた衛兵を起こして問いただした。
「シドル・メルトリクスが攻め入って来ました」
「シドルだと? あの醜いゴミクズのシドル・メルトリクスか?」
「はい……」
シドルが攻め込んできた。
その言葉でアルスは戦慄する。
何せ神獣を顕現させるスキルの持ち主だ。
これまで全く手も足も出なかった。
「ル……ルーナ。俺、今の強さであのゴミに勝てるか?」
シドルと何度か対戦したがあの強さは異常だと彼らは実感している。
だからこそ、その対策の為に国内のいくつかのダンジョンを攻略したかった。
「醜いクズのあの男は、以前鑑定したときはレベル80。私たちにそこまでの強さはないわ」
「そうか──。今の俺が勝つのは難しい、と?」
「ええ。けれど、アレはHPがとても低かったのでアルス様の攻撃が一撃でも当たれば勝てますわ」
「勝てるかもしれない……ということか」
「そうね。私たちが活路を開くわ。今度こそ、ゴミの始末をいたしましょう」
「良いだろう。サラは良いよな? それで」
アルスは不安を抱き、鑑定スキルを持つルーナに縋った。
包み隠さず答えたルーナの言葉で、何とかなるかもしれないと感じたアルスがサラに話を振る。
シドルとの対面は死闘を意味する。
ここが最後だとアルスは思った。
死ぬかもしれない。
恐怖感を和らげたくてサラに頼った。
「ええ、もちろん。私は常にアルス様とともにあります」
アルスに全幅の信頼を置くサラはアルスの声に首を横に振ることはない。
エルミアはそのやり取りをただ眺め、ハンナは自分が蚊帳の外の人間だからと言わんばかりに会話を聞き流す。
アルスは「あのおっぱいのでかい王女様とやりてぇなぁ」などと口にして、既に勝った気持ちで王城に向かう。
これから行く先は死地。
「とはいえ、このままでは勝算は少ない。だから、ここでレベリングをするしかないわね」
ルーナはここで悪魔の提案をした。
ここでレベリングをするということは、ここに居る人間を殺せということだ。
王城に乗り込んだのはシドル単騎と聞いている。なのにここに居るものを経験値に変えるということは、城内外で倒れていて息のあるエターニア王国騎士にとどめを刺してアルスのレベルの糧にしろということ。
「それって──。まあ、良いか。俺が強くなれば皆が救われるもんな」
アルスの一瞬だけ躊躇ったが直ぐに思考を切り替えて『ゴミクズごときに遅れを取ったバカどもは俺の養分になってもらおう』と決め込んだ。
「そういうことなら私も協力します」
同じ王国騎士のサラの同意を得るとアルスは、俺の経験値になるなら仕方ないよなと心の中で独り言ちて、納得を示した。
それからアルスはシドルが気絶させた騎士に剣を突き立て命を奪う。
気が付いた者はエルミアとサラに押さえ付けさせて鎧の隙間から剣を挿し込んだ。
───
名前 :アルス
性別 :男 年齢:17
身長 :168cm 体重:62kg
職能 :勇者★
Lv :68
︙
︙
───
城内の騎士のレベルはそれなりに高く、瀕死の彼らの命を奪うことで高い経験値を獲得。
アルスのレベルは高いとは言えないが飛躍的に上がった。
一気にレベルが上ったことによって漲る力がアルスに万能感を齎す。
「これなら、どんな奴が来たって俺なら勝てるッ! 行くぞッ!」
アルスは高揚して階段を駆け上がり謁見の間に向かう。
謁見の間は閉じられていた。
そして、その前に立ちはだかる軽鎧を身に着けた女性騎士が一人。
誰よりも先にサラが口を開いた。
「カレン・ダイルッ!!」
サラは眉間にシワを寄せて剣と盾を構える。
「あ、とー。誰でしたっけ?」
カレンはすっとぼけた。
全く知らないわけではないが、カレンにとっては有象無象。
サラ・ファムタウという女性騎士については頭の片隅に追いやっていた。
「無礼な田舎者が! そこを退け!」
「ここは今、我が主たちが取り込み中。通すわけには参りません」
「ならばッ! 力づくで行くわ!」
サラは威勢よく叫び、カレンに足元を目指して踏み込んだ。
すると、パーンという大きな音がしてサラが吹き飛ばされる。
カレンが剣を抜いた素振りはなかった。
少なくともアルスたちにはそう見えた。
「サラ!」
ルーナとアルスがサラに近寄り、カレンと向き合う。
ハンナも二人に倣ってサラの下に駆け寄って回復魔法をかける。
「クソッ!」
アルスがカレンに飛びかかった。
(おっそいなー)
カレンは剣を抜くこと無くアルスの攻撃を躱すと、エルミアの追撃の矢が視界に飛び込んできた。
剣を素早く抜いて矢を弾き落とすと今度はルーナの魔法で放たれた炎の矢がカレンを焼き尽くそうと襲いかかった。だがそれも難なく剣で切り裂いて魔法は掻き消える。
(よっわ──)
「勇者って、こんな程度なの?」
自然と口から漏れ出たカレンの言葉。
ここまでは、セリフこそ違えど凌辱のエターニアⅣと同じ展開だった。
だが、カレンは残念な気持ちでアルスに目を向けると彼の鎧が血に塗れているのがわかる。
どこで血を浴びたのか気になったカレンは訊いた。
「あの、どうして血塗れ? 私たち、誰も殺してないし斬ってすらいなかったんだけど?」
カレンは彼女の主であるシドルの言葉に忠実に従って意識を狩るだけで殺しはしなかった。
切り傷をつけるのは避けてきたから誰一人として大きな怪我をしていなかったはずだとカレンは振り返る。
それにシドルが気を失った兵士たちに回復魔法を使って怪我を癒やしていたから傷どころか怪我一つ無い状態だった。
「ああ、下で気絶してた奴らには俺の経験値になってもらったよ」
下卑た笑みをカレンに向けてアルスは言い放った。
「なんてことを──!」
カレンはアルスの残忍さに戦慄する。
(この者をこれ以上、生かしておくことは出来ない)
「今、はっきりとわかりました。シドル様こそ、この国を平定するのに相応しいお方。こんな非道を平然と行うお前たちにシドル様の手を煩わせたくない。ここで始末するッ!」
カレンが心を決めてアルスたちに向かって剣を振る。
「ダメッ!」
サラの治療にあたっていたハンナが突然、アルスの前に出て防御壁を展開。
この攻撃を喰らえば全滅する。そう感じたが故のハンナの行動だった。
これは【
それからゲームでの展開と同様、イベントと違わず勇者と聖女を中心とした【リミットブレーク】が発動。
人間一人ほどの直径の光の刃がカレンに当たり彼女が背にしていた扉もろとも切断して爆発。
謁見の間の扉が崩れて勇者たちの目にはカレンの軽鎧などが両断して見えたが瓦礫が彼女の姿を隠した。
壊れた謁見の間の扉から玉座に座るシドル・メルトリクスの足下に倒れて血塗れのジモン・エターニアが見える。
アルスは激昂した。
あれやこれやと世話を焼いてくれて、望んだ王女まで差し出す約束をしてくれた善王だとアルスは心から尊敬していたからだ。
だからこそ、玉座に座るシドルが許せない。
そして、王女の専属騎士であるカレン・ダイルがいたということでフィーナがシドルの手中にあることを悟っていた。
「醜い簒奪者ッ!玉座を明け渡してフィーナ王女殿下を開放しろ!」
いくつかの言葉を交わし、怒りが抑えきれなくなったアルスは
「抜かせッ!最弱がイキがるなッ!死ねッ!」
と叫んで踏み込む脚に力を入れる。
急激にレベルが上がったことによる万能感。
アルスは負ける気がしない。
自信満々に剣を振り被ってシドルを目掛けて踏み込んで振り下ろした。
すると、ドンッという衝撃が首に走り、視界が空転。
シドルの顔、自分の胴体。最後に顔をぐちゃぐちゃにして泣きそうなルーナと冷たい表情でアルスを見下ろすハンナの顔が目に飛び込んだ。
視界の端に首から血を流した自分の身体。
(なんでだよ……)
アルスの意識はそこで絶えた。
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