聖女と魔女
シドル・メルトリクスが追放されて数日。
私室から一歩も出ず、学院を休み続けていたイヴェリア・ミレニトルムが登校する。
怠惰で傲慢な醜いシドル・メルトリクス。学院に身分差別を持ち込んで放校された愚か者。ゲームの世界では怠惰で傲慢な醜いデブのシドル・メルトリクスと評されていたのだが、ここでは『デブの』という修飾はされていない。
そして、そのシドルと親しいイヴェリア・ミレニトルム。
彼女の学院での生徒からの評判は地に落ちていた。
久し振りの登校で教室の扉に恐る恐る手をかけるイヴェリア。
突然、ドンと強い衝撃でバランスを崩しイヴェリアは倒れた。
(ぶつかられた?)
イヴェリアは立ち上がって足元に視線を向けると、床に尻をついた聖女ハンナの姿が見えた。
「痛いッ!」
「何をするんだ!」
イヴェリアと聖女の間に入ってかばったのはハンナと同じD組のアルス。何故彼らがS組の扉に手をかけたイヴェリアにぶつかったのかを疑うものはいない。
全てがアルスによって都合よく事が運ぶのは【スキル:主人公補正★】の影響である。精神支配系のスキルで周囲の人間に対して効果を発揮する。この【主人公補正★】が凌辱のエターニアのシナリオに沿った進行に補正を加えていた。
この場合、イヴェリアが聖女ハンナを平民だとイビっている。という具合に。
アルスにはモノにしたい女がいる。
フィーナ・エターニア第二王女。
彼女がシドル・メルトリクスを懇意にしているのは有名な話である。
特に初等部のころから在校している生徒の間では知らないものはいない。
アルスはそれが面白くなかった。
そこで、もう一人、仲の良いイヴェリアに対して嫌がらせを繰り返し、フィーナからシドルとイヴェリアを引き剥がそうと考える。
これがアルスを懇意にするルーナ・ファウスラーとの思惑が一致し、協力をした。
平民だが聖女と言う身分を持つハンナ。これが最も使いやすい手駒である。
ハンナはアルスを懇意にしているためアルスへの協力を惜しまない。ハンナにも打算は当然ある。だが、今はまだ平民の延長線上にしかいない。
「私は教室に入ろうと──」
「嘘を言うなッ!今、聖女様を危害を加えたじゃないか!俺たちが平民だからって──ッ!」
アルスはイヴェリアの弁明を遮った。
「私は良いのよ。アルス。きっとこういったことは良くあるもの。だから私は大丈夫」
そう言って聖女はにっこりと笑顔を見せる。
「聖女様のご高配に感謝するんだな!」
アルスは聖女を連れてD組の教室へと戻った。
周りに集る生徒たちにはイヴェリアはシドルと親しかったということから同類として見做され、このやり取りでイヴェリアも傲慢自分よりも身分が低い者を蔑むと言った悪評が広まる。
(酷い血の臭いだわ)
イヴェリアはアルスとハンナから漂う人の血の臭いに敏感に反応。イヴェリアは鼻が利いた。
フィーナがやってきたのはその後。
「イヴ、貴女、朝からアルスと聖女サマに絡まれたんだってね。大丈夫?」
「ええ。信じてもらえないかもしれないけれど教室に入ろうとしたらぶつかられて難癖をつけてきたの」
「私はイヴの言葉を信じるよ。じゃなかったら今日のことだってこの教室の前でっておかしいもんね。アイツ等、D組でしょう?」
「そうなの。なのに誰からも信じてもらえなかったわ。それに───」
席が近いルーナからも同じ血の臭いが漂ってきた。
イヴェリアはアルスがルーナと家。ファウスラー家の領兵見習いとしてファウスラー公爵家邸宅内にあるファウスラー領兵の宿舎に住んでいることを知っている。
同時期にメルトリクス家からシドルに仕えていた侍女が一人行方不明であることも、そして、その侍女が暗器の使いに長けた貴族の出であることも調べが上がっていた。
シドルが死んだ。
血の臭いはこれか。
目前にフィーナが居ることで冷静さを取り戻して思慮を張り巡らせて思考に耽る。
(でしたら、仇は間違いなく……)
ルーナは表立って仕掛けてくることはないだろう。
だったら先ず、仕掛けてくるであろうアルスと聖女への対策を考えるべき。
(でも、そうすると、私が強くなりませんといけないわね。絶対にシドルの仇を取るッ!)
「フィーナ。私、用事を思い出しましたわ」
「どうしたの急に?」
「ええ。少し気になったことがあるのよ。夏季休暇まで数日ですし用事を優先することにするわ。きっと夏季休暇中、フィーナに会いに登城することもないと思いますから9月になったら会いましょう」
「え、ちょっとっ!いなくならないって言ったじゃない。嘘でしょ?」
「私はフィーナから去ったりしないわ。約束したもの。でもそれよりも優先しなければならないことがあるの。言ったでしょう?真実が知りたいと」
「そうだけどさー。それってシドルのことだよね?」
そうだったら引き止められない。フィーナが口ごもる。
荷物を持って優雅に立ち上がったイヴェリアはフィーナに頷いて見せて「では、ごきげんよう」と授業を受けずに教室を出て学院から去る。
イヴェリアの振り返り際、教室に差し込む陽がイヴェリアの髪を飾る【ラストリーフ】で反射されてフィーナの目に光が吸い込まれた。
「はあ、行っちゃった……あんたが居ないとアレがうざいのよ……」
フィーナの愚痴はイヴェリアの耳には届かない。
左手で頬杖をつくフィーナの薬指の【
◆
夏休みが終わった。
従者に伴われて学院に入り、一人で教室に入ると彼女は居た。
会えないと宣言された通り、夏季休暇中にフィーナはイヴェリアと会うことはできなかった。
こっちに来ないなら、こっちから行っちゃえとばかりにミレニトルム公爵家邸宅を何度も訪問したがイヴェリアは夏季休暇前から一度も戻っていない。
そのイヴェリアが今、自身の前に居るのだが。
(凄い魔力……別人みたい)
「あら、おはよう。フィーナ」
フィーナが近寄ってきたことに気が付いたイヴェリアが挨拶をすると、フィーナがオドオドと挨拶を返す。
「お、おはよう。イヴ。見た目はあまり変わってないのに随分と雰囲気が変わったわね」
「ええ。いろいろ頑張りましたから。フィーナこそ、何度も足を運んでもらったのにごめんなさいね」
「いや、それは良いんだけどね。ところで今日も絡まれた?」
「絡まれたわ。でも今回は相手にしなかったの。フィーナは絡まれなかったのかしら?」
「イヴが居るときは絡まれないのよ。休み前は酷かったわ。私は心に決めた男性としか私的に会話することはありませんって何度も言ったのにさー。聞かないんだよね」
「ふふふ。本当に聞く耳を持たないお二人……いいえ、三人ですわね」
「三人?」
「そうよ。いつかきっとフィーナも分かるわ」
フィーナとイヴェリアは時間の許す限り再会を喜んで言葉を交わし続けた。
それから、イヴェリアは毎日学院に通っている。
ただ、授業で魔法を披露することがあったが、イヴェリアだけが他の生徒たちと別次元と言えるレベルで威力も精度も高い。
冬が近付く。
イヴェリアと聖女の衝突はこれまでもたびたびあった。
だが、ついに事は起きる。
朝、イヴェリアが教室へ向かう途中。ハンナが足をかけたのだ。
「貴女、何様?ふざけてるのかしら?」
「私が何かしたとでも?」
すると、アルスがいつもの如くイヴェリアとハンナの間に割り言ってハンナを庇う。
「良い加減にしろ!シドルみたいに死にたいのか!」
「何かしら?それ。もう一度言ってくださる?」
「ははっ!何度だって言ってやるさ。お前みたいなゴミ貴族なんて死んで詫びるべきなんだよ。シドルみたいによ!」
シドルはアルスが殺したと言っているのと変わらないのに、周囲の生徒の思考は麻痺している。
アルスの【主人公補正★】が効いている。
「アルス、良いのよ。私が対応する」
ハンナはアルスを引っ張ってイヴェリアの前に出た。
「良いご身分ですわ。私は曲がりなりにも聖女ですから、これ以上過剰に絡まれるようでしたら、こちらにも対処というものがありますから……」
ハンナは少し背伸びしてイヴェリアの耳元で囁いた。
「貴女も傲慢で醜いシドルみたいに死ぬのよ。ああ、あのシドルとかいうゴミ。本当に滑稽だったのよ?良かったわね。貴女もじきに傍に行けるわ」
イヴェリア以外の耳に入らないその言葉でイヴェリアの怒気が跳ね上がる。
「私はお前を殺すためだけにここまで生きてきたッ!恥も外聞も捨て、魔物の血肉を食らい、死物狂いで力を付けてきたのよ。今こそ復讐を果たさせてもらうわ!私と決闘なさいッ!」
「ええ、構いません。アルス、良いよね」
イヴェリアから離れたハンナがアルスに同意を求めた。
「ああ。わかった。でもその代わり。俺とハンナで戦う。良いね」
「私は良いけれど──」
「決闘は一対一ではないのかしら?」
「そんなルール、誰が決めたんだ?俺と聖女様がお前と戦うんだよ。それで良いよな?」
アルスが周囲に集る生徒たちに同意を求めた。
「そうだ!そうだ!二対一でも良いだろ!」
「アルス様!」「アールースッ!アールースッ!アールースッ!」
人集りから同意をする声が上がり、アルスへの称賛が響き渡る。
これではイヴェリアが断ろうにも断れない。
「じゃあ、決闘の日時と場所は追って連絡する」
アルスはハンナの手を引いてS組の教室の前からD組の教室へと戻っていった。
◆
決闘当日。
エターニア王国の王都エテルナにある王立第一学院は初等部、中等部、高等部と三年区切りで異なる校舎に通う。
その三部の校舎の中央に一際大きい競技施設、中央競技場が聳え立つ。
使用用途は多目的で運動競技などに主に使われるが、今日は決闘に使用される。
聖女と魔女。
この決闘はその触れ込みで一気に広まり、全校生徒児童の脚光を浴びていた。
そして、競技場での観戦者は全校生徒児童と上級貴族たちが席を埋めている。
「聖女ハンナと魔女イヴェリアの決闘をこれより開始します。ルールはどちらかが戦闘の継続が行えなくなった場合のみ。聖女ハンナは攻撃手段がないのでアルスが聖女様と共に挑まれます。なお、死亡した場合でも、殺人に問われません。また観客席に魔法が流れることがありますが防護魔法を施してあります。万一防護魔法を破った場合は弊校での責任は一切負いません。では──」
競技場の中央で大声で叫ぶのは学院の教頭。
彼もまたアルスの影響下にある一人。
この決闘の勝敗はどちらかが死ぬまでである。本来であれば戦闘不能になるまでで生徒同志の場合は寸止めが義務付けられる。
だが、この決闘では、戦闘の継続ができなくなった場合、つまり、死んだ場合ということ。
これもアルスが求めたことがそのまま反映されていた。
「では、両者、前へッ!」
教頭の声でハンナとアルスが先に競技場に姿を顕す。
「アルス様ーーーーッ!」
「アールースッ!アールースッ!アールースッ!アールースッ!」
「アルスーーーーッ!」
ハンナの名よりアルスの名を呼ぶ声ばかりが競技場に響き渡る。
彼らが中央に着いたら、今度は、イヴェリアが競技場に入った。
「死ねーーーーッ!」
「ゴミカスーーーーッ!」
「ブスはこの世にいらねーんだ!とっととくたばっちまえッ!」
罵声が止まらない。
観客席の一室でイヴェリアへの罵声にフィーナは心を傷めた。
(こんなのおかしいよッ!どうして?どうしてアルスの声ばかりなの?聖女とイヴェリアの決闘なんじゃないの?)
フィーナの左手の薬指に嵌まる【
イヴェリアの髪に飾られる【ラストリーフ】がキラリと太陽を反射するのをフィーナは確かに目にした。
そして、決闘が始まった。
「ファイア」
「アイス」
「シェイド」
ぶつぶつと小さく口ずさむイヴェリア。
声にした順番に魔法が放たれる。
ハンナが聖属性魔法の術式が込められたスクロールを発動させてバリアを張ると火と氷が空中で爆ぜる。
直後、ハンナとアルスの足に影が巻き付いて身動きを封じた。
「あ、これかな」
ハンナは無属性魔法の術式のスクロールを取り出して発動。イヴェリアの【シェイド】の効果を解除する。
「あら、決闘ってスクロールを使ってもよろしかったのでしょうか?」
正式な決闘であれば否であるが、全てはアルスの【主人公補正★】が是と修正する。
イヴェリアは間を置いてアルスを誘い出す。
誘いに乗ったアルスはイヴェリアの懐に入り込もうと突撃するが──
「ストーム」
「クレイ」
ボソッボソッと口にして魔法を顕現する。
暴風に吹き飛ばされたアルスは続いて飛んでくる固い土塊に打たれて軽鎧がボコボコに凹み、手足や腹から鮮血を飛び散らせた。
「あ、アルス様ッ!」
吹き飛ばされたアルスに駆け寄ったハンナは上級ポーションをアルスに振り撒いた。
「ありがとう。ハンナ。助かったよ」
傷は治っても凹んで痛々しい軽鎧とボロボロのアンダーウェアは直らない。
「ポーションまで使って……」
正式な決闘であればポーションを使った時点で負けである。
(見る限り、アイテムはかなり揃えてるわね。きっとルーナの入れ知恵ね)
「もう良いわ。終わらせてあげる」
イヴェリアはさっと上に右手を掲げると──
「メテオライト」
小さく呟いた。
上空で魔素が集結し岩塊を形成する。
そして、アルスとハンナに目掛けて落ちる。
「ヤバいッ!」
アルスは焦った。
死ぬッ!こんなんヤバすぎだろッ!
「やっ……ああッ……」
ハンナも焦り、ありったけのスクロールを発動させる。
バリアの重ねがけである。
バキーーーンッ!!
と、岩塊がバリアに衝突した。
バリアを抉じ開けまいとギリギリと音を立てて岩塊が押し込まれる。
「ヤバッ!ヤバババッ!」
その瞬間、【主人公補正★】が発動した。
主人公だけが為せる究極スキル【リミットブレーク】。
アルスは無意識にハンナの手を取り、ハンナの魔力も根こそぎ借り受ける。
(なんか出るうううううーーーーーーーッ!!)
アルスはイヴェリアに手をかざすと眩い光が競技場をぶち抜いて空の彼方へと消えた。
競技場は土と瓦礫の埃が舞って何も見えない。
アルスとハンナは魔力が尽きてその場に倒れ込んだ。
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