第30話 VS.正気を失った刑死者『マッドハッター』

 皆のコメントが正しければ、この風景はハートの女王の城だという。


 特に不思議の国のアリスの映画を観たことも、ましてや原文を読んだことも、絵本すら読んだことが無い俺でも何となくわかる。


 で、その正門から出てきたのが不思議の国とは無縁の恐ろしい男だった。枷のついた足はヒョロヒョロなのに、腰から上はムキムマッシブ。サイズの合っていないジャケットを着込んで、頭にはずた袋を被りさらにその上にシルクハットを被っている。


 極め付けはブンブンと鳴らすチェーンソーだ。『コジロー』や『ムサシ』の持つアレのように黒いモヤのようなものがまとわりついている。


「ハルト君! それにマロンちゃん!」


 声がウィンドウから響く。谷崎さんがタイピングをしながら叫んでいた。


「しばらく時間を稼いで欲しい! 何とかするから!」

「そんなこと言われても!」


 ぐるりと周囲を見渡す。城壁に囲まれた中庭だ。普通ならここはセーフティエリアのはずなのに、今はボス戦の広間みたいになっている。


 城壁の上に登る階段があるけど、あそこに逃げ込んだところで行き着く先は物見櫓だ。行き止まりしかない。


「五分よ二人とも!」

「えっ先輩それは」

「谷崎。五分」

「頑張ります!」


 と茜さんが言った瞬間、お問い合わせウィンドウがブチンと切れた。多分Cアリスの仕業だ。


「し、師匠! 五分って! こんなところで鬼ごっこしたらすぐ捕まっちゃう!」

「う、うう……」


 そうこうしているうちに『マッドハッター』が走ってきた。


 絶妙に逃げられるかどうかの速度。


 俺は多分生き残れる。【ラビット】は素早いから。


 でもシシマロは追いつかれるだろう。


「き、来た! どうしよう。どうしよう師匠!?」



【コメント欄】

>おいやべえって逃げろって

>二人とも早く逃げろ

>どうやって逃げるんだよバカ

>師匠は逃げ切れるだろ

>シシマロは無理だ

>なんでだよ!

>シシマロは火力運用の才能タレントなんだぞ

>【ライオン】系統の素早さは実を言うと後ろから数えたほうが速い

>やっちゃえ師匠

>バカ仮に倒されたらフリーズするんだぞ

>チェストすればいいだろ!

>効くかどうかもわからないのに!?



 退路もない。


 対抗策も未知数。


 俺だけは生き残れる。


 そんなのは嫌だ。


 俺はシシマロの側にいるために配信者をやっているんだ。


 なら何をすればいいか。


 消去法でこれしかない。



「戦う」

「!?」

「シシマロ、ちょっと待ってて!」

「師匠だめ!」


 足が出たのは自分でもアホだなと思った。


 コメントも「やめろ」だとか「お前らは英雄じゃなくただのプレイヤーなんだぞ」というものがダーッと流れる。


 茜さんもチャットで[やめなさい!]といっぱい打ってきた。


 五分と時間を区切られたけど、あの谷崎って人がどこまで出来るかわからない。


 ここはもうゲームじゃない。現実そのもの、戦場だ。


 逃げたいよそりゃ。そもそも【ラビット】は逃げる才能タレントだ。


 でも選択肢がない。無いならこれしかない。意地汚く勝つ事を考えたなら。彼女だけでも無事になるなら!



「師匠!」


 

 シシマロが声を上げた。反してどんどんと自分の意識が鋭くなる感覚がある。


 もしかしたらだけど、俺はシシマロにラブコメみたいな感情を向けているのかもしれない。ちょっとは認める。


 いや。


 もっと単純な気持ちだ。


 推しが泣いたり傷ついたりするのが我慢ならない。ましてや理不尽に晒されるなんて。


 バックパックから『煙幕玉』を引きちぎり、地面に叩きつける。


 ブワッと煙が巻き起こり、あたり一面煙のカーテンで包まれる。



『スキルボーナス:隠密+100%』

才能タレントボーナス:隠密+200%』

才能タレントボーナス:クリティカルダメージ+100%』



 よし。


 確認したかった事が一つわかった。


 ちゃんとバフが乗る。


 この世界の基本的なルールはねじ曲げられていない。


 『マッドハッター』を見る。俺を見失ったのか、メチャクチャにチェーンソーを振り回していた。


 もう一つ確認できた。エネミーに対してスキルは通る。ちゃんと視界不良は視界不良として『マッドハッター』が苦しんでいる。


 そして、俺がこうして音を立てずに背後に回ったとしても気づかない。


 奴はこのゲームのモンスターとして逸脱した存在じゃない!


 ――ならば。


「いくぞ――ぐっ」


 【チェスト】を使った瞬間、視界が真っ赤に染まる。


 そしてカーッと頭に血が上り、その激情と共に身体中に力が染み渡るような感覚。



 ――斬るべし。


 ――斬るべし!




「あああああああああああああああああああああ!」




『スキルボーナス:防御力無視』

『スキルボーナス:バインドボイス』

『スキルデメリット:隠密−300%』

『スキルデメリット:バーサーカー(2・5秒)』

才能タレントボーナス:クリティカルダメージ+3000%』




 ――斬る。


 ――何がCアリスだ。


 ――シシマロを怖がらせやがって。


 ――絶対に斬る。


 ――チェーンソーで斬られても構うもんか。


 ――腕一本落とせばチェーンソーは持てないだろう。


 ――足を切り落とせば動けないだろう。


 ――その小綺麗な帽子ごと真っ二つにすればいい!


 普段怒ることも無いし、基本的に怒りたくなるような相手に合わないようにもするし、学校でもそうしてコソコソと上手に生きていた。


 だからこのスキルを使うのは正直好きじゃない。無条件で三億ダメージも出て、使えば使うほど盛り上がるのはわかってるけど――。


 でも今はそんな事言ってられない。戦いでは使える手は最初から出し惜しみなく、最高火力かつ最速で使う。そうタコさんに教わったからだ。



「チェストオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」



 高らかに掲げた『物干し竿』を思いっきり振り下げる。


 防御力無視、クリティカル3000倍を喰らえ!



 ガキィン!!



>チェストオオオオオオオ!!

>チェストオオオオオオオ!!!!

>チェストヤッター!!

>すげえタイミング

>流石師匠初っ端から全力!

>初手から必殺技ブッパえげつねえ

>やった……か!?



>は?

>はぁ!?

>はああああ



>嘘だろ

>おいふざけんな

>ダメージがゼロ!?

>違う体力が桁外れなんだ!



 俺も驚いた。


 渾身の【チェスト】だったはずだ。


 しかも背後から完璧なタイミング。


 斬った感触もある。なのに、体力ゲージがちょびっとしか減ってない。三億ダメージが出ているのに!


「くそ。やっぱり何か変なバフ受けてるな!?」

「グオオオ!」


 地の底から響くような声。『マッドハッター』がチェーンソーを押し出すと、俺の『物干し竿』が簡単に弾かれた。たまらずバックステップして刀を構える。


 しかし追撃が無い。


「グ、グオオオオ……オオオオオ!」


 わずかに苦悶の声を上げて、再びチェーンソーを高らかに上げる『マッドハッター』。その姿に思わずニヤリと笑ってしまう。


「なるほど。完全に書き換えるじゃなくて、似て非なるもの。ダメージは微々たるものだけどノックバックは通った」

「オオオ!!」

「本当に俺たちを倒すだとか廃人にするだとかならもっとチートして無敵にするとか、攻撃が全く通らないとかするはずだもんな」

「オオオ!!!」

「引っかかってたんだよね。Cアリスの言葉。『遊んで』って、そう言ってたもんね」

「オオオオオオオオ!!」


 チェーンソーを掲げた『マッドハッター』が迫ってきた。俺はバックパックのウサギのキーホルダーを引きちぎって目の前に放ってバックステップ。


 ボワンと出てきた【捨てがまり兎】が地面に座り込んだ瞬間ボウガンで射撃。ザシュ、と矢が刺さるも体力の減りは僅か。


「Cアリスはヘルモードの理不尽な所だけを模倣してるんだな。それしか知らない。エネミーの体力を理不尽に上げて、武器を強化しまくる!」

「オオオオオ!!」

「シシマロ!」


 名を呼んだ瞬間。『マッドハッター』の背後からブワリと躍り上がるシシマロが見えた。黄金に輝くオーラが彼女を包んでいた。【ブレイブレオ】のスキル、【覇気の咆哮】だ。



『スキルボーナス:連続攻撃速度+30%』

『スキルボーナス:スーパーアーマー付与』

才能タレントボーナス:攻撃力+20%』

才能タレントボーナス:クリティカル率+30%』



「でやあああ! 【獅子無尽斬】!」


 彼女の【ブレイブレオ】の代名詞、超連続技が炸裂する。


 黄金の剣閃が幾重にも重なり、『マッドハッター』の頭からつま先まで細切れにされる――


 ――はずなのだが。


 やっぱり体力バーがあんまり減ってない!


「シシマロ飛んで!」


 シシマロが技を出し終わり、99ヒットまでスコアを伸ばす。ここからさらに【覇気の咆哮】を重ねがけして斬りかかるところだが、『マッドハッター』は構う事なくチェーンソーを振り回してきた。


 シシマロは『マッドハッター』のチェーンソー振り下ろしを体捌きだけで避けると、タン、と飛んで『マッドハッター』の肩に乗り、再び跳躍。こっちに飛んできた。流石に『マッドハッター』も「オレを踏み台にしたぁ!?」とは言わないか。


「師匠!」


 横に着地して振り返り、バッと構えるシシマロは凛としていて綺麗だった。顔を髪で隠していなかったらだらしない顔を晒したかもしれない。


「アイツは体力と武器だけが理不尽だ。それ以外は普通のヘルモードと変わらない。耐久戦だけどやれる?」

「師匠、私の配信動画見てないの?」

「そうだったね。君はレイド戦で一時間以上も敵を切り刻んでいた!」


 何を合図することもなく、二人同時で斬りかかった。




―――――――――兎―――――――――

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―――――――――兎―――――――――

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