苦い思い出

(なんで、私……)


 アルスの死を悲しんでいた彼女たち。

 ルーナ・ファウスラーとサレア・ファウスラー。

 そして、彼の奴隷だったエルフのエルミア。


 アルスが城門前広場で晒し首となって数日。

 王都はアルスのユニークスキル【主人公補正★】から解放されていた。


 とりわけ、王立第一学院高等部に通う貴族たちは阿鼻叫喚する結果となっている。

 アルスと同じ年の彼女たちは、その男に身体を許したことを特に嘆いた。

 それは生徒だけではなく、教師も同じである。

 夫を持つ妻も、目の前でアルスに妻を犯され、差し出したなどした夫たち。

 過去はそう簡単に押し流せるものではなく嘆き苦しみ藻掻いた。


 エルフのエルミアもそれは同じ。

 奴隷から解放されて自由の身となったが森に帰ることもできず、途方に暮れた。

 人間嫌いの彼女は今、人間の都市の人間の家に住んでいる。

 それなのに、人間に好き勝手に身体を扱われてきた。

 何度も何度も。

 それは彼女の記憶から消え失せることなく一つの望まぬ苦い思い出として残っている。


「う……ああ……ああああッ!うああーーーーーーーッ!」


 頭を掻き毟り、狂ったように叫ぶ。

 もう自我を保つのも厳しい。


 エルミアはアルスの屋敷を飛び出して走った。

 北へ北へと。

 辿り着いた先はグランデラック湖の畔。


「あッ………ああ……。陛下………ケレブレス陛下……私が間違ってました……ですが、もう帰ることはできません……くっ……ううっ………」


 自分が生きられる場所はもうどこにもない。

 エルミアは覚悟を決めて湖に入った。



 サラ・ファムタウ。

 彼女はファムタウ伯爵家の長女である。

 ファウスラー領の東に隣接する小さな領地を運営する彼女の実家。

 彼女は出身の領地に返された。


「お前の所為で私達は道を踏み外したのだ。どうしてくれるッ!」


 サラは領主の父親にこっぴどく叱られている。

 母親は既に彼女を見捨て、口を聞くことすらしない。


「申し訳ございませんでした。お父様」

「謝って済む問題ではないッ!我が家は国賊アルスに与した一家として多くの民の不況を買うことになるのだッ!そんなことも分からなかったのか!」


 顔を真っ赤にして怒鳴り散らすファムタウ伯爵だが、従者が緊急の報せで執務室に飛び入った。


「住民が蜂起!間もなく領城に攻め入ってきます」


 この地でもアルスの犠牲となった女性は少なくない。

 住民の怒りは一気に爆発。


 領民の蜂起によりファムタウ伯爵家は一人として生きながらえることを赦されなかった。



 アルスの屋敷に残ったルーナとサレア。

 彼女たちはこの屋敷での日々を鮮明に覚えていた。

 それどころか、愛していた夫への想いを思い出して嘆いている。

 だけど、サレアは夫を捨てアルスを選んだ。

 夫から離縁され、実家からも勘当された。


(こんなはずではなかったのに……私は、ドランとずっと一緒に居たかった。ドランとずっと愛し合っていたかった)


 悔やんでも悔やみきれない。

 そうして、苦しい日々を重ねていたある日、屋敷に一人の女性が訪ねてきた。


 フィーナ・エターニア。

 従者に女性を一人つけているが、王女が直々にここに来たのだ。


「サレア様、ルーナ様。お久しぶりですね。こうしてお会いするのは七年ぶりかしら。ルーナ様とは四年ぶりということになるわね」


 腰に細剣を下げる彼女は背が高い。

 可憐で可愛らしい印象を持たせる女性に育っていた。

 サレアとルーナは跪いて頭を下げる。


「殿下、お久しぶりです」

「いいわ。頭を上げて。私、堅苦しいの好きじゃないのよね」


 フィーナの言葉でサレアとルーナは頭を上げてフィーナと向き合う。


「あら、エルフの女の子はどうしたの?」


 フィーナはエルミアが居ないことが気になって訊いた。


「何日か前に出たっきり戻って来ておりません」

「そう。なら、こちらで捜索をしなければならないわね。何かあって森のエルフと衝突するのは嫌だもの」


 サレアの報告を聞いて、フィーナはエルミアの捜索をすることを決める。


「それよりも、どう?あの男の精神支配は解けた?」

「精神支配──ですか?」

「ええ。私、人のスキルが分かるのよ。貴女たち、あの男の支配下にあったのよね」

「そうかどうかはわかりませんが、私は彼が好きでここに来て、それが急になくなったんです。今ではどうして好きだったのかもわからないですし、夫を捨てた自分が恨めしいとすら感じています」

「そう。ルーナはどうかしら?」

「私は──。シドルと結婚したかった……。なのに、どうして、私が平民のアルスを愛していると勘違いしたのか、今ではもうわかりません」

「あら、そう……。貴女たちはそれに抗わなかったのかしら? 本当に夫を愛し、婚約者を想っていたのかしら?」


 フィーナが意味深に問い掛けた。


「私はシドルを愛してる。それだけが私の十七年だった。生まれたときからずっと──シドルを強く想う気持ちがあったから、あの男の精神支配から逃れられていた。【主人公補正★】は所持者よりも精神MNDが高ければ高いほど効きにくい。それでもサレア様とルーナ様に効いたのは、貴女たちが抗わなかったからよ」

「それは……私が主人を愛していなかったとでも……?」

「私から見ればそうね。サレア様はドラン様に依存していた。ドラン様はサレア様を想う気持ちがあの男のスキルに勝ったのよ。だから貴女が裏切ったことを知って嘆き、戻らないと知って王都を去った。貴女たちとの縁を切ってね」

「た……たしかに私は、人前に出るのが怖くてずっと逃げていました。主人がそんな私を大事にしてくれて、色んなところに連れ出してくれて、私を守ってくれて……なのに私は……」


 サレアは泣いた。

 だが、今日だけではない。サレアはここ数日。ずっと泣いている。

 サレアの感情は後悔と悔しさ、それと、罪悪感でぐちゃぐちゃな上、愛する夫がいる身だと言うのに平民の男を愛し身体を許したことを許せなかった。

 それはルーナにも言える。


「ルーナ様は私とイヴに勝ちたかったのよね。勉強でも見た目でも。だから、シドルとの婚約が決まった時は、私やイヴに勝ったのだととても喜んでいたものね。シドルのこと本当に好きだったのかも知れないけれど、私たちにはずっとそう見えていたわ」

「シドルの事は本当に大好きだったよ!本当に好きだった……だから、今、こんなに辛いの……。どうして私があの男を……ああっ……うっ……」


 ルーナは泣き出してしまった。

 フィーナはルーナが再び言葉を紡ぐのを黙って待っている。


「ずっと、断ってたのよ。でも、無理矢理にされて──」


 ルーナはそれから、アルスを深く愛していると思い込んだ。


「とはいっても、私は貴女がシドルに剣を向けたことを許すつもりはないわ」

「それは──シドルに剣を向けたこと。許されることだと思ってない。私はシドルのことが大好きだから、だから、辛いの。あんなに大好きだったのに、アルスを好きになって、断ってたけど犯されたっていうのに愛し合ったみたいに……でも、私はシドルが好きでシドルと結婚したかった。たしかに私はフィーナやイヴよりも頭は良くなかったし見た目だって劣ってて、引け目を感じていたけれど、それでもシドルのことは大好きだったよ。だから、私──」


 それ以降は言葉にならない。

 嗚咽が混じり言いたいことが一杯で言葉を纏めることができない。


「それとね。私、もう一つ許せないことがあるの」


 ルーナが泣きじゃくっているが、それを気に止めずにフィーナが言う。


「リリアナ・ログロレス。名前くらいは知ってるよね?」

「あ………え、ええ。知ってるわ。シドルを殺すように仕向けたのは私とドルム様……アルスは私たちの会話を見てるだけだったわ」

「もしかして、学院を追い出したのも……」

「ええ。私がお父様に相談して追い出すことに賛同してもらえたのよ。リリアナ様とお話したのはその日が最初ね。リリアナ様もシドルを殺すことに賛同していたわ」

「そうだったの……」

「リリアナ様は最期にシドルの名を口にしていたわ……よほど思い入れがあったみたいね」

「ええ。リリアナ様はシドルが成人してもシドルに仕えたいと実家に手紙を送っていたわ」

「そうだったのね」

「そうよ。スキルの影響だったとは言え、思考を制限された上に、望まぬ行為を強要されるというのは考えものね。罪を咎めにくいもの」


 ルーナは涙を拭い、自分の行動を振り返った。

 アルスと過ごした七年はあまりにも長くて、そして重い。


(もう私のもとにシドルは来ないのね)


 それだけははっきりと理解していた。


「最後に、お話があるわ。良くない話になると思うけど」


 フィーナは一呼吸置いて口を開く。

 サレアとルーナはフィーナの表情を伺う。


「貴女たちにはここを出てもらうわ。この屋敷は取り壊しになるの」


 フィーナは言葉を出し切ると左手を上げてカレンに合図を送った。

 すると、カレンは少し思い袋を二つフィーナに手渡す。


「ここにしばらくは働かなくても暮らせるだけのお金があるの。これで新しい住まいを探してくださる?」


 フィーナが渡そうとしているのは平民として暮らすのなら一生働かなくても済むほどのお金だ。


「わかりました。お気遣いありがとうございます」

「ありがとうございます。本当に」


 サレアとルーナは深く頭を下げて、フィーナからお金を受け取った。


「私からはこれで終わり。何か言いたいこと、ありますか?」


 フィーナは立ち上がってカレンの隣に並ぶと、サレアとルーナをもう一度見て訊く。


「フィーナ殿下。ありがとうございました」

「フィーナ。今までありがとう。シドルとイヴによろしくお伝え下さい」


 サレアとルーナはそう言って、最後にカーテシーを披露した。


 翌朝。

 ルーナが目覚めると、サレアの姿はなかった。


(お母様、もう行かれたのですね)


 そうは思ってもどこに行ったのかまでは分からない。

 ルーナは心に決めていた。

 腰に剣を下げ、アルスの屋敷を出たルーナは王城に近い古い実家。

 旧ファウスラー公爵家邸宅に向かう。

 管理するものがいないため、門には守衛がいない。

 見知った家だから、ルーナは通用口から邸宅の敷地に入る。

 邸宅の裏口の扉の鍵が空いていたから一部屋一部屋見て回った。

 どこもかしこも思い出の詰まった場所である。

 アルスが来るまでは本当に大好きだった。

 妹の部屋。兄の部屋。父の部屋。

 そして、母の部屋に入ると、母がベッドに横たわる姿が見えた──。


「お母様………」


 首から血を流してサレアが倒れている。

 もう息をしておらず既に絶命していた。


「お母様……。今までありがとうございました」


 ルーナは母親の亡骸に涙を流しながら頭を下げて、自分の部屋へと向かった。

 母親がそうしたように、ルーナは靴を脱いでベッドに横たわる。


「目が覚めたら昔に戻ってると良いなぁ……」


 ルーナは剣を持ち、自らの喉にそれを突き立てた。


(ねえ、シドル……。今度、会うときは、あなたに大好きってずっと言い続けられる人生が良いなぁ……)


 ルーナはそのまま、静かに眠りに就いた。

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