第72話 アーリオ・オーリオ
「お、お邪魔します……」
「……お邪魔します」
やってきたのは渚の家。いくらか及び腰なのはもちろん僕ではない。一緒にニンニクの試食に誘った相馬とノノちゃん。相馬は――女の子と話すのが苦手だったから――と言い訳はするが、今では全くそんなことは無いし、かつて恋した相手の家に行くのだから思うところはあるのだろう。それをわざわざ口にしないだけ相馬も成長したんだと思う。
ノノちゃんは……まあ、人見知りする感じだからいつもなのかな?
渚は二人をリビングへ案内し、僕はリビングと仕切りの無いダイニングキッチンへレジ袋を降ろす。リビングもダイニングキッチンも間取りはうちの家ほど広くはないけれど、この辺のマンションにしては広い方だと思う。
荷物を降ろしてもらうと、渚はノノちゃんを連れて渚の部屋へ。
相馬は――覗いちゃダメ――と、ノノちゃんにはついてこないように言われる。ノノちゃん的には他の女子、特に渚の部屋は見ないで欲しいと。もちろん、渚も僕もその方が嬉しい。
渚はというと、同じ本好き同士で部屋を見せたいのだそうだ。内向的な僕らは趣味の物を大事にする過程で、そういった趣味の物で部屋を好みに飾ったりする。独り言ちたりなんかしながら。そして人見知りなのに誰かに部屋を見せたい、見てもらいたい――そんな矛盾する欲求を抱えていたりする。
付き合い始めの頃、渚はよく、照れ臭そうに自分の部屋を見せて、趣味の物で飾られた机や棚を、これはね――あれはね――と、それもまた恥ずかしそうに教えてくれたものだった。こちらから聞いたりすると、壁の模様や本棚のカバーの模様みたいな、一見どうでもいいようなものでも彼女には物語があったりする。長い時間、彼女がここで暮らしてきた事実を感じ取れるのはそれだけで楽しかった。
まあとにかく、今はノノちゃんとその時間を楽しんでいるわけだ。
僕はと言うと、洗面所で手を洗ってうがいをした後、乾かしてあった台所の洗い物を拭いて片付ける。渚の家に来ると自分の家のようにそうしていた。僕の様子を見て何だかニヤニヤしていた相馬も手伝うと言って僕に習う。
「別に手間じゃないから座ってくれててもいいんだぞ」
「任せっぱなしは悪いしね。それに、このくらいの手伝いなら家でもやってるから」
相馬の家は母親がいつも居るのだそうだ。加えて下の姉が居る。一昨年までは上の姉も居たらしい。さらに同い年の従妹が近くに住んでいて、ときどき姉達に会いに来るので、父親が夜に帰ってくるまでは男は自分ひとりで立場が弱いとか。田代が聞いたら羨みそうな――いや、流石に身内は嫌がるだろうか――そんな環境だった。
「山崎も相馬くらい要領が良ければなあ」
「山崎? ああ、渡辺さん? 俺、そんな要領よくないから」
「いやいや全然、相馬は要領いいって。弁当くらい作れそう」
「弁当は流石に作ったことないなあ」
「時々作って貰ってるだろ? たまに作ってあげれば? 山崎にもいい刺激になるし」
「そうだな、考えてみる」
フライパンや皿、パスタや一緒に入れる野菜を用意して、レジ袋の中の不要なものは片付ける。
「――笹島さんが言ってた通り、鈴代さんの家の台所は完全に把握してるんだな」
相馬が笑いながら言う。
「うん、まあ渚のお母さんの夕飯も一緒に用意したりするし、やっぱり信用してもらえるよう頑張らないといけないしな」
「こっちはまだ家に受け入れてもらえるかどうかの段階なんだよなあ……」
「んでも、ノノちゃんのお母さんはそこまででもなかったよな?」
「まあね。ただそれでも門限とかはしっかり守らされるよ」
「相馬くん!」
相馬と話をしていると、渚がちょっと声を荒げてやってきた。
「あのあの……」――ノノちゃんが渚の袖を引っ張っていた。
「――相馬くんの従妹の子、部屋に入れてるってほんと!?」
「えっ、ああ、そうだけど」
「ノノちゃんがそのこと気にしてるって。かわいい子なんでしょ? クラスのアイドルって聞いたよ!?」
「あわわわわ……」
「和美、そうなの? わかった、もう部屋には入れないから。安心して」
相馬はそう言うけど、姉と同じくその従妹も勝手に部屋に押しかけてきそうだけどなあ。少なくとも以前に相馬から聞いた感じじゃ……。僕が微妙な顔をしていたからか、相馬は僕を見ると――。
「――いやその、クラスのアイドルかどうかは知らないんだけど、取り巻きは多いね。勘違いされないよう、これからは気をつけるよ」
僕に言われてもな……。
「べ、別にそんな勘違いとかじゃないからね……」
「渚もあんまりノノちゃんたちの事に首を突っ込まない」
「だってぇ」
弱弱しくノノちゃんが言うものだから一応、口を出しておいた。
渚の言う事は間違ってないかもしれないけど、ノノちゃんにはノノちゃんのペースもあるしね。どうしてもって言う場合は助ければいいと思う。
「ほら、夕飯作ろ。ニンニクのパスタだけじゃお腹空くし」
ニンニクを使って何か作ろうという話になって、鶏肉のソテーになった。シンプルだけど、鶏肉の臭みを消すのにニンニクはもってこいだし。胸肉をそのまま焼いて、あとで切り分けようということになった。楽だしね。
そしてニンニク。先の葉がまだ青くて、東條先生が言うにはこの青いニンニクの葉を使って中華料理を作ればものすごくおいしいのだそうだ。とりあえず、切って取っておく。そして普段なら、カラカラに乾燥した皮をむいていくのだけど、その皮がまだ瑞々しいんだ。
「「ほおおお、すごいぃぃ」」
――と、感嘆の声を渚と一緒に上げてしまった。
「これ皮だけでも料理に使えそうだね」
「シャキシャキしてそう」
少しのヌメリと厚みのある皮を剥きながら、ニンニクの身の部分を取り出す。瑞々しい白い薄皮に包まれた芯の部分は真っ白な塊。半分に割ると芽の部分がまだとても小さいのが分かる。
「芽がぜんぜんわかんないね。半分にしないで輪切りにしよう」
「スーパーのと全然違うね」
少し厚めの輪切りにしていくと、ニンニクの香りが立ってくる。
「切ってるだけで楽しい」
「私にもやらせてー」
「ニンニクだけでよくそれだけ楽しめるね。流石は瀬川と鈴代さんだよ」
新鮮なニンニクに二人で燥いでいると、相馬が呆れたような顔でそう言った。
コクコクとノノちゃんも頷くが、流石ってほどのものなのだろうか。
とにかく、ニンニクを切って、ニンニクの皮は香りづけになるだろうかと細く千切りに裂いて、塩と一緒に鶏肉に揉みこんでみた。あとはゆっくりソテー。その間に相馬たちに手伝ってもらって簡単なサラダを用意してあとは焼けるのをのんびり待つだけ。
「ほんとに手間がかからないんだな」
「焼き目が付くようにほぼ放置だしね。あと和食の煮物なんかは渚任せだけど」
「おいしい煮物を用意するのは妻の役目だからね!」
「鈴代さんには敵わないよ」
笑う相馬。渚と一緒の時は放置しておける料理がいい。タイマーだけは忘れないようにしないといけないけど。
◇◇◇◇◇
渚のお母さんの分の肉は焼かずに後にして、出来上がった鶏肉のソテーとサラダ、そしてアーリオ・オーリオを皆で食べた。
ほぼほぼ塩とニンニクだけの味付けだったけれど、やっぱり取れたてのニンニクは違った。水分が多いからか柔らかく、ローストも控えめにしたこともあって甘かった。ソテーの方のニンニクもほくほくしていて芋のよう。ローストしていると極ちいさな芽が分離したりしたけど、ロースト控えめなら焦げ付く心配もなかった。
「電車で匂うかもね」
――なんて笑い合った。それでもおいしいものはおいしい。
◇◇◇◇◇
翌日の朝、いつものように駅で待ち合わせした渚と登校する。
ペコ――駅からの道の途中、渚のスマホが鳴る。
スマホの画面に指を滑らせた渚は、えっ――と小さく声を上げて立ち止まる。
「えっ!? えっ、ええっ!?」
渚がさらに目を丸くして声を上げた。
僕は渚に声を掛けてスマホを覗き込む。
そこには、七虹香から送られてきた雑誌の写真が。
小さくて見辛いけれど、雑誌の写真に載っていた女の子の二人組は渚と鈴音ちゃんに見えた。
◇◇◇◇◇
先を歩く鈴音ちゃんに声を掛け、僕らは急いで2-Aの教室へと向かった。
そこでは既に、七虹香を中心にクラスメイトが集まっていた。
七虹香以外にも、雑誌を持っている生徒が居る。
「あっ、ほら渚! これこれ!」
朝の挨拶も後回しに、七虹香は渚を呼んで雑誌を見せる。
七虹香が手にしていたのは地元の情報誌『ジルコワール』。タウン誌と言えど、有名な劇団が鎬を削り、著名人も多く輩出した町のタウン誌と言うこともあって、芸能やファッションの情報にも敏感でうちの高校の生徒たちもよく読んでいた。加えてネット上のサイトとの連携も強く、フットワークが軽い。
「うん、間違いないと思う。少し前の学校帰りに鈴音ちゃんとお買い物に行ったとき、声を掛けられたの」
「断ってたのに勝手に載せて!」
――ただし劇団関係者と同じく、モラルは低いようだった……。
「別に載るのはいいんだけどさぁ……やっぱ勝手に撮ってたんだ?」
あたしも載ったことあんのよね――と七虹香は言う。七虹香ならまあわかる。が、なんで渚が。僕は七虹香に借りて渚と記事を読む。
――こうして辿り着いた彼女、Nさん。制服、それからお友達とお揃いの髪型という情報が頼りでしたが、以前より複数の男性読者から『会ってお話したい!』と投書があったんですよね。彼らに写真を確認して貰ったところ、全員が彼女で間違いないと。Nさん本人は、ちょっぴりシャイですがスタイル抜群のスポーティな印象の美人。今回は残念ながら後ろ姿だけなのですが、次回こそはぜひご対面していただいたいですね!
――そう書かれていた。ロケーションは以前、渚とも行った小さめのアパレルショップが立ち並ぶ通り。渚はあまり行かないような場所。後ろ姿と書いてあるけれど、真横に近い斜めからの写真からは渚のスタイルの良さが見て取れる。わざとこの角度にしたのだろう。渚はシャツの上からカーディガンを羽織っていてリボンなんかは写っていないけれど、無地の、黒かダークグレーに近いシックな紺のボックスプリーツはこの辺の高校ではうちだけ。
「とりあえず……どうしたらいいんだこれ?」
「ジルコワールの編集部に文句の電話かけるとか?」
「渚のスマホから掛けちゃダメだよ」
「これってつまり、渚に会いたがってる人が居るのよね?」
「えっ、こわ……」
「鈴代さんなら大丈夫でしょ」
「とにかく載っちゃったものはしょうがないわ……瀬川くん、しっかりボディガードしなさい」
「ああ、うん。それはもちろん」
とりあえず、僕のスマホから渚は編集部に電話をかけて文句を言っていた。
それでもやはり懲りないのかしつこく渚への取材を取り付けようとしてきたので、僕が変わって怒っておいた。
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よし解決!――――なわけないですよね。
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