幕間

王女と魔女

 土や瓦礫の埃が風に流れて競技場の見通しが良くなった。

 生き残った観客たちは消失した観客席の一部を見てざわめく。それと同じく、競技場の中央にうつ伏せで倒れている二人に気が付いた。


「アルス様!」

「アルーーーーースッ!」


 アルスの名が残った観客席から叫ばれる。直ぐ近くに聖女ハンナが居るというのに彼女の名は出て来ない。

 そのアルスと聖女、そして、消失した観客席の間でアルスと聖女ハンナが放った【リミットブレーク】を受けた魔女イヴェリアの姿が見えなかった。

 消失した観客席と同様に魔女も消え去ったんだと誰もがそう判断する。


「魔女、死んだなあ!」

「アルス様の勝利だーーーーーッ!」


 魔女が消えたことでアルスの勝利が確定し、観客はイヴェリアの死を喜び、アルスの勝利に歓喜した。


 イヴェリアの両親、ヴィレル・ミレニトルム公爵とその夫人のイアリ・ミレニトルム。イヴェリアの弟妹たちは信じられないと言った様子でその場で泣き崩れ慰めあっている。

 しかし、ただ一人。ヴィレルは悲しみを堪え、消失した観客席の被害の状況と生存者の確認を部下たちに急がせた。

 本当にこの場でただ一人。冷静さを保ち民を慮る。

 迅速に騎士たちに指示を出し、観客の救護に向かわせた。

 彼こそが王侯貴族の模範となるべきなのだが、ミレニトルム公爵家に倣う者は誰一人として現れない。


 イヴェリアの従姉妹で幼馴染で親友と自負するフィーナ王女は動揺していた。


「ああ……イヴ……。どこに行ったの?イヴー……」


 競技場の様子を貴賓席で見守っていたフィーナはイヴェリアを探して視線を縦横無尽に動かし続け、イヴェリアが居た筈の場所は太陽の光を反射してヒラヒラと舞う金粉が目に映る。

 そこに破れた彼女の靴とキラリと光る宝石を見つけた。


(イヴ………?)


 居ても立っても居られなくなったフィーナは貴賓席から飛び出して競技場に護衛を付けずに一人で下り立った。

 競技場に出たフィーナはイヴが居たはずの場所を必死に探した。

 だが、見つかったのは片方だけの靴。それとネックレスにあしらった金剛石の飾り。

 膝丈までのサイブーツのくるぶしより下だけが残っている。


「嘘……嘘だよね?イヴ……。私の傍から居なくならないって言ったじゃないッ!イヴ……イヴ……」


 フィーナは遺された靴を前に座り込み、ネックレスの残骸を手に取ってギュッと握ると、大粒の涙をボロボロと零し始めた。

 動転して周りが見えないフィーナをよそに周囲は慌ただしい。

 半壊した競技場。会場の救護班は本来ならそちらを確認するべきなのだが、アルスとハンナの周りに集まり、騒々しく二人の介護に取り掛かっていた。


 観客席の一部が消失したというのに、多くの人々はアルスにしか意識が向かない。

 高等部の生徒たちが居たはずの場所がごっそりと消失していた。

 手や足など体の一部を遺した死体が散乱していたことから、多くの死傷者が出ていることが予測できるのに誰一人として、それらの捜索に動こうとはしなかった。

 ミレニトルム家の騎士たちはアルスを気にしていたが当主の指示に渋々従い、被害の確認、救助、死者の確認などを静かに黙々と行っていて、生存の確認が取れたものを救護し、死亡が確認された生徒は競技場の中央付近に運んで安置する。


 この国の国王陛下ですらも、アルスへの意識を固定されている。

 もはやこの場の民への配慮は国王の頭から完全に消え去っていた。


 その一方、フィーナはイヴェリアが遺した靴の傍らで、フィーナがイヴェリアに贈呈したネックレスの一部、金剛石のかざりを握りしめて慟哭。


「シドル………イヴ………。私を独りにしないでよぉ……………」


 イヴェリアが居た場所には未だ光の粒が舞い、キラキラと煌めいている。

 周囲の喧騒から切り離されたそこで独り泣きじゃくるフィーナを、数多の小さな光が包み込んでいた。



 それから数日。

 フィーナは王城の私室にイヴェリアの遺品となったブーツの一部と金剛石の飾りを持ち帰っていた。

 あれから事ある毎に机の上に置いたイヴェリアのブーツを眺める。それから左手の薬指に嵌めた指輪を右手で撫でてシドルを想う。

 イヴェリアがこんなことになったというのにシドルは居ない。

 シドルは死んだとされているが遺体も遺品も一切見つかっていない。

 だからフィーナはシドルの生存をどこかで期待していた。

 こんなときにこそ私の傍にいて欲しい。そう願って指輪を撫でていた。


(ところでどうして靴の中にイヴの身体の一部が残ってないんだろう?血の痕もなかったし……)


 シドルのことを思い出していて湧いた疑問。

 もしかしたらイヴェリアは生きているのかもしれない。

 なら、どうやってあの場から消え去ったの?

 フィーナの疑問は、彼女から多くの時間を盗むはめになる。



 学院は休校となった。

 高等部の生徒たちに甚大な被害が発生したため対応に負われ、授業を再開する見込みが立っていない。

 このまま冬期休暇を迎え、年を越し、一月の半ばに登校を再開すると通達があった。


 フィーナはあの日から私室から一歩も出ていない。


「シドル………」


 ボソッと声にする想い人の名。

 未だにシドルが死んだという報せを受け入れずにいる。

 同様に、イヴェリアの死もフィーナは信じることが出来ないまま。

 イヴェリアの遺品に多くの高等部の生徒達みたいに衣服や靴の切れ端に血や身体の一部が残っていれば『イヴェリアの死亡』を受け入れられたのかもしれない。

 なのに、フィーナが持ち帰ったイヴェリアの遺品は綺麗すぎた。


(これ、本当はイヴのご両親に……ミレニトルム公爵家にお持ちしないといけないのよね……)


 思い立ったが吉日のフィーナ王女である。

 ベッド脇のサイドワゴンに載ったベルを手に取ると、それを振って鳴らす。


「殿下、何用でございましょう」


 ベルの音に気が付いた侍女が私室に入る。


「ミレニトルム公爵家に行くわ。報せを出しておいてほしいのと、私の準備を手伝ってもらえる?」

「かしこまりました」


 フィーナは数日ぶりに私室の外に出た。



 数時間後。

 フィーナはイヴェリアの遺品を持ってミレニトルム公爵家の邸宅にお邪魔している。

 通されたのは応接室でも居間でもない、食堂である。

 イヴェリアの父、ヴィレル・ミレニトルム公爵の手料理を振る舞われていた。

 そこにヴィレルと正妻のイアリが同席。


「ごめんなさい。食事の前に申し訳ありませんが、せっかくのヴィレル様の食事を楽しみたいので先にお伝えしたいことがあります」


 フィーナは侍女に指示してイヴェリアの遺品を差し出させた。


「これは?」


 ヴィレルは確認し、イアリは涙ぐむ。


「イヴの靴です。あの競技場での事故で消失した高等部の生徒たちにも同様の遺品があったそうですが、それらとは違ってイヴの遺品にはイヴの身体の一部もありませんし、血の跡もありませんでした」

「それはどういう……」

「イヴが死んだ。とは思えないんです。もしそうだったらきっと、イヴの足が残ってたんじゃないかって。他の犠牲者たちと一緒で」

「では、イヴは別の理由であの場から消えたとでも?」

「私はそう考えています」

「そうですか……。しかし、イヴが死んでいないかもしれないと言われても私が自ら表立って調査をすることは難しい。一体どうして解決をしていけば良いのやら……」

「イヴもそうですが、シドルも生きていると思うんです。だから、イヴの生存を確かめるための調査を私の方でさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 フィーナは私室から一歩、外に出るときに決意と覚悟を決めた。

 シドルとイヴ。二人の無事を確認したい。

 シドルは死んだというのに遺体や遺品の一つも出て来ないし、イヴは遺品の靴はあるのに死んだ形跡が無い。

 それを確かめるためにミレニトルム公爵家の許可が必要だと考えての今日の行動だった。

 なお、メルトリクス公爵家では話にならず、シドルは存在しなかったも同然の扱いになっている。

 フィーナはそれもおかしいと感じていた。なにせシドルの両親の子煩悩さは三大公爵家や王家においてとても有名で話のネタになるほど。そんな親が子どもをなかったことにできるはずがないとそう思った。フィーナ自身がシドルへの想いをなかったことにできないのだから。


「そういうことなら吝かでない。だが、この件は陛下をはじめ、メルトリクス家とファウスラー家の目があるし、魔女の生家として評判を落としてしまっていて、目立つ行動は難しい。私たちもイヴの無事を確かめたい気持ちはあるのだが……」


 アルスのスキル【主人公補正★】による影響でイヴェリアには数々の悪名や汚名が着せられている。

 おおっぴらに調査をするということは難しい。それに、ミレニトルム家には競技場の修復や遺族への賠償などの責任は必至。


「いろいろと物入りになることも承知ですから、私の方でもご協力は惜しみません。イヴのためにも私の力が及ぶ範囲でミレニトルム家をお守りすることを約束しましょう」


 フィーナはそう言ってヴィレルを真っ直ぐに見据えた。


「まさか娘と同じ年の少女にこんな申し出をされるとはな……。本当に恥ずかしい限りだ……。だが、たしかに我が家は今、とても厳しい状況下にある。ただ、何も出来ないというわけではないが、ご協力いただけるなら、その厚意に甘えたいのも本心。フィーナ殿下がそこまで本気なら私たちも殿下に応えなければならない」

「フィーナからイヴを想う言葉を聞けて嬉しく思うわ。けれど、本当に良いの?イヴのことは私だって心を傷めているわ。だから、こうしてフィーナがここに来てくれているだけでも私はとても感謝しているの。我が家をイヴの居場所としてお守りくださるというのなら、私も甘えるのは吝かでないと思いますわ」


 フィーナはイヴの両親から肯定的な返答に満足する。


「ありがとうございます」


 フィーナはミレニトルム夫妻に感謝をして頭を下げた。


「さあ、食べましょうか。せっかくの主人の手料理ですもの。美味しいうちに戴きましょう」


 それから、雑談を交えて三人で食事を楽しんだ。


 食事のあと。

 イアリはフィーナにイヴェリアの遺品の靴を差し出した。


「こちらはフィーナにお持ちしていただけるとイヴは喜ぶと思うわ」


 だが、フィーナはかぶりを振って答える。


「私は良いわ。もし、宜しければイヴの部屋に飾っていただけないかしら?私は必ずシドルとイヴを連れて帰りますから。だから遺品としては必要ありません」


 フィーナの言葉を聞いたイアリは微笑んだ。


「そう。ならそうするわ。ありがとう。イヴのことお願いしますね。期待してますから」

「ええ、任せてください。叔母様の期待に必ずやお答えしてみせます!」


 フィーナはその後、再び、メルトリクス公爵家で夫妻と会談したりと周囲の状況の確認を行ってから従者を使って調査に取り掛かった。


 王女と魔女。


 凌辱のエターニアという物語の劇中では決して相容れない存在だと思われていたがこの世界では違う。

 王女は魔女との再会を心に誓って、シドルとイヴェリアの生存を確かめるために迅速に行動を起こす。


(私はシドルやイヴのように強くない。でも、私にだってはあるの。だから私なりのやり方でイヴみたいに真実に辿り着いてみせる)


 フィーナは左手に持つ金剛石の飾りをギュッと握りしめた。



 一方、ファウスラー公爵家ではルーナがアルスと聖女ハンナの容態を見守っている。

 決闘の日から一週間以上経っているというのに目が覚める気配がなかった。


(それにしても私、何をしているのかしら……どうして、平民の面倒をここまで見る必要があるというの?)


 アルスの意識が回復しないことでルーナはアルスに対して懐疑心を持ちつつ合った。

 ただ、こうしたことはアルスが遠征に行くと時折訪れる。

 シドルとのこと。今は婚約を破棄したから関係ないと心の隅に追いやっているが、本来ならば婚約者や公爵家の令嬢を奸計にかけるなど貴族の家としてはあってはならないことである。

 ルーナもまた、アルスがファウスラー公爵家にやってきたその日までは、シドルのことを好ましく想っていたのだ。

 だから、婚約そのものには反対しなかったし、むしろ、喜ばしいとさえ思っていた。


(何だかぽっかりと胸の中に穴が空いてるような……そんな気持ちなのよね。どうしてかしら)


 アルスとハンナが目を覚ますのはそれから更に数日。

 それまでルーナは煮えきらない気持ちのままアルスの面倒を甲斐甲斐しく見て、シドルをどうして憎んでいるのか、その意味すらわからなくなっていた。



 メルトリクス公爵家ではアルスのスキル【主人公補正★】の影響力が弱まったシーナが涙を流していた。


「ああ、シドル……。ごめんなさい。シドル……」


 だが、影響下にあるドルムは違った。


「シドルはもう死んだ。跡継ぎにはトールこそが相応しい。シドルが死んでせいせいしただろ?あんな無能で傲慢な息子が私の子だったなんて思いたくもない」

「そんな……。シドルは私のお腹を痛めて産んだ貴方との子だと言うのに!死んでせいせいってどうにかしてるわ」

「お前こそおかしいだろ。あれだけシドルが死んで良かったと喜んでたじゃないか!」

「それがおかしいのよッ!私はシドルも愛してるの!なのに死んで嬉しいだなんて……。私はそんな事を思うような女ではございませんッ!」


 アルスが目覚めるまでの間、夫婦の間ではシドルを巡った争いは絶えない。

 だが、弟のトールと妹のジーナは今でもシドルの帰りを待っている。トールはシドルがそこまで酷い兄だった記憶はないし、二人ともアルスの【主人公補正★】の影響下にはなかった。



 アルスが目覚めて数日。

 主が目覚めたことでその力を取り戻した【主人公補正★】は再び王都を支配する。


 イヴェリアとの決闘を制したアルスと聖女ハンナは学院で一目置かれる存在となり、絶大な人気を誇った。

 全校生徒の前で決闘での勝利を讃えられ、高等部の生徒たちが犠牲になったことは忘れ去られる。

 アルスの持つスキルの強制力がエンディングへと導いているのだ。


 学院の規律を乱した魔女を決闘で討伐し平和を取り戻した英雄の卵。

 これがアルスの勇名が広まるきっかけとなり、凌辱のエターニアⅡ─勇者の称号─へと続くだった。

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