復讐を誓う魔女

 シドルが放校されてしばらく。

 イヴェリアは自室に閉じこもって啜り泣いていた。

 シドルから貰った【ラストリーフ】を髪に付けたまま、それを指先で撫でる。


「シドル……」


 イヴェリアはシドルを想うと追いかけたいと焦燥感が強まる。

 自分の目の前で聖女ハンナはイヴェリアを狙って当たりに来たのだが、シドルが間に入ってハンナの体当たりを受け止めた。

 だから、自分のせいだ。という自責の念がイヴェリアの心を押し潰している。


(それにしても、あのアルスという者の言うことを何故皆肯定するのでしょう?理不尽でも明らかにおかしくても誰もが彼の言うことを否定しない。どういうことなのでしょうか)


 イヴェリアは両親や使用人を使ってアルスとハンナの身元を調べさせた。


(ウミベリ村のアルス……。スラム街のハンナ……)


 アルスはファウスラー公爵家の領兵として公爵家邸宅敷地内の寮に住んでいることを突き止めた。聖女ハンナとの仲はファウスラー公爵家の子息、ロッド・ファウスラーが取り持った。

 アルスはハンナと懇意であるが、未だ関係を持っていない。それは同じく懇意にしているルーナも同様だと調査の結果知る。

 アルスがファウスラー公爵家の世話になったのが二年前。シドルどころかイヴェリアやフィーナと距離を置いたのも二年前。偶然にしては出来すぎたルーナの行動。


(ルーナはシドルを……、いいえ、私たちを裏切ったのですね……)


 そう結論付いた。

 報告内容を吟味していると唐突にドアが開いた。


「イヴ!ちょっとッ!」


 真っ青な顔のフィーナがノックもせずに入ってきた。


「どうしたのよ。ノックぐらいしましょうよ」


 注意をするがフィーナは聞く耳を持たない。


「それどころじゃないの!シドルが!シドルが死んじゃったのよ!」

「え!?シドルが?嘘よね?そんなことってあるのかしら?」

「んーん。私、お父様から聞いたのよ。シドルがバハムル領に向かう途中に野盗に襲われて死んだって」

「嘘……。絶対、嘘よ……」

「私だって信じられないよ。こんなこと信じたくないの……。だってシドルだよ?」


 イヴェリアはフィーナの顔を改めて見ると、彼女の顔は蒼白で涙でぐちゃぐちゃだった。王族の……王女らしい威厳も美麗さも何もない。泣いてぐちゃぐちゃになった顔だった。


「うう……うっ……」


 フィーナはイヴェリアに縋って泣き出した。

 堰を切って溢れ出た涙は留まることを知らない。

 ボロボロと流れる大粒の涙を王女は流し続ける。


「嘘……嘘って言ってよ……お願い……ぐすん……ううっ……」


 イヴェリアもフィーナに釣られて泣き出した。



 どれくらい泣いたのかイヴェリアにもフィーナにも分からなかった。

 泣きつかれて冷静さを取り戻したときには傍にイヴェリアの父親のヴィレルが椅子に座って彼女たちの様子を伺っていた。


「もう大丈夫かい?」


 ヴィレルは静かに問う。


「大丈夫なわけないわ……」


 と、イヴェリアが答え、フィーナは首を横に振る。


「おや、フィーナ殿下。その指輪は?」


 ヴィレルはフィーナの左手の薬指に収められている指輪を目にした。


「シドルに貰ったのよ。私の十二歳の誕生日に、ずっと付けてなかったけど、あの日から肌身離さず付けているわ」


 窓に向けて左手を伸ばし、西日の日光に指輪を照らす。

 【力の指輪マナ・リング】。あらゆる邪気を払い装着者の身を守る指輪。

 効果が高すぎて世界に三つしか無い指輪のうちの一つだ。


「そうか。随分と良いものを貰ったんだね。でも良かったのかい?仮にもフィーナ殿下は王女様なのだから」

「良いの。私にはシドルしかいないわ。だから私はシドル以外のものにはならない。そう誓ってるの。シドルが居なくなったからってそれは変わらないわ」

「王族としては良くないけれど女性としては素晴らしい誓いだね」

「ええ。シドルと過ごした十二年。私はとても誇りに思ってますから」


 フィーナはポロポロと溢れる涙を擦りながらヴィレルに答え続けた。


「私も……誓うわ……。ごめんなさい。お父様」


 イヴェリアはハンカチで涙を拭いヴィレルに謝る。


「ハッハッハ。シドルくんは幸せ者だな。こんなに可愛い女の子たちに好かれて」


 そう言って椅子から立ち上がったヴィレルは「ご飯にしようか。お腹、空いてるだろう?用意してあるから食堂においで」と食事を誘う。

 イヴェリアもフィーナもこのまま落ち込んでいても仕方ないとヴィレルの後についていって食事を摂った。


 しばらくして。

 食事を取り終えたフィーナとイヴェリアはイヴェリアの私室に戻った。


「そういえば、ルーナとシドルの婚約破棄の報せがシドルが放校になったその日に届いていたの」


 フィーナが切り出した。

 ベッドのヘリに肩を並べて座り身を寄せ合う。


「そう。なら、シドルが生きていたら結婚するわ」

「それは私が先よ。王女様よ?私」

「そう?でもこういうのはシドルの気持ちが一番でしょう?シドルの心を先に射止めたほうが勝ちね」

「だったら私、シドルに指輪を貰ったもん」

「でも、それ、左手の薬指に付けるものじゃないでしょう?」

「それはさっきも言ったけど、私の誓いだから。私は誰のものにもならない。シドルだけを私は見続ける。イヴだってとても綺麗な髪飾りを貰ってるじゃない?」

「そうね……」


 イヴェリアはそう言って髪飾りを弄る。


「私はシドルのかたきを討つわ……そして、真実を知りたい」

「イヴ……」

「私は復讐するの。シドルを追い詰めたアルスと聖女に……そのために強くなるわ。そして、全てが終わったらシドルの傍に行くの。私は、そう誓うわ」

「イヴ………」


 フィーナはイヴェリアの手を握って言葉を続ける。


「ねえ、イヴも私の傍からいなくならないでよ。イヴも私にとっては大切な人なんだから」

「もちろんよ。このネックレスに誓って、フィーナからいなくならないって」


 イヴェリアはネックレスの飾りをギュッと握ってフィーナの目を真っ直ぐに見た。



 シドルの暗殺に挑んだリリアナはもう少しでシドルを殺せるといったところで目の前の光の眩さに視界が奪われた。

 その途端にシドルの気配が消えてしまい【気配察知:4】を駆使してもシドルを追うことが出来ずに見逃してしまう。


「ところで私、どうしてシドル様を殺そうとしていたのかしら……」


 視界が回復すると同時にリリアナの思考を蝕んでいた【主人公補正★】による精神支配が解けかかっている。


(とはいえ、シドル様を見失ったことの報告は必要よね)


 リリアナは【認識阻害:4】を発動して暗殺現場から立ち去った。


 しばらくして、リリアナは大教会の一室に入った。


「ハンナ様、よろしいでしょうか」

「ええ、どうぞ」


 リリアナがハンナの私室に入るとそこにアルスとルーナの姿が見える。


「皆様、おそろいでしたか……」


 リリアナは片膝をついて頭を下げた。


「で、どうだった?リリアナ。あのクソ貴族、ぶっ殺せた?」


 アルスが問う。


「いいえ。想定外に強くて命を奪うことができませんでした」

「そうか……」


 アルスの声色でリリアナの危機感が膨れ上がる。

 だが、身体が思うように動かない。


「この部屋を血の海にするのはいけませんわ。場所を移しましょう」


 アルスが短刀を構えたが、ルーナが制止した。

 ルーナの言葉を聞いてハンナは安堵する。

 部屋が血まみれになるのは避けたかったからである。


「付いてこい」


 アルスの言葉には強制力がある。

 その声にリリアナは従った。


 ルーナは従者に命じて顔が隠れるローブを人数分用意させると、直ぐ様に大教会を出て平民街、スラム街の墓地に足を運んだ。


「ここならいいわよ」


 ルーナの許可が出ると、アルスは剣の柄に手をかけて素早い動作でリリアナの足の腱を切った。


「ぐうっ!」


 腱を切られたリリアナはその場に倒れ込む。


「クソが。失敗しやがってよ。お前が斥候で隠密行動ができるから使ってやってるのにさ。失敗したら足が付いちまうだろ?だからごめんな」


 アルスはリリアナの心臓を目掛けて剣先を向けて勢いよく真下に突き刺した。


「ウウッ!……あっ。ぐっ……」


 心臓と肺に刃が入り、口から血が溢れ出る。

 口をパクパクと動かすがもう声にならない。そして最後に微かに「シドル……さ……ま……」と小さく息を漏らした。

 それを聞き逃さなかったアルスは剣をリリアナの首に突き立てて力を込めて振り下ろす。


「クソが……ッ!」


 リリアナの頭は胴から切り離された。


「アルス。もう良いかしら?」


 リリアナが死んだことを確認してルーナが確認を取る。


「ああ。もう終わったぞ」

「なら、死体はこっちで処理するわね」


 ルーナは従者にリリアナの死体の処分を命じた。

 これでシドルを暗殺を企てたことも、リリアナが暗殺に失敗したことも、そして今ここでリリアナが死んだことも隠し通せる。

 そう確信した。


 翌日。

 ルーナはアルスを護衛に伴ってメルトリクス公爵家へと向かった。

 婚約破棄の正式な調印のためである。既に押印済みの書類にドルム・メルトリクスに調印してもらうだけなのでルーナはその名代として向かったのだ。


 応接室に招かれたルーナとアルスはドルムと対面して会話を楽しんだ。

 ドルムの隣には彼の妻のシーナが座り更に次男のトールと長女のジーナも同席していた。

 というのも、アルスが「ご家族が揃われているのですか」と聞いたことが発端。

 彼の言葉や意思にはある程度の強制力がある。ただ、シーナには効きが弱いのか完全には掌握できずにいる。

 それはシーナがアルスやルーナに向ける視線で察することができた。


「そうですか……シドルはもう……」

「ええ。私どもの騎士たちが助けに入ったときには既に野党たちがシドル様を殺害しており、その遺体ごと持っていかれてしまいました」


 ルーナの説明に納得をしてもらい、シドルは死んだことになった。

 このシドルの死亡報告の前に調印は済んでいるからルーナは婚約者を失ったという醜聞を負わずに済んでいる。


「それにしても、アルスくんには申し訳ないことをしたね。トールにはあのようなことがないように十分に教育をすることにするよ」

「ええ、そうしていただけると私たちとしては憂いが晴れてありがたいですわね」


 ルーナは嫋やかな笑みをドルムに向け、アルスは下卑た視線をシーナに向けていた。


(シーナってイイ女だなぁ。おっぱいもでかいし、いつかヤってみてえ)


 アルスはただの護衛でルーナの背後に立っているだけの存在でしかない。

 そして、アルスはまだ童貞だった。



 フィーナとイヴェリアが抱き合って泣いた翌日。

 それまで学院を休んでいたイヴェリアが登校した。

 イヴェリアより先に教室に入っていたフィーナがイヴェリアを見つけると彼女に駆け寄る。


「おはよう。イヴ」

「おはよう」

「ちゃんと眠れてる?」

「ええ。何とか。でも、それはフィーナもじゃなくて?」

「私はほらこれがあるから」


 左手をかざして指輪を見せる。


「ねえ、指輪についてる石の色、少し変わってないかしら?」

「あ、え、どうして?」


 フィーナが左手の薬指につけている【力の指輪マナ・リング】は普段は黒っぽい色をしている。だけど今は赤い。


「でも、おかしい感じではないわね。どちらかと言うと不思議な力が働いているような……そんな魔力を感じるわ」

「じゃあ、これってシドルが私を守ってくれてるってこと?」

「わからないわ。でも、それはとっても良いものではなくて?」

「そうなのかもしれないわね。だったらイヴがつけてるその髪飾りもそうなんじゃない?だってそのブローチ、イヴの魔力にとっても強く結びついているように見えるよ」

「そう?私にはわからないのよね。とても馴染んでる感じはするけれど。知りたかったら鑑定してもらうのも良いんじゃないかしら?」

「鑑定かー。してもらいたいのはやまやまだけど外すのは絶対にイヤかな。ってイヴだってそうでしょう?」

「ええ。そうね」

「だったら、シドルがくれたものを信じて大事にするわ。私はね」

「私だってそうよ。シドルを一番感じられるものだもの。大事にするしいつだって離さないわ」

「でしょう?」


 フィーナが身に付けている指輪が赤いのは警戒色だ。状態異常攻撃をされていることを示しているのだが、それを解析するには【鑑定★】が必要だ。

 つまり、その効果は永遠に知ることが出来ない。けれど、シドルの期待したとおりにフィーナとイヴェリアはアクセサリーを肌見放さず身に付けている。

 それがシドルが彼女たちにできることだったからだ。


 そうして、物語は主人公による強制力に従って動き続けていた。

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