第三章成長する将軍(七)

 建暦二年、西暦一二一二年。

 正月早々、将軍には、垸飯(おうばん)、御弓始め、鶴岡八幡宮への参拝などの公務が詰まっている。

 そして、正月早々、若い将軍に褒められる者もいれば、怒られる者もいた。

 御弓始で、射手の一番を務めた小国頼継は諸国から献上された弓矢を実朝から賜り、これを射た。その腕前があまりに見事だったため、頼継は、実朝から、「まるで、弓の名手として名高い養由基のようだ」とのお褒めの言葉と越前国稲津保の地頭職まで賜った。

 一方、実朝の鶴岡八幡宮参拝の際のこと。大須賀胤信は、御調度懸という役を与えられていたのだが。「弓を持つだけのこんな下っ端仕事やってられるか!」と言ってこれを拒否してしまった。

 それを聞いた実朝は、「この職は、亡き父上が弓の名手にお与えになった名誉ある役ではないか。それを投げ出すなどとんでもないことだ。このような職務怠慢許されるものではない!」と激怒して、胤信は御所への出仕を停止させられた。この役は代わりに、和田義盛の息子で、実朝の近侍を務める朝盛の父常盛が務めることになった。

 このように、実朝は、武家の棟梁らしく、賞与懲罰に対しては、公正で厳格な態度で臨んでいる。


 二所詣でのための精進をすませてから、実朝は、和田朝盛に、一枝の梅の花に文を結んだまま、塩谷朝業への遣いを命じた。

「塩谷邸に、私からだということは伏せたまま、この文を届けるのだ」

 君ならで誰にか見せむ我が宿の軒端ににほふ梅の初花

 あなた以外に誰に見せようか、私の家の軒端に咲き誇る梅の初花を。

 この歌は、古今和歌集の紀友則の「君ならで誰にか見せむ梅の花色をかをも知る人ぞ知る」を本歌としたものである。

 和歌の素養のある朝盛であるならば、自分の意図に気づいて使いを務めてくれるだろう、また朝業も自分の謎かけに添った返歌をしてくれるに違いない、実朝はそう期待していた。

 遣いを命じられた朝盛も当然、古今和歌集を題材としていることにはすぐに気づいた。傍から見れば、親しい和歌仲間へのただの季節の挨拶にすぎない。

 だが、主君へのかなわぬ想いを秘めた朝盛にとっては、まるで恋文の遣いを命じられたようで、心が張り裂けそうだった。

 嬉しさも匂ひも袖にあまりけりわがため折れる梅の初花

 嬉しさも梅の匂いも袖にあまるほどです、私に見せるために折って下さった梅の初花、御所様のお優しいお心遣いに何とお礼を申し上げたらよいのか。

「やはり、朝業は、私の真意を分かってくれたか!」

 暗い気持ちを押し殺したまま遣いから帰ってきた朝盛に、実朝は、朝業からの返歌を見せながら、嬉しそうな顔を見せた。

 実朝は、純粋に気心が知れた和歌仲間とのやりとりを楽しんでいるだけのはずなのに、どす黒い呪いのような闇で心を覆われた朝盛には、どうしてもそうとは思えなかった。

 御前を退出して陰鬱な表情をした朝盛の様子が心配になった泰時は、朝盛に声をかけた。

「そんなに沈んだ顔をして、御前で何があったのだ」

 実朝と泰時の関係を勘ぐっては心を煩わせることが多い朝盛であったが、この時は、もはやその余裕すらないほどに思いつめた顔をしていた。朝盛は、苦しさのあまり、文遣いのことを泰時に話す。

「御所様は、塩谷殿にだけ梅の初花を特別にお見せになりたいと思われて、その文遣いを私に命じられたのだ!御所様は、私の想いを知って、私を弄んでおられるのか!」

 感情が高ぶって今にも泣き出しそうな朝盛を、泰時は必死で宥めようとする。

「落ち着け。御所様は、貴殿の教養の高さを認められたうえで、塩谷殿への季節の挨拶の御文の遣いを貴殿に頼まれ、塩谷殿の機転に感心されただけだ。なぜ、そのように思いつめて、物事を悪い方にばかり考えるのだ」

 冷静な泰時の指摘に、朝盛はなお一層惨めな気持ちで声を荒げた。

「貴殿には、私の気持ちなど、分かろうはずがない!」

 激昂する朝盛に対し、泰時は遠くを見つめながら、静かに話し始めた。

「私も貴殿と似たようなものだ。御所様と過ごす時間が多くなるに連れて、私もまた、御所様のことばかりが頭の中を占めている。それを私は仕事だと言い訳のように言い聞かせてきた。気づいたときには、前の妻との関係は、ぎくしゃくとして修復不可能となってしまっていた。傍から見れば、仕事にかまけてばかりで家を顧みなかったゆえの破綻だと思われているだろう。だが、前の妻は勘づいていたかもしれない。『嘘でもいいから、主君への忠義よりも、妻への情愛の方が勝るのだと言ってほしかった』前の妻はそう言って、私のもとを去っていった」

 朝盛は、泣き笑いのような顔を泰時に向けた。

「罪なお方だ、御所様は。ご聡明なお方なのに、御台所に一途なあまり、他の者から寄せられる想いに目が向くことがない。その道には全く初心で鈍くていらっしゃる。そこが、あのお方のよいところなのだが」

「その点に関しては、私にも責任の一端がないとは言えないな」

 実朝がまだ千幡と呼ばれ、他の兄姉たちとは年が離れた末っ子として父頼朝から手放しで可愛がられていた頃。

「太郎よ、ややこはどのようにして生まれてくるのか」

 幼い千幡が、無垢な瞳でまだ結婚前の泰時に尋ねてきたとき。泰時は、ひどく動揺して、ぼかしたようなことを言って適当にごまかした。

 まさか、実朝がその具体的な意味が分からぬままそれを信じ込んで成長し、極端なまでの潔癖症から自らの情欲にひどい嫌悪感を抱き、御台所と真の夫婦となるまであそこまで時間がかかるとは、泰時自身も思っていなかった。ある意味、泰時を始めとする周りの人間達が、あまりに大事に育て過ぎてしまったゆえの喜劇。泰時は、過ぎ去った日々のことを思い出しつつ、長い間、朝盛と一緒にせつなげに遠くを見つめていた。

 その数日後、実朝は、三度目の二所詣に出かけた。

 箱根の山を越えると、前に来た時と同じように視界に海が飛び込んできた。その情景を見ながら実朝は歌を詠んだ。

 大海のいそもとどろに寄する波割れて砕けて裂けて散るかも

「この度は、単に波が寄っているだけでなく、随分と荒波のようですなあ」

 実朝の歌を聞いた義時が感嘆するように言った。

 夜明け前になって、実朝はさらに詠んだ。

 空や海うみやそらともえぞ分かぬ霞も波も立ち満ちにつつ

 空なのか海なのか全く区別がつかない、霞も波も立ち満ちているこの夜明け時では。

 海に波があれば、山には花が咲いていた。

 ちはやぶる伊豆のお山の玉椿八百万代も色は変はらじ

 伊豆山の玉椿はいつまでも変わることなく鮮やかに咲き続けることだろう。

 二所詣から帰った翌朝のこと。留守番をしていた警備の侍達は、時間になってもやって来ない。

「御所様がおられない間に気が緩んだと見えます!何たる職務怠慢でしょうか!」

 相変わらず生真面目な泰時は憤慨していたが、実朝はその様子を微笑ましく眺めていた。

 旅を行きしあとの宿守おのおのに私あれや今朝はいまだ来ぬ

 私が旅から帰って来た後、留守番をしていた者達にもそれぞれやむを得ない私用があるのであろうか、今朝はまだ姿を見せないことだ。

 まだ少年だった頃、吾妻助光の呆れた言い訳で出発の遅参を招いた際には激怒した実朝であったが、些細な失敗には笑って目をつむるほどにまで成長していた。

 とはいっても、京都大番役は、朝廷とも関わりが強く、御家人達の重要な任務だったから、これについての職務怠慢については笑って見過ごすわけには行かなかった。この件について、実朝は、一月任務を懈怠した者は、三か月その期間を延長することを決定し、厳格に対処している。


 周囲の人間からは、泰時と実朝は生真面目な性格がよく似ていると言われることがあるが。融通がきかない泰時よりは、どちらかといえば、実朝は、大らかで柔軟性があり、時として大胆な叔父時房の影響を強く受けている面も多い。

 時房が国司を務める武蔵国の公田の調査についての話が出たときのことである。

「郷の管理は、昔どおりの郷司にまかせたやり方に戻すべきでしょう」

 時房の指摘に、泰時は反論した。

「これまでと同じやり方では、馴れ合いによる弊害が出るばかりです」

 泰時の意見に対して、実朝は首を横に振った。この件については、もともと実朝も、前任者の大内義信の時の慣例に従うよう沙汰していた。

「その地にはその地のやり方というものがあり、それを無視することはかえって混乱が生じる。ここは、五郎叔父のいうとおり、やはりこのまま、従来の管理のやり方に合わせて処理すべきだと私も思う」

「太郎、人は理屈だけではついては来ない」

 息があったように冷静に指摘する実朝と時房の姿を見て、悔しくなった泰時は思わず声を荒げた。

「情実を重んじたやり方には納得できません!」

 だが、結局実朝は、時房の案を採用した。

(まつりごとに私情をはさんでいるのは私の方だ) 

 泰時には分かってはいたが、泰時と歳の近い叔父の時房と、泰時よりも年下の若い主君とが、泰時を置いて二人で先に進んで行っているように感じられて、泰時は嫉妬心を覚えずにはいられなかった。泰時には、朝盛の焦りが分かるような気がした。

 相模川の橋を改修すべきだと三浦義村が提案した時のことである。

「稲毛重成がこの橋を造った落成式のときに、御所様の御父君は体調を崩されて馬から落ち、それが原因で亡くなられたのです。三浦殿は、稲毛重成を誅殺する隊に加わっていたのですから、この橋を今更作り直すことがどれだけ縁起が悪いかよく分かっていらっしゃるでしょうに」

 泰時の父義時や広元ら大半の重臣達は、義村の案に反対した。

 だが、重臣たちを前に、実朝は義村の案を採用すべきだときっぱりと言った。

「父上が亡くなられた時、武家の棟梁としての権勢も官位も極めておられ、縁起が悪いということがあろうはずがない。稲毛重成は、自ら落ち度があったがゆえに罰を受けたのだ。三浦のいうとおり、これ以上、不吉だのなんだの馬鹿なことを言っていないで、民の憂いを一番に考えるべきではないのか。この橋は二所詣の際に通るうえに、橋が改められれば民達も安心できよう。壊れたり倒れてしまってからでは遅いのだ。早く修理すべきだと思う」

 理路整然とした若い将軍に、重臣一同が頭を下げた。

 泰時には、父義時や叔父時房らから様々なことを学びながら、的確に判断を下していく年下の主君の姿が眩しすぎた。

 

 その頃、延暦寺が大騒ぎをして暴動を起こした。もともと、延暦寺と園城寺は仲が悪く、しょっちゅう武力による大騒動を起こしていた。仏に仕える聖域というのは建前だけのことであって、あたりを探せば、坂東武者にも劣らぬ素行の悪い荒くれ者の僧兵達が吐いて腐るほどいた。そんな具合だったから、鎌倉を離れて、園城寺に入った公暁の養育環境は、青少年にとっては決してよいものではなかった。

 叔父の実朝とは違って、学問が大嫌いな公暁にとって、寺での学問三昧の生活が楽しかろうはずがない。僧房に閉じこもっているよりも、悪い僧兵たちに交じって武芸の稽古をする方が、公暁には性に合っていた。

 仏に仕えるために園城寺に来たというのに、悪い環境に染まって、やがて公暁は、人を呪い殺す方法と武をもって人を殺す方法と、酒と、男か女かを問わず色の道と、そのようなことばかりを覚えていくようになる。孤独な少年のそのような荒んだ生活が、やがて引き起こされる悲劇の遠因のひとつになったといってもよいかもしれない。

 実朝は、まだ少年の甥の身を案じながら、園城寺の周辺の警備を強化するようにとの命令を出した。

 

 三月に入って、将軍実朝は、御台所倫子、母の政子とともに、叔父の義時、時房らを供に、三浦三崎の御所へ出かけた。

 実朝は、御台所倫子と牛車に同乗して道行く先の松を見ながら歌を詠んだ。

 磯の松幾久さにかなりぬらむいたく木高き風の音かな

 長い年月を生きている磯部の松のたいそう高いところで風の音が聞こえている。

「御所がまだ幼い頃、家族みんなで三浦や京へ行った時のことが思い出されますよ」

 政子は、懐かしそうな表情で、牛車から降りて姿を見せた実朝と倫子に語りかけた。

 若い将軍夫妻は手をつないで、母の言葉に嬉しそうに頷き合っている。その様子を見た義時、時房らもまた、心の底から楽しそうに笑っていた。

 将軍一行が発った後、随行に加えてもらえなかった朝時は、一人でいじけていた。

(いつも儂ばっかりが除け者にされて!)

 朝時は、動く雛人形のような御台所とその女房達の一行をうっとりとした表情で思い出していた。

 朝時と同じ歳頃の御台所倫子が、鎌倉の実朝のもとに嫁いできたのは、まだ少女の頃だった。

 朝時は、北条一族の末座に座って、御台所に挨拶した時のことを昨日のように憶えている。御台所は、まるで絵巻物からそのまま抜け出て来たかのような高貴な姫君そのものだった。

「どうぞ、およろしくね。次郎さん」

 無邪気に微笑みかけるまだ少女だった御台所は、姿形だけでなく、声まで可憐で愛らしく、朝時は一瞬のうちに心を奪われてしまった。思えばそれが、朝時の身の程知らずの初恋の始まりだった。

 奥手で一途な将軍が、御台所と新枕を交わすまでには、長い年月がかかった。それを多くの者達が微笑ましく見守っていたが。

(あんな誰もがうらやむ高貴な姫君を妻にしておきながら、御所様は馬鹿で臆病者だ。儂だったら、さっさと手を出して自分の物にしておるわ!)

 その時、朝時は不謹慎にもそう思ったものだった。院の縁に繋がる生まれながらの貴婦人である将軍の正室は、朝時にとって決して手に入らない高嶺の花だった。

 それからしばらくして、京から佐渡という名の御台所付きの若い女房が鎌倉にやってきた。その艶姿を見て、またもや朝時は、一目で心を奪われてしまった。

(坂東の田舎娘なんかとは比べ物にならない。御台様といい、お付きの女房殿といい、京の人間というのは、何て雅で美しいんだろう!儂だって執権の息子だ。御台様は無理でも、そのお付きの女房殿なら行けるはずだ!)

 そう勘違いした朝時は、それ以来何度もしつこく佐渡に艶書を出して言い寄ったが、全く相手にされなかった。

(儂は、御所様の身内だ!目に物を見せてくれるわ!)

 調子に乗った朝時は、とうとうとんでもない事件を起こしてしまう。

 ある深夜、朝時は御所に不法侵入し、佐渡が休んでいる部屋に忍び込み、後ろから佐渡を抱きすくめた。

「お静かに。私をここまで焦らしたあなたが悪いのですよ」

 いかにも色男ぶったその声に、佐渡は聞き覚えがあったが、山賊を撃退した武勇伝を持つ女傑は、この不埒な田舎者の男を全く恐れていなかった。佐渡は、自分の口元を押さえていた朝時の手に歯で思いっきり噛みついた。

 雅な女房の思わぬ反撃に、朝時は一体何が起きたのか理解ができず、痛みで腕を離した瞬間、朝時の急所に佐渡の強烈な蹴りが見事に決まった。

「誰か!ここに不埒な狼藉者がおります!お助け下さい!」

 深夜に響き渡る若い女房の大声に、御所の番犬を務めている実朝の愛犬飛梅が大きく吠えたてて現場に走って来た。それに反応して、わらわらと人が集まって来て、不埒な侵入者は警護の侍たちによってたちまち御用となってしまった。蓋を開けてみれば、不埒者の正体は、将軍の後見人の子息であることが発覚し、朝時は、世間に赤っ恥を曝すこととなった。

 報告を受けた実朝は、激怒した。

「この大馬鹿者が!文だけならまだしも、相手にされぬからといって、夜間の御所に不法侵入の末、このような乱暴狼藉、とうてい許せるものではない!そなたは、御所の治安を乱して主人である私の威光に傷をつけただけでなく、父親の顔にも泥を塗ったとんでもない親不孝者だ!無期限の謹慎を申し付ける!」 

 自分と歳の変わらない穏やかな性格の若い将軍の鬼神のごとき姿を初めて目の当たりにした朝時は、恐ろしさのあまり失禁していた。

 甥の不祥事に、尼御台政子もまた、怒りを隠せなかった。

「我が身内とはいえ、女人をかようにひどい目に遭わせるなど!絶対に許せません!かわいそうに、御台所は自分のことのように怯えて泣いているのですよ!息子の不始末は父であるそなたの不始末です!」

 姉政子の激しい非難に、義時は返す言葉すらなかった。

「お前とは、これより親子の縁を切る!とっとと出て行け!」

 最後の頼みとしていた父にまで勘当を言い渡された朝時は、泣きじゃくりながら必死に言い訳をした。

「何で儂ばっかり!父上だって、若い頃、儂の母上に同じようなことをしたではありませんか!」

 朝時の言葉を聞いた義時は、怒りで朝時を殴り飛ばした。

「嫌がる女人を遊びで手籠めにしようとしたお前と一緒にするな!許可を得て、決して別れぬとの誓いを立ててようやく妻にした女を、儂がどれほどの想いで手離さなければならなかったか。お前なんぞには分かるまい!もはや、その顔、二度と儂の前に現すな!」

「時が経てば、御所様と父上の御怒りも解ける時が来よう。とにかく今は、反省して大人しくしていることだ」

 実朝と義時の怒りを買って、失意のうちに一人鎌倉をあとにしようとする朝時に、兄の泰時は宥めるように言い聞かせた。

 朝時の破廉恥事件に続いて、夜間の御所でまたもや事件が起きた。伊達四郎と萩生右馬允が手下を率いて宿直の間で大乱闘の末、多数の殺傷者を出したのである。

「本当にどうしようもない大馬鹿者達ばかりだ!」

 相次ぐ御所での無法な振る舞いを許すわけには行かなかった。額に青筋を浮かべた実朝は、直ちに伊達四郎を佐渡島に、萩生右馬允を日向国にそれぞれ流罪とした。

 また、ある時、安達景盛が上野国の奉行を辞退したいと申し出てきた。比企氏や兄頼家と景盛との確執を知っている実朝は、景盛を睨みつけながら言い渡した。

「そなたの昔の事情をとやかく言うつもりはない。だが、北条を選んだということは、私を選んだということでもあろう。ならば、自らの職務に励んで忠心を示すべきであろう。御台以外の女人を必要としない私に対して、まさか女を盗られたと言って騒ぎ立てて謀反を起こすはずもなかろうしなあ」

 血気盛んな典型的な坂東武者の景盛であったが、普段は穏やかな主君に凄みのある声で皮肉を言われて縮み上がった。


 実朝は、禅僧栄西からもらった仏舎利を見つめながら、泰時にこぼした。

「最近の私は、怒ってばかりいるような気がする。皆は私のことを、若年寄の説教将軍が雷を落としたと言っているそうではないか」

「お気になさることはありません。非はすべて御所様を怒らせるようなことをしでかした大馬鹿者達にあるのですから」

 泰時は至極真面目な顔で答えた。実は、若年寄の説教将軍と最初に憎まれ口を叩いたのは、破廉恥事件で実朝を激怒させた泰時の弟の朝時だったのだが。泰時は、大馬鹿者の筆頭とも言える実弟を庇う気はさらさらなかった。

 実朝は、ふっと表情をやわらげて言った。

「怒りで頭がいっぱいになるよりは、たまには楽しいことを考えていたいものだ。宋の国に渡ったことのある栄西和尚の話は実に面白かったぞ。聖徳太子様は、仏法を尊び、遣隋使を派遣したと聞いている。今は滅びた奥州藤原氏の財力もいかばかりのものだったのか。かの清盛入道もまた、宋との貿易で莫大な利益を得たではないか。これは、まだ小四郎叔父にも内緒の話なのだが。私はいつか、この鎌倉を直接の起点として、東国の活性化のために、宋との交易を行いたいと考えているのだ」

 泰時は、実朝が、若者らしい大きな夢を打ち明けてくれたことが嬉しくて仕方がなかった。


 若年寄の説教将軍は、一方で、様々な者達への配慮も忘れなかった。

 和田一族は、惣領の義盛の国司任官話が流れた件などで、北条へのわだかまりを持ち始めていた。武勇一辺倒なものが多い和田一族の者達の中で、武だけでなく文にも優れ実朝の近習として重用されている若い朝盛は一族の期待の星でもあった。和田一族の者達は、朝盛を、同じく実朝の側近として活躍している北条泰時の対抗者として煽らせるようなところがあった。

 敏感な実朝は、和田と北条のそのような微妙な空気をすぐに悟った。

 実朝は、老臣義盛の昔話に耳を傾けたり、義盛の邸を訪れたりするなどして、歓談の時間を持とうと努めた。義盛もまた、実朝の来訪や気遣いを大層喜び、和漢の名将の肖像画を実朝に献上するなどした。

 実朝は、朝時の破廉恥事件で、姉のように慕う大事な女房に不埒なことをされかけて、自分のことのように傷ついて内に籠りがちだった妻倫子へも優しい気遣いを見せた。

「母上がね。鶴岡八幡宮での舞楽を御台と一緒に見たいと言っているのだが。どうだろうか」

 夫の言葉に、倫子は弱弱しく微笑みながら答えた。

「御所様は御一緒ではないのですか」

 実朝は倫子を強く抱きしめながら言った。

「公務が終わったら、私も後から追いかけてすぐに行くから。それからね。今度、絵合わせの勝負をしようと思っているのだよ。広元などの御老体達もはりきって準備をしている。楽しみにしていておくれ」

「はい、御所様」

 倫子はようやく、夫の腕の中で、安堵の笑みを浮かべた。

 また、その年は、昨年即位された今上帝(順徳天皇)の大嘗会が行われており、実朝は朝廷に対する配慮から次のような和歌を詠んでいる。

 今つくる黒木の両屋古りずして君は通はむ万世までに

 今度作られる黒木の大嘗会の二つの宮は、いつまでも古びることはなく、我が君がお通いになられることだろう。

 黒木もて君が造れる宿なれば万代経ぬとも古りずもありなむ

 黒木で我が君が作られた大嘗宮がすぐに撤去されるのは惜しいことだ、我が君の御世のようにいつまでも古びないでいてほしい。

 君が代も我が代も尽きじ石川や瀬見の小川の絶えじとおもへば

 石川の流れが絶えないと思うように、我が君の御世も絶えることなく、私の世でそれをお支えしたいと思う。これは、鴨長明の和歌「石川や瀬見の小川の清ければ月も流れを尋ねてぞすむ」を本歌取りとして詠んだものであると言われている。

(何やら書物をお書きになっていると風の噂に聞いているが、お元気な様なら何よりだ)

 実朝は昨年鎌倉を訪れた老法師のことを懐かしく思い出していた。

 他方で、実朝に密かに想いを寄せる者にとっては、実朝の優しい気遣いがかえって辛くもあった。

 梶原景時の孫で荻野景継という者がいた。穏やかなこの青年を実朝は重用していたが、内気過ぎて何かと気に病む性格の景継は、将軍の御前で、脂を足し忘れて、明かりが消えてしまったという、ささいな失敗をひどく気にしていた。

「そのようなささいなことは罪でも何でもないのだから。恥じることは何一つないのだよ」

 実朝は、そう言って景継を気遣ったが、景継はますます恐縮するばかりだった。

(祖父の一件で後見が弱いことが影響しているのだろうか。それとも、北条と和田との確執が取りざたされている中で自分の居場所がないと感じているのだろうか)

 景継の酷く思い詰めた様子が気がかりだった実朝は、泰時に頼んでそれとなく様子を見てもらうことにした。

 景継は、和田朝盛と同じような主君へのかなわぬ熱情を込めた泣き笑いのような表情をして、泰時に語った。

「御所様はお優しいお方です。あのお方は、仕える者だけでなく、多くの民、獣(けだもの)や草木にまでお心を寄せられる。けれども、そのお心は、御台様をのぞいて、誰か一人のものには決してならない。私には、御所様のそのお優しさが辛いばかりなのです。匠作様(泰時のこと)はいいなあ。たとえ想いがかなわなくても、いつだって、どんなときだって、あのお方の御側にいられるのだから」

(この人もまた、そうなのか!)

 あまりに寂し気な景継のその表情が、思いつめた和田朝盛の姿と重なって、泰時はいたたまれなかった。

 やがて、荻野景継は永福寺で出家して行方をくらませた。


 年が明けて、建暦三年、西暦一二一三年。

 正月の垸飯役(おうばんやく)に、和田義盛が加えられた。これもまた、北条に対して、わだかまりを持ちがちな和田への、実朝なりの配慮であった。若い将軍の心遣いに、義盛は深く感謝した。

 それから、実朝は、昨年と同様に御台所倫子を慰めようと絵合わせの会を催した後、二所精進をすませて、二所詣に出かけた。今年は、天候が悪い中での出発であった。

 実朝は、途中の箱根の川や湖を見て歌を詠んだ。

 夕月夜さすや川瀬の水馴れ棹なれてもうとき波の音かな

 夕暮れ時に月が出た後に、川瀬を進む船を漕ぎなれた棹のように、波の音にはなれたはずなのに、これほど天候が悪いと何とも耳障りであることよ。

 たまくしげ箱根のみうみけけれあれや二国かけてなかにたゆたふ

 芦の湖は心があるのだろう、相模と駿河の二つの国をはさんでゆっくりと揺れ動いている。

(北条と和田との関係が取りざたされている中、私の心も揺れ動いている。それでも、この湖は二つの国の間に合って豊かな水で満たされているではないか。人もこのようにあればいいのに)

 実朝は、そう思わずにはいられなかった。

 二所詣での帰りもまた、雨はひどく降り続いていた。

 浜辺なる前の川瀬を行く水の早くも今日の暮れにけるかな

 雨のため、浜辺の宿の前の川瀬の水の流れが早い。夕暮れもあっという間に来てしまった。

 雨が降り続く中、付き添いの叔父義時や時房を始め、多くの者達は、黙々と旅路を急ぐ。

 春雨はいたくな降りそ旅人の道行き衣濡れもこそすれ

 春雨よ、ひどく降らないでくれ、旅をする者達の道中着が濡れてしまって、難儀をしては気の毒なことではないか。

 実朝は、悪路を進む者達の気持ちを少しでも明るくしたいと思い、再びつぶやいた。

「春雨にうちそぼちつつあしびきの山路ゆくらむ山人や誰」

「何か、おっしゃいましたか?御所様」

 激しい雨音で甥の声がよく聞こえない義時が、聞き返した。

「いや、なに。春雨の中を濡れて山道を歩いているのは仙人なのだろうかと思ってね」

 意味を理解した時房が笑いながら説明した。

「要するに、この雨の中を進む我々は仙人のようなものだ、鎌倉までもう少しだからと励ましておられるのですよ」

 二所詣から戻ってから、実朝は、泰時、朝盛ら近習達を集めて和歌の会を開くことにした。和歌の会の題は、「梅花万春を契る」であった。

 実朝は、父頼朝、姉大姫との思い出につながる梅の花を殊の外愛していた。菅原道真ゆかりのひときわ香りの高い一枝をそっと顔に近づけながら、実朝は優しく微笑んで歌を口ずさんだ。

「梅が香を夢の枕にさそひきてさむる待ちける春の山風」

 主君のその姿を見た朝盛の内に秘めたかなわぬ熱情は高まって行くばかりだった。

(ああ!梅の香に誘われて、そのまま枕を交わしてしまいたい!春の山風のように吹きあれる乱れた想いを抱いたまま、私は幾度それを夢見て待ち続けたことか!)

(あまり思い詰めるなよ)

 朝盛の表情に気づいた泰時は、我がことのように思わずにはいられなかった。

 また、学問を好む実朝は、歌会の後、学問所番を設け、特に優秀な近習達をその構成員に選んでいる。叔父の北条時房が学問所番の奉行を務め、北条泰時は一番組の筆頭、和田朝盛も二番組の構成員として名を連ねていた。

 実朝の気遣いは、誰に対しても分け隔てがなかった。

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