第8話 文芸部にて 1

 このところ渚は演劇部に頻繁に出入りして忙しそうにしている。尤も、僕とは学校で話をすることはほとんどなく、時折メッセージでやり取りするくらいだったから何が変わると言うわけでもない。


 今日の放課後は渚を待つ間、文芸部に顔を出していた。


 文芸部には三年の部長と副部長が居たけれど、文化祭が終わって二年の先輩の樋口ひぐち先輩が部長を受け継いだ。ただ、三年の二人には部室は居心地がいいらしくて放課後もここで受験勉強していることもある。仲が良いので付き合ってるのかと渚が聞いたことはあるけれど、そういうわけでは無いと言う。ちなみに志望大学は同じ。


 副部長は誰が受け継いだかというと相馬。僕と渚がサボってデートばかりしていたので当たり前と言えば当たり前。そして一年がこれだけかというと実はそうでもない。


 もともと文芸部に入るような生徒は奥手が多いのか、部誌を見て覗きに来たり、或いは部室の前でそわそわしている子に声をかけてみたら入部希望者だったり、そしてまた舞台の相馬に興味を持って彼が実は文芸部で部誌のサンプルを見てみたら純真な恋愛の話を書いていたりするとそれに興味を持った女子が入部希望してきたりもする。


 そういうわけで今では五人の新入部員が居たりする。そのうち四人は女子だ。そして昨日入った残りの一人はというと――。


「オレ、こう見えてラノベとかも読むんスけど、瀬川クンの小説、あれ読みやすくて好きっス」


 ツーブロックの短い髪で背は僕と同じくらいだけど日焼けして筋肉質な彼は西野にしの。いやなんでこんなトコに居るの、校外のアウトドアサークルでも行けよと言いたくなる雰囲気の男子だった。ただ――。


「えっ、そう? へへ、それは嬉しいかも」


 自作品を好きと言われたことの無い僕には嬉しい新入部員だった。


 が、西野は一年の新入部員の坂浪さんの隣のパイプ椅子に座ると――。


坂浪さかなみちゃんはどういうのが好き? 部誌読んで来たって言ってたよね。あのエロ小説みたいなの?」


 は?


「西野サァ、そのちゃん付けとか馴れ馴れしいのとかも、うちの部に合わないからやめない?」


「はあ? 瀬川クン、タメでしょ文句あんの?」


 西野が立ち上がる。

 僕は一歩前に進み――。


「あるよ。鈴代の小説はエロ小説じゃないから。過去の自分と別れて新しい世界へ踏み出す話だから」


 渚の小説にその口で気安く触れた西野。感情が抑えきれない僕はあの日の演技のように声が自然と低く通るようになる。他のことでならともかく、渚のことに関しては喩え相手が誰であろうとも僕は一歩も引くわけにはいかなかった。人を本気で睨んだのはこれが初めてだった。胸がドキドキと高ぶって収まらなかったが、渚が支えてくれる気がした。


「――わーった。そう言うなら合わせる。合わせるから居させてくれ」


 意識が集中した感覚からはっと現実に引き戻される。一息ついて振り返ると、部の女子たちがみんな怖い顔をして西野を見据えていた。こわっ。これあれだ、みんな宇宙人とかに乗っ取られて一斉に敵意を向けられて悪漢もビビるやつだ。映画で見た。


 結局、その場の雰囲気に居たたまれなくなった様子の西野は――出直してくる――と言って部室から出て行った。


「……あ、ありがとうございます」――坂浪さんがお礼を言ってきた。

 

 坂浪さんは長い黒髪で眼鏡をかけた、ツリ目のキリッとした印象の女子だったけれど人付き合いはそれほど得意ではなさそうで、さっきも狼狽しているだけだった。


「うん。いや、執筆とか読書とかさ、誰にも邪魔されたくない時はあるし、そうなると部屋の雰囲気大事だし? 一応、半年くらいは先輩だから」


「くくっ、その半分くらいはサボってるけどね」


 相馬がそう言い、部長と二人して笑う。


「それを言われるとつらい」


 二人に緊張を解かれ、新入部員の子たちも大笑いこそしないが微笑んでいた。



 ◇◇◇◇◇



『ごめんね、今日はちょっと遅くなって時間取れなさそう』


 渚からのメッセージが入る。

 渚と一緒に過ごすことはできないとわかり、背伸びをして深いため息をついた。


「鈴代さんそろそろ帰るって?」


「ああ、いや、まだ遅くなるみたい」


「す、鈴代さんはあまり部活来ないんですか?」


 そう聞いてきたのは坂浪さん、そしてその横で興味深そうに目を輝かす小岩こいわさん。


「うう~ん、来ると言うか来ないと言うか」

「今は演劇部の手伝いで忙しいみたいだよ」


 馬鹿正直に答えようと考えてしまう僕と違って相馬はスマートにそう答えた。


 演劇部の手伝いが終わっても部に必ず顔を出すかと思うと、今までの僕たちを考えるとそう言いきれなかった。ただ、彼女との時間ばかり大切にしていないでできるだけ部活にも顔を出した方がいいかななんて考えていると、そもそも相馬のその言葉は僕たちにそれを促すつもりの皮肉なのではないかとも思えるようになってきた。イチャイチャばっかしてんじゃねーよという意味の。逆の立場ならきっと言う。


「なんかゴメン……」

「へっ?」


 相馬は何を言ってるんだと言いたげな顔で返した。考えすぎだった。



 ◇◇◇◇◇



 翌日の放課後もまた、文芸部で渚の帰りを待っていた。

 渚は僕に悪いから待っていなくてもいいと言ってくれるのだけど、文芸部にもちゃんと顔を出しておきたいのもあるからと話してある。それもそうだね――と彼女。


「瀬川くん、ちょっと質問してもいいですか?」


 そう聞いてきたのは小岩さん。背の低めの丸顔のショートヘアの女の子。部室前をうろうろしていたのを渚と二人で声を掛けたら入部希望だった子。


「えっ、あー、僕で答えられる事なら?」


「部誌の瀬川くんの小説なんですけど――」


 ああ、なんだか最近の自分の中では黒歴史化してきたので微妙に触れて欲しくなかった話題……。


「――舞台とかなり内容違いますよね? って、何でそんな嫌そうなんです?」


「いや、初めて書いた小説で内容もテンプレだし文章も陳腐でちょっと恥ずかしくて。昨日の西野くんの感想もよく考えたら読み易いってそんな褒めてないよねって」


「そんなことないですよ。流行りものでもちゃんと面白い所は押さえてましたし、初めてでしっかり完結させてるのは凄いです」


 小岩さんは自信ありげにそう言うと、隣の坂浪さんもウンウンと頷いている。


「そ、そう? 鈴代さんのと比べると何か子供っぽくてさ」


「ジャンルも違いますし、鈴代さんはもっと前から書いてたんじゃないですか?」


「そう……そうだね」


「鈴代さんの短編の解釈も、その、面白かったですし、わかるって思います」


 ――と、付け加えたのは坂浪さん。


「や、あれは鈴代さん本人からちょっと聞いてただけだから。僕はそんな才能ないし、舞台の内容だってほとんど演劇部の皆川さんって子が書いたんだから」


 実際、僕の書いたセリフはほとんど書き直されていたし、描写不足気味だったからキャストの動きとかを考えたのは皆川さんだ。


「瀬川は凄いよ。だって冒頭の長い台詞、全部アドリブなんだよな」


「えっ、うそっ」


 そう言ったのは、相馬目当てで入ってきた――そして大勢のうちから部員として残った貴重な――二人の新入部員のうちのひとり、成見なるみさん。ちなみにもう一人は四人の新入部員の中でもさらに無口な野々村ののむらさん。


 成見さんは坂浪さんや小岩さんと違って割と砕けた喋り方をする、文芸部ではいちばん普通っぽい女の子。肩まで届かないくらいの髪。前髪はヘアピンで留めておでこを見せていることが多い。


 野々村さんはちょっと背が低めで線の細い印象の女の子。髪色も若干茶色やグレーがかっていて、細くて繊細そうな髪を長く伸ばしている。いつもはリムレスの眼鏡をかけている。


「嘘なもんか。あれのおかげで俺とヒロイン役のみんながビックリしてさ、そのうちのひとりなんてあれで瀬川に惚れちゃって」


「おまっ、また怒られるぞ、そんなこと言ってると」


「大丈夫大丈夫。新崎はそんなことで今更怒らないから」


 どんだけ仲良くなってるんだこの二人は……。


「えっ、それで付き合ったの?」


「いや成見さん、付き合ってないから。相手にも演技だって謝ったし」


「なーんだ」

「でも、全部アドリブって凄いですよね。最初で全部説明してたから結構長かったような」


 小岩さんがそう言う。


「原作者だから大したことないでしょ」


「あの、もしかしてですけど、書くの滅茶苦茶早かったりします?」


「う~ん、頭の中に材料が揃ってれば自分なりの台詞はどんどん書けるかな。皆川さんみたいなのは無理だけど」


「それも十分才能ですよ」


 坂浪さんがそう言ってくれると、ちょっと嬉しかった。


 そんな様子で過ごしたことを、渚と話したいななんて思っていたら――。


『ごめんね、また無理そう』


 そう、短いメッセージが届いた。


『大変そうだね。頑張って。先に帰るから気を付けてね』


 メッセージを返したけれど返事が無い。しばらくすると――。


『ありがと』


 ――そう返ってきた。



 ◇◇◇◇◇



 日が暮れるのもずいぶん早くなってきていたので、家に着いてから渚にメッセージを送る。そろそろ下校しただろうか。昨日はこのくらいの時間には電車だった。


 夕食を済ませ、風呂から出ると渚からメッセージが届いていた。


『ごめんね、演劇部での相談が思ったより時間かかっちゃって、いま帰った所』


『おかえり。でも遅いと心配だから気を付けて』


『ありがと。遅くなったから先輩が送ってくれたの』


『そう』


『太一くん』


『なに、渚』


『太一くん、私のこと好きだよね』


『大好きだよ』


『うん、ありがと』


 疲れてるのか、いつもより言葉少な目な彼女のメッセージに、無理はしないでと返しておいた。



 ◇◇◇◇◇



 そのまた翌日の文芸部。別に毎日顔を出さないといけない訳でもないけれど、思い付きで何か書いてくる部員も居るので顔を出すのは意外と重要かもと思い始めた。だって、誰かに見せたいって思うとき、web小説で貰える感想は限られてくるから、生の反応や切磋琢磨のための指摘は部の方が得やすい。


 がしかし、僕と相馬は椅子に座ったままうとうととしていた。


「瀬川くんも相馬くんもこんなところで寝ないでよ? お家に帰って休めば?」


「はっ! あ、いや大丈夫です部長」

「すみません、体育の授業がきつくて――」


 うちの体育教師には気分で無茶をやらされる。さっきの時間も、成金呼ばわりされたとかで機嫌が悪く、男子は高強度トレーニングとやらでさんざんダッシュさせらされた。成金と言うのも本当だと田代が言っていた。実家の二束三文の山が公共工事にかかったとかなんとか。まあそれはともかく、体力を使い過ぎて続く最後の授業も眠くて仕方が無かったわけだが、残念なことに続く授業は居眠りを絶対許さない、生徒にどんどん発言させる英語の丸井のクソコンボだった。


「――俺は帰って寝るよ。瀬川は?」

「ああ、うん、もうちょっと待つ」



 ◇◇◇◇◇



「瀬川くん、そろそろみんな帰るけど、まだ待つなら鍵を閉めておいてくれる?」


「あ、了解です部長。お疲れさまでした」


 僕は小説を読みながら渚を待っていた。



 ◇◇◇◇◇



「はっ……」


 目を覚ますと外は真っ暗だった。


「やば、寝てた……」


 慌ててスマホを見ると渚から通知が来てた。


『ごめんね、また無理そう』


 昨日と同じメッセージが通知欄に見えた。

 はぁ――肩を落としてアプリを開く。


『ごめんなさい』


 えっ? つい今しがた送られてきたであろう最新のメッセージだった。

 さっと履歴を遡る。



『(着信)』

『会いたいよ』

『(着信)』

『(着信)』

『(着信)』

『太一くん返事して』

『(着信)』

『どうしたの? 怒ってるの?』

『太一くん?』

『遅いからまた先輩が送ってくれるって』

『太一くん?』

『ごめんね、また無理そう』



 慌てて渚に電話を掛けた。


 ――出ない。


『ごめん、部室で寝てた。今から家に行くよ』


 そう、メッセージだけ入れて部室を閉め、鍵を返して学校を後にした。

 急いで駅まで着くと、渚からのメッセージが届いていたことに気が付いた。


『もう遅いから来なくていい』


 それだけ入っていた。


『行くよ。会いたいんでしょ?』


 しばらく間があって――。


『今日はもう来なくていい。帰って』


『行くから』


『来ないで』


 渚はそう言うが、僕は渚の家の方へ向かう電車に乗った。

 ――太一くん? ちゃんと私があなたのものだと教えて――僕の中の渚がそう言った気がしたから。



 ◇◇◇◇◇



 渚の家に着く。

 インターフォンを鳴らすと女性の声で――どちらさま?――と声が。


「渚さんの友達の瀬川です。彼女が心配で来ました」


 少しすると錠の開く音がしてドアが開く。そこには僕より少し背が高い40歳くらいの男性。


「こんばんは。夜分にすみません。渚さんが心配で様子を見に来ました」


「わざわざ来てもらって悪いが、渚は大丈夫だ。帰りなさい」


「でも……」


 すると奥から渚によく似た女性――凛とした印象の人。渚と違って長い黒髪をアップにしていた――が。


「竜宏さん、勝手しないでちょうだい。――瀬川くん? 渚の母です。わざわざありがとう。あの子に会ってあげて」


 男性は奥に引っ込んでいった。


「お邪魔します……」


 渚のお母さんに案内されて渚の部屋に。ノックすると小さい声で返事がある。

 部屋着にカーディガンを羽織った格好で渚はベッドに座っていた。いい匂いが漂ってるからお風呂上りだろうか。


「来ないでって言ったのに」


「どうして?」


「お母さんも居るし……その……」


「さっきの、お父さんじゃないよね」


 彼女の父親は亡くなってると聞いていた。

 母親がすごくしっかりした人で、自分を大事にしてくれてるとも言っていた。


「母方の親戚」


 言葉少なにそういう渚。


「本当に会いに来ないほうが良かったの?」


 唇を噛み、俯いて黙り込む彼女。


「僕のことが嫌いになった?」


 黙り込んだまま首を横に振る。


「渚? ちゃんと言って」


「……あいたかった」


 渚が顔を上げると、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。

 隣に座り、渚の肩を抱きしめキスをした。


「――んっ……」


「渚? 家で何かあったの?」


「……だって、会うとエッチしたくなっちゃうし。お母さん居るし」


「それだけじゃないでしょ? 演劇部? 何かあった?」


 渚は首を横に振る。


「ううん。皆すごくやる気いっぱい」


「じゃあどうして?」


 渚は沈黙のあと――。


「私の我儘なのっ、太一くんと一緒の時間が欲しかったのっ」


 演劇部には僕の代わりに渚をと、皆川さんによろしくお願いした。つまりは部長派。部長派は部長本人も含めて主に女子の集まりだったから、渚とその作品は歓迎された。逆に僕なんかが行っていたら渚に睨まれたことだろう。


 歓迎されたはいいけれど、彼女の作品に対してみんな熱が入りすぎ、渚はなかなか解放してもらえなかったらしい。当の渚はというと、僕との間の感情を短編で表現した分、その話になると僕が恋しくて仕方がなかったと話す。


「太一くんが背中を押してくれたのに、太一くんに連れ帰って欲しくて、仕方ないってわかってるのに腹が立って、でもそんな自分も許せなくて……」


 渚はこの間から何度も僕に謝っていた。あれは謝りたかったんじゃなくて、もしかすると僕に謝って欲しかったのかもしれない。自分を安心させてあげられなくてごめんねと。


「わかった。じゃあ明日は皆川さんに僕から言うよ。文芸部で渚を借りるって。それでちょっと早めで切り上げたら一緒に居よう」


「うん。太一くん、ありがと」


 それから僕があの言葉を告げると、彼女は唇を噛みながら微笑んだ。


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