第67話 ハプニング

「えっ!? なんで? 壊れちゃった……?」


 何度回してもスカスカと手ごたえの無い錠のツマミ。焦ってスライドドアをガタガタと揺らしてみるけれど鍵はかかったまま。


「――うそっ、これって壊れるものなの!?」


 天井近くにある採光窓から稲光が一瞬、体育用具室を照らす。

 一秒を数える間もなく雷鳴が轟いた――――。







 ◆◇◆◇◆



 来週末に体育祭を控え、金曜日の午後、二年生全体で全体競技の予行演習を行っていた。

 体育祭前の学校全体での予行演習は無く、テントの設営なんかも業者がやってくれる。個別の競技の打ち合わせや調整なんかは、生徒会と体育祭実行委員がやってくれているらしいので、事前に僕らがやることはこの学年での予行演習だけだった。


 予行演習とはいっても、綱引きだけはどうしても時間がかかるために予選を先にやっておく。以前はトーナメントでやってたらしいけれど体育祭実行委員を通じて――点数が多いのに不公平――というクレームが多く、今ではAリーグとBリーグでくじで分けて総当たり戦を行い、本番では最終的な得点を決めるために各リーグの同じ順位同士で一戦交えるだけ――となっていた。


 たださあ――。


「みんなー! やるわよー!」

「「おおー!」」


 ――という綱引きの前の掛け声が、うちのクラスだけやけに黄色い。

 当然だろう。だってA組は女子の割合が多い。他のクラスでは女子が僅かに多いか同じくらいで、男子の方が多いのはB組だけ。男女の数の調整はそれぞれ少ない方に合わせるから、対抗してくる相手クラスは当然、男子の中でも選りすぐりのメンバーを揃えてくる。こうなるとうちは弱い。実際、昨年の綱引きは最下位だった。


「じゃあ、手筈通りね」


 新崎さんの指示で背の高さの順番に整列した僕ら。当然、男子は全員参加。僕も軍手を付けて並ぶワケだけど……ちゃんと計ったところ、どうも僕は今、クラスでギリいちばんで背が高いらしかった。


「ハハッ……」


 2-Aの先頭にはそんな風に笑う僕が居たためか、Aリーグ最初の相手は完全にこちらを舐めきっていた。新崎さんには――瀬川くんの普段のあのやる気のない表情でせいぜい相手を油断させなさい。やる気を顔に出しちゃダメよ――と指示されていた。――いや失礼なやつだな新崎。


 苦笑いで前に立つ僕。すぐ後ろに相馬。長袖を着て脇に抱え込むように綱を持つ。


 合図の旗が振り下ろされる!――――と、手ごたえと共に体が後ろに傾く。慌てる相手クラス。


 ――え? いや、え?――なんか急に自分が力持ちになったかのように綱が引かれた。




「マジかよぉ!!」

「油断したぁ!!」


 去年最下位だったA組に負けた相手クラスの男子は思わぬ敗北を嘆いていた。それに対して女子の一部は――。


「手、擦っちゃった。痛い~」

「臭い~」


 なんて文句を言いながら綱を手放していた。綱引きの綱って臭いもんな。うちのクラスの女子も去年はあんな感じだった。ただ、今年は新崎さんが発奮させ、インストラクターさんに綱引きのコツを聞いてきてもらったこともあって、女子もがっつり脇に抱え込んで綱を握っていた。


「俊くんやったー」

「みんなすごーい」

「田代もよくやった!」


 そしてこの声援。余ったクラスメイトは傍で応援するのだけれど、同じ応援でも相手チームが男子なのに対して、こっちは今回、ノノちゃんを筆頭に女子が応援の練習をしてまでクラスの男子のやる気を起こさせていた。


「やったぞぉぉぉお!」


 列の後ろでは黒葛川が叫んでいた。クソ真面目で暑苦しい男は綱引きのアンカーを務めていた。なんだよアンカーって。綱引きにアンカーなんてあるのかよって思ったらあるらしい。インストラクターさんに指示され、黒葛川がその役に就いていた。


 ま、要するに、僕のようにやる気のない奴はひとりも居ないって訳だ。



 ◇◇◇◇◇



 二本先取の試合を順調に二戦ほど勝ってくるとさすがに相手クラスも警戒してくる。僕のスマイルも通用しないっぽくて、三戦目、女子も男子もやる気があるチームに初めて負けた。運動部も多いみたいだったし、僕らとしては健闘したと思う。それでも、新崎さんを始め、主に七虹香や姫野といった女子のメンバーは悔しがっていた。


「次こそ頑張ろ! 絶対大丈夫だって!」


 渡辺さんは、文化祭の頃の気弱さなんて欠片も見せていなかった。あれから彼女はバレーボール部でベンチ入りし、二年になった今ではレギュラーだ。


「――次はB組相手だから15人だね!」


 B組相手は男女の人数差がある。相手が男子を選りすぐってきてるなら、こっちは女子を選りすぐってやれと、なかなかに迫力のある女子が揃っていた。背の高い渡辺さんを筆頭に、筋トレを欠かさないという奥村さん、完璧超人でリーダーの新崎さんに下半身の筋肉がついてきた渚もすごくやる気に満ちていた。そして七虹香や姫野、宮地さんといった元気の有り余る陽キャの面々。運動部であるはずの鈴音ちゃんや星川さんの出番さえ無いほどの選抜っぷりだった。



「瀬川! 調子に乗ってるようだがA組には負けねえから!」


 B組の前から3番目くらいに居る糸井がそう言ってくると、他の男子も呼応する。

 ただでさえA組に対抗意識の高いB組は、糸井たちが合流したことによってか、さらに熱を上げているみたいなんだが――。


「いやあ、僕に言われても……」


 矢面に立たされる僕がいちばんやる気が無いんで困る。


「糸井に負けるなー!」

「俊くんがんばれー」

「糸井君? 曽我さん、最近、鈴木君と仲がよろしいんですのよ。ご存じでした?」

「は……え……?」


 七名からなる女子の応援の中、呟かれた山咲さんの言葉に――うわあ――なんて思っていると合図の旗が振り下ろされた。


 一瞬、出遅れた糸井の分、僕らはリードした。だが不意打ちだけではない。うちの女子と相手の女子とは地力の差が大きかった。リードするばかりか、大きく綱を引き抜いて圧勝してしまったのだ。B組には確かにA組から落ちた運動部の生徒が居たが、B組自体にそこまで運動の得意な生徒が居たわけでは無い。運動の苦手な雪村といい勝負な生徒も多かったわけだし。



 そうして僕らはB組相手に二本先取し、予選でAリーグ2位となったわけだが――。


「寒っ」

「急に空気が冷たくなってない?」


 ゴロゴロ――と空が鳴った。


 六時間目の途中、雲行きがみるみるうちに怪しくなっていく。


「やばいやばいやばい、みんな、道具の片付け手伝ってえ!」


 雷と共に、にわかに振り出した雨。宮地さんと大村がみんなに声を掛けている。

 僕はとにかく近くにあった綱引きの綱をB組の男子とも協力して片付ける。

 他のクラスの生徒たちも道具の片付けに走り回ったり、雨を避けて校舎へと走っていた。



 ◆◆◆◆◆



 金曜日、私は朝から上機嫌だった。

 先週の誕生日から一週間ほど、ずっと中途半端になってしまっていた太一くんへの想いがようやく満たされる。今日の夜は太一くんちにお泊りの予定だったから。ただ、朝から太一くんとのエッチを期待してるなんて知られたくない。思わず漏れそうになる含み笑いを我慢しながらその日を過ごした。


 お昼休みを終えると新崎さんから、今日は夕方から天気が崩れそうなのでいつものトレーニングは無しと連絡を受けた!――となるとあと3時間ほど我慢すれば太一くんと一緒になれる! 午後からは予行を兼ねた学年の合同練習。綱引きの予選に入るころには――あと2時間!――なんて考えで頭がいっぱいだった。


 綱引きでの勝利の高揚と、太一くんへの想いが一緒くたになって、私は今までにないくらい――いいえ、体育祭や運動会と呼ばれる類のイベントで初めて、はしゃぎまわっていた。周りのみんなも、勝てる喜びで興奮していた。


「渚、あんたほっぺ真っ赤!」


 七虹香ちゃんに指摘される。一年前までは考えられもしなかった。

 太一くんと一緒になってから体調が悪くなることが全く無くなった。

 太一くん…………太一くん大好き…………太一くん、早くいちゃいちゃしよ…………あと1時間…………。


 勝っても負けても楽しかった。皆で埃まみれになって楽しんだ。


 キャー!――女の子の悲鳴が聞こえた。雷が鳴った。冷たい雨が降って来たけど、私はまだ興奮のさなかに居た。宮地さんたちの声に従って、辺りの持って行けそうな道具を運ぶのを手伝った。


「あっ、ごめん、それ体育用具室。それ最後だからお願いできる?」


 体育館の玄関先の軒下に集められた道具は体育祭実行委員の元、片付けられていた。

 途中、太一くんたち男子は土まみれになった綱を片付けていたのが見えた。

 私は最後に転がり落ちていた古いバレーボールを拾い、用具室に運んだ。



 ◇◇◇◇◇



 えいっ――と、気分が乗っていた私が入り口から放り込んだボールは、ボール籠のポールに当たり、跳ねて用具室の奥に転がり込んでいった。もともとボールの扱いが苦手な私はこういうことをやっても様にならない……。ボールを拾いに用具室の奥へ行く――と、体育館の方から騒ぐ声が――。


「お前のせいで負けただろーがよ!」

「つかアヤネにまた色目使ってたろ」


「……彩音の方からだって」


「ユイちゃんともいちゃついてんじゃねえぞ」

「マジでうざい」


「……それも違う」


「ここで反省してろ!」


 ビタッ――と誰かが体育用具室の硬い床に転がされるような音がして、ドアが閉められる。鍵が掛けられる音や他にもバタンとかガタンとか音がして外の声の主たちは去っていった。


 部屋の奥から覗き見ると床に座り込んでいる体操服の男の子。ブツブツと何か言っていた。


「あの…………大丈夫?」


 ビクッ――と跳ねるようにこちらを振り返ったその男の子は、雫ちゃんのお兄さん、祐希君だった。


「……べ、別に」


「そ、そう? 何かあるなら文芸部にでも相談に来て。雫ちゃんも居るし、うん。――じゃあ私は行くね」


 苛められてるのかなとも思ったけれど、それを解決するのは別にここじゃなくてもいい。私は自分に言い聞かせるかのように納得させる。今はとにかく、こんな場所で男の子と二人だけで居たくはなかった。が――。


「えっ!? なんで? 壊れちゃった……?」


 何度回してもスカスカと手ごたえの無い錠のツマミ。焦ってスライドドアをガタガタと揺らしてみるけれど鍵はかかったまま。


「――うそっ、これって壊れるものなの!?」


 天井近くにある採光窓から稲光が一瞬、体育用具室を照らす。

 一秒を数える間もなく雷鳴が轟いた。


 私はちょっと焦る。雨で服が濡れている。幸い、綱引きのために上は長袖を着ていた。改めて透ける心配が無いのを確認すると、ジャージのジッパーをいっぱいまで上げた。ただ、運動をしていたからスマホを持っていない。


「誰かー! 開けてー!」


 ガタガタとスライドドアを揺すりながら呼びかける。

 ただ、外の雨音と雷で掻き消されている気もする。


「……前にもあったんだ。それ」

「えっ?」


「前に閉じ込められたときに内側の錠が馬鹿になってた」

「えっ、じゃあどうやって出たの?」


「……部活の子が開けてくれたかな」

「ええ、そんなの困る……」


 欲求不満と興奮とモヤモヤがごちゃ混ぜになっていた私は思わずその場で足踏みしてしまった。


「トイレ?」

「はっ? ハァ!?」


「いや、トイレかと思って」

「そんなわけないでしょ!」


「はぁ、しょうがないな……」


 何がしょうがないの!?――女の子に何を聞いてるのこの人!


 祐希君は立ち上がると、一旦ドアから離れ、勢いをつけてスライドドアにぶつかっていった。


 ドン!――と大きな音がしてドアが揺れるけど、開く様子はない。


「……チッ……開かないか」

「ちょっと……怪我したら意味ないよ、やめとこう?」


「……いいんだよ、僕なんて怪我したって」


 彼は悪態をつきながら今度は採光用の窓によじ登る。ただ、あれは斜めに開く窓で、どう見ても人が通り抜けられるような窓ではない。


「危ないよ。本当に怪我するから! やめなよ」


 私は少し苛立ちを含む言葉でそう言った。

 それでも彼はやめようとせず、結局滑り落ちてしまった。

 ただ、指を切ってしまったみたいで少し血が出ていた。

 ちらりとこちらを見やった彼は、何か言いたげにしていた。


「はぁ…………」


 朝のあの上機嫌から、まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。

 先ほどまでの興奮が落ち着いてくると濡れた服の冷たさが伝わってきた。

 寒い…………悲しい…………。


 そうしていると、祐希君がおもむろに近づいてきて、スッ――と私の肩に触れようとした。


「ちょっと! 何するんですか!」


 慌てて彼から距離を取る。


「……いや、震えていたから」

「震えてたからって女性に無断で触れないでください!」


「……そうかよ」


 そう言った彼は眉間に皺を寄せていた。

 私は最初、彼に太一くんに似た雰囲気を感じていた。けれど今はそんな風に思った自分が恥ずかしい。太一くんと彼とは何かが決定的に違う。なんだかちょっと……成見さんが殴ってしまったという話がわかってしまう。


 私はこれ以上彼と一緒に居られないと、手近で使えそうなものを探した。


「あ、これ…………」


 用具室の奥から探し出してきたものは、国旗がたくさんついたロープ。こんなの、去年も使った覚えがない。ビニールが傷んだりしてるので古いものなのだろう。私はそのロープの先に埃をかぶった古いテニスボールを括り付け、祐希君が開けた採光窓から何度も外に投げようと試みた。何度目かに外に飛び出したボールは、途中でロープから抜けてしまったのか、手ごたえが軽くなってしまった。


「……こんな雨で体育館の前なんて誰も通らないよ」

「そんなことありません」


「……あと1時間もしないうちに部活の誰かが開けてくれる。それまで我慢するしかないよ」


 まだトイレのことを言ってるんだろうか!


「私には、ちゃんと探してくれる人が居るんで――」

「渚!」


 言い終わる前に、雨音の中、声が聞こえた。


「太一くん!」

「渚!」


 窓のすぐ外から聞こえた!


「太一くん、用具室! 中からだと鍵が開かないの!」

「わかった」


 太一くんはすぐに入口の方へ回ってくれ、戸を開けてくれた。

 中を見た太一くんは、一瞬ぎょっとした顔をした。


「太一くん、ありがとぉ。よかったぁ」


 ――けれど私が抱きついていくと顔をほころばせてくれた。







--

 ラブコメですね!(?)


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