ミレニトルム領にて

 時は少し遡って──。

 ログロレス領から船でミレニトルム公爵領の領都ミレニオに渡ったイヴェリアとフィーナ、そしてカレンの三人。

 小さな船着き場に船を停めると港を警護する領兵に呼び止められた。

 日は既に傾いており、空が薄っすらと赤らみ始めている。


「どこから来たのか。どこへ向かうのか。それと出身とお名前を頂戴しても宜しいか?」


 警護兵は槍の柄を地面突き立てて道を塞ぐ。


「ヴィトミーヌ侯爵領出身でバハムル領から参りましたカレン・ダイルと申します。現在はフィーナ王女殿下に仕える騎士です」


 カレンは右手を胸に当てて頭を下げる。


「フィーナ・エターニア。エターニア王国の第二王女よ。今日はそこのイヴェリア・ミレニトルムを連れてまいりました」

「イヴェリア・ミレニトルム。お父様とお母様に会いに参りました。後は分かるわよね?」


 フィーナとイヴェリアは名を名乗ったが頭は下げなかった。


「申し訳ございませんが、御身を証明出来るものをお持ちでしょうか?」


 王女と主の娘を名乗る女性たちを前に警備兵は恐る恐る訊く。

 彼も仕事なので確認は必要。

 不敬に当たらないかが怖いのだ。


 証明できるもの。

 そう問われてフィーナは細剣を抜き、カレンは剣を抜いた。

 柄の部分に描かれているエターニア王家の紋章を彼に差し出す。


「私の身分が証明できれば宜しいでしょう?」


 フィーナは警護兵にそう伝えると、イヴェリアについても続ける。


「イヴの身分を証明するものはないわ。何せ彼女の想い人が救ったときにはボロボロで何一つ身に纏っていない姿だったらしいから」


 フィーナが細剣を収めると、カレンもそれに続き、警護兵は槍を背負い──


「確認できました。イヴェリア様については、身元は確認できませんがフィーナ殿下のご客人ということで、ヴィレル様にお伝えいたしましょう」


 と、言うとフィーナが口を開いた。


「そうしてくれると助かるわ」


 それから三人は警護兵の後ろを歩いてミレニオ城の城門を潜り正面の大扉からエントランスに入ったところで待たされる。


「では、こちらでお待ち下さい。私の案内はここまでですから」


 警護兵は右手を胸にあてて頭を下げると、仕事に戻っていった。


 ミレニオ城は中規模の城で居住区はそれほど大きくなく二世帯分ほどの広さしかない。

 謁見の間、大ホール、小ホールとあるが、この城の目玉は何と言っても物見塔。

 晴れ渡った昼間に物見塔から見るグランデラック湖はとても美しい。


(いつか、シドルにここからの眺めを知ってもらいたい)


 と、イヴェリアは日頃から思っていたが、小さい頃からフィーナの手前、気持ちを表に出せずにいた。


 エントランスで待つこと数十分。

 ヴィレル・ミレニトルムとイアリ・ミレニトルムが小走りして、イヴェリアの傍に駆けつけた。


「イヴ!」

「おお!イヴ」

「お母様!お父様」


 二人はイヴェリアを抱き締め涙を流した。

 死んだと思っていた娘である。

 フィーナは事情を知っているだけに、ポロリと涙を零すが、抱き合う親子を邪魔しては野暮だと嗚咽を漏らすことはしなかった。


「ごめんなさい。お父様。お母様。本当に心配をおかけいたしました」

「ああ、良いんだ。こうしてイヴが私たちの前に姿を見せてくれた。それだけで充分だ。本当に……」

「う……ああっ………良かったわ……本当に、良かった……」


 三人が無事を確かめ合って落ち着くとヴィレルが離れてフィーナに声をかける。


「フィーナ。本当にありがとうございました。こうして約束を果たしてくれたこと、心から感謝いたします」

「約束を果たせたのはシドルのおかげ。イヴを助けたのはシドルなんですよ」

「シドルくんが?」

「ええ。シドルです。イヴからもお話を訊いたら良いわ」


 それからヴィレルはもうひとりの女性。

 カレンに目を配る。


「こちらの女性は?」

「カレン・ダイル。私の専属の騎士で専属の侍女でもあるわね」

「カレン・ダイル!? ダイルとは、あのガレン・ダイル様の──」

「ガレン・ダイルは私の父です。もう亡くなっておりまして……父が亡くなってからはバハムル男爵領でゼノン・バハムルの元で行儀見習いをしていました」

「ガレン様とゼノン様は私が小さい頃に講師についてくださった師匠みたいなものなのだよ。まさか、その縁者がフィーナの騎士とは──」


 ヴィレルはカレンの顔をまじまじと見詰めるが──


「そんなに女性を見つめてたら叔母様にもカレンにも失礼ですよ」


 と、フィーナに窘められる。


「ああ、済まない。それにしても本当に良く似てる。ガレン様にそっくりだ。もし良かったら時間のある時に手合わせを願いないだろうか?」


 食い下がるヴィレルに今度は──


「お父様、カレンに失礼よ」


 今度はイヴェリアに叱られた。

 そんなやり取りを眺めつつ、涙を拭き終えたイアリが口を開く。


「ヴィレアとイェレミスも待ってるから食堂に行きましょう」


 ヴィレアはイヴェリアの四歳年下の妹で、イェレミスは十歳年下の弟。

 イヴェリアが決闘騒ぎを起こしたあの日からミレニトルム公爵家一家はほとんどの時間をここで過ごしている。

 それは魔女・イヴェリアの姉弟だからという風評を避けてのことでもあった。


 それから数日。

 彼女たちはミレニオに滞在。

 その日は偶然、朝早く起きて食堂に全員が揃っていた。


「なにかいるぞーーッ!」


 物見塔の見張りが大声で叫ぶ声が聞こえる。

 そこから城内が騒々しくなった。


「ヴィレル様!大変ですッ!メルトリクス領方面の湖上に巨大な魔物が!竜ですッ!」


 報せに走ってきた守衛が慌ただしく報告をする。


「何だと! 今向かおう」


 ヴィレルは席を立ち急いで物見塔に向かった。

 その騒々しさの中に一人、冷静さを保つ女がイヴェリア。


「あら、今、きっと良いものが見られるわよ」


 そう言って席を立つと、食堂に残っている母親のイアリ、妹のヴィレア、弟のイェレミス、そして、フィーナとカレンに言う。


「シドルの仕業ね。とても素晴らしいことが起きてるの。私たちも物見塔に向かいましょう」


 イヴェリアは内心、ウキウキしている。

 シドルがプロティア領でベヒモスを召喚したときも、ミレイル領で金翅鳥ガルーダを喚んだときも、彼女は【精霊魔法】でそれを捉えていた。

 今度こそ、この目で神獣を見られるのだ。

 そう思うと自然と歩く足が早まった。



「湖岸は危険だッ!立ち入りを禁止しろ!湖岸のものは避難させるんだ!」


 ヴィレルは領兵に指示を出している。

 領兵が物見塔から降りる途中、イヴェリアたちは彼らとすれ違う。

 それから、彼女たちが物見塔に出るとメルトリクス領の領都に近い湖岸に、白蛇とも白竜とも言える巨大な獣が顕現しているのが見えた。

 時折、強い魔力が湖面を揺るがし、その波が小さくミレニオの湖岸にまで届いている。


「凄いわね」


 イヴェリアは思わず声を漏らす。

 物見塔は三十メートルほどの高さで対岸のメルトリクス領は、彼の地から押し出る半島部分しか本来は見えない。

 その地平線の先にメルトリクス領の領地シデリアがあるのだが、その地平線上に巨大な竜が見えている。

 その竜から感じ取れる膨大な魔素マナ

 大量のMPを消費して魔素に返還されたそれを餌にリヴァイアサンが実体化している。


「神獣が顕現しているというこの特別な状況をしっかりと目に焼き付けておきなさい。いつかこれが、伝説になるのよ」


 イヴェリアはヴィレアとイェレミスを前に立たせてリヴァイアサンを良く見せた。


「イヴ、分かるの?」


 フィーナが訊くと、イヴェリアはそれに答える。


「ええ。見えてるわ。シドルの魔法よ。あそこでは誰も死んでない。神がグランデラックの湖水を使って穢れを押し流しているだけよ」

「へー、シドル様がー」

「あれでも本気じゃないのよ?」

「や、私、シドル様にも剣でなら勝てると踏んでたんですが、あんなに離れてるのに威圧感が凄くて鳥肌が立つんですよ」


 カレンは腕を捲ってイヴェリアに見せたて、言葉を続ける。


「今は勝てる気が全くしないですね」

「それは私も同じよ。魔法だけでなら勝てるだなんて思い上がりも良いところだったわね」


 物見塔に出ている皆は、リヴァイアサンが泡となって消えるその瞬間まで、それを見続けた。


 それから更に数日──。

 ソフィがフィーナとカレン、それとイヴェリアを訪ねてやってきた。


「──そう。シデリアの占領はできたけど平定には至っていないということ……」


 ソフィから事情を訊いて、フィーナが口を開く。


「ええ、シドル陛下に命じられて参りましたが、私もフィーナ殿下のお力添えがあればと思いまして……」

「そうでしょうね。まさに藁にも縋る思いということかな……なら、私は行くしかないわね。カレンも良い?」


 フィーナはカレンに訊くと、


「もちろん。行きますよ」


 カレンは大きく頷いた。


「イヴはもう少しここでゆっくり過ごすべきね。家族の再会に水を差すわけにもいかないし、これからが大一番。あの賊アルスを討ったら迎えに来るわ」


 フィーナはそう言い、それからヴィレルとイアリに言葉を紡ぐ。


「叔父様も叔母様も、そのほうが良いですよね?」

「そうしてくれると、嬉しいよ」

「それと、今後はどうされます?このまま自治領に収まるか、バハムル王国に加わるか。私としてはどちらでも構いませんし、それで扱いや対応を変えることはしません」

「フィーナはエターニアの王女でしょう?貴女こそ、本当に良いの?国を裏切ることになるのよ?」

「私はシドルに付いていくことを心に決めてますから」

「そうか……。それはイヴも同じなのだろう?」


 ヴィレルがイヴェリアに話を振ると、イヴェリアはコクリと首肯して見せた。


「んむ。イヴェリアの命を救ってもらって、ここまで守ってくれた大恩を無碍にすることはできないが、何万と言う人間を背負っているから直ぐには回答はできない。早急に検討して、フィーナが出発する前に良い返事ができるように努めてみるよ」

「では、期待してお待ちしてますね」


 フィーナとカレンはそれから翌朝に向けての準備を始め、ヴィレルは臣下や寄り子に対し確認を取りに出た。


 翌朝。

 ミレニオ城のエントランスではメルトリクス領に向かって出発するフィーナたちとそれを見送るイヴェリアたち。


「フィーナ」


 と、ヴィレルはフィーナを呼び止めた。


「我らはバハムル王国へ下るのを是とするが、先ずは、王国に打ち勝ってからということで意見が纏まった。これから細部を詰めるのと下々まで伝えなければならないが、概ねミレニトルム領としての意志として受け取ってもらいたい」

「わかりました。ご協力いただけるようで、とてもありがたく思います。戦勝の暁には真っ先に報告に伺いますのでどうぞよろしくお願いします」

「その時を楽しみにしているよ」


 フィーナはヴィレルと会話を終えるとイヴェリアの傍へ。


「イヴ、行ってくるわ」

「ええ。ご武運を。カレンも──貴女は強いけれど万が一ということもあるわ。本当に気を付けて」

「イヴェリア様。お気遣いありがとうございます。必ずやシドル陛下をお連れしますから、おめかしして待っててください!」

「ふふふ。おめかしはまだ気が早くてよ。けれど、いつか私はあなた達と、そんな日を一緒にお待ちしたいものね」


 その後、直ぐにフィーナとカレン、ソフィが出発。

 ソフィのユニークスキル【飛脚★】の効果で船着き場まで二倍の速さで到着。


「船はこれよ。さあ、行きましょう」

「はい。シドル様にはメルトリクス領の漁村に船を着ける許可を頂いているので、そちらに参りましょう」

「わかりました」


 それから──。


──ズシャーーーーーーーーーーーーーーーーッ!


 船は湖上を滑るように走る。


「ギエエエエエエエエエエエェェェェェェェーーーーーーーーーッ!!」


 最初は船を漕いでいたカレンは余りの速度に恐れ慄き蹲った。


「わ、すごーいッ!速い速い!楽しーーーーーッ!」


 フィーナは早く走る小舟に燥ぐ。


「ソフィ様のスキル、凄いわね。移動速度二倍って乗り物にも効果があるだなんて、これなら馬車もソフィ様とご一緒したいくらいだわ」


 フィーナは嬉しそうだった。


 漁村に船を停泊。

 浜辺に上がると


「もう──うごけません……」


 と言ってカレンは地べたに膝と手をつく。


「わかりました。なら、私の拙い【無属性魔法:身体強化】で運びますから、シデリアまで急ぎましょう」


 ソフィはカレンを担ぎ上げるとフィーナと二人でシデリアに向かって駆け抜けた。


「ギィィイヤアアァァァァァァァァァァーーーーッ!!」


 叫び声を引き摺って彼女たちは数時間のうちにシデリアへと到着する。



 一方、その頃。

 勇者アルスは、聖女ハンナ、ルーナ・ファウスラー、エルフ族の奴隷のエルミア、それと近衛兵のサラ・ファムタウを連れてレベリングのためにダンジョンを探し求めた。

 西側は既にバハムルの傘下に収まっていて入国は難しい。ということで、東側の領地を巡ろうとしたが、どこも領境の関所で足止めを食らった。


「クソッ!どこにも行けねえッ!なんでこんなことになってるんだッ!」


 アルスは奴隷のエルミアを使いながら言葉を吐き捨てる。

 吐き捨てた言葉を拾ったのはルーナ・ファウスラー。


「シドルのせいね。シドルが興したバハムル王国は今や王都を包囲するように貴族を取り込んで、さらに帝国からの支援まで受け入れてる」

「あんな醜いクソ野郎のどこが良いってんだよッ!」

「本当にそうね。でも、このままダンジョンに入れないとなるとレベリングもままならないわ。王都近郊かファムタウ領のダンジョンで凌ぎましょう」

「フンッ!仕方ねえか。先にサラの実家のあるファムタウに行くか」


 失神して使い物にならなくなったと、アルスはエルミアを足蹴にして同じく気を失っているサラの隣に退かし、今度はルーナを抱き寄せて向かい合う。

 ルーナは痛みに顔を歪めたが、いつものことだとアルスを受け入れる。


「そうするしかねーか。ちょっと物足りねーけど、強くなったとしても雑魚は雑魚。あんなゴミに俺等が負けるわけがねーからな」

「そうよ。私たちなら勝てるわ」


 ハンナはその様子を静かに見守っていた。

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