幕間

再会

 バハムルに帰ってきた翌朝。

 目が覚めて身体を起こそうとすると疲れの所為か身体が重い。

 長旅の疲れは翌日に来るのか。

 そう思って目を開けると、スヤスヤと幸せそうに寝息を立てるイヴェリアの寝顔が間近にあった。

 やれやれ──と思ったが、凛として美しい派手な顔立ちの彼女の寝顔はそれはとても心が和む。

 半年近く会っていなかったからか、少し大人びて見える彼女。

 彼女の柔らかい乳房とお腹、そして、太ももの温かさに癒やされながら俺は久し振りにバハムルで朝を迎えて、帰ってきたんだなと実感した。

 だが、その感触は一人だけのものではない。

 首を右に返すと、フィーナの寝顔。

 可憐で可愛らしい幼さを残す彼女の顔もイヴェリアに負けず劣らずの派手な顔立ちだ。

 こんなに見目好い二人の添い寝と生々しい感触にまだ若いシドルの身体は素直に反応を示した。

 それにしてもだ。俺は寝るとき一人だったはず。

 きっと俺が寝静まってから侵入してきたんだろう。


 バハムルの冬は寒い。

 特に朝は冷え込みが厳しく人肌がとても愛おしく感じる。

 右にフィーナ、左にイヴェリア。

 左右の脚は絡み取られ、フィーナは俺の右腕に巻き付いていて俺の右手は彼女のセンシティブな位置に挟まれている。

 左側はどっしりと乗りかかられていていつでも唇を重ねられる。そんな距離を保っていた。


 今日は母さんとの再会を控えている。

 どう声をかけたら良いだろうか。


「シーナ様のこと、複雑で戸惑いがあると思うけれど、それも含めてそのまま伝えていらっしゃい。貴方が命を救いたかったというその気持ちと一緒に」


 イヴェリアと目が合うと彼女はそう言葉にして俺の頬に手を添えゆっくりと彼女の手のひらの温かさが伝わる程度に擦る。

 まだ何も言っていないのによく分かるよね。

 以心伝心というのはこういうものなのかもしれない。

 幼馴染みという関係が無ければ怖いと思っただろうけれど、長い付き合いだから些細であってもこういった機微が伝わってしまう。

 そして、その言葉に救われる俺もいるわけだ。


「起きてたのか。おはよう」

「おはよう。シドル」


 寝起きに言葉を交わすとイヴェリアは唐突に唇を俺に寄せる。

 ねっとりと湿ったイヴェリアの舌が俺の唇を抉じ開けて口の中に捩じ込まれるとクチュクチュと音を立てて舌を絡み取られた。

 彼女は俺の口から魔素マナを吸収する。

 一緒に過ごしていると毎朝、イヴェリアと口を重ねていたからな。

 こんなやり取りも含めて、帰ってきたんだと実感した。


「シドルとイヴェリアはそういうキスをするんだ?」


 唐突に俺の後頭部から声がする。

 どうやらフィーナが目を覚ましたらしい。


「あら、おはよう。フィーナ。貴女もシドルと褥を共にしに来たのね」

「もちろん。っていうか、私がこっちに来たらもうイヴが居てびっくりしたわ」

「ふふふ。けれど、こうして三人で一緒にベッドに入ったのは子供のとき以来ね」

「私たちって、ずっと位置も変わらないよね。シドルの右が私で、左がイヴ」

「ええ。本当に。子供の頃からの習性って恐ろしいわね。私、シドルの右側に居るととても違和感が強いし、シドルの右側が空いてるとどうにも居た堪れなくて居心地が悪かったわ」


 俺を挟んで会話をする二人に俺は居た堪れなく感じるのだが……。

 悪くない居心地なのに、はっきりと良いと言い切れない。

 イヴェリアが俺から離れるまで、フィーナはジーッとキスを眺めた。

 フィーナのノリならイヴェリアに対抗してキスをしてくるとそう思っていたら


「正直、羨ましいけど、私は王女だし今は我慢する」


 と、笑顔で言う。

 フィーナの心境を窺い知ることは出来ない。と、思っていたらフィーナはその後に、


「私にはまだやらなければいけないことがたくさんあるし、今、シドルとのキスとかエッチなことを覚えてしまったら癖になって歯止めが利かなくなるってわかりきってるし」


 と、言葉を続けた。

 フィーナは王族とは思えないほど軽い口調で砕けた会話を好むけれど、その芯はとても強くて真っ直ぐでこうと言ったら利かない頑固者。

 目標を見据えたら、そこにまっすぐ突き進んでいく猪みたいなところはあるけれど、俺にとっては好感が持てる性格の持ち主だ。


「したかったらキスくらいすれば良いのに」


 イヴェリアはそう言うけれど、彼女のキスはいつも喉を潤すために水を飲む感覚だからね。

 精霊魔法を行使する彼女は魔素マナを欲して俺の唇を求めてる。舌で抉じ開けて体内から漏れ出る魔素を最も効率の良い手段で摂取していく。


「私は仮にもエターニア王国の王女だから、結婚していないのにキスやエッチなことできないよ」

「それは私だって同じじゃないかしら?」

「や、イヴはだって、一度死んだって言われてる身でしょ? これで生存してましたってなっても、救ったのがシドルなんだし、それじゃそのまま結婚でってなってもおかしくない関係じゃんねー。ニセの勇者と結婚させられそうになって逃げ回ってる私と立場が違うよ」

「貴女、苦労してるわね」

「ほんとによ。以前のお父様ならシドルと結婚するっていっても許してくれてたのにさ」

「アルスの登場でフィーナも人生が変わったのね。お気の毒に」

「アイツのせいでシドルもイヴも死んだことになってたし、バハムルは遠すぎて情報がこっちに来ないから、生きてるってことが伝わらないどころか、領主が亡くなったというところから全く情報が更新されてないからね」


 それくらいバハムルは辺境で王国にとって重要性が全くないと思われている限界集落なのだ。

 バハムルと他領を繋ぐ道は険しい断崖を削って出来た道一つ。

 国の査察が無いと言うおかしな状況も、決して安全とは言えない厳しい交通事情もあったから。

 そのおかげでエターニア王国の属領ではあるものの情報の遮蔽性が高く独自の社会を築いていける土壌があった。


「そこは私、今となってはとても助かってるしシドルとこうして遠慮のない生活を送ることが出来てるから感謝してるわ。そんなことよりも、もう起きないといけないわね」


 イヴェリアはそう言って俺から離れ、ベッドから出る。

 彼女は下着姿だった。

 フィーナも恐らく下着姿。

 とはいえ、ドロワーズとか言うかぼちゃみたいなパンツにシャツは生地の硬い寝間着とかわらないものだ。

 帝国の下着、今持っているのは男物だけど、そのうち女物をバハムルに持ち込みたい。

 スタイルの良いフィーナやイヴェリアがぴったりフィットする下着を着けた姿を見てみたいと思った。

 フィーナがイヴェリアに続いて「私も起きる」とベッドから出るのを俺はしっかりと眺めていた。


 それから朝ご飯を食べ終わると、俺はソフィさんと一緒に母さんとジーナの仮住まいに向かう。

 フィーナとイヴェリアは俺の母親のシーナ・メルトリクス・エターニアと距離を置いていて俺が一緒だとしても顔を合わせたくないのだそうだ。

 気持ちは分かる。

 俺も内心、複雑だからね。

 俺の両親──父親のドルム・メルトリクスと母親のシーナは俺と弟のトール、妹のジーナを溺愛していた。

 けれど、アルスの影響で両親は俺を追放して暗殺者としてリリアナを送っている。

 昨日、あれやこれやとフィーナとイヴェリア、それにカレンとソフィさんと話した中に、当然、母さんとジーナのことも出てきたし、王都での出来事をフィーナとカレンから聞いた。

 フィーナはアルスのスキルの特異性について熱弁してくれたし、イヴェリアは母さんがここに来てからの生活の様子を聞かせてくれている。

 そして、俺にはシドル・メルトリクスとして父さんと母さん、それに弟妹と過ごした思い出があって、更に、前世の記憶も強烈に残っていた。

 前世の俺はソフィさんや母さんみたいな女性と大変好ましく捉えていた。

 それも繰り返し繰り返し何度も大変なお世話になっていたから今でも鮮明に瞼の裏に描けるほど。

 いくつもの相反する様々な感情が入り混じって本当に複雑だった。


 母さんとジーナが住む家は、領城と言うには少しばかり粗末で小さい屋敷に一番近い建物だ。

 歩いて三分。

 ソフィさんに伴われて俺は玄関扉前に立っている。


「おはようございます。シーナ様」


 扉をノックしてソフィさんは声を出す。

 トントンと扉の向こうから足音がして、ガタッという音で扉が開いた。


「おはようございます──」


 と、久し振りに見る母さんの顔は少し小じわが増えているが若々しさは保っている。

 みるみる内に眉尻を下げて顔がしわくちゃになり、青い瞳は一瞬で涙が溢れて歪んだ。


「お母様。お久し振りです」


 俺がそう言うと、母さんは俺に飛びついてギュッときつく抱き締める。


「ああ、シドルっ! シドル! 本当に無事で……ああッ!」


 母さんは腕に力を入れて俺の頭を抱え込み後頭部をワシャワシャと撫で続ける。

 俺も母さんに応えて母さんの細い体に腕を回して軽く抱き締めた。

 もう背丈があまり変わらないから俺の顔は母さんの肩に抱き寄せられていて母さんは俺の頬にキスをして頬を擦り付け涙で濡らす。


 母さんの泣き声を聞いたジーナが家の中から出てきた。


「シドルお兄様ッ!」


 と、ジーナが抱き着こうとしたが、俺の身体はほぼ母さんに占有されていて抱き着くところがない。


「お母様、寒いから中に入れてくれませんか?」

「うぐぅっ……そ……そうね……」


 母さんは泣きながら同意してくれて俺とソフィさんは母さんとジーナに続いて家に入った。

 暖炉で暖かい居間に通されてソファーに腰を下ろすと隣に母さんが座り俺の膝の上にジーナが乗る。


「ごめんなさい。本当に。私は貴方にとんでもないことをしたわ」


 落ち着きを取り戻した母さんがそう言った。

 俺の手を細い腕の両手でしっかりと握り離さないとばかりに力がこもってる。

 大きな乳房が俺の腕に押し付けられていて俺の中の前世の俺──高村たかむらたすくが喜んでいた。

 俺の脚に乗るジーナに勘付かれてはならないと必死に抗う。


「いいえ。ご無事で何よりです」

「シドルこそ。本当に大きくなったわね。我が子の成長を傍で見られなかったこと、本当に後悔しているの。本来なら許されないことだって分かっているのに、貴方にしたこと……。それにリリアナに対しても本当に申し訳ないことをしたわ」

「…………」


 リリアナは母さんが暗殺に向かわせたということを俺はフィーナから聞いていた。

 それに追い出される直前のあのゴミを見る冷たい目。

 俺はあれを忘れられずにいた。

 俺の中の高村佑が奮わずにいたのはこのおかげでもある。

 ただ、俺には母さんに返す言葉が見つからない。

 スキルの影響だと分かっていても素直に母さんに親として心を許せるほどの信頼を持てなかった。


「私は本当に親としてしてはいけないことをしてしまったのね……。許してほしいとは言わないけれど、以前のように気兼ねない家族に戻れることを願ってるわ」


 母さんはそう口にして、俺は「ん……」と相槌を打って返答。

 ジーナは以前と変わらず久し振りの俺の太ももの上の感触に頬を緩めてごきげんに歌を口ずさみ始めた。

 それはきっと、ジーナなりの家族としての繋がりを取り戻そうとした行動だったのかも知れない。

 ここに父さんとトールはいない。

 家族全員が揃ったとして、以前と同じく過ごせるとは限らない。


「それにしても、シドルは立派になったわね。このバハムル領はシドルが来てから随分と発展したとカレン様が教えてくださったの。これほどの統治ができて親として誇らしいけれど、もう子どもじゃないと感じて淋しいわ」


 と、母さんが言うと、


「シドルお兄様。とてもかっこよくなりました。衣装もとてもお強そうで……でも、お兄様の匂い変わってません」


 ジーナは頭の後ろを俺に持たれかけてスンスンと鼻を鳴らす。

 それからしばらく会話をしていたら


「イヴのお手伝いに行くわ」

「私、イヴお姉様のお勉強に参ります」


 と、母さんとジーナは立ち上がって準備をし始めた。

 女性の準備の邪魔をしてはいけないので


「では、俺は屋敷に戻ります」


 と、これまでのやり取りを黙ってみていたソフィさんと一緒に屋敷に戻る。

 その道すがら、ソフィさんは俺にニコニコ顔を向けて──


「それにしてもシドル様のお母様はとても美しいですね。とても四十歳になろうとしているようには思えないほどです。あのような女性を母親に持つと年頃の男性は大変でしょうね」


 と言った。

 どうやら俺が高村佑としての滾る気持ちを抑えるために必死になっていたのをソフィさんはお見通しだったらしい。

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