第3話

 同時代の『箱舟はこぶね』はどこもそうだが、『蓬莱島ほうらいじま』は竣工しゅんこう当時から、衛生的で治安が良いという触れ込みで、異島いとう系(昔で言う外国系)の企業を誘致していた。

 私有地を含むあらゆる場所に安全カメラ(昔で言う防犯カメラ)を設置し、犯罪行為があれば5分以内に警察官を送り込む体制を整えていたのだ。

 当然、このエッジにもその頃から安全カメラが設置されている。

 俺はいちいち意識していなかったが、初めてロモルに会ったときは、とっさに近くの安全カメラを探した。

 カメラはすぐに見つかったが、作動中の赤いランプが付いていなかったし、当局は俺にも俺の親にも何も言ってこない。

 きっとあれは故障中で、当局にも放置されている、ということだろう。

 どうやら『蓬莱島』の資源不足は、ネットニュースに流れている以上に深刻なようだ。


 初めて会った日、ロモルは俺に、人魚に食べられるのは怖くないと説明しようとして、そのついでに色々なことを話してくれた。

 人魚がその存在を人類に隠せているのは、人魚たちが8000年以上の歴史でつちかった魔法のおかげ。

 人魚が地盤沈下で人類を滅ぼそうとする理由は、原水爆実験のような蛮行と、水質に対して有害な商品の生産・投棄に歯止めをかけるため。

 地盤沈下と海面上昇の方法は、今となってはエリート人魚のごく一部しか知らない。

 人魚が人間を食べるのも、人魚に恋した人間が美味なのも昔からだが、人間を恍惚こうこつとさせる魔法の歌はあっても、恋に落とす魔法はない。

 人魚と人魚に食べられた人間は、魂と記憶が融合する。つまり、人間は人魚の中で、人魚の一部として生き続ける。だから、人魚は人間を食べることを残酷だと思わないし、罪悪感もない。

 ロモルの容姿と言葉は人魚の大人たちから受け継いだだけのもので、彼女自身はまだ人間を食べたことがない。


 話はどれも具体性と根拠エビデンスを欠き、ぼんやりとしていたが、俺はそれでいいと思う。

 まだ幼く、要領が悪く、勉強が苦手そうなロモルに、詳しい説明は望めない。

 それに、自分も親も『箱舟』で生まれて働いて死んでいくのが当たり前の俺にとって、この話はどこか他人事じみている。

 理性では怒るべきだと思っているが、感情がめたままついてこない。

 たとえば、1万年以上前にアトランティスを沈めたのが宇宙人だと判明したところで、今、目の前に現れた宇宙人を本気で憎み、なぐったり殺したりする気にはならないだろう。

 それよりは、宇宙人の話を聴いたり、友達になったりしてみたいと思うはずだ。

 そんな感覚に似ている。


「聞いてよ、ナオト。シルルときたら、魚はいくらでもいるのに、あたしが苦労して捕まえた、40cmもあるサバを寄越よこせって言うのよ!」


 ロモルと毎週日曜日に会うようになってからというもの、彼女は俺と顔を合わせると、とるものもとりあえず、ガラガラ声を張り上げて、他の人魚の愚痴を言う。

 人魚の話は珍しいから、俺はとりあえずふんふんと聞く。

 ただ、ロモルの愚痴は驚くほど人間くさいので、俺は時々、あるいはしばしば聞き流す。


 シルルはロモルの話によく出てくる人魚で、彼女の他にミミル、ハルハル、メテルリなどもいる。

 どうやらみんなと血がつながっているわけではないようだが、同じグループ(部族や群れのようなものだろう)の同年代として、姉妹同然に過ごしているらしい。

 他の人魚たちの手前、ロモルたちは仲良しをよそおっているが、友達は何かにつけてロモルのドジをからかうので、ロモルはいつも不満をめ込んでいる。

 特にシルルはロモルと五十歩百歩の落ちこぼれだそうで、ロモルとしては、他の誰に見下されても彼女にだけは見下されたくないそうだ。


「あたしムカついたから、シルルが言い終わる前にサバの背中をちょっとかじってやったのよ。そしたらあの、なんて言ったと思う?」


 俺の反応を見ようと、ロモルが一拍いっぱくだけ言葉を切った。

 そのせいで、彼女がシルルを真似る甲高い声が、妙に耳に響いた。


「『ロモルには心の余裕が足りないみたいね』

 テメーにだけは言われたくねぇっつーの!」


 俺を美味しく食べるのが目的だと言いながら、ロモルは俺の前で歌いたがらないし、色仕掛けもしてこないし、猫なで声でご機嫌を取ろうともしない。

 本人には内緒だが、実は、俺は初めてロモルと話をしたときから、そういうことを期待している。

 期待はずっと裏切られてきたし、今後もしばらく裏切られ続けるだろう。

 それでも、俺はこれからも、ロモルに会うためにこのエッジを訪れるに違いない。


 どうせ死ぬなら、面白い死に方をしたいと思っている。

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