第86話 再び渚にて 5
「ノノちゃん、やったね。大成功だね」
ノノちゃんは相馬に、いつも以上にくっついていた。体をぶつけるくらいくっつけて歩く。渚とよくやるんだ。半分、ぶつかるようにしてお互いに体を寄せ合いながら歩く。相馬はこれまではどちらかと言うとノノちゃんの体が小さい分、いたわるように接していた。水着になってもむやみに触れたりせず、紳士的と言えば紳士的。ただ、ノノちゃんの希望はそうではなかったようなのだ。
渚はそんなノノちゃんを心配してか、水の中ではずっと僕におんぶされていた。そして――ノノちゃんもやってみなよ、競争しよう――って。ノノちゃんは、ぴとっと相馬の背中におぶさっていった。相馬は恥ずかしそう。背中にくっつかれると、いろいろ思う所があるもんな。
ただそれでも、海に入るたびにそうやって遊んでいると、そのうちに相馬もノノちゃんも慣れてきて、自然とくっつくようになってきたわけだ。
「僕らはあんなに時間かからなかったよね?」
「太一くんは外ではなかなかくっついてはくれなかったよ」
そうだっけ?――と、もう遠い記憶だ。
「じゃあ僕らは帰るから」
「またね」
早めに帰り支度をした相馬たちは手を振り駅へと向かう。
「田代たちは? 夕飯食べてから帰るんだろ?」
「ああ、でもな……」
田代が心配してるのは小鳥遊さんだろう。新崎さんたちとは今日だけでかなり打ち解けたようだけれど、場所が変われば話題なんかにも困ったりするかもしれない。何より、田代は小鳥遊さんと仲良くなりたいはずだった。
「ホテルもいくつかレストランがあって、一階の西の方にある小さなレストランなら二人で落ち着いて食べられると思う」
「マジか。ありがとな、太一」
半年前に渚と訪れたレストランを紹介してやると、田代は姫野と話をしていた小鳥遊さんに声を掛けに行った。代わりに姫野がやってくる。
「私はどうしよっかなあ」
「一緒に食べていけばいいんじゃないか?」
「うんうん」
「佳苗でも居てくれたらいいんだけどみんな泊りでしょ? ひとりだけになるからやっぱ帰る」
「わかった」
「あれ? そういえば姫野、ヒロ君は?」
「瀬川が渚とず~っとイチャイチャしてたから、ゲンナリしてサッカー部の方、行っちゃった。――じゃあ私はここで。また学校でね」
そう言って姫野は着替えに向かった。ヒロ君は……まあ、渚のノノちゃんへのアピールが彼にはダメージになっていたようだ。ただ、渚に何を期待されても困るんだけどね。これで諦めてくれれば彼のためでもあるかな。
その後、浜辺でのんびり過ごした僕らは、新崎さんたちと展望レストランでの待ち合わせの時間を決め、二人で少しだけ岩礁の方まで散歩をした。あいにく今は潮が満ちていたため岩礁までは渡れなかったけれど、徐々に人が減り始めた海岸をのんびりと楽しむことができた。
「太一くんと一緒に海なんて、まだ夢みたい」
「ずっと言ってたけどそんなに特別なこと?」
「特別なことだよ! 去年の私、覚えてるでしょ?」
「まあ…………そうだね」
「私ね、去年思ったんだ。体力無くて太一くんを満足させてあげられなくて――」
「渚……」
「太一くんに気を遣わせちゃって。デートもね、外に出かける体力が無くて。二人で海!――なんて夢のまた夢だったんだよ。太一くんが夏を大好きにさせてくれたんだ」
そういえば、汗だくになるのが好きになったと以前話していたな。
「えっと、つまりそれが僕が渚に恋を教えたってこと?」
「う~ん、それはちょっとまた別かなぁ」
「え? じゃあ恋を教えたっていうのは?」
「えっとね……」
渚はいくらか目を伏せながら爪先立ちすると、僕の耳元に唇を寄せてきた。
「(太一くんが、私の中に入ってきてくれたことだよ)」
――それは僕にとって衝撃的な言葉だった。
渚の性欲はすごい。体力がついた今では、かつてのあの内気な文学少女を想像させないほど。そのきっかけは僕とのエッチだった。渚はそれを恋の始まりと考えるほどに陶酔していたのだ。――じゃあ初めてが僕じゃなかったら? 僕が妥協して他の男と経験する機会を与えてしまっていたら? 色々な可能性を考えると、渚はふとしたきっかけで僕の元を離れ、性欲をエスカレートさせていったのではないだろうか。
渚は僕以外の男を異常な程に拒絶する。告白さえも待ち合わせの段階で断り、まるで僕からの誤解を恐れるように男の接近を拒む。もしかして、渚は自分の性欲が極端に強いことを心のどこかで理解しているのではないだろうか。自分の身体が押しに弱いことを恐れているのではないのだろうか。だからこそ頑なに僕の
チュッ――僕の頬にキスをして離れる渚。
「わかったよ、渚」
「ん?」
不思議そうに首をかしげる渚。
「全部わかった、渚の望みが。渚の全部が僕のものだ、誰にも絶対に触れさせない」
「うれしい……」
僕は彼女を思いっきり抱きしめ、キスした。
◇◇◇◇◇
「みんなお待たせ」
「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃった」
二人で慌ててレストランにやってきた。外は日が落ちて東の空には星が見え始めている。
新崎さんたちは、他のお客さんたちとは少し離れた場所の窓際のテーブルに着いて飲み物を飲んでいた。渚のお母さんたちは友達と楽しんできなさいと別の階の和食の居酒屋に行ったから残りの席は僕らの分だけだ。
「時間ぴったりではあるわね。大丈夫」
「私は全部奢りだから文句は言わないよ」
「お二人とも、もっとゆっくりでもよかったのですよ?」
「…………」
二人で席に着くと、渚の隣の奥村さんは顔を赤くして目を泳がせていた。
まあ……なんというか、シャワーを浴びる時間が無かったんだよね……。
さっき渚から打ち明けられた話では、奥村さんは相当に僕の匂い?――が好きらしい。かなり前にそんな話を新崎さんから聞いたことがあったけど、まさかそれが未だにエスカレートし続けているなんて思いもよらなかった。
――ちなみに僕も渚の匂いが大好きなことを打ち明けた。その流れからだった。あと、渚も僕の匂い、特にお尻の匂いが好きらしい。本人はお尻じゃなくて尾てい骨の辺りと言うけれど同じだと思う。どっちにしても到底人に知られるわけにはいかない渚の秘密だった――。
そしてそんな奥村さんのことだ。あの様子では僕らの匂いも気づかれているに違いない。新崎さんたちは冗談で言っているのかもしれないが、奥村さん――友達の女の子に匂いで感づかれてるなんて、もう恥ずかしいなんてものじゃなかった。
「百合ちゃん、何飲んでるの?」
「……ん……ぁ……ノンアルの……カクテル」
「すっごい、大人っぽい」
「だよね! 三人とも平気でこんなの頼むんだよ。すごいよね」
「そうかしら? 私からするとそういう初めての刺激を恋人と楽しめるあなたたちこそ凄いし羨ましいわ」
ね――と同意を求める新崎さんに、山咲さんも頷き、奥村さんも否定はしない。
実のところ、うちのクラスで恋人が居ない代表はこの三人。彼女たちと釣り合う相手が身近に居ないのは、それはそれで寂しいことなのかもしれない。
「私はきっとお父様が婚約者を決めるから……」
「百合さん、あなたまだそんなこと……」
ただ、ハッとした奥村さんは――。
「ごめんなさい、私が変なことを言ったから。今はお食事を楽しみましょう」
ディナーのメニューは新崎さんに任せていた。食べられないものだけ聞かれて、細かい注文は新崎さんがやってくれていた。飲み物は、お酒は当然飲めないので――新崎さんたちは飲んだことがあるらしいが――僕はトマトジュースを、渚は奥村さんと同じ、なんか赤いカクテルを頼んでいた。
前菜には食べたことのない野菜が入っていた。新崎さんに聞くとチコリだという。名前だけ聞いたことがあるけれど、実際に食べたのは初めてだった。
「今の時期なら輸入品じゃないかしら。地元でも少し作ってたと思うけどね」
「これって日本でも作れるの?」
「作れるんでしょう。あまり見かけないけれど」
「鶴田さんに教えてあげたらどうかな? おいしいよね、これ」
「見た目も白菜のミニチュアみたいでかわいいよね!」
「シーザーソースって何に合うのって今まで思ってたけどこれならわかるかもなあ」
「甘くておいしいね。あとちょっと春の山菜っぽい」
「フキみたいな風味が無いから渚でも食べられるね」
「えっ、鈴代さん、フキ苦手なの?」
「だってあれ、土っぽい味しない?」
「渚……あなた土を食べたことがあるの?」
「えっ、小さい頃とか転んで口に土が入ったりしない?」
「しないわよ」
「あーっ、したした! わかる!」
「あら、
「旅館でも渚の伽羅蕗、全部押し付けられたしね」
「瀬川くんお好きなの? 来年、分けてあげましょうか?」
「えっ、いやあ……」
「琴音の家は山を持ってるのよね」
「太一くんが食べるなら私も苦手克服する!」
「ここのパン、外側パリパリでおいしい」
「夕方焼いたものなのでしょう。中もしっとりしてますし」
「スープ、めちゃうまなんですけど!」
「ほんとだ。これって何が入ってるんだろう? 清涼感があるよね」
「……タラゴンかしら?」
「タラゴンね。西洋のヨモギみたいなものよ」
「へー、そんなのあるんだ?」
「スーパーの香辛料のコーナーでは見たことないな」
「スープには生の葉を使うからかしら?」
「これも園芸部で作れないかな?」
「渚……これも作るの?」
「タラゴンでしたら発泡スチロールのプランターで冬越しできますわよ。じいやが作っておりますから。春の新芽はおいしいですよ」
「山咲さんとこ、じいやさんなんて居るの!?」
「はい。お婆さまとは故あって一緒には成れませんでしたが昔馴染みで……ただ、今は仲良く……内縁の夫とでも申しましょうか」
「えっ、琴音。それ初めて聞いた!」
「
「はい。そのようなこともございましたから、お婆さまは私には好きになった方と一緒になるようにと」
「山咲さん、それで好きになれる人を探してたんだ……」
「お父様は宜しいの?」
「お婆さまが壮健なこともあって父は今のところ事業にしか興味がございません。家督に口を出して来ないうちに既成事実を作ってしまおうかと」
「なるほどねー」
「それで? どなたかいい方は見つかりました?」
「それがさっぱり。校外でも何人かとお会いしましたが、あいにく良い出会いがございませんでしたので――」
「ええ、私もよくわかります」
「琴音も麻衣も望みが高すぎるんだよねー。自分のスペックが高いから余計」
「ですので、ここは一念発起。瀬川くんに子種のひとつでもいただければ――」
ブッ――と皆が吹いた。流石に吹き出すのは堪えたみたいだけど、皆ナプキンを口元にやっていた。僕もむせて食べていた魚の身が鼻に入った。
「琴音! 最近変なR15のweb小説読んでるよね? 影響受け過ぎじゃない!?」
「んんっ……琴音さん、あまりそういう言葉は口にされない方が宜しいですよ」
渚は怒るでもなく唇を噛んだままの笑顔でプルプルと震えていた。
当の山咲さんはというと、クスクスと悦に入っていた。
その後、果実酒の氷菓で一息つくまでは皆、お喋りは控えめだったわけだけど。
「えっ、すっごい、おいしそう!」
メインディッシュの肉料理に宮地さんがそれまで以上に破顔する。
「ふっ。澄香は感情豊かで一緒に居て楽しいわ」
「柔らかぁい。お肉ってこんなに柔らかくお料理できるんだ」
「だよね、おいしいー!」
「肉の煮込みって難しそうだよね」
「鈴代さんのご親戚のキャンプ場で食べたBBQの方がシンプルでおいしかったわよ」
「そうですね。あれは良かったです」
「えっ、そんなに? 私も行けばよかったなー」
「澄香は恋人と過ごしたんだから贅沢言わない」
「あっはは」
「来年は澄香のカレもご一緒しましょう」
「あいつどうかなあ。瀬川くんほど肝が据わってないからなあ。部活も頑張りたいらしいし」
「野球部を引っ張っていきたいって言ってたわよね」
「結局、カレは手を出してきましたの?」
ブフッ――山咲さんは油断がならない。
「山咲さん、女子会じゃないんですからもうちょっと控えてくれませんかね……」
「瀬川くんにはこの程度で動揺して貰われては困りますよ」
「う~ん、前に地区大会優勝したら~みたいな話をちょこっとしたことがあるんだよねー」
いや続けるのかよ宮地さん……。
「無理無理、甲子園に連れてってとかアリエナイ」
「宮地さんの恋人がどんな人かは知らないけど、私もちょっとそれは無理かなぁ」
「本当に。そんな悠長に構えていらっしゃったら澄香さんだって気の迷いの一つや二つ――」
「やー、そこまではちょっと無いと思うよ?」
「んんっ。いずれにせよ、澄香のカレにはもう少し焦っていただきませんと」
「そうね、澄香と誰か男子を仲良くさせる?」
「宮地さんって普通に男子と仲いいよね?」
「それもそうね……」
「でしたら澄香さんとどなたかの仲睦まじい写真を……」
「ストーップ! ストップ! ダメですよそんなの絶対。僕だったらこの場に男が居るだけでも嫌です。最悪です」
黙る山咲さんたち。ただ、渚は僕の手を握りしめてくれた。
「……そうですね、失礼いたしました。男性としての瀬川くんの意見を尊重いたします」
「まっ、まあ私たちの事は心配しなくても大丈夫だから」
「ちゃんと話し合った方がいいと思うな。宮地さんとカレ」
みんなが渚に注目する。
「――すれ違いなんて二人の間には最初から起こらない方がいいんだよ。だから恥ずかしがらないでちゃんと話し合って。自分の気持ちをごまかさなければ話す時間なんていつだってたくさん作れるんだから」
「ん…………鈴代先輩の助言には従っておきます」
渚の言う通りだ。僕らの間に起きた問題は、どれも最初からごまかさないで話し合えば何事も起きなかったような問題ばかりだった。そう考えれば、僕の最初の告白はある意味最良の選択だった。すれ違いなんて起きようもなかったのだから。
渚と見つめ合って手を取った。
宮地さんの問題は、それ以上は本人に任せるということで誰も口出しをしなかった。
その後は
◇◇◇◇◇
「先に部屋へ戻っててもらっていい?」
食事を終え、レストランを出ようとすると渚がそう言ってきた。
「奥村さん?」
「うん、百合ちゃん、ちょっと元気ないから……」
食事の途中から奥村さんの様子が少し気に掛かっていた。
渚も当然気付いていたし、何となくそうするとは思っていた。
「先、部屋に戻ってるから」
「うん、記念日なのにごめんね」
「大丈夫だよ」
ありがとう――そう言った渚が戻ってきたのはそれから1時間と少しあとのことだった。その日はただ、口数の少ない渚を後ろから抱きしめて眠った。
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琴音の読んでいたR15のエロweb小説は『堕チタ勇者ハ甦ル』ですね!
まったくロクでもない作者の作品を読んだものです。
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