第三章成長する将軍(九)

 合戦後、片瀬川の川辺に、敗者となった和田方の首が無数にさらされた。その中に、朝盛の首はなかった。

(私の命で戦った者達の傷に比べれば、私の心の傷など些細なものだ)

 実朝は、何とか心を奮い立たせて、恩賞の沙汰を言い渡す。

 政所の前での戦の時、誰が先陣を切ったかで、三浦義村と波多野忠綱との間で口論となった。他の者の証言から、忠綱が先陣を切ったのが明らかとなった。

 将軍の御前で、忠綱は、勝ち誇ったように義村に言った。

「貴殿は、儂の息子の後ろにいたではないか。それなのに、儂の姿が見えなかったということがあるものか。貴殿の目は節穴か!」

 忠綱の言葉に、実朝は激怒した。

「裏切り者の汚名を着ることを覚悟の上で奮闘した同志への暴言、許せるものではない。悪口のため、罪に準じて、恩賞は与えないこととする」

 がっくりとした表情の忠綱に対して、実朝はやや表情を緩めて言った。

「ただし、忠綱の一番乗りの功績と忠綱の息子への恩賞は認める。以後、同志への悪口は慎むように」

 義村もまた、自分への将軍の気遣いに感謝した。

 実朝は、後に、敵将義盛の妻を赦免するなど、戦に関わっていない者への配慮も忘れなかった。

「当然のことをしただけですから、恩賞をいただくわけには参りません。それにあの時は、実は酒に酔っていましたから」

 そう言って恩賞を辞退しようとする泰時に対して、実朝は言った。

「太郎。正直なのはそなたのよいところだ。だが、もらえるものはもらっておけ。酒に酔っていたのは私も同じだ。あの時は、そうでもしなければ、とても現実を直視できるものではなかった。現場で指揮をとっていたそなたの心情はそれ以上のものだろう。そなたは、酒を飲んでのますますの本領発揮となったのだから、何ら恥ずべきではない」

「ですが」 

 なおも遠慮しようとする泰時に対して、実朝は、少し話題を変えた。

「ところで、朝時の怪我の具合はどうなのだ。」

 朝時は、一年前に、御台所に仕える佐渡という女房に不埒なことをしでかし、将軍と父の怒りを買い、鎌倉を追放されていたが。朝時は、この度の合戦で、猛将と名高い和田義盛の息子朝比奈義秀と戦って、怪我を負っていた。

「はい。たいぶよくなってはいるようですが」

 話題を変えた実朝の意図が分からず、泰時は戸惑いを覚えた。

「朝時を呼び戻すように、小四郎叔父に進言してくれたのはそなたであろう?太郎。このたびのことで、私は朝時を許そうと思う。兄が恩賞を辞退したのでは、弟も遠慮せざるをえず、せっかくの朝時の親孝行と奮闘ぶりが台無しになるではないか」

 泰時ははっとなって、実朝に言葉を返した。

「重ね重ねの御所様の御配慮、兄弟ともども感謝いたします」


 七月七日。大江広元邸で、実朝を慰めるための和歌の会が行われて、義時、泰時らも参加した。北条と和田との確執が原因で生じた合戦に際し、自ら罪をかぶり北条と運命を共にする覚悟を示した実朝を、義時らはこれまで以上に支えて補佐しようと心に誓った。

 天の川霧たちわたる彦星の妻むかへ舟はやも漕がなむ

 天の川に霧が立ちこめている、彦星の妻を迎えに行く舟が早く漕いでくれればいいのだが。

 実朝もまた、夜空を見上げながら、合戦の直後、ぼろぼろの心で帰って来た実朝を出迎えてくれた御台所倫子をこれまで以上に大事にしようと深く誓った。

 深窓育ちの姫君で、実朝以上に繊細な倫子は、合戦の衝撃で心が不安定になりがちであった。

 八月も中頃の深夜。不安でなかなか寝付けない倫子の手を引いて、実朝は庭に出た。

「月が綺麗だ。きりぎりすの声も聞こえてくるよ」

 実朝は、倫子を後ろからそっと抱きしめながら歌を口ずさんだ。

 秋の夜の月の都のきりぎりす鳴くはむかしの影や恋しき

 秋の夜に月の都でもこおろぎが鳴くのは、昔の月の光が恋しいからなのだろうか。

 だが、倫子はぼんやりと庭を見つめたままほとんど反応を示そうとしなかった。

「風が吹いて寒くなって来たね。そろそろ中に入ろう」

 実朝は、そんな妻を案じながら共に寝所に戻った。

 倫子付きの女房達の話では、最近の倫子は様子がおかしく、まるで夢の中にいるように、突然深夜に寝所を飛び出してふらふらと外を歩き回ることがあるという。妻のことをひどく心配した実朝は、自分と妻の腕をひもで固く結び、妻の手をぎゅっと強く握ったまま床に就いた。

 少しうとうとした後、実朝は握っていた妻の手が離れているのに気付いた。寝所に妻の姿はなかった。

「御台!」

 実朝が慌てて外に飛び出すと、倫子は、ぼうっとしたまま、幽霊のようにふらふらと外をさまよい歩いていた。

「どうしたのだ!御台!」

 実朝は、倫子を抱きしめて強く呼びかけたが、それでも倫子は何の反応も示さない。

「倫子!倫子!行かないでくれ!戻って来てくれ!お願いだ!」

 実朝は泣きながら、必死に妻の名を呼び続けた。

「御所様?」

 倫子は、うつつに戻って来たかのように、やっと反応を示した。

 陰陽師を呼び出して事情を話したが、変事ではないと言われた。気休めに過ぎないとは分かっていたが、実朝は招魂祭を行った。

(深窓育ちの御台には、衝撃が大きすぎたのだ。今はゆっくりと休ませて回復を待つしかあるまい)

 実朝は、祈るような気持ちでいっぱいだった。


 九月に入り、畠山重忠の息子畠山重慶が謀反を起こしたとの知らせが入った。かつての畠山重忠重保親子の事件は、畠山親子に謀反の意思がなかったことが明らかとなり、当時北条時政と牧の方の専横に逆らうことのできなかった義時にとっても、大きな古傷となった事件でもあった。

 実朝は、そういったいきさつをよく分かっていたから、「謀反という重大事件であればこそ、詳しく真偽を調べねばならない。よいか、決して殺してはならぬぞ。生け捕りにして連れ帰るのだ」と命じて、担当者である長沼宗政を向かわせた。

 その間に、実朝は、実朝の心を慰めようと気遣った家臣達と共に、秋草鑑賞をして和歌を詠むために、火取沢に散策に出かけた。供をしたのは、北条時房、北条泰時、三浦義村、長沼宗政の弟の結城朝光ら歌道に通じ、気心の知れた者達ばかりだった。

 秋萩、女郎花、葛の花、様々な秋草を見ながら、実朝は、伏せって籠りがちな御台所倫子にもこれらの草花を見せてやりたいを思った。

 その数日後、長沼宗政が、将軍である実朝の命令を無視して、勝手に重慶を処刑してその首を持ち帰って来た。

 実朝は、命令違反を犯した宗政のことをきつく咎めた。

「この大馬鹿者が!あれほど、申し付けたではないか!もともと父親の畠山重忠は過ちがないのに攻め殺されてしまったのだ。その息子が、たとえ陰謀を持ったとしても、何か理由があったからなのかもしれぬ。それゆえ、捕虜にして連れ帰るように命じたのだ。そのうえで罪の有無を詳しく調べるべきであろうが。それを殺してしまうとは、そなたの軽はずみな行為こそが罪である!」

 しかし、宗政は、恐縮するどころか開き直って実朝に不満をぶちまけた。

「重慶の陰謀は間違いありませんでした!儂の忠節をお認めにならないで、お叱りになられるとは!こんなことで、誰が忠義を尽くしますか!間違っておられるのは御所様の方です!」

 筋違いの宗政の物言いに、実朝の怒りは頂点に達した。

「言いたいことはそれだけか。追って沙汰する故、下がりおれ!」

 御前を下がった宗政だったが、それでも腹の虫がおさまらなかった。宗政は、源仲兼ら同僚がいる前で、実朝の居所に聞こえるような大声で喚きたてた。

「儂に説教をするとは、生意気な若造が!父上の時は、あんなことはなかった。生け捕りにして連れ帰ったら、どうせ尼御台様や女房衆の御口添えで、許してしまうにちがいない。だから、先にやったのだ。だいたい、あの若造は、和歌ばっかりで、武芸はからっきしのくせに。儂は、汚れ仕事をさせられたってのに。その間、北条の太郎と五郎、三浦の平六、弟の結城七郎達は、あの若造と優雅に野原をお散歩して和歌の会だとよ!手柄だって、女房衆が横取りしやがって!儂みたいな昔ながらの勇士は損をしてばっかりではないか!」

 宗政の若い将軍への悪口はこれでもかというほど続き、相手をしてこれ以上とばっちりを受けるのが嫌になった源仲兼は、そのまま黙って退出してしまった。宗政の暴言は、実朝の部屋にまでばっちりと聞こえていた。

「御所様と尼御台様へのあのような暴言!絶対に許せません!重大な悪口は、すべての争いの基です。重く罰して流罪にすべきです!」

 怒り心頭の泰時に対して、実朝は、言った。

「このたびの和田との戦いで、北条は他の御家人達よりも一層優位な立場にある。父上の時代からの重臣である宗政を、今のこの時期に流罪などにしたら、それこそいらぬ恨みを買って後々の禍根となろう。宗政の兄小山朝政からも寛大な処分をとの嘆願も出ている」

 実朝の言葉に納得できないでいる泰時を制して、義時は実朝の考えを促す。

「では、どのようにいたしましょうか」

 実朝は考えながら、叔父に言った。

「そうだな。『本来ならば、重き処分にすべきところ、このたびの和田との合戦と父上以来の勲功にかんがみ、一月の謹慎とする。若い者の手本となるように、以後悪口は控えて、これまで以上の忠勤に励むように』と宗政に伝えてくれぬか」

 実朝の言葉に、義時は頷いて御前を退出した。しばらくして、将軍の伝達を聞いた宗政は、うってかわった上機嫌でまくし立てていた。

「あの若造。結構可愛いところがあるじゃねえか!」

 このときの宗政の大声も、実朝の部屋にまで聞こえていた。

「あのような無礼者をそのままにしておいては、それこそ、新しい時代の妨げとなります!」

 宗政への怒りが収まらない泰時を、叔父の時房が宥めている。

「あの性格は、どうやっても治りはしないさ。向こうは、お前が思っているほど、真剣に考えてなどいないんだから。本気で怒る分、こっちが損だぞ、太郎」

「ああいう連中には、ここで恩を売っておけばあとでやりやすかろう。根が単純な分だけ、京のやんごとなき方々に比べればよほど扱いやすい」

 泰時は、だんだん時房に感化されて強かになっていく実朝の姿に目を見張った。


 和田との合戦の後も、実朝は、表向きはできるだけ気丈に振舞って己の責務を全うしようと努めていたが、心は大きな悲鳴をあげていた。

 実朝は、院の御所を警護するようにとの御教書を京都に送るなどの対応をしたのだが、合戦後の京では様々な流言が飛び交い、鎌倉に下向しようとする在京御家人達を警護させるために院がこれをとどまらせるなどの混乱状態が続いた。様々な騒動に対し、院は実朝の将軍としての力量に不安を抱くようになり、実朝と院との間で築きあげてきた良好な関係に、ひびが入ろうとしていた。

 十月。朝廷から、西国御料への課税に応じるようにとの要求がなされた。

 これに対して、広元は、「一切応じる必要はありません」と言ったが。あまりに強硬な態度を取れば、難解な性格の院をますます怒らせるだけだった。

 そこで、実朝は、「勝手に課税を止めるわけには行かない。だが、突然そのようなことを言われても、現地の人間は混乱するだけであるから、今後は大まかなことをあらかじめ決めて連絡するように申し入れよう」と提案した。

 三浦義村の弟胤義が女性問題で喧嘩を起こし、またもや三浦一族が騒ぎ出したが。実朝は、(またか。懲りない連中だな)と呆れながらも余裕で構えていた。朝廷の人間に比べれば、根が単純な坂東武者など可愛いものだった。

 和歌の師匠である藤原定家から、万葉集の写しなど和歌関係の書物が献上され、合戦とその処理で傷ついた心が慰められ、喜んでいた実朝であったが。その一方で、定家は、ちゃっかり自分の領地に便宜を図ってくれるよう申し入れをしてきており。そのあたりの都人の抜け目のなさ、図々しさを実朝は感じずにはいられなかった。

 敬愛する院から一連の出来事を叱責する言葉を受け、実朝は、将軍失格との烙印を押されたかのような今までにない強い衝撃を受けていた。和田との合戦の後、地震などの凶事も続いた。実朝は、自分の不徳のなさを責めた。

 実朝は、和田との合戦の後、後に金槐和歌集と呼ばれることになる歌集をまとめて藤原定家に贈っている。その中には、京の院に対して贈った次の和歌があった。

 山は裂け海はあせなん世なりとも君に二心我があらめやも

 この当時、まさに地震で山は裂け、海は干上がっており。実朝は、合戦の処理に加えて、実朝の為政者としての責任を厳しく追及しては、何かと厄介な案件を持ちかけてくる朝廷方との対応に苦慮しており。実朝の心は疲れ切っていた。

(このお方の苦しみは、誰にも変わることができないのだ)

 実朝の苦悩を一番近くで見ていた義時は、実朝の必死の思いが、京の院に伝わることを心から願わずにはいられなかった。

 

 ある冬の雪の日の夕方。

 実朝は、二階堂行光が土産によこした馬のたてがみに紙が結わえつけてあるのを見つけた。その文には、「この雪を分けて心の君にあれば主知る駒のためしをぞひく」と書かれてあった。

 将軍になったばかりの少年の実朝に、漢籍『蒙求』を和訳した『蒙求和歌』が献上されているが、その中に「管仲随馬」という故事があり、「迷はまし雪に家路を行く駒のしるべを知れる人なかりせば」という和訳された和歌が掲載されている。

 斉の桓公が討伐の帰りに、孤竹という場所で大雪が降って道に迷ったことがあった。その時、宰相の管仲は、老馬は道を覚えているからその知恵を使うべきだと進言し、桓公はそれに従って馬に先導させたところ、無事帰国できたという。

 故事を持ち出し、この雪を分けて来てくださった御所様の心をこの馬も知っていることでしょう、どうぞこの馬の案内によって無事にお帰りください、そう言ってくれる行光の心遣いが、実朝は嬉しかった。本当の心の優しさ、美しさというのはこういうものではないのかと実朝は思った。

 実朝は、行光に次のような返歌を贈った。

 主知れと引きける駒の雪を分けばかしこき跡に帰れとぞ思ふ

 主人のことを知るようにと案内してくれた馬が雪をかき分けて私を無事に送り届けてくれたなら、今度は賢明な行光のもとに帰ってほしいと思う。

 京のやんごとなき方々は、一見雅で優しいように見えるが、なかなか底意地が悪い。実朝は、京の洗練された華やかさに憧れつつも、自分の帰る心のふるさとはやはり坂東なのだと感じずにはいられなかった。

 

 建保元年と改元が行われたその年の暮れ。実朝は、和田合戦の死者を供養するために、円覚経を三浦義村に命じて三浦の海に沈めさせた。裏切り者の汚名を着ることを覚悟のうえで、同族を裏切って御所方についた義村の苦悩がどれほどのものであったのかを実朝は考えずにはいられなかった。

 降り積もる雪が、自分の身に降り積もる深い罪のように感じられた。今夜が過ぎてしまえば、今年の思い出もなくなってしまって春を迎えることになるのだろうか。忘れた方がいいのか、忘れてはいけないのか。忘れたいのか、忘れたくないのか。それすらもよく分からなくなっていく。

 実朝は、気づかないまま、そんなことを妻の前で口に出していた。

「悲しいことをおっしゃらないで。昨日があって、今日があって、明日があるのですわ」

 倫子は、ぎゅっと実朝に抱きついた。

「そうだね、御台」

 実朝は妻を抱きしめ返した。愛しい妻の柔肌の中で、傷ついた心を癒しながら、実朝は新しい年を迎えた。


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