第四章賢君への道(四)
建保五年、西暦一二一七年五月。
普段は、温厚で穏やかな実朝であるが、結構言いたいことをはっきり言うし、強気で図々しい。本気で怒らせて、父頼朝並みの迫力で一喝されたら、ひとたまりもない。自分自身はその対象となったことはないが、泰時や時房ら実朝と親しい関係にある者達は、そんな実朝の性格をよく知っている。実朝にガツンとやられたことのある坂東武者から、実朝は、口うるさい若年寄だの、説教将軍だの、雷将軍だのと揶揄され恐れられていた。
実朝は、自分の師匠的な立場に当たる年上の高僧に対しても容赦がなかった。
寿福寺の高僧行勇が、檀家の争いの一方に肩入れして、実朝に、何とかしてほしいとしつこく言ってきた。それにうんざりした実朝は、広元を通じて行勇に対して言った。
「僧侶ともあろうお方が、世俗のまつりごとについて盛んに口出しされるとは何事か。僧侶にあるまじき行為である。そんなことより、僧侶としての修行をちゃんとするように」
実朝のこの言葉を聞いた行勇は、それを恨んで号泣しながら寺へ帰り、そのまま閉じこもってしまった。
「あれは、さすがに、言い過ぎですよ。御所様」
呆れた顔をした時房に対して、実朝は納得がいかないといった表情で言った。
「私は間違ったことは言ってはおらぬ!」
いくら将軍とはいえ、二十代の若者に、厳しい修行を積んだ高僧が、僧侶としての修行をちゃんとしろと言われたのでは立場がない。泰時は、遠回しながら、控えめにそのことを指摘した。
実朝は、何とも言えないばつの悪い顔をした。
数日後、実朝は、時房と泰時を供にして、行勇のもとを訪れた。
「この前は言い過ぎてしまった、すまなかった」
将軍自ら頭を下げて謝罪の言葉を口にする姿を見て、行勇はますます恐縮した。しばらく歓談の後、実朝は御所に戻ったが。
その後も、実朝は、若い自分が高僧に対して言い過ぎたことを相当気にしていたのか。
広元が「何もそこまでしなくても」と止めるのも聞かず、お守りとして持っていた牛玉を寿福寺に布施として寄進し、御台所倫子も同寺に参詣するなど、何かと行勇を気遣った。
六月。
鶴岡八幡宮の別当だった定暁が亡くなったため、公暁は新しい鶴岡八幡宮の別当となるために、六年ぶりに鎌倉に戻って来た。
「また、大きゅうなったなあ。背丈もとうに私を超えてしまったようだ」
そう言って、実朝は、懐かしそうに公暁を見つめて、公暁が鎌倉を離れた時と同じように慈愛に満ちた表情で公暁の肩を強く抱きしめた。その様子を、祖母の政子、御台所倫子、倫子の猶子となった異母妹の竹姫が、女同士打ち解けた様子で微笑ましく見守っていた。
しかし、家族の団らんそのものといった光景が、あまりにも眩しすぎて公暁には直視できなかった。
(この人たちの優しさに嘘はないはずなのに。そこに俺の入っていく余地などない。どこにも、俺の居場所などありはしない)
心にぽっかりと穴の開いた公暁は、甥の肩を抱く若い叔父の姿をぼんやりとした瞳で見つめ返した。
実朝は、公暁の沈んだような表情がひどく気になっていた。園城寺での公暁の荒んだ生活状況を知った実朝は、鎌倉から外に出したことをひどく後悔した。
(私が、御台や母上、多くの者達の愛情に囲まれて過ごしている中、あの子は、どれほどの孤独を抱えて暮らさなければならなかったのか。兄上と北条との確執を思えば、あの子を後継者にすることはできない。仏に仕えるしかあの子に道はないのだ。私とは真逆の道を歩むことを運命づけられたあの子に、私が中途半端な同情を示せば、かえってあの子を傷つけるだけだ)
結果として兄を廃して就いた、自ら望んだわけではない将軍の地位。それでも、実朝は己の責務を果たそうと懸命に努力してきたつもりだった。
だが、自分の地位は、多くの犠牲のうえに成り立っているのだという事実を認識するたびに、実朝はひどい疲れを感じずにはいられなかった。実朝には、己自身の血筋を残すことに対するこだわりも、将軍の地位への未練もない。
(そろそろ、潮時ではないのか。誰かにこの地位を譲って、少しだけでいい。心の重荷をおろしたい。それは、許されぬわがままだろうか)
そう思った実朝の中で、残された後継者問題に対して、ある案が浮かんできた。
院の皇子冷泉宮頼仁親王の御息所として、京に実朝の姪の竹姫を嫁がせ、その系統を後継者候補として確保する。万が一の場合に備えて、その路線を頭に入れておいた実朝であったが。それならば、いっそのこと、竹姫の婿として親王を鎌倉に呼び寄せて、実朝の後を継がせ、自分は京の院のように隠居して大御所となり、親王の後見をつとめるというのはどうか。
「院様の皇子を鎌倉に呼び寄せるなど、なんと恐れ多いことを」
母政子は、実朝の突然の提案に、言葉も出ない様子だった。
「坂東のことを何も知らない親王様に、鎌倉殿が務まりますのか。これを機に朝廷の余計な干渉が増えたらいかがなさいますのか」
まくし立てる広元に対して、実朝の説得は続く。
「私が大御所となり、そなたら重臣達がこれまでどおり、補佐していくという体制は変わらぬ」
義時も、懸念を口にする。
「御所様はまだお若い。この先、御台所との間に御子がお生まれにならないとも限りますまい。その時、親王様と竹姫様との間にも御子がお生まれになっていた場合、いかがなさいますのか」
実朝は、一息ついて、落ち着いた様子で叔父に対して答えた。
「その場合には、当然、親王様と竹姫の系統が次の将軍家の血筋となる。私と御台の子が姫ならば問題ないが、男子ならば、僧籍に入れるか、京の公家に養子に出すか。それは、叔父御と北条にまかせようと思う」
「そこまで、お考えならば、そのとおりにいたしましょう」
重臣達はやっと折れたが、義時はそれでも心配そうに言った。
「ですが、一番の問題は、院様が承諾してくださるかです。一体誰がそんな恐れ多い交渉事をまとめられるというのか」
それに対して、実朝は、母政子の方を見つめて笑いながら言った。
「何も、最初から直接院様と話をするわけではないのだから。母上、来年あたり、また熊野詣でもされたらいかがですか。そのついでに、京に立ち寄って、院様の乳母の卿二位殿あたりと世間話でもして来られたらいい」
実朝の言葉に、政子は仰天した。
「この母に、そんな恐れ多い話をまとめて来いというのですか!」
「何かと図々しくて抜け目のない五郎叔父あたりをお供にすれば安心でしょう」
何でもないことのように言う息子に対して、政子は卒倒しそうになった。
(全く、御所様は、相変わらず怖いもの知らずなお方だ)
義時は、母子の様子を苦笑しながら見つめていた。
後継者問題の見通しがつきそうで安心した実朝は、御台所倫子と母政子らと共に、鶴岡八幡宮へ流鏑馬を見に行ったり、永福寺に舞楽を見に行ったりなどして、家族団らんの時間を過ごした。
「今日も楽しゅうございましたね」
「兄上様も御一緒だったらよかったのに」
「本当にねえ。公暁もこちらに戻って来て、これからはいつでも会える場所にいるのだから」
「修行に専念したいからと断られてしまったのですよ」
実朝はごまかすような作った笑顔で答えた。
実朝が妻と母と姪に言ったことは嘘ではなかった。孤独を抱えたまま自分の殻に閉じこもり気味な公暁を気遣って、実朝は公暁にも声をかけたが、公暁はそれを受け入れなかった。
三浦の領地へ出かけた際、実朝は海辺の月を見つめながら、公暁の後見人である義村に公暁のことを話した。
「家族や保護者と離れて、寂しい少年時代を過ごしたあの子に対して、今更家族だからとその輪に入るように勧めたことも。家族が打ち解け合っている姿を目の当たりにすることも。今のあの子にとっては辛すぎるのだろう。私の存在それ自体があの子を傷つけているのかもしれない。私はあの子に何もしてやれない。どうか、私の分まで、あの子のことを見守ってやってほしい」
「若君にも、いつか、御所様のお心が通じる日が参りましょう」
憂いがちな実朝を気遣うように義村は言った。
その年の暮れ、実朝は、方違えのために行った永福寺の僧に、次のような歌を贈った。
春待ちて霞の袖にかさねよと霜の衣の置きてこそゆけ
霞のような春着と、霜がおりたような粗末な小袖とをお礼に置いてゆきます。春を待っている間、二枚を重ねて着てください。
実朝の優しい心根を偲ばせるような歌である。
だが、この歌を贈られた僧とは違い、望まずして大人の都合で仏に仕えることを余儀なくされ、孤独な生活を送って来た公暁には、暖かな衣を差し出されること自体辛すぎて拒絶するしかなかった。
鶴岡八幡宮の公暁のもとに、異母妹の竹姫に、やんごとなき婿を迎えて、次の将軍候補とする、どこからかそのような噂が入って来た。
(誰からも必要とされず。俺は、何のために、何をしに鎌倉に戻って来たのだ)
若い叔父によく似た澄んだ瞳の仏がじっと公暁を見つめている。
広く強く優しい心。美しく高貴な妻との一途なまでの愛。家族の暖かな情愛。公暁には決して手に入れることのできないものを手にし、多くの者に慕われ華やかな場所で光り輝いている若い叔父実朝。自分と叔父との決定的な差に気づいたときに、公暁の運命はすでに決まっていたのかもしれない。
公暁の中に、さらに新たな闇が生まれていく。公暁は、目の前の仏に対し、呪いの言葉を繰り返し、その仏の面差しによく似た若い叔父を心の中で何度も殺すようになっていく。
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