魔女と王女

 プロティア侯爵領でシドルから二人の女性を引き取ったソフィ・ロアとイヴェリア・ミレニトルムは十日もかからずにバハムル領への関所を跨いだ。


「本当に、水だけしか与えてないけど心配になるわよね」


 もう監査されることがないから荷車に横たわる二人の女性の顔を表に出している。

 シドルの母親のシーナ・メルトリクスと妹のジーナ・メルトリクス。

 ソフィにとっては初顔合わせだがイヴェリアにとっては見知った顔だ。

 だが、王都を離れて二年近く。


「ジーナちゃん、大きくなったわ」


 イヴェリアはジーナの成長を目の当たりにして二年弱という時間の重さを改めて実感した。

 バハムルまであともう少し、最後の坂を登りきれば、領村が見える。


 シドルはバハムルに着いたら目が覚めるとそう言っていたなとイヴェリアは思い返す。

 イヴェリアは【身体強化】をして登り坂を駆け上った。


 領城と言うには些か粗末なバハムル領の領村にある屋敷。

 イヴェリアはシーナを、ソフィはジーナを寝室のベッドに寝かせた。


 いつ起きるのだろうか。


 二人は思う。

 イヴェリアが二人を【鑑定】すると【状態:催眠、仮死】と表示される。

 死んでいるの?と思ったがそんな気配はなかった。

 ただ、そういった状態だからシドルの指示の通りに水で唇を濡らしただけで済んでいる。


 シーナとジーナは屋敷に着いて一時間ほどで目を覚ました。

 大きなベッドにジーナと一緒のベッドに横たわっている。


(知らない天井……。ここはどこ?)


 シーナは少し怠い身体を起こし、ジーナを見た。


「あ、お母様。おはようございます。こちらはどこでしょう?」

「おはよう。ジーナ。私もわからないわ」


 シーナは当たりを見渡したが、見覚えのないものばかりだ。


「ジーナ、ここで待ってて。様子を見てくるわね」

「はい。お母様」


 シーナは部屋の扉を開けて廊下に出た。

 広くはない廊下。

 いくつかの扉があるが、それほど部屋があるわけではない。


(男爵家くらいのお城かしら)


 人の気配がしないので目についた階段を下りた。

 すると人の話し声がする。

 ドア越しで良く聞こえないから恐る恐るノックをしてドアを開けた。


「あの、失礼します」


 涼やかな声で許しを得て居間に入る。

 すると、


「あら、イヴちゃん?」


 イヴェリアがソファーに座ってお茶を飲んでいる姿をシーナは見た。


「おはようございます。シーナ様」


 イヴェリアがソファーから立ち上がってシーナにカーテシーを見せる。


「生きていらっしゃったのね。てっきりお亡くなりになったのかとばかり思っていたわ」

「ええ。おかげさまで。シドルが私に下さったものが私の命を救い、シドルが私をここで守ってくれているの」

「シドルが? シドルが生きているの!? なら、シドルはここにいるの?」

「そうよ。だって、バハムル領ですもの。叔父様が勅令を出したのではなくて?」

「ああ……、私はなんてことをッ。シドルは!? シドルはどうしてるの?」


 イヴェリアからシドルの名を聞いたシーナは混乱して取り乱した。


(シーナ様はシドルが死んだと思い込んでたのね)


 シーナの反応でイヴェリアは思う。

 当のシーナはシドルが生きていると知り感慨の余りボロボロと涙を零しはじめた。


(ああ、シドルが生きていた! シドル! シドル!)


 私は私の子をまだ抱き締められる。

 そう考えると嬉しさが胸に込み上がるが、それと同時にシドルに対して酷いことをし続けた事を強く悔やんだ。


「ああっ……シドル。ごめんなさいッ。ごめんなさい……。私、あんなことをするつもりなんてなかったのにッ!」


 イヴェリアはシーナに冷たい視線を送り続けている。

 そんなに涙を流して狼狽するくらいなら、何故、心を強く保っていられないのか。

 大切なのなら何故、ちょっとのことで手放す真似をするのか。

 控えめに言ってイヴェリアにとってシーナはゴミに見えた。

 だから、声をかけることなく、落ち着くのを待つ。

 そんな折に、再び居間に客人が来た。


「お母様。ごめんなさい。お母様の声が聞こえたので来てしまいました………あっ! イヴ姉様ッ!」


 ジーナはイヴェリアを見つけるとイヴェリアに駆け寄って抱き着いた。


「ごきげんよう。ジーナちゃん」

「お姉様こそ。ごきげんよう」

「大きくなったわね。私、びっくりしましたわ」

「へへへ。私、頑張ったんです。お兄様に早く会いたくて」

「そう。貴女は良い子ね。さすが、シドルの妹よ」

「ありがとう。イヴ姉様」


 ジーナは涙を流して嗚咽を漏らす母親に視線を向けるが、久し振りに会った姉にも近しい存在のイヴェリアに頭を撫でられると満足して離れてシーナの傍に移動する。

 母親を心配して背中を擦るジーナに気が回らないシーナは呻き声にも聞こえる声で泣き続けていた。


「うっ………ああ、ごめんなさい。シドル……」


 シーナはシドルにしたことに対する後悔に苛まれ涙を流す。

 思い浮かぶのは最後の記憶。

 勇者アルス。

 彼がシーナの身体を要求した。

 断ると小刀に手をかけてシーナを斬ろうとする。

 死ぬ──とそう思った刹那。

 勇者アルスが倒れて目の前に現れたのはシドルだった。

 それからの記憶はない。

 ただ、今、このバハムル領の小さな屋敷にイヴェリアが居ることで、それが現実だと実感させた。

 だから彼女はシドルの生存を確信し、こうしてアルスに身体を奪われることなく保護してくれたことを嬉しく思うと同時に自身がシドルにしたことを強く悔やむ。


「ああ、なのに私を救ってくれた……。ああ、シドル……ごめんなさい………。本当にごめんなさい……」


 シーナが落ち着くまで少し時間を要した。

 それまでの重苦しい空気はとても耐え難ないものだったが、ソフィのフォローもあって何とか乗り越える。


「朧げだけど、私が勇者様に殺されそうになっていたところをシドルが救ってくれたの。そこからは何も覚えていないわね」

「そう。私は正直、シドルを蔑ろにした貴女を、シドルのお母様だからといって許すつもりはないわ。だけどシドルが救った命だもの。そこは弁えるつもりよ」

「許してもらおうだなんて厚かましくて口にできないわ。でも、それでも、私はシドルの母親だから、親としての責務は果たすわ」

「あら。あんなに簡単にアルスに同調しておいてそんなに軽いなものなのね。親の責務って」

「それを言われると何も返せないわ。けれど、行動で示します」

「はっ。行動で……ですって? こう言っては何だけれど、今までだって行動で散々に示したのではないです?」

「そ……それは……」

「アルスと言うあの下賤な男。恐らく何らかの影響を齎す何かを持っているのでしょうけれど、それでもフィーナはシドルを愛する想いで抗ってレジストしていたのでしょうね。そう思えるからこそ、シーナ様が子を想う強さで抗えたのではないかしら? そう邪推してしまうのよ」

「くっ………ううっ……」

「だから、シーナ様にとって、シドルはそれほど大切な存在ではなかった。と、私たちはそう捉えてしまっているのよ」


 それでも──と、言葉にならない声を漏らし、シーナは目に涙を浮かべる。

 そうして王族出身の彼女を見下ろすイヴェリアは息を吐いて昂った感情を抑え込んだ。

 そうでもしなければシドルを想うあまり、灰にしてしまいそうなほど怒りに震えていた。

 何せこんな状況でもあのアルスを〝勇者様〟と自然に敬称をつけて声に出てくるくらいなのだから。

 その一方で、シーナは小娘に正論で詰られて言い返せないままだったが、それでもシドルのことは気掛かりで


「シドルは今は、どこに?」


 と、訊いた。

 再びため息を吐いたイヴェリアは呆れた声で答える。


「シドルは今は帝国に居るわ。きっと貴女がシドルよりも敬ったアルスと対峙するわね。ここに戻るのは雪が積もって景色が真っ白になるころだと思うわ」

「帝国……に?」

「ええ、そうよ。それ以上は私にはわからないわ」


 何故、帝国に、と、シーナは聞きたかったがイヴェリアが『わからない』と答えたから、それ以上深く問うことを出来なかった。

 シドルよりもアルスを選んだ過去があり、未だに敬称をつけて呼ぶほどだという事実は消せない。

 シドルを醜いゴミクズだと罵り捨てたという自身の言動をシーナは強く後悔した。


 その後、シーナはジーナとバハムル領に留まることを選んだ。

 空き家を一つ与えられ、そこに二人で住む。

 粗末な領城での生活はイヴェリアの独断で許されなかった。

 シーナはこの長閑なバハムルでの生活は苦労をしたが、以前よりも人間らしく自分らしいと思い始める。

 ジーナもまた、王都で受けていた行儀作法や学問などを以前よりも高度な内容のものをイヴェリアから教わり始めた。

 イヴェリアが領民に教育を施す姿を見て、シーナは自然とその手伝いをし始めると、イヴェリアはそれを咎めることをせず、シーナの協力を受け入れる。


 それからしばらく──。

 バハムル湖の対岸のドワーフたちの国、モリアから渡ってきたドワーフたちの協力で岩塩の採掘が本格化。

 また、この頃から森のエルフがモリア王国を経由してバハムルに渡って来はじめた。

 エルフの目的はバハムルの森のダンジョン。

 ダンジョンはドワーフたちの一部にもダンジョン攻略に挑むものが現れ始め、その攻略のために小さな組織が出来つつあった。

 その中心人物がソフィ・ロアという女性。

 エターニア王国の冒険者組合に勤めていた経験から、レベル30前後の魔素や魔獣と言った強敵の多いバハムル周辺、および、バハムルの森のダンジョンへの安全な挑戦を促すために、極自然な形で形成された。

 そうして採掘業が本格稼働し、他種族とはいえ冒険者が次第に集い始めたバハムルでは外部からやってくる彼らの宿や家屋の需要が強まる。

 村長のジョルグを中心に進めている開発が順調に進んでいたため供給が間に合い、彼らに屋根のある生活を提供することができていた。


 そうして、更に数週間後。

 バハムル領にフィーナ・エターニア第二王女がやってきた。


「やー、久し振りのバハムルは空気が良いわー」


 峠を越えると視界に映る湖畔の領城。

 カレン・ダイルは久し振りの景色に胸が踊る。


「素晴らしい景色ね」


 フィーナも初めて見る景色に心が動かされた。

 カレンと共に王国内のダンジョンをいくつか巡り多くの景色を見たつもりではあったが、ここまで心を揺さぶった景色は初めてだ。


「さあ、行きましょうッ! もうすぐそこですよ!」


 カレンの声でフィーナは深く被ったフードを捲ってバハムル領の領村に向かって走り始めた。


「急ごうッ! カレン!」

「ちょっと早いですよー。ズルいですよー」


 カレンも駆け足をし始めて、あっという間にフィーナを追い抜く。

 フィーナは軽く抜かしていくカレンに敗北という屈辱を味わった。


「ただーいまー」


 粗末な領城という屋敷の玄関を勢いよく開けたカレンは元気に挨拶をする。


「失礼しまーす」


 と、カレンの後ろに付いて恐る恐る入るフィーナ。


「ささ、入って入って」


 カレンはフィーナに催促をして居間に入った。

 丁度お昼時。

 居間の少し奥のダイニングでイヴェリアとソフィが食事を摂っていた。


「あら、カレン。おかえりなさい……てー、フィーナも!」


 イヴェリアはガタンと椅子を鳴らして立ち上がるとフィーナの方に歩いて行く。


「ああ、イヴ! やっぱり生きていた!」


 フィーナは感極まってイヴェリアに駆け寄って抱き着いた。


「ああ、良かった。イヴ! イヴ! 良かったよぉ……良かったよぉ」


 数週間前のシーナと同様に、フィーナも落ち着くまで相当の時間を要した。


 それからイヴェリアは


「積もる話はあるのだけど、領民に教育をしているのよ。その後でも良いかしら? カレンが居るから村の案内はカレンにお願いするわね」


 そう言って領城を出て行った。


「あの、ソフィ様。イヴはここで何をしているの?」


 残された三人。

 フィーナはここの使用人として勤めているソフィに訊いた。


「イヴェリア様はここで領民を相手に、作法や学問、魔法を教えております。今はシドル様のお母様のシーナ様も領民に王都の礼儀作法や学問を教えるのを手伝っています」

「叔母様がこちらにいらしてるの?」


 シーナはフィーナにとっては叔母にあたる。

 フィーナはイヴェリアと同様、シドルを追い出した不届き者だと認識している。


「はい。数週間目からこちらに滞在していて、村の家屋を貸しております」

「そう。シーナ様もいらっしゃってるのね……。ところでシドルは? シドルはいないの?」

「シドル様は後でイヴェリア様から説明があると思いますが、今ここにはおりません。イヴェリア様が言うには冬に入れば戻ってくるということらしいですが」


 それを聞いてフィーナは項垂れた。


「いないのぉーー。王都から頑張って会いに来たのにぃーー」

「お姫様。半年も貰ってるんだから大丈夫ですよ。それに、ここはバハムルですから、ダンジョンに行きましょう。お姫様はもっと強くなれますよ」

「ええーー。私、強くならなくたって良いのに……。でも、ダンジョンは行ってみたいわ」

「なら、決まりですね。今日はゆっくり休んでイヴェリア様のお話を聞いてダンジョンに参りましょう」

「わかったよー。じゃあ、そうする……」


 カレンが何とか宥めてフィーナは渋々納得。


「あ、でも、バハムル領を見て回りたい」

「良いですよ。ご案内しましょう」


 カレンはフィーナを連れてバハムルの領村を周遊し始めた。

 しばらく歩き回っていると水場で見かける亜人にカレンとフィーナが驚く。


「ねえ、あれってエルフよね? あっちにはドワーフも! どうなってるの? カレン」

「私もわかりませんよー。居ない間にいろいろあったみたいですね。あとでイヴェリア様に訊いてみましょう」

「それもそうだけど、ここの水場って水が溜まってるだけで汲まないの?」

「ここはバハムル湖や河川から水を引いて、ろ過をしてから水場に流してるとシドル様が言ってました。それで飲水にも使えて井戸から重たい水を汲み上げなくても良くなったんです」

「凄いわね。これは便利で良いわ」


 それから農地や畜産農家を見て、最後にイヴェリアとシーナが教えているという広場に向かった。

 道すがら、カレンは多くの領民から声をかけられる。


「あ、カレン様。おかえりなさい」

「おお、カレン様! お久しぶりです。お元気でしたか」


 声をかけられていろんな食べ物を貰って、フィーナはカレンが領民から慕われる様子を見て誇らしく感じていた。

 カレンはフィーナの専属で王国最強の騎士なのだ。


「や、いっぱいもらいましたねー。ちょっと持ち歩くのが大変なので先に屋敷に戻りますから、お姫様はそこでイヴェリア様が教えているのでご見学なさっててください」


 そう言ってフィーナを置いていった。

 護衛としてはあるまじき行為なのだが、バハムル領ではこのフィーナがエターニア王国の王女だと知られていない上、領内の治安は非常に良くイヴェリアが一人で出歩けるほど安全。

 カレンは村の様子を見て変わりないと確信したからフィーナを一人で置いていったし、フィーナはイヴェリアが一人でここまで来たのだと見て一人でも問題ないと判断した。


 フィーナはイヴェリアとシーナが教えている様子をずっと見ていた。

 受講者の大半が子ども。

 生徒の中にはジーナも居た。

 フィーナは、シドルが彼の両親の手によって王都を追放されてからも、彼の母親のシーナと彼の妹のジーナとはそれなりに顔を合わせている。

 だからこそ、はらわたが煮えくり返る想いが湧き上がる。

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