第28話 渚にて
「さむうぅぅぅぅぅぅうい!!」
渚の半分笑い、半分悲鳴のような声。かなり大きい声だったのだけれど、風がビュービュー鳴っていて少し離れればかき消される。お出かけ初心者の僕たちは、何を思ったか――いや、計画時は素敵なお出かけだと考えていた――海浜公園に来ていた。冬の寒い日に! 天気は確認したけど、風は見てなかった!
ただ、人は少ない。そこはお出かけ初心者の僕たちには都合が良かった。
大声を出してもほとんど風がかき消してくれるので誰も気にしない。
僕たちは子供のように大声を上げてはしゃぎまわっていた。
「やばい、やばーい!」
「楽しぃぃぃぃい!」
『あんたたちバカなの?』
渚は鈴音ちゃんにビデオ通話を掛けていた。
「「あははははははっ!」」
鈴音ちゃんの辛辣な言葉さえ可笑しくて、二人で大笑いした。
『ゴーゴー言うだけでまともに聞き取れないわよ!』
ひーひー言いながら芝生の上を笑って走り転げて鈴音ちゃんに呆れられて、芝生の上でコートの上から抱き合ったりしていた。おかげであちこち枯れ草だらけだ。鼻の先や耳は赤くなっているし、またそれがおかしくて大笑いした。鈴音ちゃんに見せると、以前、姫野対策の際に作ったコミュニティに――バカップル――と題した二人の顔が映った画面キャプチャがいくつも回ってきた。
『すみか:バカップルだ!!!』
『ことね:まあ、羨ましいですね』
『すずね:バカでしょ、さっきからビデオ通話でこんな状態なのよ。バカ笑いして』
『まい:ちょっとこんな日に海浜公園行ってるの?』
『ゆり:これはなに?』
『としかず:瀬川アクティブすぎ』
『ノノ:私も行きたい……』
『すみか:ノノちゃん行ったら死んじゃう!』
『まい:悪いことは言わないからやめておきなさい』
『ノノ:ええ、行きたい……』
『としかず:もっと普通の日に行こう』
『ともみ:楽しそう。わたしも行きたいなあ』
そう。なんとコミュニティ名『Himeno』には姫野本人が居たりする。渚が招待したからだ。そして雑につけたコミュニティ名は変えることもなくそのまま使われてる。姫野は気にした様子もないけれど、いいのか姫野。
二人してそのログを見て、大風の中また大笑いしていると、風で髪がぐしゃぐしゃになった今現在のキャプチャも回ってきて、さらに大笑いした。
『ともみ:渚、髪くしゃくしゃになってるよ』
『まい:怪我しないうちに帰ってきなさいよ』
『ことね:あら、瀬川くん、口紅が付いてますよ』
『すみか:ほんとだ!』
『まい:ちょっと、恥ずかしいわね。顔どうにかしなさい』
『ともみ:渚、ちゅーしたの!?』
『ノノ:私もしたい』
『ことね:相馬くんはしてくれないのですか?』
『ゆり:うわあ』
『ノノ:1回しかしてくれてない』
『としかず:ちょっと和美!? そんなこと書かないで!』
『すみか:ノノちゃんって文字の方がよく喋る?』
『すみか:甲斐性なし!』
『ことね:とんだ甲斐性なしですね』
僕と渚は芝生に寝転んでコミュニティのログを眺めていた。僕たちから始まった火種は燃え上って相馬に飛び火していた。
「そろそろ戻ろっか」
「そうだね」
コミュニティにそろそろ風の当たらない所に移動するとだけ書いて、海浜公園を後にした僕たちは少し歩いてリゾートホテルに立ち寄る。
中に入ると、渚がハンカチで僕の顔に付いた口紅を拭ってくれた。
化粧室に立ち寄ってから、お互いに取り切れていない枯草を取り除く。
ホテルの一階に入っているレストランに向かい、ちょっと早めの昼食にした。
渚がウエイトレスのお姉さんに料理の写真を撮ってもいいかと聞くと、快く承諾してくれた。お店の名前を書いて料理の写真を、未だに騒いでいたコミュニティ:Himenoに投げる。
『すみか:おいしそう!』
『ともみ:おいしそう!』
『すずね:美味しそうなもの食べてるわね』
『ノノ:じゅるり』
『すみか:これってどこのお店?』
『まい:海浜公園だからリゾートホテルかしら』
『すみか:ホテル!』
『ことね:まあ、今夜はお楽しみですね』
『なぎさ:違うから!』
『ゆり:とまるの?』
『なぎさ:ご飯食べに来ただけ!』
「渚、冷めちゃうよ。食べよ」
僕も笑っていたけれど、渚が必死に返信していたのでそろそろ食べようと声を掛ける。
ゆっくり食事をして、珈琲を飲みながらのんびり寛いでいたら外の強風も収まってきたようだった。
ホテルを出て海岸に向かうと沖の方ではまだ白波が立っていたけれど、この辺りはずいぶん風が和らいだ。海岸に降りて歩くと、少しだけ巻いた波が海岸に打ち寄せている。海藻だの打ち上げられた物を乗り越えて、波打ち際まで歩く。歩きながら渚が言う。
「冬でも海の風はベトベトするね。海藻臭いし」
「そうだね」
「でもこんな場所で水着になるのは恥ずかしいかも」
「風邪ひくよ?」
「夏の話だよ。でも、人が居ない方がいいなあ」
「下見に行きたいってそういう意味だったの?」
「うん。夏になっていきなりビーチはハードル高そうだったから」
「そっか」
僕は海と渚の写真を撮ってコミュニティ:Himenoに投げた。
『ともみ:渚、寒そう』
『すみか:早まるな! 君はまだ若い!』
『すずね:風邪ひくわよ』
『なぎさ:入らないよ!』
『ノノ:渚にて』
『まい:やめてよ』
『としかず:不穏だなあ』
『すみか:?』
『ゆり:ふふ』
「結構疲れたかもー」
波打ち際から早々に離れた渚が言った。
「そうだね。こんな天気だし早めに帰る?」
「うん、寄り道も辛いかも」
「じゃあ買い物もパスだね」
一応、この後はお買い物デートの予定を入れていたのだけれど、お出かけ初心者の僕たちは午前中に羽目を外しすぎて、最近やっと付いた体力を使い果たしてしまっていた。電車に乗ってスマホを眺めていると、渚が僕の肩に頭をのせてくる。やがて彼女はクークーと寝息を立てて眠ってしまった。
僕はセルフィで二人の写真を撮った。もちろんコミュニティに流したりはしない。僕だけの宝石だから。
コミュニティ:Himenoではまだログが伸び続けていた。
『すみか:えっ、琴音、カレシいたの?』
『まい:相手は高校生なの?』
『ことね:ええ。もう別れましたけれど、クリスマス前くらいに隣のクラスの戸井田くんとお試しでお付き合いしました』
『すみか:もう別れちゃったの!?!?』
『すずね:早くない?』
『ことね:先日、何もさせてくれないからって別れを切り出されました』
『ゆり:おとことつきあってるの?』
『すみか:何もさせなかったんだ?』
『ことね:だってせめて……ときめかせてくれないと』
『すみか:お試しってそういうレベルだったんだ』
『すずね:むしろ山咲相手に勇気あるわよ』
『まい:変な噂たてられないといいけど』
既に僕らとは関係ない、がしかし意外過ぎる話に変わっていて、相馬やノノちゃんは加わっていなかった。姫野もこれには加わるの難しそうだな。電車が駅に着くまでのんびりログを眺めていた。
◇◇◇◇◇
モールで食材だけ買った僕たちは、渚の家に向かった。
また新しいレシピをお母さんから教わったという渚は足取りも軽い。
マンションのエレベータを降りると、エレベータホールに見慣れない男がいた。
「よう渚」
同年代くらいの男は渚に馴れ馴れしく声をかけてきた。何だこいつ?
男は相馬によく似た印象のイケメンだったが、相馬よりチャラそうな服装のせいでカッコよくは見えない。
「
「他人行儀に呼ぶなよ。普通に
渚とは知り合いのようだった。
渚に呼び捨てでいいというその男に、僕はちょっとだけイラっとする。
「いつまでも子供みたいにできないから。私も名前で呼ぶのはやめて」
「
汐莉さんは渚のお母さん。おばさんってことは母方の親戚だろうか。
まるで僕が居ないものというような扱いで渚に話しかける飛倉という男。
渚はというと、あまり話をしたくなさそうに見える。
「それで? 何か用?」
「親父に言われて週末、渚の家にやっかいになって来いって。観光案内でもしてくんね?」
は?
「そんなの聞いてないんだけど!」
――どういう間柄なんだ――と一瞬、二人を見比べるが、渚は許してそうでもないようだった。
「そう言われてもな、泊まるアテもないし放り出されると困るんだが」
「ほんとあなたのお父さんと一緒! 勝手に押しかけてきて泊まろうとするの。恥ずかしくないの!?」
「じゃあ汐莉おばさんに聞いてみてくれよ」
渚は顔をしかめて飛倉とかいうやつを睨む。
そして――ちょっとそこで待ってて――と言うと、僕の腕を取って歩き出す。
飛倉は待つでもなく、僕たちの後を追ってくる。
渚は家の鍵を開けて僕を先に入らせる。
「そこで待っててって言ってるでしょ!」
そういうとドアを閉めた。
◇◇◇◇◇
「ごめんね、変なのが押しかけてきちゃって」
玄関を上がってすぐの場所、渚は涙目で僕に謝ってきた。
「渚が謝ることじゃないよ。誰アレ」
「前にうちに来たときに居たおじさん覚えてる? あの人、母の従兄弟に当たるんだけど、その人の子供。はとこになるの」
「そうなんだ」
「ちょっとお母さんに電話してみる」
「そうだね、その方がいい」
僕は渚の代わりに食材を冷蔵庫に入れたりして買い物袋を片付ける。
渚は離れたところで電話しているけれど、ときどき――ええっ――なんて声を上げてるのでちょっと不安だった。
「お母さんも呆れてたけど、空き部屋に今日だけ泊まらせてあげてって……」
渚はひどく落ち込んだ顔をして言った。
「――ごめんね」
「はぁ、仕方が無いな」
僕は落ち込む渚を引き寄せ、強引に唇を奪った。
驚く渚だったけれど、彼女も応じてしばらくはそのまま求め合った。
漸く唇を離すと、渚が笑う。
「薄くだけど口紅がいっぱいついてるよ」
「このまま顔を出そうか」
「そうだね。名案かも」
渚が冗談めかして言うと、ティッシュで軽く拭いてくれ、自分も鏡をみて確認していた。
◇◇◇◇◇
「――そういうわけで、一晩だけ泊めてあげるから明日の朝には帰って」
渚は玄関のドアを開けると、まだそこに居た飛倉に毅然とした態度で言った。
「なんだよ、汐莉おばさんが良いってなら問題ないだろ。つんけんすんなよ」
「お母さんも呆れてた! 聞いてないって! じゃあ」
そう言って渚はドアを閉めようとしたが、慌てて手を差し入れた飛倉に止められる。
「ちょ、おい、泊めてくれるんだろ?」
「夜までどこかその辺で遊んでてよ」
「この辺わかんないんだから無理に決まってんだろ。案内してくれっつったろ?」
「絶対やだ!」
渚は力いっぱいドアを引いて飛倉を締め出した。
「なんか、すごいね……」――呆れて思わずそう言ってしまった。
「あいつのとこのおじさんもあんななの。お母さんに付きまとうし」
「いくら親族だからって、家に渚一人ってわかってるのに」
仲が良さそうにも見えないのに男を寄こしてくることに嫌悪感を覚える。
「もう! せっかくの楽しい気分が台無し!」
怒った渚をなぐさめた後は、リビングでごろごろしたり、映画を観たりして渚を甘えさせて過ごした。最終的に、僕の脚の間に渚を座らせ、後ろから抱きかかえるようにして映画を観ることで渚の気分を取り戻せた。
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不安な引きではないですよね!? ね!
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