第四章賢君への道(一)

 建保二年、西暦一二一四年。

 二月初め。将軍一行が二所詣から帰って来た。

「お帰りなさいませ。みなさま、お疲れ様でございました」

 安達景盛は、準備万端で酒の用意をしていた。一行はたちまち大宴会に突入した。

「楽しんでいるか、太郎」

 実朝の言葉に、泰時は遠慮がちに答えた。

「私は、合戦での失敗以来、断酒を決心しましたので」

 泰時の言葉に、実朝は笑った。

「できぬ誓いなど、最初からたてぬ方がよいぞ。正体を失うほど飲み過ぎなければよいのだ。ほどほどならば、問題はあるまい」

「それも、そうでございますね」

 泰時の誓いは早くも破られてしまった。実朝も、日頃の憂さを晴らしたいと思ったのか、杯を飲み干すのがいつもよりも早かった。

 実朝は、遠くを見つめるように、ぽつりとある人物の名を口にした。

「朝盛は、どうしているのであろうか。生きているのか、生きていたとしても、もはや会うことはかなうまい」

 泰時は、主君へのかなわぬ熱情を込めた朝盛の切なげな瞳と、泣き笑いのような顔を思い浮かべた。

「首は見つからなかったそうですから。きっと、どこかで、御所様との思い出を偲びながら、生きながらえていると、私は信じております」

 泰時の言葉に、実朝は、ますます苦しげな表情を浮かべながら、吐き出すように言った。

「思い出、か。朝盛は、どうしても私との思い出が欲しいのだと言った。だが、私には御台だけだから。私は結局、朝盛を傷つけることしかできなかった……」

 実朝の突然の告白に、泰時は言葉を失った。生真面目な性格の泰時から見ても、朝盛は思いつめやすい男だった。

(御所様は、一体どのような状況で、あの男の本当の想いをお知りになったのだろうか)

 実朝と朝盛のその時の状況を想像した泰時は、胸が痛かった。

「まさか、家臣の男が、主人である私にそのような想いを抱いてそれを告白してくるなど思ってもいなかった。あのようなことを言うのは、後にも先にも朝盛だけだろうが。一体、私などのどこがよかったのだろうなあ」

 自嘲気味に笑う実朝に対して、妙な苛立ちを感じた泰時は声を荒げた。

「御所様は、鈍すぎます!」

 もっとも、酒で判断能力が鈍っていた実朝は、たいして泰時の言葉を特に気にした様子もなかった。

「まあいい。今夜はこころゆくまで共に楽しもうではないか」

「はい御所様!今夜は、大いに飲みましょう!」

 赤い顔をしている泰時もかなり出来上がっていた。そんな泰時に対して、飲んでも全く顔に出ない時房は、呆れたように言った。

「太郎。お前は、さっき断酒を決意したとか言っていなかったか?」

「あれは、正体を失うほど飲まないという意味での断酒なのです!」

 いつもの堅物ぶりはどこへやら。泰時は、酒が入ったとたん、父親の義時や弟の朝時と同様の調子者に変化してしまった。

「たまにはよいではないか」

 そう言って、実朝も泰時と共に、調子に乗って杯をどんどん重ねていく。

「御所様も。明日は、栄西和尚様との面会日でしょう!」

 しかし、すでにへべれけ状態の二人の耳には、時房の諫言は全く入っていない。

 酔っぱらいのつけは忘れた頃にやって来る。気の向くまま杯を重ね続けた主従は、いつの間にか記憶が無くなっていった。目が覚めて気が付いたとき、実朝は強烈な吐き気と頭痛を感じて、泰時に訴えた。

「太郎、頭が痛くて、気分が悪い。なんとかしてくれ」

 泰時にも、実朝を介抱する余裕などなかった。

「恐れながら、御所様。私も、同様です」

「そう言えば、今日は、栄西和尚との面会日だった!どうしよう!」

「どうしようと私に言われましても。帰っていただくのは失礼に当たりますし。本当のことを言って会うしかないのではありませんか」

 面会に来た栄西は、実朝と泰時の様子を見て、おやおやと言った顔で笑って言った。

「これはこれは。いかがされましたかな。御所様」

「面目ない、和尚。飲み過ぎた」

 同じ体たらくの泰時に対しても、栄西はからかうように言った。

「いけませんなあ。御諫めすべきご近習までが御一緒では」

 若い主従は、老僧の前で、恐縮するばかりだった。

「それでは、二日酔いに効く妙薬がございますので、寺から届けさせましょう」

 栄西が言った妙薬とは茶のことであった。栄西は、実朝に茶とともに、茶の効能を説いた『喫茶養生記』という書物を献上した。

 栄西から届いた茶の苦みが全身に行き渡たり、主従への効果はてきめんだった。


 酒で憂さを晴らしたところで一時しのぎに過ぎず、現実から逃げ出すことはできない。どうしたら敬愛する院の信頼を取り戻せるか。解決すべき問題は山積みだった。

 大倉新御堂の落成式に、実朝は、京から名僧を呼びたいと考えていた。

 だが、昨年の合戦、地震などで民心が疲弊している中で、民にさらなる負担をかけるのはどうかという意見が広元ら重臣達から出された。実朝は、重臣たちの意見に従って、関東の僧を招くことにした。  

 重臣達と力を合わせて、善政を行い、民心を安定させること、実朝は、今自分がすべきことはそれだと思った。

 あるとき、時房と実朝は、和気あいあいとした雰囲気の中、さらりととんでもないことを語り合っていた。

「御所様、私は、三位になりたいのです!」

 実朝に、甘えたような声でねだる叔父時房に対して、実朝もまたにこやかに答えた。

「今すぐは無理だが、いつか望みはかなえてしんぜよう、五郎叔父」

 それを聞いた泰時は、とんでもないと言った顔で口を挟んだ。

「叔父上、三位と言えば、公卿の位ではありませんか!何という身の程知らずな!御所様も、そんな簡単に承諾してはなりません!」

 そんな泰時に対して、時房はぷっと吹き出しながら言った。

「相変わらず、融通のきかない奴だな、太郎は」

「冗談に決まっているではないか、なあ五郎叔父」

 時房と実朝は、息が合ったように笑いながら泰時に言った。

「冗談でも言っていいことと悪いことがあります!」

「五郎叔父くらいの図々しさがなければ、京のやんごとなき方々とはやっていけんのだ」

 ますますむきになる泰時に対して、実朝はやや真剣な表情で言った。

(和田義盛は、私との個人的な親しさから、内々に官位の昇進をねだってきたことがあった。それも、昨年の合戦の遠因となったのやもしれぬ。今後はそのようなことは改めねば)

 それからしばらくして、実朝は、官位の嘆願は、一族の長を通じてのみ許可することとし、個人的な自薦は認めないとの決定を行っている。

 昨年の合戦や地震で民達が疲弊しているうえに、その年は日照り続きだった。実朝は、雨ごいの儀式を行った。民を安心させるために、これも為政者として必要な公務の一つだった。やがて、実朝の願いが届いたのか、恵みの雨がもたらされた。

 実朝は、重臣達と協議し、関東御料の年貢の減免を検討する。それも一度に実施すれば、混乱のおそれが大きいため、箇所を決めて、毎年順番に行うこととした。

 叔父義時や重臣達の協力を得ながら、まつりごとに対して真摯に向き合っていく若い将軍の姿は、少しずつ、確実に、人々の心に届いていく。

 

 その年も終わりに近づいてきたころ。

 和田合戦のきっかけとなった泉親衡の乱で旗頭にされた頼家の遺児千寿が、再び和田の残党に担ぎあげられた事件が起きた。二度目の謀反となれば許されるはずもなく、千寿は討伐対象となって追われた末に、自害して果てた。

 園城寺にいた公暁は、それを聞いて、我が身と重ね合わせずにはいられなかった。

(三浦義村は、和田側を裏切って、将軍側についた。北条も三浦も、将軍である叔父上のことを認めている。叔父上は、命令一つで多くの兵を動かす力を持っている。叔父上自身がどのような心情であったかに関わらず、和田と千寿の討伐は、間違いなく叔父上自身の判断で行われたのだ)

 そのことに気づいたとき、公暁は、誰よりも優しい人であるはずの叔父実朝が、北条よりも、三浦よりも、ずっと強くて恐ろしいと思わずにはいられなかった。

(俺は、千寿のように、知らぬ間に誰かの操り人形のように旗頭にされて、生涯を終えるなどまっぴらごめんだ。どうせ死ぬなら、せめて、自らの意思でもって華々しく戦って散っていきたい。だが、仮に、俺が自分の意思で叔父上にとって代わろうとしても、俺の後見人である三浦も他の御家人達も俺には従うまい)

 若い叔父によく似た澄んだ瞳の仏の前で、公暁の心に、新たな暗い闇が生まれ始めていた。

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