勇者の称号
ダンジョンの主を失った深淵の迷宮から魔物は消え去った。
ダンジョン内から外に出た魔物も、ダンジョンから与えられていた強力な加護が途絶え、それまでの猛攻が削がれ瞬く間に劣勢に陥る。
そうなれば二度の援軍で総勢五万人規模となった王国軍が数の暴力で、魔物の群れを三々五々に片付けていった。
その一方、ダンジョンの最奥ではダンジョンボスが見当たらなかったことに拍子抜けしたアルス一行は、魔物の居ない迷宮を地上に向かって戻っている。
「勇者だ」「勇者様だ」「勇者の再来だ」
王国軍の兵士たちから次々と賛辞の言葉が寄せられ、アルスは「このままで良いか」とダンジョンはアルスたちが攻略したということになっていた。
迷宮の帰路ではパーティーメンバーのみで飽き足らず、途中ですれ違った胸の大きな女性騎士をセーフティーゾーンに連れ込んでは強引に迫り、我が物として痴情の限りを尽くし、数日を経て地上に戻る。
「何か拍子抜けしちゃったな」
道すがらエリザは言葉を発する。
彼女は冒険者として多くのダンジョンを攻略してきたが、ダンジョンボスがいないというのは初めての出来事だった。
腑に落ちない様子を見せてはいるが、無事に攻略できて魔物がダンジョンから消えた。
それだけで充分なのかもしれないと彼女は納得をすることにする。
「良いじゃない。私たちは手を汚さずに目的を達成した。それで手柄になるんだから」
聖女ハンナは他の誰かがダンジョンボスを倒した。と、そう捉えていた。
強力な魔法を行使した形跡を彼女は見つけていたからである。
同じことをナナ・ノーナも思っていた。
名目上はアルスの監視としてルーナの命で付き従い、パーティーメンバーの食事を始めとした身の回りの世話を率先して行う魔道士である。
それでも、アルスの功績になるのならと口を噤んで何も言わなかった。
彼女はただ、アルスの寵愛を常に待つのみ。
ナナの忠心はアルスにだけ向けられていた。
そんな中で、エルミアは平静を保ちボス部屋の様子を振り返っている。
彼女はエルフの森の民であり一分隊を預かる能力がある。
(高次元の存在が具現化した形跡がある……)
仮にダンジョンの主が悪魔だったなら、天使が調停してもおかしくない。
そうであれば高次元のものが存在した形跡があって然るべき。
だが、それだけが頭にあったわけではない。
エルミアはエルフであり、種族として高い精神性を持っている。
(人間に身体を許してしまった……)
自分は穢れてしまったのだと後々になって悔やんだ。
だが、エルフの純潔を人間に捧げたという事実は覆らない。
純潔のみならずアルスは「エルフとヤれる!」というだけで最奥の部屋にたどり着くまでの間、セーフティーゾーンで休む毎にエルミアの肉体を求めた。
そして回数を重ねるたびにエルミアは次第に冷静さを取り戻していく。
(こんなに人間に汚されてしまったら、私は郷に帰れない……)
部下を全員、魔物に殺されて行き場を失ったエルミアは、アルスに付き従う以外の選択肢を選べなかった。
◆
王都への帰還に一ヶ月を要した。
五万にも及ぶ一軍規模の軍列である。
アルスは帰還する軍の先頭に立ち、魔物の暴徒を阻止した英雄として多くの民の称賛を得ていた。
その後は予定の通り、ダンジョン攻略してから一ヶ月かけて王都へ到着し、そのまま登城する。
謁見の間でアルスのパーティーは深淵の迷宮を攻略したことを報告し、アルスは男爵を叙爵。
そして、アルスはエターニア王国の【勇者】として正式に認められた。
これにより、アルスはただのアルスではなく、勇者アルスとして、エターニア王国に公式に認定を受けた。
また、男爵となったアルスは、ウミベリ村を領地として与えられファウスラー公爵家を寄り親とした。
アルスは未だ未成年で学院の生徒であるため、ファウスラー公爵家から代官を送り、アルスはこれまで通り、ファウスラー公爵家の邸宅にある領兵宿舎で生活をする。
こうしてアルスはウミベリの姓を賜って貴族の一員となった。
だが、日常はそれほど変化せず、これまで通り過ごしている。
◆
聖女ハンナはこれまで修道女という身分だった。
聖女と称されていてもスラム街の出と言うことで助祭にも選ばれずにこれまでの六年を大教会で過ごしている。
スタンピードを止めた勇者アルスのパーティーの要としての活躍が評価され、司教へと抜擢されるに至った。
ハンナは並々ならぬ努力と枢機卿らの計らいで受けた教育のおかげもあり、司教としての存分にその辣腕を振るった。
◆
アルスの女たちは決して一枚岩ではない。
一度、アルスから距離を取ると、何故、アルスに付き従っていたのか、その理由がわからなくなるほどだった。
金級冒険者としてエターニア王国内で活躍し勇名を轟かせるエリザ・ギルバリーもその一人。
なぜ、あんな男に処女を捧げ恋慕を抱いていたのかと理解に苦しんだ。
貴族の出だというのに簡単に身体を許したことを彼女は後悔している。
そして、アルスの女たちである。
トゲが強い聖女ハンナ。アルスに心酔しきっているナナ・ノーナ、それから、深淵の迷宮から共に行動を取った森のエルフのエルミア。
それほど言葉を交わす仲ではない。
唯一、パーティーで行動していたときに炊事を担当したナナと一言二言と声を掛け合う程度の付き合いだった。
時折、ふとした瞬間に冷静になることがある。
ルーナ・ファウスラーの専属侍女として仕えているはずのナナ・ノーナ。
これまで優秀な魔道士として王立第一学院高等部を卒業したが、その後の就職先が見つからず、ルーナの従者となった。
だが、早々にルーナに命じられ、アルスの世話をすることになったのだが、その時は快く応じた──そのつもりだったのだが。
冷静さを取り戻すと伯爵家の娘で未だに婚姻先を探してもらっているというのに、あんなに簡単に身体を許して良かったのか。
疑問に思うことが増えた。
もし、嫁ぎ先が決まったとして、処女でなかったら早々に離縁に至るだろう。
ナナは心が強い女ではない。
その瞬間瞬間に不安で押し潰されそうになる。
その不安を取り除く術は今のところなかった。
アルスを目の前にしたら彼女はアルスに強い恋慕を抱いて心酔する。
また、自分の意思が遠ざけられる。
そんな感覚にナナは陥るのだ。
森のエルフの郷から追い出されたエルミアはアルスに拾われた後、そのまま王都へと付き従った。
正式にエターニア王国の勇者となったアルスを始めとしたパーティーメンバーへの論功行賞の席でエルミアにはこんな言葉が投げかけられた。
「エルフ族は人間を忌み嫌う。勇者アルスの一員であっても人間に与するとは信じがたい。故にアルス様の奴隷にしてはいかがだろう」
エルフは人間を嫌っているのは確か。
人間が森でエルフに出会えば命を奪われることもある。
エルフが人間を嫌うのと同じく、人間はエルフを警戒している。
だが、こうして勇者一行の一人としてこの場に居るのに奴隷に落とせなどと不敬極まりない。
その発言を聞いた国王は配下の進言を受け入れてアルスに言った。
「エルミア殿をアルスの奴隷とすることを命ずる」
アルスは国王に従い「はっ」と返答を返し、エルミアを見やると、何故か彼女は(そうしなければならないのだな)と納得した。
エルミアはこの場で奴隷になることを受け入れ、国王の側近が持ち込んだ奴隷契約に血判を押す。
それから直ぐに首輪をかけられて、エルミアはアルスの奴隷となった。
◆
邸宅の領兵宿舎に戻ったアルスは、公爵夫人のサレアに呼ばれ彼女の私室で過ごしていた。
サレアはアルスを待ち焦がれていたのだ。
アルスがファウスラー領内のダンジョンの攻略を繰り返していた頃、領都でアルスの世話を甲斐甲斐しく行っていたのも彼女である。
気が弱いはずの彼女であるがアルスが関わると豪胆で、まだ日が高いというのにアルスを連れ込んでベッドで互いに全裸でじゃれ合う。
貴族の夫人としてあるべきでない姿を彼女は従者にも晒していた。
だが、彼女同様、彼の影響下にある従者たちはそれが正常であると認識し、サレアの艶事を静かに見守る。
このように堂々としていれば彼女の夫のドラン・ファウスラーが知るのも当然。
だが、ドランは侍従など多くの従者にアルスとサレアの行為を咎めることを阻まれた。
サレアとアルスの仲を裂けば、部下や民の支持を得られないと判断し、内面に闇を抱えたまま耐え忍んだ。
彼は妻を愛していた。
「国の勇者に妻を差し出した公爵か……」
口惜しい……。
ドランは胸にぽっかりと穴が開く感覚に陥ると嗚咽を漏らして涙を流した。
◆
フィーナ王女は私室で差し出された紅茶を楽しんでいた。
「カレンは強いのに料理もお茶も完璧でまるで超人ね」
「お褒めに与り光栄です」
バハムルを出て二ヶ月。
カレン・ダイルはフィーナに従う専属騎士として着任したが、現在では専属侍女を兼任すると言った状況である。
故に、フィーナの私室でも常に二人きり。
「ここでの生活は慣れた?と言ってもいつも私と二人だし、王城の外にもあまり出ないけど」
「そうですねー……。王都の生活は悪くないんですが、食材がイマイチで納得できる味にならないんですよ。そこが不満ですかねー」
「それでも、私は満足できる味なんですけど?なんなら王都でこの味の料理を出せるコックは居ないわ」
「そう言われてもね……。美味しい食べ物が食べたいんですよー。はあ……バハムルに帰りたいです」
フィーナには無礼に見えるカレンの発言もフィーナにとっては気を使わない彼女なりの配慮なんじゃないかと考え始めていた。
「カレンが帰ったら私が困っちゃうからやめてよね」
こうして気軽に軽口を叩ける関係性がフィーナには心地が良い。
「それよりもアレ、出してくれた?」
「アレなら出しましたよ?と言いますか、アレ、良かったんですか?私でもあんなに恥ずかしいことつらつらと書けませんよ?」
「アレはアレで良いのよ。それよりも、勇者の話聞いた?」
「調理場のコックさんたちが喜んでましたよ。勇者の再来だって」
「でも、カレンのほうが強いでしょう?」
「お姫様、公の場で「あんな有象無象、私だったら一撃で殺せちゃいますよ。雑魚ですよ雑魚」って言えると思います?」
「今、言ってるじゃない」
フィーナは姿勢を直して言葉を続ける。
「それよりもー、お父様がアルスに私を引き合わせようとしてるのよね。何とか断ってるんだけどさ」
「王様のお願いだと断りづらそうですね」
「どこか匿ってもらえるところに遊説に行きたいわ」
「遊説ですかー。それなら、もし良かったらダンジョンに行きません?お姫様もレベル上げ、必要なんでしょう?」
「ああ、騎士が居るなら行けるわね。考えてなかったわ。でも何ヶ月も城を空けるわけにも行かないし最長で三ヶ月くらいで往復できるところが良いわ」
「なら、お姫様のレベリングに丁度良さそうなダンジョンを私が見繕っておくってことでどうでしょう?私ならお姫様をお姫様抱っこすれば三ヶ月でいろんなところに行けますよ?」
「それは良いけど、私、カレンより背があるけど大丈夫?」
「もちろん。余裕ですよ。レベル99ですから私」
「お強い騎士に恵まれて嬉しいわ。お姫様抱っこまでしてもらえるんだもの。貴女と引き合わせてくれたシドルに感謝しなきゃね」
「私もシドル様に会いたいですよ。バハムルのご飯も恋しいです」
「そんなに美味しいバハムルの食事。私もいつか食べてみたいわ」
「お姫様が強くなったらお連れしますよ?」
「楽しみにしてるわ」
カレンはフィーナをダンジョンに、バハムルに連れて行く約束をした。
とは言え騎士一人でフィーナをダンジョンに連れて行くなどありえない。
そんな反論をものともせず、フィーナは周りを納得させるために、カレンを騎士たちの訓練に参加させ、模擬戦を繰り返し行わせた。
すると、数日後にはフィーナはカレンと二人でダンジョンに潜ってレベル上げの許可を得る。
この頃から、カレンに全く刃が立たなかった王国の精鋭たちを中心にこう呼ばれ始める。
王国最強の騎士、カレン・ダイル。
この時はまだ十六歳の彼女は、大の大人の騎士たちから一太刀も浴びることなく一撃のもとに沈めていった。
短い髪で少年らしく見えるカレンの剣を捌く姿は当に絢爛華麗。
陰ながら多くのファンを抱え、城内の男性からの人気をフィーナと二分するほどに多くのものたちの目に留まった。
◆
「よろしかったのですか?陛下にとっては初めてだったでしょうに」
シドルを見送ったケレブレスは宮殿に戻っていた。
そこで従者のハイエルフ、エルサリオンに問われる。
「あれはあれで良いのじゃ。余としてはいつか我が下に参れば良い」
「確かに我らはヒトとは違う時を生きているから良いとしましても何も言わなければ疑問を持ち信用を得られないでしょう」
「今はそれで良いのじゃ。あやつはあのままなら生き長らえん。そのために一つ、スキルを授けた。それをうまく活用してもらえれば良いのじゃがな」
「そうですね。ところであの男。陛下の魔力によく耐えられましたね」
「耐えるどころが全て飲み込まれてしまったわ。あの男は本当に見込みがある。ヤツの魔素は誠に甘美だしのう。あのようなものが我が郷から生まれなかったのが残念だ」
「前回の【召喚魔法】を覚えたのも人間でしたからね」
「あのときは余はまだ女王の座についてなかったからのう。詳しくは分からない。それでも今まで【召喚魔法】を覚えたものたちとは違うように思う」
ケレブレスはそう言って姿勢を直し、息を吐いた。
「それにしてもハイエルフの女王である余が恋慕を抱くとはな」
ケレブレスは恋煩い、深い溜め息を吐き、シドルを想う慕情に酔いしれる。
ハイエルフはエルフと異なり悠久の時を生きる神に近い種族である。
稀に子を成すことがあるが番を作ることはないため、交尾すら滅多に行わない。
故に唇を交わすなどの行為もしない。
ケレブレスがシドルにした口付けも数千年と生きた人生で初めての体験だった。
ケレブレスは【精霊魔法】を発動させて、想いを馳せるその先へと意識の一端を向けることにした。
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