第4話

8.12-2 modulation


『ようやく血染の硬貨を根絶できるな』

「最高の気分。どうせやるなら派手に行こう」

BOONDOCKsはニヤリと笑うと、ツールボックスから大量の工具を取り出す。

『フルウェポンか。こりゃ、たくさん血をとらなきゃな』

ラドゥが、顎をカチカチと噛み合わせる。

テンションが上がっているのが、側から見てもよくわかる。

「冷蔵庫のストック、全部食べちゃいな」

『あいよ。そっちの調子は?』

「弾丸の装填と増槽の取り付けは終わったよ。あとはカスケードが作動するかチェックするぐらいだ」

『OK。一回テストしよう』

鎧の足元から溢れる血飛沫。

たちまち鮮血に染まるブルーシート。

「いい調子だ、あと五分で出るぞ」

《了解》

BOONDOCKsたちはガレージに戻り、お互い万全の準備を整えていた。

血染の鎧には暗視装置やアンカーといった通常の装備に加えて、様々なオプションパーツを外付けすることでいかなる状況にも対応することができる。

しかし今回はそれらを無視してフルウェポン、つまりは全部のせをすることに決めたのだ。

『しかし……ボーヤを助けなくてよかったのか』

「心配ないよ。彼は案外やる時はやる男だ」

『そうかねぇ』

BOONDOCKsの根拠のない自信にラドゥは若干の不安を感じながらも、汪扑克から事前に提供されていた冷凍のツーホンとアングィッラ・マリナータを掻き込む。

途端に脳内に浮かぶ一抹の不安が、極上の味に上書きされてラドゥの頭からその話題は消え失せていってしまった。


しかし、ラドゥの不安は意外な形で当たることとなる。


    ◇


影街の昼は珍しく空気が軽かった。

いつもは張り詰めた緊張が漂うこの街に、どこか湿った匂いが漂う。

「真昼間からいい場所でいいお酒飲むってのが至高の時間よねー。あなたもそう思うでしょ」

「助けてよ、私はただ親に言われただけで……」

「知らないわよ、あんたの事情は」

気だるげな顔。

気だるげな動作で振られる刀。

吹き飛ぶ耳。

絶叫。

鋭い音がせわしなく室内を駆け巡る。

菱黒白はそれを楽しむでもく、ただ淡々と、それでいて優雅に銘酒を嗜む。

影街グラン・エンペリアの最上階。

下層のスイートから部屋を移して上機嫌な菱黒白は今、一人の女を尋問していた。

女の名はルカ。

現在椅子に深く座らされ、麻縄で手足を縛られているこの少女は友愛結社の二世信者であり、先ほどまで城下と交戦していた。

彼女には絶対的な暗殺の自信があったのだが、あえなく敗北し、気絶してしまったのだ。

そして気づけば、半裸の痴女に尋問されるという運びになったのである。

しかし、彼女は自分が捕まってしまったというこの状況よりも、もっと不可解なことがあった。

「なんであなたまで縛られるてるの!?」

なんと自分を捕まえたはずの城下始が、座椅子に座らされている。

そしてその周りを、頑丈な鋼鉄製の鎖が何重にも巻き付いているのだ。

「まったくその通り。なあ白。なんで俺までこうなってるんだ。もしかして君、怒ってる?」

「そりゃあ怒るわよ。城下、まさかあなたがこんな可愛い女とイチャイチャ……」

菱黒は額に青筋を浮かべながら、刀の切先を城下の心臓に向ける。

その動きは優雅にして凶暴。

「してないよ。殺されかけた。君が尋問するからというから連れてきただけ」

「あら失礼。でも事情が変わったの。言っとくけど私、結構嫉妬してるのよ」

「はぁ、嫉妬」

城下の空返事。

「そうよ。悪い!?」

そのそっけない態度が気に食わなかったのか、ルカの真横にある間接照明が音もなく縦に割れて砕け散る。

「乙女の気持ちが分からないなんて、馬鹿な男ね。いったい私のことどう思ってるのか、言ってみなさいよ」

菱黒は微笑む。

いや、口角を釣り上げる。

さながら、爬虫類が獲物を前にした時のような笑みだ。

すっかり出来上がっているようで、頬には紅潮が広がっているもののその目は狂気を孕んでおり、どこか不気味さを醸し出している。

(え。これもしかして尋問と言いつつ処刑される感じ? 私終わった?)

緊迫した空気の中、横で二人のやりとりを見ていたルカは自分の死を悟った。

しかしまだ一縷の希望はある。

城下だ、城下の返答に全てがかかっている。

ルカは固唾を飲んで、城下の返答に祈りを捧げた。

「嫉妬か。イラついているのは理解できるけど、君がこんな子供相手に嫉妬する必要なんてないだろう。君みたいに綺麗で強い女はいないだろうに」

(……終わった。私もこの男も死ぬ。まとめてこのヤバい痴女に斬られて死ぬ!)

ルカは絶望した。

城下のベタで稚拙な返答に、ただただ驚愕し、彼の言葉選びのセンスの無さに目を見開く。


だが。


城下がそう言い終わるや否や、城下を縛る鎖が音もなく猛烈な速さで粉微塵に切り刻まれていく。

そして、それとほぼ同時に菱黒が城下に抱きついた。

「流石は城下。やっぱり最高。月並みな褒め言葉も、貴方が言ってくれると何よりも得難い喜びよ」

「……そりゃどうも」

「さぁ。私散々我慢したんだからあなたに拒否権なんてないわ。今すぐ愛し合いましょう」

菱黒は城下の手を引いて、ベッドに引き込もうとする。

よほど興奮しているのか、随分と鼻息が荒い。

「よせよ白、落ち着け。今こんなことしてる場合じゃないだろう?」

「そんなことないわ。私が決めたこと、嫌なんて言わせないわ」

菱黒は城下に巻き付くようにその肢体を絡み付かせる。

華奢な身体からは想像もつかないほど、蛇が獲物を締め上げるような力強い動き。

当然、城下は全く身動きがとれない。

そしてその横で、状況が理解できないルカがあたふたしながらも言葉を紡ぐ。

「あの……私はどうなるの?」

ルカのか細い声が響く。

「そういえばいたわね、小娘。あなたもう帰っていいから」

菱黒はルカに向き直り、至極当然とばかりに言い放った。

「え」

「どうせ末端なんて大した情報持ってなさそうだし。無駄に縛ったお詫びってわけじゃないけど、ご飯でも食べて帰りなさい」

机の引き出しを開けて、紙切れのようなものを取り出す。

「これ、ホテルの食事券。寿司だろうがステーキだろうが、一流料理が食べ放題よ」

菱黒はルカの麻縄を切ると、半ば強引に彼女に券を握らせた。

「それより治療が先じゃないのか、あの子の耳飛んでったぞ」

城下が呆れたようにいうが、菱黒は気にも留めない様子だ。

「耳? ああ、そのへんに落ちてるから勝手に拾って。ちゃんと戻ると思うから」

「はぁ……」

ルカは半信半疑にながらも部屋の隅に転がっていた自分の右耳を拾って押し当てる。

すると奇妙なことに寸分違わずピッタリと張り付いた。

まるで何事もなかったかのように。

「じゃあ私、これで帰ります」

戸惑いの表情を残しながら、ルカはぺこりと頭を下げ、足早に部屋を後にする。

「うん、若いんだからしっかり食べてね。ここのはサーモンマリネがおすすめよ」

「どうも」

部屋を出る直前、ルカはちらりと振り返り、菱黒と城下の姿を一瞥した。

その二人の間に流れる奇妙な緊張感と甘さの入り混じった空気を感じ取り、ルカは改めて首を傾げるも部屋を後にした。


「さて、邪魔者はいなくなったわ。うーん、楽しみ。十年ぶりね」

菱黒は目を爛々と輝かせ、舌なめずりをしながらゆっくりと城下に迫ってくる。

その視線は相変わらず獲物を前にした捕食者のように鋭く、どこか妖艶だ。

城下はその様子を見ながら、深い溜め息をつく。

(……ああ、これはもう逃れられない)

そんな諦観が彼の胸中を支配する。

第三者が見れば、それはきっと羨むような光景に違いあるまい。

妖艶な美女、それも自分を愛してるという女が自分に迫ってくるなどというシチュエーションは、普通ならば夢のような話だ。

しかし、城下にとってのそれは全く異なる。

目の前にある光景はまるで地獄の入り口のようなもので、その先に待ち構えているのは彼が決して望まない時間だ。

城下は静かに目を閉じる。

迫りくる菱黒の微かな息遣いが、耳元で聞こえるような距離まで近づいてくる。

「城下、まだまだ日は長いわ。ゆっくり楽しみましょうねぇ」

その声は、ただただ甘いはずなのに、城下の心に染み込むのは冷たい恐怖だけだ。


    ◇


シャドウゲート。

影街グラン・エンペリアに隣接する駅直結型の大型商業施設。

グラン・エンペリアに次ぐ高さを誇り、内部には家電量販店とリーズナブルな食事が楽しめるレストラン街、さらには専門学校と大学のサテライトキャンパスを兼ね備えている。

その中にあるゲームセンター、パスハ。

いつもは陽気な音楽やゲーム機の光で彩られているはずの店内も、営業を終了している今は鎮まり返っていて不気味だ。

しかし、ただ一角。

メダルゲームコーナーだけはその限りではない。

簡易的な照明がつき、その下で怒り声を上げるものがいる。

まるでスポットライトを当てられた演者のように。

「なんと、なんと情けのないやつだろうか。貴重な血染の硬貨を渡したというのに敵前逃亡とは。貴様、それでも信者か。嘆かわしい」

閉店後のがらんとした店内に、大仰な声が響き渡る。

その声の主は、まだ社会に出て数年ぐらいの年若い男だった。

しかし社会的地位が高いのだろうか、着用しているのはその年頃には似つかぬ豪奢な衣服。

さらに、男はそれを完全に着こなすだけの威厳に満ち溢れていた。

「そんなこと言われたって和平様、仕方ないじゃないですか。俺は上玉の風俗嬢の味をたっぷり堪能できるっていうから血染の硬貨の売人なんかにわざわざなったんですぜ」

対照的に菱黒白の元から逃げ帰ってきた売人に、もはや紳士然とした振る舞いも、オーラもない。

目は酷く虚で、足も喧喧諤諤といった有様である。

「野蛮な動機、知れたこと。ええい!それにしてもBOONDOCKs、忌々しい」

和平と呼ばれた男は苛立っている。

親指の爪をギリギリと噛むと、メダルゲームの筐体を蹴った。

すぐさま筐体からはボン、という軽い音と共に大量のメダルが溢れ出す。

「……私自ら出るしかないというわけか」

築かれたコインの山。

和平はその中から数枚を無造作に引っ掴むと、店を後にしようとする。

しかし、その歩みを阻む手。

何事かと思って足元を見ると、売人がすがりつくように和平の足首を掴んでいる。

振り払おうにも、掴む力が強い。

「何をする」

「和平様。どうか、どうかお慈悲を」

「その汚い手をどけろ。貴様にもう用などない」

「そんなことを言わずに待ってください、和平様。チャンスを、どうかもう一度私めにチャンスを」

売人も必死だ。

追い詰められた人間の執念とでもいうべきか、その表情は鬼気迫っている。

「いい加減黙らないか!」

和平の蹴りが、売人の腹部に直撃する。

「ギャっ!」

短い咆哮。

肉が内側から裂けるような音がして、売人の体はゆっくりと宙に半回転する。

そのまま仰向けに倒れ込み、売人は必死に足をばたつかせた。

空調がもたらす人工的な冷気が部屋に充満していたが彼の全身を迸る激痛がコンクリートの冷え込みを遮っている。

男はこれが悪夢だと言い聞かせるがこれは疑いようもない現実だ。

「随分と楽しそうね。俺も混ぜて欲しいわ」

突然、バックヤードに一つの人影。

二人が振り返ると、そこには長身痩躯の美女。

婦警の服装をしているが一目で偽物と分かる。

明らかに寸法があっておらず、身体にピッタリと張り付いて、その隙間から大胆に下着がのぞく。

その上さらに奇妙なことに、腕章や装飾品の類が何一つついておらず、おおよそ公僕の風格が感じ取れない。

「誰だ貴様は」

和平が冷たく問いかける。

「ゼカリヤ。そこの売人さんには随分とお世話になってね。……いや、お世話してあげたのは私の方かしら」

ゼカリヤはフフ、と妖艶な笑みを浮かべると二人の方へ歩み寄る。

彼女の挑発的な視線が店内の空気をさらに張り詰めさせた。

「なんでここにいるんだよ。お前、警察に捕まったんじゃ……」

狼狽える売人。

その顔にそっと手を当てて、ゼカリヤは淫靡な作り声で耳打ちする。

「簡単な話。取り調べのときにサービスしてあげたのよ」

三半規管を舐め回すような、艶かしい声。

それだけでも十分だというのに、ゼカリヤは手と舌をいやらしくくねらせて、卑猥なジェスチャーを取る。

その様を売人が興奮して見つめる一方で、和平は苦々しい表情を浮かべながら口を開いた。

「不潔な女だ。して貴様、どんなデプラポルになった」

「ホースよ。俺の玉肌のように真っ白な、ね」

ゼカリヤは履いているジーンズを大きくずらす。

中から現れたのは、肉付きのいい真っ白な太腿。

照明の問題もあるだろうが、鈍く光っている。

普通の男ならば真っ先に飛びついてしまう様な眩しく甘い肉の誘惑。

ただ、和平にはそんな低俗な行為は通用しなかった。

「つくづく品のない、哀れな奴。……だがホースか。試してみる価値はあるな」

和平は心底軽蔑した目でゼカリヤを見ると、懐から血染の硬貨を取り出す。

「血染の硬貨に取り憑かれた、哀れな者どもに慈悲を与えてやる」

「やったぜ、硬貨だ!」

獲物を見つけた獣のように飛びかかる売人の腕を、和平はまるで蚊で追い払うかのような手つきで鬱陶しそうに振り払う。

「そう焦るな。なにもただで渡すわけではない」

「取引しようってわけ?」

「そうだ」

「それで、和平様。その条件とは?」

二人が前のめりになって、和平に迫る。

和平は彼らの前の迫力に微動だにせず、まるでナレーターが原稿を読み上げるような抑揚のない声で告げる。

「この間、店から無断で血染の硬貨を持っていった愚かな娘がいる。そいつを先にここへ連れてきた方に、これををやる」

和平は、天高く血染めの硬貨を掲げる。

照明に照らされて赤く、妖しく輝くその光が二人を魅了する。

「その娘の特徴は?」

「いわぬ。それぞれ、己が力でなんとかすることだ」

呆気に取られる二人。

ヒントもなにもないのでは、たまったものではない。

それでも和平はもう用は済んだ、と言わんばかりの態度で二人を手で振り払い、店の外へ悠々と闊歩していった。


「なによあいつ、嫌なやつねぇ。大体、あんたもあんたよ。『和平サマ、和平サマ』ってベタベタしちゃってさあ。あんなに嫌な奴の僕になって満足しているわけ?」

和平の姿が完全に消えたところで、ゼカリヤが愚痴をこぼした。

彼女が怒るのも無理もない。

確かに、年若い割には随分と大仰で貫禄のある振る舞いをしているのだ。

ゼカリヤとて娼婦を生業とする女だから、これまでにもああいう手合いは何人も見てきたが和平は別にそういった振る舞いをする必要はないと彼女は思っているのだった。

しかし、売人は被りを振る。

「仕方ないだろう、あの人は凄い。それに、部下になるってのはとんでもない旨みがあるんだ」

「旨みって、例えば」

「和平様はこの街の『支配者』さ。表でも裏でも」

「『支配者』ァ!? それじゃあ、あの人ってまさか」

売人の「支配者」というワードに聞き覚えのあったゼカリヤは驚嘆の声を上げる。

それは彼女の和平に対する怒りに満ちた眼差しが、みるみるうちに羨望の持つものへと変化していくには、十分だった。

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