ほころび

 シドル・メルトリクスが帝都を発った数日後。

 エターニア王国から使者が訪れてきた。

 正確にはファウスラー公爵家の者だ。


「この度は急にもかかわらずこうしてご拝謁に叶いましたことを誠に感謝いたします」


 男は謁見の間に入ってから大穴の空いた天井と壁に目を奪われて皇帝を見ていなかった。

 だからこうして頭を下げている今も皇帝が女性だということを知らない。


「良い。要件を申せ」


 涼やかな凛と響く声。

 女の声だと男は気付いた。

 顔を上げて良いのか。

 判断に迷った男は頭を垂れたまま要件を伝える。


「この度の戦に於いて、帝国の勝利を心からお祝い申し上げます。我が主より書簡を預かっておりましてこちらを御覧いただきたく、本日はお伺いをさせていただきました」

「んむ。では、その書簡とやらを寄越すが良い」


 ネイルは大仰に手を振って側近に書簡を取りに行かせた。

 側近が男から書簡を受け取り、開封をする。

 書簡の中に罠や毒がないことを確認すると手紙をネイルに手渡した。


「面を上げよ」


 手紙を読み終えたネイルは男に声を発する。

 男は恐る恐る顔を上げるとそこには女性にしては背が高いダークエルフが粗末な玉座に腰を下ろして脚を組んでいた。


(だ、ダークエルフ………が皇帝だと!?)


 ダークエルフは悪魔に仕える闇の使者。

 〝ニンゲン〟にとってダークエルフは魔族とそう変わらない存在。

 それをネイルも分かっているから目の前の男の反応が面白おかしくて思わず口端を釣り上げる。


「ふ……。やはり、そう反応するよのう……。かの者が特別だったのだな」


 男は確かにそう聞いた。

 あやつとは何者だ。

 わざわざそういうと言うことは、エターニア王国の人間に違いない。

 男は考えた。

 実はこれもネイルの思惑の一つ。

 王国の誰かと繋がっていると思わせることで篩にかける。

 覚悟の有無を。


「まあ、良い書簡の返答は明日、渡そう。再び此方を尋ねるが良い」


 ネイルが仰々しく伝えると男は頭を下げ、ネイルが下がるのを待った。


 この日の公務を終えたネイルはつい先日復旧したばかりのメネリル公爵家の屋敷に帰る。


「おかえりなさい。お姉様」

「ただいま。お母様、エル」

「おかえり」


 居間の家族に挨拶をして自室でラフな服装に着替えるネイル。

 普段の服装は麻と綿の混合生地で縫製した無地の薄いタンクトップとショートパンツ。

 ルシエルとラリシルも似た格好。

 大きく実る乳房に、細く括れた腰、そして丸くて大きい臀部。

 部屋着でも三人のスタイルの良さは抜群でスラッと伸びる長い脚はやけに艶めかしい。

 それがシドルから見た三人の部屋着の印象であった。

 そんなシドルに【魅了★】を使われて誘惑した時に、ネイルは下着よりも色香が強い薄地の衣装を着て見せたことがある。

 あれはシドルが滞在中に侍女たちの悪戯心で進呈されたものだった。

 当時はお巫山戯が過ぎてると怒ったものだが今となっては良い想い出。

 シドルに裸体に近い格好で言い寄ったその時のシドルの反応でネイルは満足だった。

 可能性がないわけではない。と、そう思えたからだ。


 ルシエルとラリシルとはシドルのことを良く話す。

 特にキスをしたときの感想だ。

 シドルの口から吸い取った濃密な魔素マナが彼女たちの霊性を高め、ダークエルフながら高祖となるハイエルフとしての血の力に近付ける。

 おかげで、【精霊魔法】の行使が捗り、自身の生命力が特段に高まった。


「また、シドル様に魔素をいただきたいわね」


 特にラリシルは百歳に近付きダークエルフとしてはまだ若い部類だ。

 それも高祖に近い血族であるため本来なら寿命はとてつもなく長い。


「アタシたちもそうだけど、テルメシル家にもシドルの魔素を与えたいのよね。時間が合わなくて出来なかったのよ」

「お姉様、がさつだったのに、シドル様のおかげで女性みたいな言葉遣いになってきましたね」

「えー、そう?」

「そうよ。まあ、公務のときは皇帝らしく振る舞われてますけれど、ね」

「そうそう。話は変わるけど、今日、王国のファウスラー領の領主から手紙が来て王国を離反するから庇護下に入れてくれって来たんだ。

 その手紙にはミレニトルム家や他の領地持ちの貴族の名前も連ねてあって、もしかしたらそれほど苦労せずにバハムルに行けるようになるかもしれないんだ。

 そしたら、行ってみるか?

 アタシは仕事があるから帝国を離れるわけには行かないけど、エルとお母様なら護衛を付けてもらえるなら行っても良いし、テルメシルの娘も行きたいと言ったら連れて行ってやってほしいんだ」

「本当?」

「ん。庇護下に入る対価を求めたんだがファウスラーは嫁も子も居ないらしくてね。

 人質を取れないならバハムル領までの安全な交易路を確保したいと思ったんだ。

 ミレニトルム家を取り込めればグランデラック湖を渡ってドワーフの国へと通じる森を抜けられる。

 そこからならバハムル湖の対岸に渡れるんだ」

「遠回りだけど確実に行ける道ができるということね?」

「そう!ノルティアとヴェスタルを引き込めれば本当は良いんだけどノルティアはともかくヴェスタルは難しそうでね。

 多少遠回りだけど二ヶ月くらいで確実に行けるなら一年くらいバハムルに送り込んでも良いかなと思うんだ」

「そうしたらお姉様がお一人になってしまうじゃない」

「アタシは良いんだ。

 それよりも一人でも多く、ダークエルフとしての霊性を高めて欲しい。

 アタシらかテルメシル家の娘の誰かがシドルと子を作るのが最も良いんだけどそれは先で良い」


 この考えは推測に基づいていた。

 ネイルがケレブレスから聞いた話を基に考えると霊性を高めたエルフはハイエルフに至ることは出来ないが高い霊性を持つ種子を取り込むことで高祖に至れるのではないかと。

 これはもともとケレブレスの考えだった。

 ネイルもこの考えに賛同しているのは、シドルとの唇を重ね、舌を交えた時の経験に起因する。


『試してみねばならぬのう』


 というのがケレブレスの結論だった。

 だが、事を急ぐ必要はない。

 ケレブレスはネイルにそう何度も念を押している。


「子どもを作るとか私にはまだ早すぎてわかりませんけれど、シドル様にはお会いしたいし、シドル様のバハムル領にも行ってみたいと思ってます。本当にバハムルまでの交易路が確立できたら嬉しいわね。楽しみにしてるわ」


 ルシエルは姉の頑張りに期待を抱いた。


 それから数週間もせずに王国は崩壊の一途を歩み出す。


 ファウスラー領の王国離脱から始まり次々と王国を見限った貴族が続いた。

 つまり、難なく帝国からバハムル領までの交易路の確保が出来たのだ。


 ネイルは早急に一個大隊、五百人規模の使節団を編成し、バハムル領へと派遣することを決定する。



 フィーナはソフィを借り、バハムルを出た。


「宜しいのでしょうか? 殿下に随伴するのが私のような下賤なもので……」


 ソフィは不安だった。

 フィーナはシドルへの強烈な恋慕を隠さない。

 だから、嫉妬で殺されたりしないかと。

 実際のところ、それは杞憂で、フィーナはもっとおおらかな女性だ。


「私は貴女が良いって言ったんだし、貴女じゃなきゃ目的を遂行できないの。だから協力してください。お願いします」


 フィーナはそう言って頭を深く下げるとソフィが慌てる。


「あわわわ、そんな頭を私なんかのために下げないでください。何でも致しますから……」

「じゃあ、その態度やめて。普通に接してよ。シドルにしてるみたいに」

「あ…あ、あ……あ──、はいっ。わかりました」

「じゃあ、ソフィ様を抱っこするから」


 背の高いフィーナはソフィを抱えると【身体強化】を発動させて猛スピードでバハムルの峠を駆け抜ける。


「関所は黙って抜けたいから【認識阻害★】をお願いね」

「わかりました」


 可憐な美少女に抱き上げられているソフィは思った。


(凄い。お姫様なのに王子様みたい……)


 フィーナはソフィとの旅を経験して食事の大切さを更に学ぶ。

 ソフィの料理は平民の家庭料理を発展させたものが多い。

 カレンとは異なる味の良さにフィーナは感動を覚えた。


(野営の料理はソフィ様のほうが向いているのね)


 これはソフィとカレンの育ちや生活の違いである。

 ソフィは冒険者組合に勤めたがそれは冒険者としての経験も多少あったからである。

 野営での料理もその過程で学び工夫を重ねた。


 こうしていくつかの関所をソフィの【認識阻害★】を駆使して通り抜け、最初の目的地、ノルティア辺境伯領へと辿り着いた。


 フィーナが事前に調査をした通り、ノルティア辺境伯はエターニア王国の王家との繋がりが薄い。

 それに先の帝国との戦争で王国は勝利を宣言したが、実質的には敗戦だったと捉えていた。

 そこで王家に忠誠を尽くすつもりか問いただしたところ渋々と言った反応をフィーナは見抜く。


「そう。なら王家に忠誠を立てる必要はないわ。でも、もしよろしかったらバハムル領に諜報を送ってくださるかしら? そこで知った情報を貴方なりに検討頂いて、身の振り方を決めなさい」


 ノルティア辺境伯は王家の人間に王家への忠誠はいらないと言われるとは、と驚いた。


「わかりました。検討しましょう」

「強制も強要もしません。卿のご自由にどうぞ」


 フィーナはこういった説得をいくつもの貴族にして回った。


 それからログロレス子爵領に入り、領主のシュレル・ログロレスのもとへ挨拶のために顔を出したのだが、そこで話した内容にシドルの名前が出てきたことにソフィは驚いた。


「リリアナは生前、私に手紙を寄越すといつもシドル様について書かれていました。この子は公爵家だけで収まる器ではありません。だから私はシドル様に仕えたい。と」

「そうしてもらえたら本当は良かったのだけどね」

「ええ、ですから私は、シドル様を見極めるためにバハムルに間諜を送りました。私はフィーナ殿下とシドル様にお仕えすることを約束しましょう。シドル様の血統としても我ら一族に伝わる血の誓約を満たしておりますから」

「ありがとう。シドルにそれを伝えてくださると嬉しいわ」

「機会が訪れた折には、約束いたしましょう」


 ソフィの目前で交わされる約定にシドルの名前。


(それにしても、この家の人たちは代々【認識阻害】を授かっているのね。スキルって遺伝するものなの?)


 ソフィの【気配探知★】は彼らのスキルが血統に依るものなんじゃないかと推測し始めたのは揺らぐ気配がいくつも存在したからだった。

 【認識阻害】というスキルは使用者が他者の認知力に働きかけるため、フィーナは【不撓不屈★】の効果で気がつく。


 ログロレス子爵領で小舟を借りると、対岸まで船で向かう。

 フィーナもソフィも船を漕いだことがないのに、必死で漕いで何とか対岸に辿り着く。

 この湖上の冒険こそが、今回の一番の難所。

 何せ経験のあるものが一人もいない。

 フィーナとソフィは必死になった。


 フィーナが王城でジモンと会談している最中、ソフィはスキルを使ってこっそりと後宮のマリー王妃とリアナ王女のもとに向かった。

 フィーナの持ち物の一つを手にして彼女たちを説得し、手紙を書いてもらってから連れ出してこっそりと城を抜け出す。

 それから直ぐにフィーナと合流し、ソフィのスキルで身を隠して小舟でログロレス領に戻った。


 王妃と王女を王城から連れ出すことに見事に成功しバハムル領には四人で入る。


 【主人公補正★】で紡がれるメインシナリオに僅かなほころびが生じ始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る