バルコニー

 貴賓館のホールから出られるバルコニー。

 外は真っ暗だ。

 月明かりが周辺を薄っすらと照らしていた。


「私は【精霊魔法】が使えないので、遠方とやり取りが出来るということそのものが羨ましい」


 俺は【召喚魔法★】を覚えたけど、【精霊魔法】は使えない。

 ケレブレスが言うには過去に【召喚魔法】を使えたものは存在したが【召喚魔法】の使用者が【精霊魔法】を使えた例がないそうだ。

 つまり、俺は【精霊魔法】で遠方の人とやり取りが出来ない。


「【精霊魔法】は便利だけど、アタシがまだ不慣れだから、行ったことのある場所、会ったことのある人という状況が揃わないとやり取りが難しい。

 だから、ケレブレス様は父が亡くなった時に我が国に来て、私が帝位に就いてから森に行ったんだ。

 まあ、この【精霊魔法】だってアタシは最初から使えたみたいだけど使い方が分からなかったんだよね。

 ケレブレス様に教わってようやっと覚えたからね。

 今ではルシエルも使えるけど相手はアタシだけっていうのも、精霊を動かす上で場所と人を知らなければ働きかけようがないし、精霊の力を借りることもできない」


 月明かりに照らされるネイルは身にまとう真紅のドレスも相俟って神秘的な美しさを映し出している。

 ネイルの傍の彼女の妹、ルシエルはネイルに良く似た女性だ。

 二人はとてもスタイルが良く、尖った耳も含めてエルフらしい美しい造形の顔も素晴らしい。

 そしてもう一人、モルノア・テルメシルという女の子は俺と同じ年でハーフダークエルフの美少女。

 この子はエルフらしいというと語弊があるかもしれないけれど、背が低く凹凸に乏しい体型だ。

 どちらかと言うと人間に近い印象があるんだよね。

 モルノアは【精霊魔法】が使えないので、エルフ固有のものなんだろう。

 と、思ったけれど、以前ドワーフの国に行った時にイヴェリアがドワーフの王と【精霊魔法】で会話していたからドワーフも使えるらしい。

 後から知ったことだが精霊に近しい種族であれば【精霊魔法★】を種族の固有スキルとして覚えられる。

 だとすればイヴェリアは何故【精霊魔法★】を取得できたのかということだが、彼女には最初からその素養があったとケレブレスが言っていた。


「そういうわけで、アタシはケレブレス様からキミのことを聞いていたのよね。もう一人、人間なのに【精霊魔法★】をエルフと変わらず使える子が居るって聞いたわ」

「俺のこと知ってたんですね……」

「知ってるも何も、王国の公爵家の嫡男なのに学校で問題があったからって廃嫡されちゃったどころか、メルトリクス家の嫡男だった頃からキミのことは聞いていたよ。

 とても将来が有望で、このまま育ったらアタシの前に立ちはだかるってね」

「随分前から知ってらしたんですね」

「それはもちろん。こう見えても皇帝だからね。で、今のキミは廃嫡されて辺境の領地の代行に出された所謂左遷状態。婚約破棄もされて王家や貴族はキミを疎ましく思っている言わばフリーみたいな状態ね」


 俺のことを良く知っているのは帝国が諜報活動を綿密にしていることを意味している。

 ネイルは更に言葉を続けた。


「あー、それと。学院で決闘騒ぎが起きてたくさんの犠牲者を出したあの事件。当事者だったイヴェリア・ミレニトルムが亡くなった──とされているけれど、何故かバハムルにいる。彼女もキミが助けたのよね?そうじゃなきゃ辻褄が合わないもの」


 ネイルは王国の内情に詳しい。

 間諜を何人も送って情報の収集を怠らなかったのだろう。

 この様子だとエターニア王国に限らず周辺の各国の情報にも通じてそうだ。


「イヴェリアは今、バハムルにいます。母さんと妹の救助のために王都から連れ出してバハムルに匿うことにしています」

「そうなのね。どうして、キミのお母さんと妹を王都から避難させる必要があったの?勇者アルスが原因だとアタシは思ってるんだけどさ」


 ネイルは俺の顔色を伺うためか寄りかかっていたバルコニーの手摺から離れ、俺に顔を近づける。

 とても良い匂いがする。

 考えてみたら、彼女は皇帝。

 身の回りの世話が付くのは当然だろうし、美貌を磨くことを手伝うのもその一環。

 この甘い香りもその一つに違いない。


「聖女と勇者の調査のために諜報に送った女の子が虚偽の報告を続けているの。

 他にも諜報員が居るのを知っているのにそんな浅はかなことをするような子じゃないって評価なんだけど、そうなら腑に落ちないって思ってたところだったのよね。

 そこでキミが今、王都からキミのお母さんと妹を避難させたと聞いて確信したわ」


 更に顔を近づけてくるネイル皇帝。

 俺とほぼ変わらない背丈だから今にも唇が触れそうな距離ほどに近い。


「勇者アルスには精神を支配するスキル、若しくは、精神を操作するスキルがある。で、間違いないかな?」


 俺も気になって見たことがある【主人公補正★】というパッシブスキル。

 俺の【鑑定★】を以てしてもその詳細を知るまでに至らない高位のスキル。

 アルスの【主人公補正★】はフィーナやイヴェリアには効かなかった。

 二人に共通していたのが精神の高さ。

 アルスのレベルが上がった今はわからないけど、もし、アルスの精神がレベルと共に上がっていたなら、フィーナにあげた【力の指輪マナ・リング】が効いているはずだ。

 恐らく、【剣聖★】と言う職能クラスの産物で精神の高さを誇るカレン・ダイルもアルスの【主人公補正★】をレジストする。

 もう一人、ソフィさんはアルスの【主人公補正★】を受けなかったのも、精神が高かったからだろう。

 ゲーム中では【魅了★】を使うことでソフィさんを籠絡したが、他のNPCなどにかけた時に相手の知性INTが自分よりも遥かに高いと効果がなかった。

 同じ理由で【催眠術★】も自分の体力VITよりも遥かに高いと効かない。

 それともう一つ。

 アルスの【主人公補正★】はゲームでは当然存在しなかたったものだが、王都とヴェスタル辺境伯領の領都ウェスタルナを始めとした他の都市のNPCたちの違いに違和感があった。

 それで王都から母さんとジーナを誘拐同然で連れ出してみたんだけど、仮説が正しければ元の母さんに戻っていることだろう。

 メインストーリーの進行かアルスのレベルで【主人公補正★】の効果範囲が変わるんじゃないかと仮説を立てていた。


「私も───」


───そう思っていました。

 これまでの考察をネイルに説明をすると唇が重なりそうなほどに近かった距離が遠のいた。

 良い匂いがなくなって残念だ。


「なるほどねー。となると、ローザ・バルドーの扱いをどうするかになっちゃうよね……」


 バルドー家は興国十氏族と言うダークエルフとなったエルフの末裔。

 人間の血を多く入れたことでエルフの血が流れていると言うだけの人間。

 それでも当主は選帝侯の一人でネイルを皇帝に推した一人でもある。


 俺としてはシナリオ通りに進めたい。

 アルスの【主人公補正★】による特異点を見極めて然るべきタイミングで何らかの処置をほどこしたいと考えていた。

 そうでなければ、彼を──【主人公補正★】の宿主を生きながらえさせるために何らかの事象を引き起こす可能性があると警戒している。

 とはいえ、凌辱のエターニアⅢのラスボスであるネイルを死なせるのは中身が女性ということを知ってしまっことも含め、平和に満ちあふれて活気のある国を乱すのは憚られた。

 それにネイルの後に誰が皇帝に座につくのかはわからないが、その後、帝国の興亡を語られることなくシリーズが終えてしまったから、衰退することはないかもしれない。

 物語では、領地が狭まったことで海産物が収穫量が減り、王国に勢いが無くなっていくが、凌辱のエターニアⅣでシドル・メルトリクスの支配下に収まった領地や都市の一部では帝国の品物が流通し始めていると言うNPCがいたことを覚えている。

 王国は終始劣勢のままシドル・メルトリクスが王都への侵攻を進め、王城の玉座の間での決戦に至る。

 彼を討って王国を取り戻した後のエターナルモードではエッチなことしかしない平民出の国王アルスと王妃となった衣装が華美に飾られた聖女ハンナの組み合わせだからな。

 どうなるのかは想像できる。

 俺が思慮に耽っていたら、バルコニーの手摺に再び寄りかかったネイルはぶつぶつと小声で呟いている。


「ローザを殺害と言うのは末席とはいえバルドー家に申し訳がたたないから泳がせておいてバルドーの判断に委ねるか……。彼女への監視を含めて精神面で強そうな者を間諜に追加しておけば大丈夫か……」


 俺がネイルに目線を向けるとルシエルが


「お姉様は考え始めると没頭して、人の話を聞かなくなるんです」


 と言うとモルノアを伴って俺の隣に寄る。


「お伺いしたかったんですけど、私たちの国の者たちとお話をされてどう思われました?」


 個人的には好印象を持っている。

 肌の色や種族の違いによる差別はないし身分制度が緩い実力主義。

 だけど、弱者への配慮も充実している。

 気になったのは王国と比較して文明は発達しているからか、魔法に関する知識や技術が低い。

 そうでなかったら【精霊魔法】を使える種族だと言うのにここまで魔法が衰退することは考えられなかった。


「話しやすくて、好印象でしたよ」

「そう。嘘はなさそうだけど……。まあ、良いでしょう。ノアはシドル様のことお気に召されて?」


 俺が答えると、ルシエルは一瞬神妙な表情を浮かべたが俺に対する印象をモルノアに振る。


「私は普通でしょうか?同じ年という割に大人びてるし、敵国ながら我が国に一人で乗り込んでくる度胸は買いますけど……」

「ノアから見たらそうなのね。私から見ると、シドル様の身の回りには甘美なほどにドロっとして濃厚な魔素マナが渦巻いて、これ以上近寄るとシドル様なしでは生きていられなくなるくらい魅力的よ」

「そうなのね……やはり、私のようにエルフの血が薄まったものと純粋な血を持つエル姉様とは違うのね」

「とはいっても、純血のダークエルフは私とお姉様の代で終わりですよ」

「それが一番の国難よね……」

「ええ。本当に。森のエルフとの友誼を結べましたけど、こちらに婿に来るのは抵抗があるでしょうし、何より、エルフから見ると私もお姉様も、それにお母様も、森のエルフの嗜好には程遠いからお断りされるでしょうしね」

「けれど、まだ千年は大丈夫なのでしょう?」

「言い方を変えれば千年しかないとも言えますからね。森から離れて離反したエルフの末裔。元はハイエルフという長命種とは言え、森の魔素マナを享受できない今は千年の時を生きられるのかすらわかりません」


───だからこそ……。


 という言葉がルシエルの口から小さく聞こえた。


「あ、ノア!ここに居たの?探しちゃったじゃない」


 バルコニーに出るドアがバタンと閉じると同時に声がする。


「お姉様!」


 モルノアが俺の傍から離れてお姉様と呼ぶ女性の下に駆け寄った。


「リル姉様……いらっしゃったんですね」


 ルシエルは彼女をリル姉様と呼ぶ。


「エルもこちらで休憩だったのね」

「まあ、休憩と言いますか……」


 ルシエルはバツが悪そうに頬を右手の人差し指でカリカリと搔いていたら、ネイルが女性の近くに行った。


「モレリエル。ひさしぶりね」

「あら、お姉様……でなくて、陛下」

「陛下は良いよ。ここでは今まで通りで。ちょうど貴女も呼ぼうとしてたの」

「そうだったの……」

「そうそう。紹介するわ」


 ネイルはそう言って俺とモレリエルと呼ばれた女性の間に入る。


「この子は、エターニア王国のバハムル男爵領で領主代行のシドル・メルトリクス。メルトリクス公爵家の長男よ。嫡男ではないけれど」


 ネイルは俺をモレリエルに紹介した。


「紹介に与りましたシドル・メルトリクスです」


 俺は胸に手を当てて頭を下げる。


「私は、モレリエル・テルメシル。テルメシル家の長女でそこにいるモルノアの姉です。どうぞお見知りおきを」


 そう言ってハーフダークエルフの彼女はカーテシーを披露した。

 モレリエルの見事なカーテシーから姿勢を戻ると、ネイルに向かって口を開く。


「ところで、ここで何をしていたの?休憩って感じでなさそうに見えたけど……」

「みんな、ここに来てもらったのよ」


 そう言ってネイルはルシエル、モルノアと視線を動かして、彼女たちと目を合わせ、最後に再びモレリエルに顔を向けた。


「この中の誰か一人でも良いから懇意の仲になってもらえればと思ってね」

「懇意の仲って……どうして?」

「森のエルフの女王様に聞いたのよ。濃密な魔素を保った種子を取り込めれば、ハーフエルフくらいの血の濃さでもエルフとしての霊性を取り戻すことができる」

「つまり、私──私たちに、シドル・メルトリクスと子を成せば、ダークエルフとしての血が力を持ったまま残せると?」

「ん。そうよ。そのためのスキルも授けたって言ってたし」


 ケレブレスが俺に授けたスキルって【上限解放★】のことか?


「スキル?」

「人間の枷を外すものだそうよ」

「ああ、そういう……」


 俺が目の前にいるのに二人でどんな話をしてるんだよ。

 それにしても『人間の枷を外すもの』というのはどういう意味なんだ?

 そう思っても俺も詳しいことは分からないし、今はそれを訊く雰囲気ではない。

 そんな俺の表情を察したネイルが、


「この事はいつか、お話をするわ」


 と、俺に言うとハーフエルフの彼女たちに顔を向けて言葉を続ける。


「でも、今は、モレリエルも彼のことを見知っておいて欲しい。この後、私のお母様にもお会いしてもらうつもり」

「ラリシル様にも?」

「そう。時間も取ってあるんだ」

「まあ、本人が良いなら私は何も言いませんが、実母まで使うとは……」

「種の存亡がかかってることだからね」

「それはわかりますけど……そこまでする必要があるのか私には疑問でしかないわ」

「疑問に思うのは貴女がハーフダークエルフだからよ。貴女のお父様に訊くと良いわ。叔父様は先程までシドルとお話をしていたもの」

「陛下がそこまで仰るなら、お父様に確認してきます」


 モレリエルはそう言って再度カーテシーを俺に向けてから、ホールに戻っていった。


「聞いていたよね?」


 目尻を下げて微かに微笑むネイル。

 彼女の隣には妹のルシエルが居て、その反対にモレリエルの妹のモルノアと揃っている。


「すみません。耳に入ってしまって」

「良いのよ。なら、話は早い。私のお母様にも会ってもらうわ。付いてきて」


 ネイルがそう言うと俺の隣に並んだ。

 向きは反対で、俺はバルコニーの外を向いているのに対して、ネイルはホールを向いている。


「ねえ、こういうときは、男性がエスコートをするのよ?」

「あ、ああ……はい……」


 俺は向きを正して、ネイルが居る側になってる左肘を突き出した。


「よろしい」


 ネイルは右手を俺の腕に回すと俺の身体を自身の身体を押し付けて俺に歩けと催促。


 それから、俺の右後ろにルシエルを、ネイルの左後ろにモルノアを従えてバルコニーからホールに戻った。

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