第四章賢君への道(七)
将軍実朝が亡くなった後、御台所倫子は直ちに髪をおろした。
実朝を慕う多くの御家人達もまた、髻を切って亡き主君の死を悼んだ。その中には大江広元の息子の長井時広、安達景盛、二階堂行村らの他、実朝の和歌仲間の塩谷朝業らも含まれている。実朝の命で宋へ渡るため博多で待機していた葛山景倫は、主君の訃報を聞いて直ちに引き返したが、鎌倉に戻ることなくそのまま高野山に入った。
実朝という支柱を失った後、鎌倉も京も混乱状態に陥った。
政子や義時らは、実朝の意思を継ぐべく、院に親王の下向を要請した。
しかし、実朝亡き後、その混乱に乗じて様々な武力紛争が生じやすい状況となっていた。信頼する実朝を失った院の怒りは大きく、危険な場所に親王を送って国を二分するようなことはしたくないと言って、院は鎌倉方の要請を拒否した。
妥協の結果、摂関家出身のまだ襁褓もとれていない数え二歳の三寅が鎌倉へ送られることが決まった。それと入れ違うように実朝の御台所倫子は京へ戻ることになった。
御台所倫子が京へ戻る日の前日。
尼御台政子が、やってきてある物を倫子に手渡した。それは、実朝が倫子から預かって懐に大切にしまっておいた紫水晶の数珠だった。
「雪の中必死で探させたのですが、どうしても百八つ揃わず。中には欠けているものも多くて。後から作り直させたのですが」
「御所様と、とりかえっこのお約束をしたのに。それはかなわないませんでした。ですから、母上様にこれを」
そう言って、倫子は懐から、翡翠の数珠を取り出して、政子の手に握らせた。倫子のもとに紫水晶の数珠が戻り、実朝が受け取るはずだった翡翠の数珠は母のもとに戻っていった。
「あなたは、どこにいても私の娘ですよ」
そう言って、政子は倫子を抱きしめて送り出した。
親王推戴の内諾が決裂し、摂関家出身の三寅が実朝の次の後継者と定まっていく過程の中で、阿野全成の息子の阿野時元、頼家の四男で公暁の弟の貞暁などの源氏の男系も粛清されていった。
実朝の死後、朝幕関係は悪化の一途をたどっていく。
そして、承久三年、西暦一二二一年、ついに院が義時追討の院宣を発した。後に言う承久の乱が勃発したのである。
和歌などの交流を通じてつながりの深かった貴種の実朝とは違い、院にとって義時は無礼で粗野な田舎者にしか思えなかった。義時とて、自ら進んで朝敵となりたいわけではなかった。
承久の乱は、尼御台政子の鼓舞のもと、一致団結して立ち向かうことを決めた幕府軍の圧勝に終わり、院は隠岐に流された。
戦後の処理で京にいた泰時は、和田合戦で行方不明となっていた和田義盛の孫の和田朝盛が朝廷方として参戦して捕らえられたが、隙を見て逃亡したとの噂を耳にした。
袂を分かったかつての同僚は、亡き主君実朝を守れなかった北条に対しどのような思いを抱いていたのだろうか。院に忠誠を誓った実朝が生きていたならば、今のこの状況をどう思っていただろうか。泰時の脳裏には様々な想いが駆け巡った。
承久四年、西暦一二二二年春。
義時は、実朝が愛した御所の梅の木の近くの石塚に静かに手を合わせていた。そこには、頼家の愛犬だった白梅、紅梅、実朝の愛犬だった雪、飛梅、久米と鎌倉殿の代々の忠犬達が眠っていた。
飛梅は、主人である実朝の最期を目撃した衝撃で食を受け付けなくなって衰弱死した。飛梅の妻久米も、その半年後に夫の後を追うように静かに逝った。
梅の木の下では、飛梅と久米の子である五匹の白い雄犬達が、小弓を持って向かってくる幼い三寅から必死に逃げ回っていた。三寅は、先日初めての犬追物を見て以来、犬を追いかけ回すのにすっかり夢中になってしまっていた。
「待て待て!待て待て!」
「これこれ、若君。そのような無体なことをしては、犬達が可哀そうではありませんか」
そう言って、義時は三寅を抱き上げた。
義時に抱かれたまま、三寅は実朝が愛した菅原道真ゆかりの梅の木を見ながら無邪気に言った。
「ねえ、執権。梅のお歌を作って」
「これは、困りましたな」
義時は、うーんと考えながら、やがて、歌を一首口ずさんだ。
「いでていなば、ぬしなきやどと、なりぬとも、のきばの梅よ、春を忘るな」
「菅原道真公の真似ですか。それにしても下手ねえ」
それを聞いた姉の政子が茶化すように言った。
「悪かったですね!」
ムッとなった義時に対して、政子は五匹の犬達を撫でながら答えた。
「でも、右大臣殿だったら、きっと喜んでくれるんじゃないかしら」
「ワンワン!ワンワン!」
飛梅の息子達も同調するように嬉しそうに吠えて、梅の木の周りを走り回っている。
鎌倉右大臣源実朝が愛した梅の花は、懐かしく親しい人達に春を告げるかのように咲き誇っていた。
貞永元年、西暦一二三二年。
泰時は、最近できたばかりの式目を片手に、海を眺めていた。
和賀江島。それは、泰時が式目と同様に実朝の意思を実現しようと新設した人工の港である。由比浦の東にできたこの港のおかげで、巨舟の出入りの煩いがなくなり、実朝が考えていたとおり、今後はより交易が盛んになり、鎌倉の活性化が進むであろう。
「なかなかに、よき眺めにございますな、執権殿。右大臣様がご覧になられたら、さぞお喜びになられることでしょう」
三浦義村が目を細めながら、懐かしそうに話しかけてきた。
「それにしても、この式目な何じゃ!悪口で流罪、軽くて入牢とは!あの説教ばかりで、口うるさい若年寄の右大臣様でさえ、もっと軽い処分で、最後には笑って許してくれたもんだ!」
「そうですよ、兄上!たかが、色恋沙汰で所領の半分を没収というのはどうみてもおかしいじゃありませんか!」
そこに、長沼宗政と泰時の弟の朝時が口を挟んできた。
(かつて馬鹿なことをしでかした奴らが何を抜かすか!)
堅物の泰時は眉間に青筋を立てながら、皮肉気に言い返した。
「聖人達がおわした古(いにしえ)の時代には、その徳をもって世を治めることができたから、厳格な法というものは必要がなかったのだ。右大臣様は、まことに徳が高く、度量の広いお方であった。しかし、私には、右大臣様のような器量はないから、言いたい放題やりたい放題の馬鹿者に対して、厳格な法が必要となるのだ!」
「こんなんだったら、若年寄の時代の方がよっぽどよかったよな!」
「さよう。若年寄の時代が懐かしい」
朝時と宗政は、それでもまだ不満げな様子で軽口をたたいた。
世の中に麻は跡なくなりにけり心のままの蓬のみして
(右大臣様は、いつだって、麻のようにまっすぐと立って、皆を導いておられた。今の世は、好き勝手やりたい放題の馬鹿な蓬のような奴らばかりだ。右大臣様は、こんな連中相手に、最後は笑って許しておられたが、私はとてもそんな心境にはなれそうにないな)
泰時は盛大なため息とともにそう思った。
世の中は常にもがもな渚こぐ海人の小舟の綱手かなしも
漁師が小舟の綱を張って渚を漕ぐ、そんな日常の風景が愛しいと感じられるように、世の中もこのように常に穏やかなものであってほしい。家臣と民を心から慈しんだ鎌倉右大臣源実朝の歌である。泰時の目の前には、実朝が愛した海といくつもの船がどこまでも続いていた。
文永十一年、西暦一二七四年の秋も深まった頃。西八条禅尼と呼ばれる高貴な老尼僧が静かに息を引き取った。
「倫子、倫子」
「御所様、ずっとお会いしとうございました」
夫も、自分も、最後に会った若い時の姿のままだった。
実朝と倫子は手をつないで、はしゃぐように海辺を走って行く。
「見てごらん、私たちの船だよ。さあ、どこへ行こうかな」
「御所様と御一緒ならどこへでも」
実朝と倫子は笑い合い、大海原に旅立って行った。
完
賢君源実朝 shingorou @shingorou
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