庭師とお嬢の花学反応
めぐむ
第一章
第1話
立ちはだかる
俺のような学園を卒業したばかりの庭師が、すぐに任せてもらえるとは思えない敷地面積だ。俺がここで働くことに決まったのは、学園の教師による薦めと百合園家の事情がかち合ったがための偶然だった。
お屋敷の正門を抜けると、広く整備された庭が顔を出す。大きな植木は、俺の本分ではない。
一人娘さんが虚弱だと聞いている。そうした意味で、薬師の資格も持っている庭師が求められていた。そこで、俺が推薦されたのだ。
離れへの住み込みという別格の職場環境だった。薬師として研究してもいいというのだから飛び抜けて別格だ。そうした素晴らしい環境を用意できるのだから、それなりのお屋敷であることは予想済みだった。それでも、直面するとその広さに打ちのめされる。
今まで学園で過ごしてきた。学園都市とも言えるような広い敷地の学園であるから、広さには慣れているつもりだ。寮生活であったから、それこそ庭が広いことにも慣れている。
しかし、施設と自宅では感じ方が違う。道なりに進めば正面玄関だと正門で聞いていた。それを元に進んでいると、少し離れた位置に人影が見える。
一人は小さな女の子で、そばに控えているのはメイドさんだろうか。お屋敷に住んでいるだけのことはあって、お手伝いさんを雇っているらしい。
少女は何かを観察しているようだ。花壇かもしれないが、こちら側から目視することはできない。虚弱だと聞いていたが、庭に出るくらいには元気があるようだ。まぁ、いくら虚弱だと言っても、自宅の敷地内に出られないってことは滅多にないだろう。
俺はそれを横目に進んで、正面玄関へと辿り着いた。重厚な木材の扉を押し開く。
玄関ホールは深紅のカーペットが敷かれていた。天井の高い位置にシャンデリアのような電飾が設置されている。
こういったお屋敷の定番インテリアであるのかもしれないが、生活圏で遭遇したことはなかった。驚きが隠せないままに、様子を見回す。
中に入ってからの身の振り方は、指示を受けていない。しかし、待ち時間はそういらなかった。
静々とした態度で階段を下りてきたのは、男主人だ。百合園の主は、貫禄のあるというよりは若手の主だった。中年にかかってはいるだろうが、エネルギッシュな若当主に見える。
「ようこそ。
「本日よりお世話になります」
どれだけ若当主であっても、こちらにとっては雇い主だ。どこにも舐める要素はなく、俺は畏まってお辞儀をした。
「まぁ、そう硬くならなくていい。そうだな。まずは君の離れへ案内しておくか」
「よろしくお願い致します」
若当主は迷いなき足取りで屋敷の中を進んでいく。離れだと聞いていたので、敷地内を移動するのかと思っていた。どういった造りの離れなのか。ここまでの雰囲気からして、期待は膨らんだ。
正式には、離れに設置されているという研究施設がどの程度整っているのか。そのことが気になっているというのかもしれないが。何にせよ、気になっていることに変わりはない。渡り廊下のような造りを追いながら、その期待はますます膨れ上がっていった。
設備というのは、家格に合うもので揃えられているものだと聞く。耳にした限りではあるが、屋敷の状況を見るに的外れな噂ということはあるまい。
そうして、若当主によって案内されたのは、渡り廊下を奥へと進んでいった先の小屋のような離れだった。小屋、とは便宜上外側の作りをそう呼ぶより他にないというもので、広さはそれなりにある。本家との距離感の狭間には、ビニールハウスと花壇が用意されていた。
その時点で十分過ぎる環境であったが、開かれた扉の向こう側には豪奢な家具が設えられていた。
派手な装飾がされているわけじゃない。けれど、染みひとつないシンプルな家具の価値を見落とすほど、節穴のつもりはなかった。これほど分かりやすいものは見落とすほうが難しい。
俺がその状況に面食らっているのを、若当主は微笑ましそうに受け止めているようだった。幼い子どもになったような気分がして、肩身が狭い。こほんと咳払いをして、姿勢を正した。
「このような環境をご準備頂きましてありがとうございます」
「私もそれほど研究職に詳しいわけではない。一通り必要だと聞くものの準備はしているが、それ以上が必要であればこちらへ言ってくれれば用意しよう」
「そのようなお手間を取らせるわけには参りません」
「職場環境を整えるのは雇い主の仕事であるから余計な遠慮はいらないよ。遠慮するほうがかえって迷惑になることもあるとよく覚えておきなさい」
若当主は、実際よりも若く見えているのかもしれない。お嬢様は何歳であったか。息子さんもいて、職に就いているはずだ。だとすると、若当主は見た目よりも年嵩で威厳も持っているものなのだろう。
俺はその人生経験に甘えて
「ありがとうございます」
と頭を下げた。
俺だって、環境が整備されることに不満などない。
ただ、研究道具というのは、薬師の趣味に踏み込むことも多かった。自分の使い勝手が優先され、こだわればこだわるだけマニアックになっていく。それは趣味で集めるものであって、雇い主に準備してもらうものではなかった。
だが、若当主がそれをしてくれると言うのならば、そこに全力で乗っかかるのも吝かではない。遠慮なくお辞儀をした俺に、若当主はどこか満足げだった。
それから、室内は自由にしてよいという話をされ、俺は運んできたボストンバッグを置いて庭へと出る。
「こちらの花壇と表にある花壇もお願いしたいと考えている」
「はい。何か苦手な花などはありますでしょうか?」
「匂いが強過ぎるものは避けてくれると嬉しい。他にも刺激があるものは娘のためにも避けたい」
「……お嬢様が苦手なものはありますか?」
匂いなどの選別は俺の知識で可能だが、単純な好みに関しては自己判断などできやしない。
若当主は顎に手を当てて思考を巡らす。銀色の長髪が風に揺れていた。
迷うことか。娘のために花壇を用意して欲しいというのが、この話の根本であるはずだ。娘の好みも知らずに持ってくる話ではない。全容を把握していなくても、多少の好みは出てくるのではないか。
微妙な沈黙に困惑を拭えずにいる間に、ぱたぱたと物音が滑り込んでくる。現れたのは小さな少女だ。染みのない鏡のような銀色の髪をなびかせる少女の赤い瞳が、俺たちをじっと見上げている。
遠目には遠近法もあるだろうと感慨も何もなかったが、こうして現れると随分小さかった。隣にメイドが立っていることもあるのかもしれない。
「お父様、その方は?」
お嬢様はとことこと近付いてくる。
薄い桃色のドレス風ワンピースは膝丈で、お嬢様らしい風体だ。年齢は聞いていなかった。それにしても小さい。虚弱と言われれば、そうとしか見えなかった。
お嬢様はそのまま若当主の足元へと近付く。そうして並ぶと、より一層華奢さが目立った。大人と子どもだとしても、やはり脆い。ちょっと足でも引っかければ、どこかが折れるのではないかと不安になった。子どもってこんなに小さかったか。
お嬢様の後を追ってきたメイドは、黙ってそばに控えている。
「新しく花壇の世話をしてくれる庭師さんの
「本当!?」
目を見開いたお嬢様が、キラキラとこちらを見上げてきた。どうやら、大層花に興味があるらしい。その意気軒昂な姿はいいが、あまりに眩しい勢いで慄いてしまった。
「
前傾姿勢で突進してきそうなお嬢様……紫乃様の肩に手を置いて、若当主が気を落ち着けようとする。華奢で虚弱。もっとひ弱なタイプかと思ったが、そうでもないようだ。
「だって、庭師さんでしょ? わたし、待ってたの。お花の話聞けるんでしょ? えっと、蓮司!」
ひくり、と頬が引きつりそうなのをどうにか抑え込む。何歳かはこの際いい。どう見たって子どもであるのだから、呼び捨てひとつ、職に就く年齢になった自分がムキになることではないだろう。
それに、俺が態度に出すより先に、若当主がその肩を叩いた。この場合は窘める意味であるだろう。
「せめて蓮司さんと呼びなさい。花壇の仕事もお任せするし、お花の話もそのときに聞けることがあるかもしれないから、そのときにしなさい。今日はまだ来たばかりだからね。先にお父さんがお話をしなくちゃならないことがある。いいね」
若当主の話が進んでいくと、紫乃様の顔色がしょぼくれていく。そして、こくんと頷きはしたが、不服が満杯に詰まっていた。
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