血染武具

TAKEUMA

第1話

8.11 No SAINTS、No HERO.


女の嬌声。

すぐさま上がる悲鳴。

今宵も、犯罪者が一人。


影街。

古い歴史を持ちながら、近代化が進む都市。

善と悪が絶えず交差し、混沌が渦巻くこの場所では光と闇の境界線がどこにあるのかは誰も知ることはない。

輝くネオンの光に照らされることのない、深くて冷たい闇。

その奥深くに立つ夥しい数の摩天楼。

そこから漏れるいくつもの艶かしい黒い光が、まるでその闇を食い破ってしまうかのように、じわりじわりと漏れ出していく。


その光から逃れるように、一つの影が旧市街地の路地裏に逃げ込んだ。

「ブルルッ、フー」

息遣いは重く、不規則。

呼吸音が独特のリズムを刻み、おおよそ人のそれとは思えない。

異形の風貌。

「馬人間」といったところか。

馬の顔貌の下に、人間の体がそのままくっ付いている。

その情報だけだと、まるでハロウィン当日に焦ってコスプレ衣装を買いに行った人のようだがそうではない。

肉体そのものが変貌している。

全身を白色の体毛が隙間なく覆い、筋繊維とそれを支える骨まで肥大化。

掌と足首から先は、蹄のように黒々と硬化していた。

影街を荒らす怪物……「デプラポル」と呼ばれる者達の一人だ。

「聞いていない、聞いていないぞ。この身体がこんなにも強いなんて!」

恍惚の表情を浮かべて、ホース・デプラポルが呻く。

そのとき、風が吹いた。

生活用の換気扇から出た風だろう、などと思えばまだ8月なのになんとも肌寒い。

ホースは底知れぬ恐怖を感じ、恐る恐る振り返る。

「お前か? 影街の人間を泣かせたのは……」

大きな左目が赤く輝く超人が、仁王立ちしていた。

またも異形である。

しかしそれは、デプラポル達とはまた異なる。

血走った甲冑から黒い骨格標本が体外に飛び出したようなフォルムながら、その隙間を縫うようにして機械類が複雑に交差する。

間接の隙間には灰色に変色した骸布が無造作に巻かれて、首の部分でマフラーのように排出されていた。

彼こそが影街の処刑人・BOONDOCKsである。

「泣かせただと! 俺は彼女達を救おうとしただけだ。なのに、なのにあいつらはいとも脆く!」

《そう呻くな。罪を自認するのは辛いだろうが、人は自分の行動に責任を持つべきだぜ》

左目が点滅し、先刻とは違う声を発す。

ラドゥ=“ブラッド”=ドラコーネア。

BOONDOCKsが纏う血染の鎧の初代装着者にして、不死者……なのだが老いは来るので現在は右の眼球だけが残存して、鎧の左目に貼り付いている。

「うるさい! お前に何が分かる」

ホースが動く。

強烈な踏み込むをしたかと思うと、そのまま跳び上がった。

驚異的である。

四階建てのアパートメントまで跳躍できる脚力もさることながら、踏み込んだ地面に敷かれたアスファルトは盛大にひしゃげてしまっている。

「単純な身体強化……シンプルっていうのが一番厄介だな」

《どうする。飛ぶか?》

「いや、こいつを使おう」

BOONDOCKsは右腕を高く掲げて、アパートメントの天井を指差す。

すかさず、手甲から鉤爪付きのワイヤーが音を立てて解き放たれる。

鉤爪が闇を切り裂いて、屋上の欄干をガッチリと捉えた。

《ウォーミングアップか》

「何をはじめるにも準備運動は必要さ」

BOONDOCKsは一気に壁を駆け上がった。

足音もなく、ただ闇と一体化するように上へと上へと昇っていく。

背後のアスファルトの焦げついた音が、今や遠くに響くのみだ。


《追いついたぜ。馬面の怪人さん》

「くそっ、もう来たのか」

ホースは一瞬たじろぐが、すぐにファイティングポーズを固める。

「自分から殴られに来るとは殊勝な心がけだ」

「冗談よしな。そんな減らず口、すぐに叩けなくしてやるよッ!」

先制のフリッカージャブ。

大振り。

BOONDOCKsはそれを易々と躱し、お返しとばかりにチョップをお見舞いする。

側から見ればダウンタウンの一角の喧騒に過ぎない。

しかし、目が眩むようなスピードで両者の攻防は続く。

《どうした。さっきの威勢はハッタリかよ》

「あんまり刺激してやるな。キレて被害が広がると面倒だ」

「う、ううっ!」

突然、ホースが身を翻してまたも跳躍した。

しかも今度は四足で。

「ほら見たことか。踏まれるとおしまいだ。どう対策する」

《槍投げしようぜ。今造る》

ラドゥが血染の鎧を操作し、素早く左腕を振り上げる。

指先から即座に血の槍が形成され、素早く射出された。

血を原料とした、武装作成。

これこそが、血染の鎧の能力である。

ドスン!

血の槍は鈍い衝撃音と共にホースの肉体を貫き、その肉体はバランスを崩しながらゆっくりとアスファルトに落下していった。


「ひどい有様だな」

《ああ、見ろよこれ》

地面に降り立ったBOONDOCKs達が目を見張ったのは、凄惨な光景だった。

自重と衝撃で崩れ去ったアスファルト。

水道管が破裂し、生活排水が漏れ出る。

そしてなによりも目を見張るべきは、天高く大きく怒張したホースのペニスだった。

しかし今や、そのペニスどころかホースの肉体全体が切り裂かれ、その意識は深く、底へと沈んでしまった。

「どうして俺がこんな目に! この俺が……うう」

《あなたがレイプしたからでしょう》

《そうよ! この強姦魔》

薄れゆく意識の中、幻覚の女が次から次へと現れる。現れては刺され、刺されては消えていく。

そんな光景が、無限に続く。

「許してくれーッ!」

ホースは時折身体を跳ね上げてのたうち回る。

「一体あいつには何が見えてるんだ?」

《さあな。だが、ロクでもない夢を見ていることだけは確かみたいだぜ》

ラドゥがそういうよりも早く、ホースの肉体は自壊していく。

全身にはおびただしい亀裂が走り、隙間からは砂塵が吹き上がる。

白い体躯も相まってちょうど石膏像を地面に投げつけたようにさえ見えた。

そして。

「ううっ……ううっ」

「勝負あったな、レディ」

BOONDOCKsはホースの中から出てきた人間を見下ろす。

女性だった。

年若そうな肌艶をしているが髪は伸び放題のざんばらで、その隙間から大きな黒眼が虚な視線をのぞかせている。

その目でどこでもない方向を見つめながら、彼女は掠れた声で呟く。

「俺は、俺はどうなるんだ……?」

「さあな」

《俺たちがしてやれるのはここまで》

BOONDOCKsは踵をかえす。

次の瞬間、どこからともなく風が吹いて街の処刑人は姿を消した。

「ああ、ああああ!」

ホースだったものは咆哮を上げる。

それは新たな人生の産声か、それとも怨嗟の叫びか。

分からない。

それでも、その声をかき消すかのようなサイレンの音が辺りを支配したのだけは紛れもない事実だった。


    ◇


《警察に任せてもよかったのか?》

「しょうがないだろ、ラドゥ。俺たちは悪を個人的に裁いてる。本当ならこっちが逮捕されたって文句は言えないんだ」

BOONDOCKsは血染の鎧の頭部に指をかける。

たちまち鎧全体がバラバラに分解される。

MA1ジャケットとワークジーンズに身を包んだロマンスグレー。

Bill=BOONDOCKs=MacLaine

普段は影街旧市街地でバイクショップを経営しているただの人間だ。

《ハハッ、言えてら。……それより、今週でもう三体目だ。妙じゃねえか》

「それは思う。最近は月に一、二体のペースだったし。……あの事件の再来じゃないといいんだが」

BOONDOCKsは脱ぎ捨てた血染めの鎧に映る自分の顔を見つめる。

もう、若くはない。

目尻に皺が寄ってきたし、最近では髭やもみあげに白いのが混じり出した。

鍛えているし、血染の鎧のバックアップもあるがいつ何が起こるか分かったものではない。

弟子は一人いるが、そろそろ血染の鎧を譲るべきなのか。

影街の処刑人は人知れず悩みながら、バイクショップのソファーでしばしの睡眠を取った。

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