第2話
8.12 The Times They Are A-Changin'?
「おはようございます!」
耳をつんざくような、突き抜ける声。
部屋の中を一瞬にして満たす、元気な音色。BOONDOCKsは、その声に反応して思わずまどろみを引き裂かれるように目を覚ました。
「おはよう、綾香。で、君の今日の予定は?」
口元に疲れた笑みを浮かべつつ、BOONDOCKsが問いかけると、彼の弟子である斎藤綾香は満面の笑みを返した。
「今日は一日、フリーです!それより、これ見てください。昨日の事件、載っていましたよ!」
手渡されたのは、キヨスクで買ったばかりとおぼしきゴシップ誌と牛乳のパック。
雑然とした一面、二面にタバコの広告とホッケーのスコアが並ぶ。
だが、BOONDOCKsが求めているのはそんなものではなかった。
『人気風俗嬢、禁断の愛!?』
『影街の処刑人、またも活躍か』
記事の見出しが軽薄に躍る。
どこか滑稽な響きを持ちながらも、皮肉なほどに真実を隠し持つ言葉たち。
情報統制によってその中身は薄いが、それでも目を逸らすことはできない。
彼が追い求めていた答えの一部が、そこにあるかもしれない。
「……ふむ」
BOONDOCKsは牛乳を一口含み、ゆっくりと記事を読み込んでいく。
その中身は、影街にある高級風俗店「シャドウエンジェル」の人気ナンバーワン嬢、ゼカリヤの名前とそのゴシップで彩られていた。
ホース・デプラポルの正体は、彼女だったのだという。
彼女は満たされない何かを求めて、ついに人の形を捨てた。
その姿は、まさしく怪物。
自らのファンである女性たちを襲い、次々とその身を蝕んでいったのだと。
ゴシップ誌らしい憶測も、いかにもそれらしい理由を付け加える。
年齢的なリミットの重圧や、日常に潜む鬱屈が彼女をそうさせたと。
「くだらないね」
BOONDOCKsは小さく吐き捨てる。
そんな理屈には興味がない。
彼の目が見ているのは、記事の片隅に写り込んだ現場の写真。
昨日交戦した旧市街地の古びたアパート、その横に散らばった赤い光を放つ破片。
血染の硬貨。
人間をデプラポルへと変貌させる、禁忌のアイテム。
それは、彼が追い求め続けてきたものだ。
BOONDOCKsは視線を固定し、思考を巡らせる。「これで、また一つ、前に進んだわけだ」
部屋の中は、彼が次に向かうべき場所を示すように、静寂に包まれた。
血染武具。
約300年前に偉大なる吸血鬼が流した血で造られた武具の総称。
BOONDOCKsが纏う血染の鎧もその一つ。
しかし、血染の硬貨は違う。
現代で造られた血染武具なのだ。
出所は判明している。
友愛結社────かつて血染の硬貨を造り出した宗教団体。
しかし、そこはすでにBOONDOCKsが仲間達とはるか昔に壊滅させたはずだった。
どうもおかしい。
昨日のホースといい、ここ最近は明らかに友愛結社と関係のなさそうな人間ばかりがデプラポルになっている。
友愛結社が復活したのか、あるいは。
「うわっ」
BOONDOCKsが難しい顔をしていると、血染の鎧の腕パーツが顔を引っ張った。
「なんだよ」
《メンテナンス。それよりもBOONDOCKs、その仏頂面をどうにかしろ。折角綾香チャンが来ているのに彼女にクロワッサンでも焼いて出してあげたりするぐらいのサービス精神ってのがお前には無いワケ?》
ラドゥはおどけながら、指を器用に操作して今度はくすぐりをはじめる。
「フフッ、悪い、ちょっと考えすぎてたみたいだ。綾香、朝食はもう食べたかい」
「いえ、職場から直帰してきたのでまだ……」
それを聞いたBOONDOCKsは意気揚々とサイドカーのキーを持って立ち上がる。
「丁度いい。二人とも、出かけるぞ」
《出かけるって、どこに?》
「小丑軒」
BOONDOCKsは嬉しそうに微笑んで、ガレージのシャッターを開けた。
◇
「綾香、明けの明星が見えるぞ!」
BOONDOCKsは慣れた手つきでサイドカーを操縦しながら、側車に乗り込んでいる綾香に声をかける。
先日まで大型台風が到来して荒天が続いていたので、こんなにも綺麗な朝焼けを見るのは久々のことだった。
「とっても綺麗なんですが……なんとかしてくれませんか、この人」
ん、とBOONDOCKsが横目で側車の方を眺めると、ちょうどラドゥが綾香にちょっかいをかけていた。
《おうおう、レディ。今日はまた一段とセクシーなランジェリーをお召しになっているようで》
イヒヒ、と助平な笑い声を上げながらラドゥは綾香のスクラブを舐め回すようにみる。
頭部だけがカタカタと動き回る姿は中々シュールだが、彼女にしてみればたまったものではない。
「ちょっと! またサーモグラフィー使ってるんですか」
《これもメンテナンスの一環でして……ちょっと言い訳キツい?》
ラドゥは軽口を叩きながらも右眼に埋め込まれた暗視装置を回す。
「もう。そんなにエッチなことするなら放り投げちゃいますよ」
綾香は側車の縁にラドゥを押し出す。
結構本気のようで金属と金属が擦れ合い、火花がバチバチと散る。
《アダダ! 悪い悪い! 冗談だよ冗談……くそっ、これなら腕も持ってくれば良かったぜ》
「もう、全然反省してないんですから!」
ラドゥと綾香はそれからもしばしワーワーと喧騒を繰り広げる。
せわしない会話が続く中、BOONDOCKsは静かに微笑みながらサイドカーを巧みに操り、目の前に広がる景色に目をやった。
朝焼けが鮮やかに空を染めはじめて、静かな街が少しずつ目を覚まし始めだしている。
対照的に、サイドカーの中では綾香とラドゥの騒々しいやり取りは絶えず続いていた。
「まったく…賑やかな朝だな」
BOONDOCKsは小さく呟き、少しだけ加速する。
「先生、ちょっと聞いてます?」
ラドゥとのやりとりに一息ついた綾香が声をかける。
「それよりも先生、今から向かう小丑軒ってどんなところなんですか」
その問いかけにBOONDOCKsは悪戯っ子のようにニヤリと笑う。
「君ははじめてだったか。着いてからのお楽しみだな」
静かにアクセルを踏み込んだ。
◇
「いらっしゃい! 今日も来ると思って待ってたヨー!」
景気の良い挨拶。
声の主は汪扑克。
彼女は年若い見た目だが、身に纏うチャイナドレスやその眼には大人の女性を思わせる確かな品格を感じる。
「やあ汪。今日も元気そうだな」
BOONDOCKsが軽く手を挙げながら答える。
彼女とBOONDOCKsとは旧知の仲で、週に一度はこの店に顔を出す常連なのだ。
「もちろん! ワタシ、BOONDOCKsが来る日を逃したことないヨー!」
汪は少女のような屈託のない笑顔を見せながら、さっそく厨房に向かって指示を飛ばす。
「すごく活気のあるお店ですね」
綾香は初めて見る店を見渡しながら店を総評した。
店構えからしてなんとまあ、古い中華料理屋でなのである。
近年の町中華ブームもなんのその、といった出立ちの店構え。
よく言えばアジがあるといった感じだが、はっきり言って古臭い。
「ここはいつもこんな感じだ。見た目は古いが、味は気に入ると思うぞ。ここのクロワッサンは絶品だ」
BOONDOCKsは綾香の発言を額面通りに受けっとって自信たっぷりに言う。
綾香はなぜ中華料理屋にクロワッサンがあるのか疑問を感じつつも、しばらく待つ。
すると、香ばしいバターとクロワッサン特有のほのかな甘い香りが店内に充満する。
「お待ち! いつものセットね」
汪が小走りにやってきて、テキパキと配膳する。
綾香とBOONDOCKsの前にはオムレツ、クロワッサン、サラダにスープといった典型的な洋朝食のセット、ラドゥの前には巨大なラーメン鉢が並ぶ。
綾香が興味本位で中を覗くと、直方体に成形された肉っぽいブロックが沢山入ったスープだった。
「なんていう料理なんですか?」
《ツーホン。豚の血の塊でな、俺の好物よ》
ラドゥは興奮しているのか、目の点滅をいつもより速めてスープに顔を沈める。
「おっ、やってるな」
その時、二階から痩せぎすの大男が降りてきた。
徹夜明けなのか、若そうな見た目の割には表情や着込んでいるスーツが随分とやつれている。
それを助長するかのように無愛想な表情の表面には、無精髭がまばらに生えている。
「誰なんですか、あの人。店員さんには見えませんが」
「ああ。彼は────」
「城下始。ここに居候してる血染武具絡みの事件専門の情報屋だよ」
BOONDOCKsが口を開くより早く城下が素性を語る。
「仕事柄耳が良くてね、色々と情報も入ってるがまずは食事だ。みんなも早く食べてくれ、ここの飯は美味いから」
城下はそういうと急いで厨房に入る。
そしてすぐにそこから、汪とのやりとりと鍋を炒める音が聞こえてきた。
《居候の性ってやつだな。あのボーヤは本業よりも料理人の方が向いてるぜ》
ツーホンを飲み干したラドゥが軽口を叩く。
血を取り込んだことで表面にあった微細な亀裂が綺麗に修復されており、上機嫌なのだ。
「そんなことはないと思うが。汪の方がまだまだ料理の腕は上だ」
「私もそう思います。まだ城下さんの料理食べたことないですけど汪さんのクロワッサン、とってもおいしかったですし」
真実である。
現に二人の皿からは先ほどまでほとんど手付かずだった料理が消え失せている。
だが、ラドゥは被りを振る。
《そういう意味で言ったんじゃねぇよ。あいつはまだまだヒヨッコなのさ》
「訳を聞かせてもらおうか」
すぐに、厨房からお玉を持った城下が飛び出す。
スーツの上にエプロンを纏う姿は中々にシュールだが、それを言わせぬ気迫があった。
《つけられてるんだよ、ボーヤ》
「なんだって」
ラドゥが左眼の目線を、窓の方へやる。
すると、電柱の影に何か光るものがあった。
《ドジ踏んじゃったな。情報収集にどこへ行ったんだ。危険な橋でも渡ったか?》
「パスハだよ。危険だとは思えない」
「新影街に先週できたゲームセンターですよね。私も同僚とオープン初日に行きました! いいところですよ、メダルのデザインも綺麗で」
ほら、といって綾香がキーケースにつけたアクセサリーを見せる。
「私も友達もメダル使い果たしちゃったんでお土産コーナーで買ったキーホルダーなんですけど。これもまたすごくて。なんと実物大なんですよ! 商魂逞しいなって思うけどこういうのついつい買っちゃうんですよね、あはは」
綾香がペラペラと嬉しそうに話すのに反比例して、ラドゥとBOONDOCKsの顔は曇っていく。
《クソっ、灯台下暗しかよ。残党なんて旧市街地にしかいないものだと……》
「誤算だ。綾香が本物を持っていないのが不幸中の幸いだが」
二人が項垂れる原因は、アクセサリーのデザインにあった。
それはかつて友愛結社たちが使用していた血染の硬貨だった。
それも、壊滅直前に使用されていたもので、一部の人間しか知らない代物である。
《ボーヤ、そのゲーセンで誰に話聞いたよ。その子の身が危ない》
「女子高生。影街中央高校の制服を着てた」
「……時間がかかりそうだな。まずは外にいるやつを捕まえよう。ラドゥ、頭だけだけどいけるか?」
《ツーホン食べて絶好調。ヘッドバット食らわせて泡吹いてもらおうぜ》
意気込む二人。
「ダメっ!」
しかしそれを、すぐに制する声。
声の主は厨房からだった。
「完全じゃないのに戦う必要ないネ。まず城下。あんたの蒔いたタネだから、ケジメつけな。持ってるでショ、血染武具」
「了解」
城下はすごすごと二階に帰っていく。
「それから綾香チャンはワタシと高校行って情報収集。あとBOONDOCKsは鎧準備してパスハへ行って」
「了解だ」
汪扑克は指示を次々に出しながら、綾香を手招きして勝手口へ誘導する。
実に鮮やかな芸当であった。
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