第7話

 人魚の誘いに乗るからには、もしかすると、俺は今日、ここで死ぬのかもしれない。

 たぶん、いや、きっとそうだ。


 ロモルが色気づくのを待つつもりだったから、もう少し先だと思っていたし、覚悟も先延さきのばしにしていた。

 でも、この世界に未練なんて――苦しい思い、むなしい思いを続けてまで、どうしても失いたくないものなんて――何もない気がする。

 確かなのは、メテルリさんのキス待ち顔が、俺の心をかつてなく揺さぶっているということ。

 くちびるに触れる前から、圧倒的な現実感を放って、俺の心をとらえている。

 ここでキスをすれば、俺は片鱗へんりんだけでも味わえる、という確信がある。


「キェェェ!!」


 悲鳴や奇声と言うのも生ぬるい不快な音が、俺の耳をした。

 と思うと、ロモルが両手でメテルリさんを海に突き落とした。


 なんてことしてくれたんだ!

 と心の底からくやしさを覚えつつ、スケベな俺は、メテルリさんの髪が揺れてちらりと桃色の部位が見えた幸運を喜んでもいた。

 ――許してください、思春期なんです。


 海に落ちたメテルリさんは、ロモルに悪態をくこともなく、海面から頭だけを出してケラケラ笑っていた。

 俺はほっとした。

 メテルリさんが怒らなかったこともそうだが、自分がまだ生きていることに、ほっとしていた。


 俺たちが笑っていると、ロモルが両手で俺の顔をはさんで、自分の方を向かせた。

 何だかただならぬ雰囲気――。

 その刹那せつな、ロモルが仏頂面を傾け、くちびるを俺の口に押し当てた。


 冷たいが、やわらかく、はかなく、そこはかとなく甘い感触。

 突然のことで驚いたが、正直、思っていたほど悪い気はしなかった。


「ロモルには心の余裕が足りないみたいね」


 メテルリさんがからかった。

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