閑話
聖女ハンナ
勇者アルスが首を落とされ息絶えた。
その場に居た一人の女性、聖女ハンナはファウスラー公爵家の長女のルーナ・ファウスラーとエルフの奴隷のエルミア、そして、近衛兵サラ・ファムタウを見送る。
サラは近衛騎士団に引き取られ、ルーナとエルミアはアルスの屋敷に帰された。
聖女ハンナだけは謁見の間で捕縛され、彼女たちが去った後、後宮の一室に幽閉された。
夕食を終え、蝋燭一つという仄暗い部屋のベッドに座っていると、唐突に扉が開き一人の女性が入室する。
「お加減はおいかがでしょう?」
彼女の姿を確認するや、ハンナはベッドから飛び退いて両膝と額を地べたにつく──土下座をした。
ハンナは恐れ慄いていて声が出ない。
平伏するハンナに彼女は再び声をかけた。
「お話がしたいの。面を上げてくださる? それと椅子。ご用意させていただいているでしょう? 座ってお話しましょう」
彼女は可愛らしい声ながら、王族らしい威圧感を相手に感じさせる迫力がある。
とはいえ、王族の正面に座るなど平民の身では不敬なのではと考えたハンナは遠慮する。
「殿下の正面に座らせて頂くなんて、恐れ多くてとても──」
すると、フィーナから威圧的な何かを感じたハンナは気圧されて、一瞬ビクリと震えたが、最終的には彼女の言葉に従った。
最初からハンナには座る以外の選択肢を与えられなかったのだ。
フィーナにしてみればこのアルスによる多くの事件の発端の一人であるハンナに興味津々といった様子。
正面に座らせたのは彼女の表情を含め、ハンナの機微を逃したくないという気持ちがあったから。
「貴女とはお話してみたかったのよ。シドルにも確認を取らせてもらっていてね。アルスの【主人公補正★】の影響を受けている気配がなかったわ。だから、貴女と私の二人だけでお話をしたかったのよ」
「そ…(んな)……お話なんて……」
王女はにこやかに話し始めたが、ハンナにはそれは悪魔の微笑みにしか見えない。
その迫力に言葉がどことなく吃ってしまう。
フィーナは可愛らしい顔に似合わない長身の持ち主。
こうして座って向かい合えば視線はそれほど変わらない。
目を反らして吃るハンナをじっくりを観察をしている。
背もたれに背中を預けて片手を肘に組み、もう片方の手は顎に添えられていた。
ちらりと目を開けたハンナの視界にはフィーナの特徴的な大きな乳房が組んだ腕に持ち上げられていて、その迫力をより強調。
ハンナの視線に気が付いたフィーナは脚を組み替えて話を進める。
「貴女はいつから正気だったの?」
「正気って……ずっと正気だったと思いますけど」
フィーナの問いにハンナはしおらしく答える。
「なら、そうね……。自分らしくない言動。何故こんなことをしたんだろう? 後々になってそう思ったこと、ありません?」
フィーナが姿勢を正して聞き直した。
すると、ハンナはぽつりぽつりと答え始める。
「私、魔女に意地悪なことたくさんしました──」
ハンナは振り返り、その時々のことを語り始めた。
ハンナは八歳になる年から大教会の一室で親元を離れて暮らしていた。
それまでは両親と兄一人、姉一人、弟一人という家族構成でスラム街のボロ屋住まい。
生活は非常に貧しくその日の暮らしもままならないほどだったが、ハンナは歩き始めた頃から不思議な能力を使用し、それが回復魔法だと知ったのは四、五歳のころだった。
ハンナが回復魔法を使えることを知った両親は治療院と称して平民の間で病気や怪我の治癒をハンナに施させる。
両親にとっては生活のためであったが、ハンナにとっては治療を施した平民が嬉しそうにしているのを見て嬉しくて、積極的に回復魔法を使用した。
ハンナの治癒はお金を呼ぶ。
商売相手が平民で少額とは言え、多くの人間から代金を取って治癒をしていたから、生活は次第に裕福さを増した。
ハンナ自身は家族が笑顔で暮らしていればそれだけで幸せで兄や姉、弟と遊んでいるだけで本当に楽しい。
そう思っていたが、それは数年で潰えた。
大教会の大司教がハンナを訪ねてやってきて、ハンナを引き取った。
(私、パパとママに嫌われちゃったの? 要らない子って思われちゃったの?)
最初はそう思った。
けれど、数日後、自分の魔法が聖職者たちの聞き耳に入り、お金と引き替えにハンナが大教会に引き渡されたと知る。
(平民では偉い人たちに逆らえない)
ハンナは大教会に引き取られたもののそれは実質幽閉。
大教会に着いて直ぐに施された【鑑定】で【職能:聖女】であることが判明し、身分こそ修道女と改められはしたものの実態は平民と変わらない。
ハンナは奴隷の如く働かされた。
とはいえ、教会が聖女と推す彼女が平民であることは仕方ないにしても教養が無ければ、聖女の
そうして二年。忙しく苦しい日々を送る彼女だが、そんなハンナの目の前にある少年が訪れた。
「私、その時にアルスに好意を抱きました。でも、ぱっと見ただけなのにどうして好意を持ったのかわかりませんでした」
同じ平民同士。
そんな理由でエターニア王国の三大公爵家の一つであるファウスラー公爵家の嫡男、ロッド・ファウスラーがアルスを連れてきたのだが、ハンナにはその理由が分からなかった。
ハンナは二年もの間、教会で教育を受け、身分というものをある程度理解している。
公爵家の嫡男が理由もなく平民の男を連れてくるはずがない。
そういった疑問は晴れないまま、月に何度かアルスが訪ねてきて会話を重ねた。
ハンナとしては好ましくない男だけど、否応なしに好意を持っている自分が信じられない。
けれど、そういった気持ちと思考の乖離は日を追う毎に薄れていった。
「私が、私のしてきたことがおかしいと思ったのは、帝国との戦争からです──」
それはちょうど、ハンナの
アルスが成長すれば共にダンジョンに同行するハンナも成長をする。
そうしているうちにアルスのスキルによる影響を受けなくなっていた。
「そもそも、私、自分が平民だと分かっていますし、Sクラスの教室の前になんて恐れ多くて行けませんし、イヴェリア様にあんなお声をかけることすら烏滸がましいと感じてできません。なのに、学院ではそういった私らしいと思える行動を取っていませんでした。私、まるで、アルスみたいな言動をしていたみたいで、後になって思い返すと本当に気色が悪かった……。それに私、この手でイヴェリア様を──」
膝の上でギュッと拳を握るハンナを見てフィーナはハンナの人柄を少し垣間見たと感じる。
「イヴは死んでないわ。シドルが助けたのよ」
「生きてらっしゃったんですか!ああ、良かった……」
ハンナは膝の上にぽたりぽたりと涙を零していたが言葉は紡いだ。
「おかしい。そう思ったときには既にもう遅かった。修道女として、聖女として神に仕える身だというのにアルスに何度も身体を許し穢れてしまいました──」
それからはアルスに捧げた身体を守らなければならない。
つまり、アルスを愛さなければならない。
ハンナはそう思い込んだ。
その後は、積み重ねた出来事のみを単調にフィーナに伝えた。
アルスは帝国の間諜のローザ・バルドーとギルマリー伯爵家の長女で金級冒険者のエリザ・ギルマリーを帝都からの敗走の際に船から投げ捨てて殺害。
それだけではなく、普段の所業もそう。
アルスは胸の大きな女性が好きで街行く巨乳女性を犯しては捨て、抵抗されては殺しと言った行動を繰り返し、その度にルーナがその尻拭いをした。
彼の周りに巨乳女性が居ないから、ことあるごとに『あー、おっぱい揉みてぇ……。どっかにでっかいおっぱいの女はいないかなー』と物色をする。
なのに、アルスの周りには貧乳で背が小さく幼児体型の女しか集まらないことに、ハンナはある意味おかしく感じていた。
せっかく巨乳の女性と行為に及んでも、女性を喜ばせる技量がなければ、虜にできるほどのモノを持っているわけではない。
経験深い女性からは事後になると冷たく罵られ、或いは、経験の浅い女性からは強い抵抗に遭う。
思い通りにならないと知るとアルスはいつも凶行に及んだ。
そうして、最後は『あのおっぱいのでかい王女様とやりてぇなぁ』と意気込んで王城に乗り込んだのが彼の最期となった。
一通り話し終えると言いたいことは多々あったがそれは飲み込んで「話してくれてありがとう。貴女のことについて、少しわかった気がするわ」と返すと、少しの間、会話がない静寂が訪れて、フィーナが静かに口を開く。
「貴女の家族ですが──」
ハンナが大教会に引き取られた後、家族は一人残らず殺害された。
父親に預けられた数十枚の白金貨は教会の手によって回収されている。
遺体はリリアナが埋葬されていたスラム街の墓地にある。
それをフィーナはハンナに伝えた。
「え……そんな………」
「はっ……教会の者共がヤりそうなことよね。アイツラは守銭奴だから」
言って辟易するフィーナを憚らず、ハンナは嗚咽を漏らして泣き出す。
「そのうち、連れて行くわ。貴女の生家と家族の遺体が埋葬されている場所にね」
フィーナはイヴェリアの決闘の後、ハンナの生家を調べた。
ハンナの生家を発見した時は事件後から五年を経過していたが誰かが住んだ形跡がなく手つかずの状態であったためフィーナが強権を発動して立入禁止としていた。
そのため、ハンナの生家は当時のまま残っている。
それから数日後。
フィーナはアルスの屋敷の解体を指示した後、ハンナを幽閉する部屋に入った。
「ごきげんよう」
「こんにちは」
ハンナは平伏してフィーナを出迎える。
フィーナの隣には髪の短い若い女性が並び立ち、フィーナのあとに挨拶をした。
「ねえ、頭をあげて。貴女は仮にも聖女なのだからもう少し堂々としたって良いのに」
「私も平民と変わらないし、楽にしたって大丈夫ですよ。てか、司教様って私よりもずっと身分が高いじゃないですか?」
今回はフィーナの他に彼女の騎士のカレンも同行。
城外に出るためカレンを随伴していたのだ。
「そうおっしゃっていただけるなら遠慮なく……」
ハンナは立ち上がった。
「さ、行きましょう」
フィーナとカレン、そして、聖女ハンナの三人は王城を出て王都の外郭の外れにある平民のスラム街へと向かう。
ハンナの生家に着いたのは昼を過ぎた頃。
「もうすっかり見違えてます……」
スラム街を歩くハンナは思わず声を漏らす。
見覚えのある建物もあるが、見覚えのないものが多かった。
スラム街を生きる平民たちにとって九年は長い。
「あちらがハンナの生家ね」
外壁に近いその家はロープや柵で封印されていた。
紛れもないハンナの家。
狭い家に朽ちた窓や扉。
「中に入っても宜しいでしょうか?」
ハンナの言葉にフィーナは頷いた。
家の中は乱雑に散らかっていて蜘蛛の巣が張っている他、古びて朽ちかけた家具や藁を敷き詰めたベッドなどもハンナが家を出た当時をそのまま表現している。
だが、壁や床、天井といくつかの家具に血糊の跡が残っていて、家の中で殺されたんだんだと伺わせる有り様にハンナは嗚咽を漏らした。
「貴女の家族は貴女を売ったのではなく平民という立場に抗えなかったのよ。それはある意味私たち王侯貴族の怠慢とも言えるわ。だからこれは王族の人間として謝罪する」
涙を流すハンナにフィーナは言う。
「そんな勿体ないお言葉を………ありがとうございます」
「最後に、墓地に行きましょうか」
ハンナの気が済むまで、この家に留まり、それから墓地へと向かった。
この墓地はルーナが使用人に命じてリリアナを埋葬したところと同じで身元のわからない遺体が良く運び込まれる場所のひとつ。
フィーナにしてみればシドルに手をかけた一人として怒りを向ける対象ではあったが、すでに死んでいたし、殺された相手というのがアルスということもあって罪の追求も罰を課すのも気が削がれて神経を注ぐことはなかった。
だが、ハンナに関しては別。
生きているし敵対している。
だからイヴェリアと同様にハンナに関する調査を行い、この場所に辿り着いた。
この墓所はハンナの家族以外にも、アルスが殺害した女性たちも眠っている。
ここは平民街の片隅にあって訪れる人が少ないことから殺しなどを働いたときの死体を遺棄するのによく使われていた。
殺された人間はこの墓地に雑に捨てられることが多いが、ハンナの家族に関しては雑な棺桶に纏めて収められて埋められている。
「たぶん、ここなんだけど、特徴のある遺品は貴女のお母様がしていた飾り物しかなかったの。ここに寄り添うように埋められていたからそうだと思うわ」
フィーナがハンナの家族の元へと案内した。
「名前は私が調べて記しておいたけれど……遺品は──」
フィーナの言葉の途中、カレンが剣で土を捲り埋められていた棺桶が現れた。
棺桶はかなり大きめなものでそれをあけると家族五人分と思われる遺骨が並んでいる。
その遺骨の一つにその飾り物──首飾りがあった。
「確かにママのだわ……」
「引き取る?」
「いいえ。大丈夫です。ママはパパのことが大好きだったから、ママからパパのプレゼントを取り上げるのは気が引けます」
「なら、遺骨ごと持ち帰る?」
「それも、大丈夫です。ここに眠らせてあげてください。いつかまた、ここに来られたら会いに来ますから」
「そう。そのほうが良いわね」
ハンナは遺体に祈り、カレンは棺桶を閉じると再び土に埋めた。
「少し足早だったけれど、戻りましょうか」
カレンの作業を待ってから、三人は墓地を出て城へと向かう。
その日、城に戻るころには既に日が落ちかけていた。
道すがら、フィーナはハンナへの処遇を伝える。
「貴女には大陸西端のロセフォーラ王国に向かってもらうわ。その北西の端にある湖上の修道院と呼ばれているサンミケール修道院に無期限で滞在という形を取ることにしたの。いつまでいるかは分からないけれど聖女としての才能を存分に発揮してもらえると私としては嬉しい限りよ」
「かしこまりました。殿下のご期待に添えるよう努力させていただきます」
「根を詰めなくても良いから、ゆっくりするつもりで過ごしてきたら良いよ」
──貴女が一番の被害者だったのかも知れないわね。
と、フィーナは最後に心の中で呟いた。
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