幕間

遠方からの手紙

 シドル・メルトリクス


 貴方を失って一年と半年。

 一日……ひととき足りとも貴方を想わなかった瞬間はありません。

 バハムル領から王都に来て私に仕えてくれているカレン・ダイルがシドルの生存を報せてくれて、これほど嬉しかったことはありませんでした。


 一年と半年です。

 私が恋い焦がれ愛してやまないシドルと離れて、本当に辛くて、寂しくて、私はずっと半身を削がれた想いで生きています。


 シドルに会いたい。

 シドルに触れたい。

 シドルと抱き合って、シドルの匂いに包まれたい。


 私の心と身体はシドル・メルトリクスのもの。

 私は心も身体もシドル・メルトリクスだけに捧げると誓います。


 どうか、私とお会いするその時までご健勝でいてくださることを心より深くお祈りしています。


 フィーナ・エターニア



 一ヶ月半ほどかけてバハムル領に帰ってきた。

 収穫期を終え冬を迎えるこの時節である。

 湖岸はとても寒かった。


「凍ってなくて良かったわね」


 バハムル領民がバハムル湖と呼ぶこの湖は真冬を迎えると氷結する。

 この湖が凍ることを利用して交易をしてみようという話に至ったのだがそれは別の機会にするとして、帰ってきた直後にソフィさんからカレンが差出人の手紙を受け取った。

 宛先はソフィさんだが中には俺に宛てたものとイヴェリアに宛てたもの二通の手紙が封入されていた。

 そのうちの一通がこれである。


 フィーナは昔から俺への好意を大っぴらにし続けているとは言え……。

 ん〜という感じだ。

 とはいえ、フィーナに好かれてて嫌な気持ちにはならないしむしろ来るなら来いって思ってる。


 俺が十七歳で死ななかった暁にはということになるけれど。


「ねえ、シドル。私にはこんな内容よ」


 イヴェリアから手渡されたフィーナの手紙を俺は読む。

 俺に届いた手紙はイヴェリアが読んでいる。



 イヴェリア・ミレニトルム


 イヴェリアの無事を知ってホッとしました。

 いつか、必ず会いに行きます。


 ズルい



 フィーナのイヴェリアに宛てた手紙は『ズルい』の文字だけが異様にデカかった。


「私にズルいと訴えたり、シドルへの想いの振り切れっぷりは、本当にフィーナらしいわね」


 イヴェリアが嬉しそうな笑顔を浮かべるので俺はほっこりした気持ちになる。


 手紙を読み終えるとソフィさんからバハムル領のことでいろいろと報告を受けた。

 基本的に何もないし、村の開発も順調。

 作物は実り良く育って今年は豊作。

 今は少し時間に余裕がある時期なので村人が森のダンジョンに潜る準備を始めている。

 昨年、領民のレベル上げを行ったところ、農作業が楽になったなどと大変好評で、それ以降、暇を見付けては森でレベルを上げてからダンジョンの低階層を周回すると言うサイクルが出来つつあった。


 バハムル領の冬は厳しい。

 極寒である。

 大人の背ほどに雪が積もるから畑仕事は出来ないけど畜産業は夏と変わらず仕事が尽きない。

 除雪作業と畜産業。

 それらを交替で手伝って、空いてる者はダンジョンに行く。

 今やこの領地では十歳くらいの子どもでさえもレベルが三十以上ととてつもないことになっている。


「やりすぎたかな……」


 と思うけど、


「やりすぎなんてことはないんじゃないかしら?バハムルは森ですらレベル三十を超える獣が出るんだもの。子どもだからってレベル上げしないのはここで生きていく上では不利益にしかならないわ」


 イヴェリアが言うことはご尤も。


 それから長い旅の疲れを癒やして数日後。

 俺はジョルグに馬を入手できないか相談をしてみた。


「馬ですか?」

「そう。馬。馬にそりを引かせて冬の間、凍った湖を走らせられないかと思ってね」

「バハムルでは馬が捕れないから辺境伯領に行って買い付けてこないと難しいですね。今までも何度か馬を飼おうと試みたんですが、峠を越えたことがないんです」

「そうかー。やっぱり難しいのか……」


 馬が居ればまた違うんだよな。

 山沿いを行けば森の向こう側に行くことも出来るだろうし塩をもっと採取できるだろう。

 ドワーフのモリア王国には馬が居たんだよな。


「ソリを引くだけでしたら犬か狼を使ってみてはどうでしょう?」


 バハムル側の湖岸からモリアの湖岸まで直線で五十キロメートルほど。

 犬ってソリ引けるのか?ってソリを引く犬の記憶が高村たかむらたすくの中にある。


「犬か!頭数集められるなら良いかもしれないな」

「領内には猟犬を飼っている家がそれなりにありますし、羊を飼っている畜産家からも集められるでしょう。直ぐに手配しますが、何名分ほどあれば宜しいでしょうか?」

「そうだな。俺とイヴェリア、それと犬の面倒を見てくれる人間が居たほうが良い」

「わかりました。でしたら犬と併せて私が見繕っておきましょう。犬ぞりの手配もこちらでしておきましょうか?」

「ああ、できたら頼むよ」

「はい。承りました」


 犬ぞりの手配から一ヶ月弱。

 三台のそりと十八頭の犬、そして若い女の子が俺とイヴェリアの前にやってきた。


「ケナと申します。イヴェリア様にはいつも学問を教授戴いてお世話になってます。今日は犬ぞりのお手伝いということで参りました」


 イヴェリアに学問を教わってるっていつの間に!


「あら、ケナさんだったのね。シドルから聞いたけどモリアに行かれるんでしょう?私とケナさんとシドルの三人で」

「はい。私もそう伺ってます」

「では、ケナさん、よろしくお願いするわね」


 俺は何故か蚊帳の外。

 解せん。

 ケナは羊飼いの家の娘で犬の扱いに長けているのだそうだ。

 そのケナに、と言うより村の子どもたちに読み書きや王侯貴族と変わらない立ち振舞やマナーを教えていたらしい。

 イヴェリアは出来る子だ。

 今までずっと脳筋系女子だと思ってた。


 ケナの手引で俺とイヴェリアは犬ぞりに乗った。

 俺はありったけの金をそりに乗せて三人同時にバハムルを出発。

 凍った湖面を犬が引っ張ってソリが滑る。

 とてつもない速さだ。


 直線五十キロメートルの距離を二時間で走った。

 その間、速度を緩めるわけでもなく、俺には常に全力で走っているようにしか見えなかった。

 犬、凄い。

 凍った湖岸の船着き場に犬を繋いでソリを停める。


「シドル」


 湖岸に上がるとイヴェリアが俺の名を呼んだ。


「どうした?」

「レギン陛下が謁見してくださるそうよ。ケレブレス様から連絡があったのよ」

「そうか。特に用事はないんだけどな」

「まあ、良いじゃない。会いに行きましょう」


 イヴェリアは【精霊魔法】で遠方の精霊魔法使いと精霊を介して連絡を取り合える。

 ケレブレスとはこまめに連絡を取り合っているらしい。

 どうやら、イヴェリアはケレブレスに俺が馬を買い付けにモリアに行くと伝えたことで、ケレブレスが気を利かせてモリア王国の国王レギン・モリアに口を利いてくれた。

 それで、謁見と言う流れになった。と、イヴェリアが教えてくれる。


 レギン陛下はかなりの高齢だが人間より数十年ほど長生きをするらしいのでまだ現役なのだそうだ。

 湖岸から上がると、大きな洞穴があり、そこに大都市を形成しているのがモリアという国のモリアという王都。

 洞穴内は松明で明かりが灯されそこまでの暗さを感じさせない。

 都市に入る関門で名を名乗ると俺たちはそのままレギンの下に案内された。


 ドワーフもエルフと同じ精霊信仰が強い国だ。

 前回、と言っても一ヶ月くらい前に来たときも名乗ったらレギンとの謁見だったが、今回もまた謁見。

 そして、飲まされるんだよね。酒を。

 俺はまだ十四歳。

 成人には届いていないのだ。

 だと言うのに、ここでは子どもも酒を飲む。

 イヴェリアも前回、ここで酒を飲んで何人ものドワーフを潰した。

 隠れ酒豪だったイヴェリアさん。

 あのときはイヴェリアにだけは逆らわないでおこうと誓わされた日だった。

 ちなみに俺は強くなかった。

 前世と変わらず、酒を飲んだら割と直ぐに寝てしまう下戸。

 生まれ変わって酒くらい強くなっていればと思っていたのに残念である。


 ドワーフとは塩の取引が纏まった。

 エルフ族にも半分卸す前提ではあるが、塩と鉱物資源を主に取引する話がトントンと進む。

 バハムル領の北部の山岳地帯では大きな岩塩の鉱床があり、今までは年に二回ほど纏めて取りに行っていた。

 けど、それを産業化することでドワーフ族や森のエルフに安定的に供給を図れる。

 バハムル領は人口にして千人程度と少ないから人員が足りない。そこでモリアから働き手を供与してくれることになった。

 最初の取引としてそれだけが纏まった。

 それから、ドワーフ族は鍛冶や彫金といった金属加工が発達している。

 バハムル側には様々な鉱物資源の存在が期待できるのでモリアから調査員を派遣するからこちらも産業化して欲しいと言った希望があるそうだ。

 まるっと全て任せるわけにはいかないのでこちらの人材が確保できてからお願いしますとだけ伝えたけど。


 そうして、バハムル領とモリア王国の取引内容の骨組み案が出来上がってその場はお開きにしてもらった。


「思ったより時間を使ってしまったな」

「そうね。でも、うまく行ったらバハムルは繁栄するわよ?」

「栄えるのは良いけど、長閑なバハムル、俺、好きなんだよね」

「それは私もよ。それより馬を買うんでしょ?早くしましょう」


 イヴェリアに促されて馬を買いに行こうと城の門を潜る直前に衛兵から声をかけられた。


「陛下からの贈呈品です。こちらをどうぞご査収ください。時間を取らせて済まなかったとお伝えするように承っております」


 ありがたく馬を頂戴したが、全部で八頭。

 どうやって帰ろうか……。


 犬ぞりの二倍の時間をかけてバハムル領に戻った。

 着いたときには既に日が沈んでいて真っ暗だったが、夏だったらまだ日が出てるであろう時間には帰れたので良しとしよう。

 バハムル領にやってきた馬はそれはとても大事にされた。

 この馬のおかげで塩の輸送量が確かに増えて、森から伐採した木材の運搬にも役立った。


 八頭も馬が来たことで繁殖させることも出来るし、何より運搬量が増えたから村の開発も船着き場の整備も、今まで以上に捗る。

 ただ、イヴェリアは


「犬ぞり、本当に速かったわね。馬は王都に住んでいたころから何度も乗っていたけれど、犬ぞりの速度感は格別に良かったわ」


 目線が低い犬ぞりがたいそう気に入った様子で、この人は絶叫マシンを好むタイプの人だと俺は思った。



 船着き場から定期的に船が往来し始めると、ドワーフがバハムルにやってきたり、こちらからも領民が買い物をしたり物を売りに行ったりと交易が行われ、領内が少しずつ活気立ってきた。

 バハムル領の発展が速度を上げ始める中、俺はイヴェリアを連れてみたり、時にはソフィさんを連れ出してバハムルの森のダンジョンを周回した。

 このレイドダンジョンとも言えるべき高レベルの魔物が出現する森のダンジョンの攻略を俺は単独で挑む機会が増えている。

 イヴェリアがレベル99でそれ以上、レベルが上がりそうもないということで強くなるよりも、他のことに注力していた。

 俺の方は何故かレベル99を超えてからのほうがレベルの上がり方が良く、潜る度に強くなっていっていると実感する。

 それに【召喚魔法★】で喚んだ精霊が俺のレベルに比例して強くなり、とても楽に攻略を進めていけていた。

 精霊を荷物持ちにして不届きな奴めとケレブレスに怒られそうではあるけど、精霊を実体化できるから荷物を持たせられる。

 なるほどこれは痒いところに手が届く便利なスキルだ。

 レベルの上昇と共にシドルの固有スキルと思われる【MP自然回復★】の回復量が上がっているおかげで数体の精霊を召喚してもMPの回復量のほうが上回るので俺が死なない限り彼らは俺のために働いてくれる。

 こうして実体化した精霊たちをパーティーメンバーに見立てて百二十階層まで進むことが出来た。

 敵のレベルは120。

 死ぬわけにはいかないと分かってはいても、深く進むに連れて増す命のやり取りをしているんだという緊張感。

 以前、【ラストリーフ】を取りに行ったときみたいに、伸るか反るかの駆け引きだったり、そういった自分を試す一つ一つの瞬間が心地よく感じる。

 他人のことを脳筋だと揶揄できないな。と、思いながら、俺はダンジョンの攻略も楽しんでいた。


 ダンジョンから戻るとフィーナから二回目の手紙が届いていた。


『私もレベルを上げているの。カレンのおかげでそれなりのことができるようになったわ。楽しみに待っててね』


 要約するとこんな感じだ。

 痛い文章は割愛させてもらった。


「私はもうこれ以上頑張ってもレベルが上がらないし、村のことをするのが楽しくなってきちゃったのよね。フィーナは今、強くなっていく自分が楽しくて仕方ないでしょうね。ある意味、羨ましいわ」


 イヴェリアはフィーナからの手紙を嬉しそうに読む。

 イヴェリアとフィーナは本当に仲良しだからな。


 ちなみに今回もでっかい文字で『ズルい』としっかり書かれていた。

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