第四章賢君への道(三)

 建保四年、西暦一二一六年。

 後継者問題の布石として、実朝は、御台所倫子、母政子にある話をしていた。

「竹姫を御台の猶子にと思うのだが」

 頼家の娘、竹姫は数え年で十五歳になる。孫娘の身の上を案じていた政子は快諾した。

「私が、母になるのですか?」

 倫子も嬉しそうに尋ねた。

「娘というよりも、年が近いから、妹と言った方がいいかもしれないね。裳着を行って、縁談のことも考えようと思うのだよ」

「御所に心当たりがおありなのですか?」

 母の問いに、実朝は答えた。

「昔、三幡姉上に入内の話が出ていたでしょう。とはいえ、帝がお相手では、いろいろと難しい問題が出てくる。それで、帝の弟君冷泉宮様(頼仁親王のこと)の御息所として、竹姫を京に嫁がせる話を持ちかけてみようかと思うのですよ。宮様の御生母は、御台の姉君だから、御台や院様とも縁繋がりとなるし、宮様は竹姫と年も近い」

「このうえないよいお話ではありませんか。御所の心遣いを嬉しく思いますよ」

 まもなく、竹姫は、御台所倫子の猶子となり、裳着を行った。

 祖母、若い母親となった御台所、孫娘とが加わり、将軍の周りには、家族団らんの明るく温かい雰囲気が広がっていた。

 御台所倫子が陸続きとなった江の島詣から戻ってきた頃、倫子の父前内大臣坊門信清の訃報が鎌倉に届いた。

「寂しいことになってしまったな、御台」

 実朝は、妻を気遣い、抱きしめた。

「昨年あたりから、体調がすぐれないということは聞いていましたから。私は大丈夫です。優しい母上様と可愛い姫がいるのですから」

 倫子は、寂しげな表情を浮かべながらも、穏やかに答えた。

 重臣達との協力のもと、実朝の政治改革の方も着実に進んで行った。その頃から、実朝は、御家人達の陳情を直接聴取し、再び和田合戦のような悲劇がおこらないよう、御家人達の不満解消に努めている。

 和田合戦では同族への裏切り者という汚名を着ることを覚悟の上で、将軍方についた三浦義村であったが。義村は、実朝から、愁訴聴断の担当者の一人に任じられている。実朝は、船団の扱い、橋の改修工事などの交通政策をはじめとする義村の実務能力を高く評価しており、従兄の和田義盛と同様に、義村が義理堅く情に厚い人物であることをよく分かっていた。

 また、政所の別当も従来の五人から九人に増やされ、より多くの意見が反映される仕組みが整えられた。兄頼家が鎌倉殿の地位を継いだ際にも、十三人の重臣達による支援体制がとられたが、父頼朝が亡くなった直後で派閥争いが顕在化してすぐにそれは壊れてしまった。そうした過去の反省も踏まえて、実朝は、義時や広元ら重臣達と協力して、安定したまつりごとを行おうと努力していった。

 京の院も、実朝の努力を認め、実朝への信頼回復を官位の上昇という形で示していく。和田合戦後三年ほどの間、実朝の官位は据え置きのままだったのだが、実朝は、その年の六月には権中納言、七月には左中将に任じられている。


 実朝の政治改革が軌道に乗り出したころ、鎌倉に東大寺大仏の復興に貢献した、宋の陳和卿という人物が面会を求めてきた。

「なんでも、御所様は、菩薩の化身の尊いお方だから、恩顔を拝みたいと言っているそうですよ」

「なんだそれは。随分と胡散臭い奴だな」

 茶化すようにどこか楽し気に言う時房に対して、実朝は眉をひそめた。

「和卿は、恐れ多くも故右幕下(頼朝のこと)が御自ら面会を求められたというのに、多くの命を奪った罪深い方だから会いたくないと言って拒否した無礼者です!そのような者にお会いになってはなりません!」

 堅物の泰時は、真っ赤になって実朝が和卿と会うのを反対した。

「和卿は、東大寺といろいろと確執があったらしいですね。まあ、西国に居づらくなって、東国へ移って来る者は少なくないですからね」

 時房の言うとおり、官人や僧侶など、西国で活躍することができなかった者にとって、鎌倉を中心とする東国の地は、一種の希望に満ちた新天地のようなところがあった。文官達の中には、元は京の下級貴族出身でその才を買われて鎌倉に仕えることになった者も多い。

 前年に亡くなった栄西を始め、法然の弟子である親鸞もその頃常陸国に移り住んで東国での布教活動を行っている。西国の旧仏教との確執から逃れて、東国に新しい仏の教えを広めようとやって来た僧侶は少なくなく、熊谷直実、宇都宮頼綱などのようにそれに帰依する坂東の有力者も結構いたのである。和卿が自らの活躍の場を求めて東国にやって来たというのも、ありえない話ではないのだ。

「噂によると、和卿は、資材の横領が発覚して東大寺と揉め事を起こして、船を造って宋へ帰る計画を立てているとか。きっと、そのための費用を御所様に出していただこうと企んでいるに違いありません!御所様、騙されてはなりません!」

 鷹揚に構えている時房に対して、泰時はむきになって声を荒げた。その時、泰時の言葉を聞いた実朝の瞳が、面白いことを見つけたいたずらっ子のようにきらりと光った。

「厚かましそうな奴ではあるが、中にはいろいろと役立つ話もあるだろう。会うだけなら別によいではないか」

 こうして、実朝は和卿と面会することになった。

「お懐かしうございます!御所様は、前世は育王山の長老であられ、私はその弟子でした!」

 和卿は、実朝の顔を見たとたん、不可解な言葉を口にし、いきなり泣き出した。

(思ったとおり、大げさで胡散臭い男だな)

 実朝は苦笑しながら、歌を口ずさんだ。

「世も知らじわれえも知らず唐国の岩倉山にたきぎこりしを」

「はっ?今何と」

 日常生活での会話には不自由のない和卿であったが、さすがに和歌の心得まではない。

 実朝の呟きを聞いて、時房は実朝の意図をすぐに察したようだ。

 実朝は、何やらえらく真剣な表情を作って和卿に言った。

「その話ならば、私も知っている。元暦元年の六月三日の丑の刻に私もそなたと同じ夢を見たのだ。世の人も知らないし、私もよくは覚えてはいないが。前世で私は、唐(から)の国の山の中で薪をきって、仏道修行に励んでいたはずなのだ」

 話を聞いていた泰時は唖然となって、隣にいる時房にひそひそ声で言った。

「そんな話、私は御所様から聞いたことありませんよ。何でまた、いきなり御所様はそんな突拍子もないことを」

 時房は、相変わらずのほほんとした表情で言った。

「御所様も、騙されたふりをして一芝居打つとは、お人が悪い」

 実朝の言葉を聞いた和卿は、ますます感激して涙を流した。

「これぞ、御仏のお導き!」

 そんな和卿に対して、実朝は、和卿の手を取って、和卿の瞳を見つめながら言った。

「我が弟子よ!私は、誰も見たことがないような大きな船を造って、それに乗ってそなたと共に故郷の育王山に帰りたいと思う!」

 実朝の父頼朝は、策略的な人たらしで有名だったが。実朝は、天然無自覚で、人が自分に寄せる好意には無頓着で鈍感なところがある分、なお始末が悪かった。

「はい!我が師よ!」

 和卿は、やけに熱っぽい瞳で実朝の手を握り返し、頬ずりまでし出した。

 鈍感な実朝は、「異国の者は感情表現が大袈裟なのだな」とこれまたのほほんと構えていた。

 それを見た泰時のこめかみの血管が浮き出た。

「あんな得体のしれない男にいいようにされるなど!」

 和卿との面会の後、くどくどと説教を繰り返す泰時に、実朝はややうんざりしていた。

 時房が泰時を宥めるように言った。

「前に、太郎に、御所様が、鎌倉を拠点として、宋と直接交易を行い、東国の活性化を図りたいと言われたことがあっただろう。御所様は、それを実行に移したいとお考えなのだ」

 時房の指摘で初めて実朝の意図に気づいた泰時は、なお声を荒げた。

「それならそうと、どうして前もってはっきりおっしゃってくださらなかったんですか!」

「状況を見れば、はっきり言わなくても分かるだろうと思って」

 要領がよく、勘の鋭い時房ならともかく、堅物で融通のきかない泰時にそれを悟れというのが無理な話である。


 その後、実朝は、「自分は大船を造って宋に行く。自分に続いて宋へ行きたいと思う者は名乗りをあげよ」との触れを御家人達に出した。

 寝耳に水状態の叔父の義時は、広元を伴って、珍しく声を荒げた。

「勝手に鎌倉を留守にするなど、できるわけないでしょう!突然、何を訳の分からないことをおっしゃるのですか!」

 血相を変えて飛んできた義時と広元を前に、実朝は笑いながら言った。

「叔父御も、大官令も落ち着け。何も、船ができてから、本当に、すぐにでも私が宋に渡るというわけではない。まあ、栄西和尚から話を聞いて、いつか行ってみたいとそれくらいの夢は私にもあるが。太郎には、前々から話していたことなのだが。私は、鎌倉を拠点として、宋との交易を行って東国の活性化を図りたいのだ」

 若い将軍の未来への希望にあふれる話を聞いた者たちは、我も我もと名乗りを上げ、あっという間に、御所の周りは、興奮と熱気で包まれた雰囲気となっていた。

「面白いではありませんか!船のことならば、我ら三浦にぜひお任せを!」

 大いに乗り気になった三浦義村が、楽しげに言った。

「貴殿まで、いい年して、何を寝ぼけたことを言っておるのだ!大船の建造など、いかほどの費用がかかるか分かっておるのか!」

 頭を抱えながら、義時は、義村を睨みつけた。

 だが、若い将軍は、叔父に対する強気の姿勢を崩そうともしない。

「確かに、大船建造には、多くの費用がかかるであろう。しかし、今後、鎌倉を拠点として宋と直接交易ができれば、経済面でも文化面でも、それにより得られる利益ははるかに大きいはずだ。かの清盛入道の例を見てみよ。大船を造る過程一つとってみても、様々な知識や技術がこの鎌倉にもたらされ、人々の交流が活発となる。未だに多くの荘園を持つ西国に対しても、経済力で坂東が対抗することもできるはずだ。それに、この間、東寺で尊い仏舎利が盗まれるというとんでもない事件が起きたばかりではないか。宋へ使節を派遣して、仏法を学ばせることは王法を守ることにもなるはずだ」

 実朝に便乗するように時房も言った。

「京のやんごとなきあたりにも、坂東の底力を見せてやろうではありませんか!」

「将軍自ら大きな志を持っていることを見せる良い機会だ。かの清盛入道に可能だったことが、源頼朝の息子である私にできないということがあろうか?」

「ございません!」

 前々から実朝の夢を内密に聞かされていた泰時もまた、実朝に同意した。

 しかし、慎重派の年配者である義時と広元は、大船建造のことだけでなく、将軍に物申したいことがあった。

 和田合戦以来、据え置きだった実朝が急に昇進したことについて、朝廷側に何か裏があるのではないか。朝廷が関東に余計な干渉をしてきたり、関東が朝廷の言いなりになっては困る。これは俗にいう官打ちではないか。子孫の繁栄を望むなら、父頼朝のように、今の官職は辞退し、武家の棟梁としての征夷大将軍だけにして、年をとってから大将を兼務するべきだ。などなど、慎重派で心配性な義時や広元らは、若い将軍に様々なことを諫言した。

 実朝は、この機会に義時らにはきちんと話しておかなければなるまいと思い、話し始めた。

「諫言の趣旨はよく分かる。だが、私は生まれつき体が弱く、もしかしたら実子に恵まれず、それほど長生きもできぬかもしれぬ。母上には、竹姫を御台の猶子とした際にお話したのだが。私は、院様の皇子で御台の甥に当たる冷泉宮様を第一候補として、京のやんごとなきお方に竹姫を嫁がせようと考えている。私に万が一のことがあったときの布石として、私は竹姫の子の系統を後継者候補とすることも頭に入れている」

 先代頼家との確執から、頼家の男系を後継者とすることには大きなわだかまりが残る北条にとっても、実朝の候補案は納得できる路線のものだ。そこまで先のことを考えている甥に対して、義時には返す言葉がなかった。

 それでもなお心配がちに実朝を見つめている義時と広元に対して、実朝は、努めて明るく言った。

「官打ちか。呪詛それ自体で私がどうこうなるはずもない。ああいうのは、結局、呪詛されているという心の弱さが己を衰弱させるのだ。そんなものを恐れるなど、武勇を誇る坂東武者の名が泣くぞ。院様は豪気なうえに厄介な性格のお方だ。官位も、権威も、もらえるものはもらって、逆にこちら側が利用できるものは利用するくらいの気構えでなくてはやっていけぬぞ」

 義時と広元は、やれやれと言った表情でお互いの顔を見た。とうとう慎重で心配性な年配者達も若い将軍の説得に根負けした。

 その年の十一月、大船建造計画が決定され、始動した。


 翌建保五年、西暦一二一七年。

 若い将軍の夢と威光を示すかのように、大船建造は着々と進んで行く。

 ある晴れた春の終わりの夕方。実朝は、急に思い立って、御台所倫子を伴って、永福寺へ出かけた。二人きりになった牛車の中で、実朝はぎゅっと妻を抱きしめたまま、妻の頬を撫でたり、唇を吸ったりして、その感触を楽しんでいる。

 やがて、カタンと牛車が止まる音がした。実朝は、手を差し出して妻を降ろした後、「さあ、行こう」と促した。

 満開の桜の木の下を、実朝と倫子は手をつないで歩きながら、景色を堪能している。

「梅も良いが。満開の桜もまた格別だ。御台には、これを見せたかったのだよ」

 そう言って、実朝は、倫子の髪を手にすくいとり、くっついていた花びらごと口に含んでから、その髪に口付けた。

「お船の完成が楽しみでございますね」

 微笑む妻に対して、実朝もまた笑みを返す。

「もしも、私が本当に宋に、いやもっと遠い天竺まで行くとしたら、御台も一緒に来てくれるだろうか?」

 夫の問いに、倫子は嬉し気に答える。

「御所様と御一緒でしたら、どこまでも」

 桜の木の下で、実朝は、愛する妻との甘く幸せな時間を過ごした。

 

 将軍の威光を示すかのように、大船はわずか五か月の速さで完成した。進水式は、海面の水位の上がる日を選んで行われた。

 しかし、進水式の当日。人々の期待を背負った大船だったが。由比浦はもともと浅瀬だったことが原因で、船が座礁してしまい、結局大船が浮かぶことはなかった。

「ああ!何てことだ!」

 がっくりと肩を落として、一番意気消沈し、さめざめと嘆き悲しんだのは、実朝ではなく、実は義時だった。

 当初は大船建造に反対していた義時であったが、元々調子者の性格もあってか、大船が完成に近づいてゆく姿を目の当たりにして、いつになく興奮状態となって大船が完成して浮かぶのを楽しみにするようになり、すっかりその気になっていたのだ。

 当の実朝はと言うと、若いだけあって立ち直りも早かった。実朝は、繊細なようでいて、大胆で怖いもの知らずな一面があり、たった一度の失敗で諦めるような気弱な性格ではなかった。

「船を造るよりも、まず、船出に必要な港を整備する必要があったのだな。大船で大きな損害を生じさせた手前、今すぐというわけには行かぬが。いずれ、よい場所を見つけて港を造りたい。できることなら、清盛入道の造った大輪田泊に負けぬ大きなものがよいなあ。まずは、皆の苦労を無駄にせぬためにも、使われた資材で再利用できるものは活用して、船の修理をしなくては」

 そう言って、実朝は逆に義時を明るく励ました。

「近習の中から、ひとまず九州へ行かせて、そこから宋へ向かわせてはいかがでしょうか」 

 自分が行きたそうな期待を込めて言う時房に対して、実朝は少し意地の悪そうな顔をして言った。

「五郎叔父と太郎は、鎌倉を離れられぬ私と小四郎叔父の側で何かと役に立ってもらわねばならぬから、行かれぬぞ」

 それを聞いた朝時が、調子に乗って口を挟んできた。

「なら、年齢からいって、北条の代表として儂が行きます!」 

「お前のような馬鹿息子が行っても、物の役にも立たぬわ!」

「異国で羽目を外して、我が国の恥となるだけだ!身の程知らずが!」

 朝時の言葉に、父の義時と兄の泰時が一斉に異議を唱えた。

「葛山五郎が熱心に異国の言葉を学んでいたな。落ち着いたら、彼にとりあえず九州に出向いてもらうとするか」

「海のことなら、やはり我ら三浦の出番ですな!ご助力いたしますぞ!」

 三浦義村も笑いながら実朝の話に乗った。

 おおらかで明るい実朝の姿を見て、皆笑っていた。若い将軍は、どんなときも、前へ進んで皆を導こうとしていた。

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