ニギとキキ

 遡ること三年。その日、少年と少女は狩猟に出ていた。

 獲物は鳥やウサギと言った小さな動物。

 猫人族のニギ・ソマリはソマリ村の村長の息子の一人で狩猟が得意な少年だった。

 そして少女の方はキキ・ソマリ。

 ニギと同じ誕生日の村長の娘の一人。

 猫人族は多胎出産で、一度に四人から六人の子を産む。

 ニギとキキには母親が三度目の妊娠で出産した末っ子と言ったところだ。

 その二人はその中でも成長が良く、ニギとキキを外で狩猟を楽しむことが多かった。

 この長閑なソマリ村で、信じられない事件が起こったのは晴れて見通しの良いこの日だった。


「あまり遠くにいっちゃダメだからね」


 母や姉たちに口酸っぱくそう言われて村の外に出て南の丘陵を狩りのために駆けずり回る。

 この日、南に眺めるカザド山脈から下りてくる野ウサギが大量で、この機会を逃すまいとニギはウサギを追いかけるのに夢中になりすぎた。


「お兄ちゃん! 待って! ママに遠くに行っちゃダメって言われたニャ!」


 キキは言いつけを守ろうと兄に注意を促したが、ウサギを追いかけるのに夢中でキキの言葉に耳を傾けない。


「まだ、ウサギが居るんだ! 大きな声を出すニャよ」


 ニギはそう言ってウサギを追いかけ南へ南へと走った。


「お兄ちゃんッ! ダメッ! それ以上は行かニャいで!」


 数分走ったところで異様な気配を感じ取ったキキはニギに警戒を促した。


「声が大きいニャ! ウサギが逃げちゃう!」


 ニギはキキの声を聞かず、更に南へとウサギを追いかける。

 キキは得も言われぬ気配に恐怖心を持ちつつもニギを放っておけないと兄を後ろについていく。


 それからすぐ──。

 ヒュンッ!という音が聞こえたかと思うとニギの足に石が当たりつんのめって転倒。


「いってぇッ!」


 と、ニギが声を出して、キキが兄に気を取られていたら続けて石が飛んできた。

 今度はキキの肩に当たり、キキはバランスを崩して転ぶ。


「ヤったぞ! 捕らえろ!」


 藪の中から黒い革の軽鎧を纏ったドワーフの男たちが駆け寄ってきた。

 痛みで動けずにいたニギとキキは敢え無く捕まり、手足を縛られ、口には猿轡さるぐつわを嵌められて袋の中に仕舞われた。


 ニギは何が何だからわからないまま袋の中で過ごし、キキはどこを移動しているのかなんとなく把握しながら袋の中で揺さぶられる。

 食事と排泄のときだけ袋から出された。


「何だ、コイツ。メスかよ」


 ドワーフの男たちはキキを排泄に向かわせたときにそう言った。

 もう一つの袋にはニギが入っている。

 キキは物心がついたころからそういった周辺の物事を察知する能力が備わっていた。


 喋ること無く、同じく捕らわれているニギと顔を合わせること無く運ばれること一ヶ月。

 ニギとキキは一ヶ月ぶりに顔を合わせた。


(きったねー顔だにゃ)

(くさいにゃ……)


 一ヶ月、水浴びをしていない二人の汚れは激しかった。

 猿轡と手枷は外されていないから声は出せても言葉にならないし身振り手振りをすることもできない。


「兵長。連れてきました。猫人族の兄妹です」

「なんだ。ガキじゃねーかよ」

「申し訳ございません。成人を捕らえることはできませんでした」

「まあ、良い。それでも連れてこられただけ良しとしよう」


 兵長と称されるドワーフの男がキキをまじまじと見る。


「なんだ、コイツ。メスじゃねーか」

「は。もう一人はオスで兄妹のようです。九歳だと聞いてます」

「そうか。まあ、仕方ない。人手は足りないんだ。子どもを奴隷にして働かせるのは忍びないが、最深部に送り込め」


 そうして、直ぐに奴隷契約の血判を強制されてニギとキキの兄妹は揃ってドワーフの奴隷となった。

 二人がやっと会話を交わしたのは最深部に閉じ込められてから。

 最深部は松明の一本もない。

 辛うじて最深部を区切る小部屋から漏れ出る光が入り込む。

 そこから空気が送られないと呼吸が出来ずに死んでしまうからなのだが。

 その光が夜目の利く猫人族にとっては充分に視界を確保させる。


「キキ、ごめんニャさい……」


 最深部で二人きり。

 その時にニギは謝罪した。

 カンカン、カンカンとツルハシで岩壁を叩きながら二人は言葉を交わす。


「ウチの言うことを聞いてくれニャかったお兄ちゃん、許せニャいニャ……。ソマリ村に帰りたいニャ……」

「本当にごめんニャ……。俺がキキの言うことを聞いてればこんニャことにニャらニャかったのに……」

「ウチももっと強く言うべきだったかもしれニャいけど、きっとウチがあのとき、お兄ちゃんを追いかけニャかったらウチがニャいちゃうニャ……」


 キキは捕まったときにニギを見捨てて逃げることも出来た。

 だけどそうしなかったのは見捨てたことで後悔したくないと強く思ったから。

 もしニギとキキが捕まらなかったとしてもドワーフたちが他の誰かを拐うのは変わらない。

 そう考えたキキは心中が複雑。だから、


「もう、この話はやめるニャ。どうやって帰るかだけ考えるニャ」


 と、ニギに言う。


「ん。ごめんニャ。本当に……」


 ニギはこのとき、居た堪れない気持ちで、ただただ謝りたかった。


 それからは来る日も来る日も与えられたツルハシで岩壁を叩いて削る。

 食事は一日に一度。

 それもお腹いっぱい食べられるわけではない。

 睡眠時間は六時間。それと食事の時間以外は岩壁を叩く。


 最初はニギとキキと他に二、三人しかいなかったが半年後には十名を超える猫人族が奴隷として最深部に放り込まれた。


 長時間に渡る厳しい重労働。

 それからは十人ほど増えては数名が居なくなり、最深部に連行される猫人族が数十人、数百人と増えていくと、その度に数名が消える。

 そんな日々を重ねていった。


 いつの間にか、ニギとキキは最古参と呼ばれるほどになり、最深部では彼ら兄妹以上に長く従事する奴隷はいなくなっていた。

 たった三年。

 それでも、十二歳を迎えた二人にはこの三年が長く重い時間に感じる。


「お兄ちゃん、ウチ、もう疲れたニャ……」

「ダメだ。諦めたら。きっといつか自由にニャるときが来るよ」


 そう信じて疑わなかったのは、居なくなった猫人族がいるからだ。

 彼らは家に帰されたはず。

 ニギとキキはそう捉えていた。


 ジジと言う中年の猫人族が居なくなってから数日。

 最深部にドワーフの兵士が数十人とやってきた。

 松明と斧を構え、物騒な装いのドワーフ兵。


「なんか様子が変ニャ」


 ニギは彼らを見てキキに注意を促す。


「お兄ちゃん、ここに来たのはアレだけじゃニャい……。奥にもっといるニャ……」


 キキの察知能力はこの三年で更に磨きがかかった。

 ニギもこの三年。ただ、ツルハシで壁を打っていただけだと言うのに成長を垣間見せている。

 重労働を三年も耐えた証拠とでも言えるのか、ニギは強さを身に着けていた。

 とはいえ、訓練が行き届いた兵士たち。


「アイツら、俺たちを殺す気ニャ……」


 キラリと光る斧の刃。

 殺意を込めて構えているのは明白だった。


「お兄ちゃん……」


 キキは静かにニギに身を寄せる。

 周辺の猫人族たちもドワーフ兵の様子に気が付いて手に持ったツルハシを構え身を守る体勢を取った。


「キキはここから逃げるニャ」


 ニギは言った。

 この三年。ニギはキキのスキルに気が付きつつあった。

 気配が消えたり、誤認識させることがあったり、キキにはそういうことが出来る能力スキルがあるんだろう──と。


「キキならここから逃げられるニャ」

「で……でも……」


 兄を見捨てられない。とキキは言いたかった。

 だが、ニギはこう言う。


「キキはここから逃げて、俺たちがここで捕まって奴隷にされて働いていると外に伝えて回ってほしいニャ。そして、いつか、助けに来てほしいニャ。今ニャら、区画を隔てる扉が開いてる。キキなら外に行ける。だから早く逃げるニャ」


 ニギは真剣な面持ちをキキに向けた。

 猫人族の同朋意識はそれなりに高い。

 その話を耳にした他の猫人族たちも、ニギに同調してキキを外に逃がすべきだと考えるものが多かった。


「キキちゃん、行ってくれ。そして俺たちを助けてくれニャ」


 と、多くの猫人族が口にする。

 最古参で最年少の彼らにドワーフの手によって拉致され奴隷として強制労働に従事する彼ら。

 助かりたいという気持ちは故郷へ帰りたいと強い願いからである。

 ここまで多くの猫人族の言葉をキキは断ることが出来なかった。


「わかったニャ……」


 キキは渋々頷いて、【職能:窺見★】の【技能:雲隠れ★】を発動させた。


「頼んだニャ」


 キキの気配が無くなって少し経つ。

 ドワーフの兵士は数を増していた。


(生きて出られるかニャ……)


 残った猫人族は生き延びるために抵抗するしか手立てが無かった。



 それから数日──。

 命からがらモリア王国から抜け出したキキは飢餓状態に苦しんだまま倒れて意識を失っていた。


「大丈夫か?」


 道のど真ん中で俯せに横たわる獣人の少女を見付けた森のエルフが彼女に声をかけた。


「…………」


 返事はないが息をしてるし体温は失われていない。

 キキはエルフに命を助けられた。


 エルフの一行はバハムル王国を目指していた。

 モリア王国を経由してバハムル湖を小舟で横断。

 キキはその船上で目を覚ました。


「あれ、ここはどこ……にゃ?」


 見慣れない景色にキキは戸惑った。

 前後左右が湖。

 そして、今は船の上。


「目を覚ましたか。倒れていたところを救助したんだが、こちらまで連れてきてしまった」


 エルフの男性がキキに言う。

 キキはお腹が空いて倒れたところまでは覚えていた。

 目が覚めた今は船の上。

 エルフたちに助けられたのだろうとキキは少しだけ安堵する。


「助けてくれてありがとうございますニャ」

「礼ならコイツに言ってくれ。見付けたのはコイツだからな」


 男はそう言って女のエルフに目線を送った。


「ドワーフの国に置いていこうと思ったんだけど、不穏な気配がしたから勝手に船に乗せちゃった。ごめんね」


 エルフの女が謝罪をする。

 勝手に船に乗せて大きな湖を渡るということに対する謝罪だろうとキキは察した。


「い、いいえ。そうならむしろ助かりましたニャ」


 モリアで兵士に引き渡されたら命は無かった。

 むしろ感謝したいくらい。


「……名前を伺っても?」


 キキは名を名乗り、モリア大坑道の最深部での出来事を話した。


「モリアでそんなことが……」

「どうりで騒々しいはずだ」

「でも、どうして、奴隷が逃げ出しただけでそんなに騒々しくなるものか?」


 船上のエルフたちは口々に言葉を交える。

 結局結論はでないまま、半日かけてバハムル湖の対岸の村。

 バハムル王国の王都バハムルに到着。


 北を眺めると左右に連なるカザド山脈が目に映るキキ。


(あの山の向こうにソマリ村があるのニャ?)


 バハムルからちょうど真北に位置するところにソマリ村はあるのだが、いくつもの険しい峰々を越える必要があり、カザド山脈を越えるのは非現実的で無謀な行為と言えるのだが、キキはなんとなくそれを感じ取っていた。


(近いのに遠いニャ……)


 バハムル高原に降り立ったキキはソマリ村よりも暖かい風と初めて見る人間の姿に感動する。

 船上で、バハムルには迷宮ダンジョンがあるとエルフたちから聞いた。

 彼らは迷宮に挑むためにバハムルに渡るという。


(ここなら、ウチ、強くなれるかニャ……。レベリング、頑張れるかニャ……)


 助けてくれたエルフたちとバハムルに入ったキキだが、猫人族のその風貌は非常に目立つ。


(人生って思い通りにならないものなんだニャ……)


 と、思わされたのはそれからすぐのことだった。

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