第三章成長する将軍(六)

 承元五年、西暦一二一一年。

「大事がなくてよかった、五郎叔父」

「このたびは、御所様には、大変なご心配をおかけしました」

 年が明けてまもなく、時房の屋敷は火事で焼失してしまった。

「五郎への見舞いのみならず、儂にまで。御所様には、いつも過分なものを賜り、恐れ多いことでございます」

 実朝は、正月に叔父の義時と時房に引出物を贈り、さらに、火事の見舞いも兼ねて実朝がこのたび新たに永福寺から御所の庭に移植したのと同じ梅の木を時房と義時に贈ったのだった。

「今年はもう時期が過ぎて申し訳ないが。あの梅の木は、菅原道真公ゆかりの地である京の北野天神の庭の梅の種から育てたもので、香りもとてもよいのだ。御所に植えた分には、鶯の巣まであったのだよ」

「御所様は、まことに梅がお好きでいらっしゃる。お父君と大姫様との思い出深い花ですからなあ。しかし、母を亡くしたこの子はかわいそうなことでしたな」

 そう言って、義時は、白い雄の子犬の頭を撫でた。

 実朝の愛犬雪は、数匹の子犬を産んだのだが。人間の年齢で言えば高齢出産に当たり、産後の肥立ちが悪く、栄養不足などが原因で、子犬一匹を残して、母犬も他の兄弟の子犬達もみな死んでしまった。

 物言はぬ四方(よも)の獣(けだもの)すらだにも哀れなるかなや親の子を思ふ

 人の言葉を話さない獣ですら、親は子を愛おしいと思う。

 実朝は、義時から白い雄の子犬を受け取って、愛しそうに頬ずりをした。

「菅原道真公の梅の花のように、お前も、母が恋しくて追いかけて行きたいのだろうなあ。けれども、お前は縁があって私のもとに生まれて来てくれたのだ。なあ、飛梅(とびうめ)?」


 元号が建暦に代わって、四月の中頃を過ぎた頃、実朝は夜明け前に、近習達を連れてお忍びで永福寺に出かけた。 

 その前の日の朝に、永福寺で今年初めての時鳥の鳴き声を聞いたと和田朝盛が実朝に報告したところ、実朝の提案で皆で出かけることにしたのだった。

 聞かざりき弥生の山の時鳥春加われる年はありしかど

 春に閏月のある年は前にも経験したことがあったけれども、三月に時鳥が鳴くのは聞いたことがなかったよ。

 実朝は、前月に時期には早すぎる時鳥の初声らしきものを聞いたような気がしたことがあり、今度こそ確実に聞くことができるに違いないとその分期待も大きかったのだが。

「これほど待っているのに、なかなか鳴いてくれませんね」

 泰時はひどく残念そうな顔で言った。

 実朝は、笑いながら、和歌を詠んだ。

 初声を聞くとはなしに今日もまたやま時鳥待たずしもあらず

 初声を聞くこともなく、今日もまた山時鳥を待っていないわけでもない。

「時鳥には時鳥の都合というものがあるのだろうよ。そういうこともあるさ」

 実朝と泰時は、鳴かない時鳥を話題に楽し気に語り合っている。

 しかし、その姿を見た朝盛の胸には、呪いのような黒い感情が渦巻いていた。朝盛には、鳴かない時鳥が、自分自身の主君への報われない想いの象徴のように思われてならなかった。

 

 御台所倫子とその側に仕える女房達は、京にいた頃よりも外出の機会が多いことをとても喜んでいた。その年の五月も、時房を供に、逗子の岩殿寺に出かけることになり、倫子の女房達はみなうきうきしていた。洗練された美男でそつがない時房は、御所の女房達の人気の的だった。

「あのようなお方に一度でも愛されたお方は、女冥利につきるというもの」

 うっとりとした表情で語る女房の佐渡に、倫子はおかしそうに笑った。

「まあ、佐渡ったら。はしたないわ」

 見た目は京から来た佳人だが、鎌倉に向かう途中山賊を撃退した武勇伝を持つこのおっかない女房の正体を知らない従弟の朝時が、全く相手にされていないにもかかわらず、しつこく艶書を送り続けていることを実朝は知っている。

(佐渡はとうてい次郎の手に負える相手ではないうえに、五郎叔父と比べられたら、とても次郎に勝ち目はないだろうな)

 実朝は、苦笑した。

「それにしても、匠作様(泰時のこと)がお出でにならないとは!残念でなりませんよ」

 悔しそうに言う老女房の丹後局の言葉を聞いた倫子は、笑いながら言った。

「丹後は、太郎さん派なのですよ」

「おやおや。いつの間にそのような派閥ができているとは」

 微笑んで語り合う主人夫婦に対して、丹後局は力説して言った。

「ああいう真面目で御誠実で忠義のお方こそ、武士(もののふ)の鏡というものですよ!それを若い女房達と来たら、全く分かっていないのですから!」

 御台所だけでなく、側に仕える女房達もまた、すっかり鎌倉の気風に染まっていた。

 倫子と女房達が外出している間に、実朝は、小笠原の牧場の管理を巡って、失態を犯した三浦義村を呼び出していた。現地の管理人と、奉行として牧場を差配する三浦義村の代官がもめ事を起こしたのだ。橘公成の一件を思い出した実朝は、ため息をつきながら言った。

「義理堅く、情に厚いのは、そなたのよいところだと思う。だが、片方に肩入れしすぎて公平さを忘れ、管理が不行届きだったのが、このたびのそもそもの原因ではないのか。残念だが、そなたの奉行の職は解かざるをえない」

「このたびの失態、まことに申し訳ございませぬ」

「まあ、あまり気に病むでない。失敗は誰にでもあることなのだから。次の機会を期待しているぞ」

 気遣いを忘れない若い主君に対して、義村は、恐縮して深々と頭を下げた。

 

 倫子の女房達のように、よい意味で鎌倉の気風に慣れ親しむようになった者もいれば、権勢を笠に横柄な振る舞いをする者もいた。

 六月。侍所の長官である和田義盛が捜査審理中の強盗事件に関し、母政子に仕える駿河局という古女房が、余計な黄色い口ばしを挟んできたのである。

「尼御台様のご意向にございます。どうか、今一度お考え直しを!」

 駿河局の忠義者の皮をかぶった横柄な態度は、かつての牡の方を思い出せ、実朝は気分が悪くなった。畠山重忠事件の恩賞で、まだ年少だった実朝を矢面に立たせないために、母政子が実朝に代わって決定したことがあったように、重大なまつりごとについて、母政子が関わることがないわけではない。

 だが、母は、実朝が成長してからは、ほとんど実朝の判断を尊重してくれているし、意見を言うことがあったとしても、控えめながらもその判断はいつも的確だった。このたびのような平時における日常的な事件の類で、わざわざ母が女房を介して何かを言ってくるとは到底思えない。感情だけで騒ぎ立て、横柄な態度を取る駿河局に、あの母が同調しているはずがないことを、実朝はすぐに見抜いた。

「痴れ者めが!道理に合わぬことを申しているのはその方であろうが!今後、権勢を笠に、そのような横柄な態度を取って、母上の御名を汚すようなことをするのであれば、ただではすまぬ。下がれ!」

 実朝が女人に対してこれほどの怒りを面に出したのは、牧の方の一件以来だった。普段温厚な実朝の父頼朝を彷彿とさせる変貌ぶりに、駿河局は背筋が凍るほどの恐ろしさを感じた。


 七月に入り、実朝は、帝王学の書である貞観政要を学んでいた。その影響から、実朝は、次のような和歌を詠んでいる。

 時により過ぐれば民の嘆きなり八代龍王雨止めたまえ

 主君のこの和歌に関して、朝盛と泰時は議論を交わしていた。

「為政者として民にお心を寄せられる姿を示した、御所様のお優しさがよく伝わるよきお歌かと存じます。」

 主君の歌に魅入っている朝盛に対して、泰時は理屈っぽく反論する。

「確かにそれはそうだが。大和言葉に、一句そのまま、八大龍王という真名を用いるのはあまり聞いたことがない気がする」

 朝盛にとって、妬ましいほどに実朝の側にいながら、実朝の感性をまるで理解していない泰時に、朝盛は腹が立った。

「何を言われるか!古いものに固執されない、そこに御所様の斬新さが表れている証ではないか!」

 朝盛の怒りを本当の意味で理解していない泰時は、さらに理屈っぽい指摘をした。

「そういえば、今年は大雨は降っていない。むしろ、どちらかと言えば日照りが心配される方ではないのか。雨が降るのをやめられては、それこそ民の嘆きになるだろう。ここは、『雨降らせたまえ』とするべきではないか」

「恐れ多くも御所様のお歌を愚弄するつもりか!」

 泰時の指摘に、心底頭にきた朝盛は、泰時の襟を掴んで、一触即発の状態になった。

「二人とも、いい加減にしないか!」

 時房は、泰時と朝盛の間に入って二人を止めた。

「新兵衛尉のいうとおりだ。あのお歌は、あのままがよいと私も思う。『雨止めたまえ』の箇所は、韻が踏まれているのではないのか。御所様は、語感や言葉の使い方にも気を遣っておられるのだ、おそらく」 

 時房の指摘に、泰時は、はっとなったような顔をした。

「何でも難しく考えればいいというものではない。太郎、お前は、もう少し頭を柔らかくして、素直に感じたままのことを大事にした方がいいぞ。」

 時房は、やれやれと言った表情で、呆れながら泰時に対して言った。


 今度は、母政子と御台所の倫子が相模国の日向薬師へ、一緒に小旅行へ出かけることになった。

「あなたと母上が、実の親子のように仲がいいのは結構なことだがね。置いてけぼりの私は寂しいものだよ」

 出発の前夜、実朝は少し面白くなさそうに妻に語りかけた。倫子は、はじけるような笑顔で答えた。

「御所様のおはからいに女房達もとても喜んでおります。このたびも五郎叔父様がお供をしてくださるそうで。五郎叔父様は、本当に楽しくて素敵なお方でございますね」

 無邪気な妻の発言に、実朝はますます面白くない気分になった。実朝は、本能的に妻を強く抱きしめた。

「御所様?」

 いつもとは違う大胆な夫の姿に倫子は戸惑いを隠せない。実朝は、妻の柔らかい頬に手を添え、妻の唇に己の唇を強くあてて吸った。

「焼き餅だよ。あなたの可愛い口から、他の男を褒める言葉が出てきたものだから」

 そのまま、若い夫婦の甘い夜の時間が過ぎていった。

 

 八月の終わり。疱瘡にかかって以来、他の寺社に私的参拝をすることはあったものの、鶴岡八幡宮への公式参拝を控えていた実朝は、それを復活させた。

「艶姿で神仏をだます必要がなくなってようございましたな、御所様」

 姉の政子から、実朝が女人の恰好をしてお忍びで出かけたいきさつを聞いて知っている義時は、若い甥をからかうように笑って言った。

「小四郎叔父まで。勘弁していただきたいものだ」

 若者らしい困った表情を浮かべて苦笑しながら、実朝は答えた。

 

 九月。実朝のもとに、御台所倫子の兄坊門忠信が、官位の昇進をねだって院の怒りを買ったという噂が届いた。

「恐れ多いことだが、御台の言っていたとおり、院はなかなか厄介な性格のお方のようだ」

 実朝は、時房や泰時らと朝廷との付き合い方について話をしていた。

「やはり、正直に、真っすぐに心を込めてお仕えするのが一番かと思われます」

 泰時は、真剣な表情で答えた。

「太郎、お前は相変わらず、融通の利かない奴だな」

 時房は、またもや呆れながら言った。時房と泰時の様子を見て笑いながら、実朝は言った。

「五郎叔父ならどうする?可愛げのあるふりをして相手の懐に入り込み、時には焦らして、ここぞという時に強気で攻める。そんなところか」

「さすが、御所様!よく分かっておいでです!」

 息がぴったりの実朝と時房の様子に、泰時はどこか面白くなさそうな顔で言った。

「そんな人を騙すようなあくどいやり方は、御所様には似合いません!」 

「やはり、こういうことは、太郎よりは五郎叔父の方が適任だな。」

 どこまでも生真面目な泰時の様子を見ながら、実朝は茶化すように言った。

 

 それから間もなくして、善哉は僧籍に入ることが正式に決まり、後に公暁と名乗ることになる。善哉の母、辻殿は、昨年、一足先に出家している。

「今の御所様が、あなたのお父君なのです。その御心にかなうよう、どうか、あなたも御所様のような御立派な方になってください」

(母上までが、義村と同じことを言う。だが、俺には無理だ。俺は叔父上のように、すべてを受け止めて耐えられるほど、強くない)

 善哉が、園城寺に入るため、鎌倉を離れる時、実朝は、善哉の肩を強く抱きしめて慈しむように言った。

「もう、私が抱き上げることはかなわぬなあ。体には気を付けて、達者で暮らしておくれ」

 若い叔父の腕の中で、善哉は修禅寺へと向かう父頼家との最後の別れを思い出していた。

「ととさま!ととさま!」

 行かないでくれと泣いて縋りつこうとする幼い善哉を実父は、この叔父のようには抱きしめてはくれなかった。お前のような軟弱者は我が子とは思わぬ、とっとと朽ち果ててしまえと怒ってそのまま行ってしまった。

 若い叔父の優しさに嘘偽りはなかった。善哉は、叔父に縋りつきたい気持ちでいっぱいだった。

(叔父上、俺が甘えられるのはあなたしかいないというのに。それなのに、今度は、あなたまでが、父上のように、俺を見捨てるというのか)

 孤独な少年の心に、呪いのような真っ黒な闇が広がっていく。

 

 十月。

 飛鳥井雅経に連れられて、鴨長明が鎌倉にやって来た。

 実朝は、父頼朝が西行と会った時の話を思い出した。

 和歌について尋ねた頼朝に対し、西行は、月や花などを見て深く感じ入ることがあればそれをそのまま三十一文字にするだけであると答えたという。西行は、天性の才を持った歌人だった。

 また、西行は頼朝から賜った銀の猫を、御所の門前で遊ぶ子どもにやって、そのまま奥州へ旅立って行ったという。

 西行と同様、俗世を離れた京の著名な歌人との面会に、実朝は久方ぶりに湧いてきたわくわくとした気持ちを抑えることができなかった。

「たくさんの歌合に出席され、和歌所寄人にまでおなりになったというのに、出家をされたのはいかなる理由からなのですか」

 好奇心旺盛な若い将軍の遠慮のない質問に、長明は苦笑しながら答えた。

「前々から、天変地異などで世の無常を感じていたのもありますが、正直なところ、親類といろいろと揉めて世の中がつくづく嫌になったのですよ」

 現実的な話を聞かされてさぞがっかりしただろうと長明は思ったが。実朝の方は、長明の出家の理由についてそれ以上追求することはしなかったものの、いつになく多弁だった。

「京極殿(藤原定家のこと)は、寛平以前の余情妖艶の趣のものを手本にするようにと言われたのだが。かの西行法師が父に言われたように、思うがまま感じたままに私の歌を詠みたいという気持ちも実はあるのですよ。どう思われますか」

 実朝の問いに、長明はしばらく考えた様子を見せた後答えた。

「京とこちらとでは、おのずと感じるものも異なって参りましょう。まして、御所様はお若い。必ずしも、型にはまる必要もないのかもしれません。例えば、御所様はどのようなときに、もののあはれを感じられますか」

「私が感じるあはれとは、雅な物語の世界のものとは異なるのです。親を亡くした幼い子、人の言葉を話さない獣や草花、体が思うように動かない老人、海人や炭焼きなどその日を懸命に生きる人々の暮らしぶりなどが、愛おしくもあり、悲しくも思い、何故か心惹かれてならないのです」

 武家の頂点に立つはずの若い権力者の思いもかけない優しい感性に、長明は感嘆した。

「私も、天変地異などで様々な情景を見聞きしてまいりましたが、御所様と同じように感じたことが多々ありました。よろしいではありませんか、その御心をどうか大事になさいますよう」

 理解者を得たことを心から喜んだ実朝は、長明にあることを提案した。

「このまま、鎌倉に残って、私の和歌の師になってはいただけまいか」

 だが、長明は申し訳なさそうに首を横に振った。

「世を拗ねてこの年まで生きながらえていますと、一丈ばかりの小さな庵での気楽な独り暮らしが恋しいばかりなのですよ」

 実朝はひどく残念がったが、長明が鎌倉に滞在している間、できるうる限りの歓待をした。

 亡き父頼朝の法華堂に案内した際、長明は次のような歌を詠んだ。

 草も木もなびきし秋の霜消えて空しき苔をはらう山風

 草木もなびくほどの偉大な頼朝公がお亡くなりになり、今は秋の霜が消えて空しい苔をはらう山風がふくばかりです。

「京へ帰ったら、私も心のままに文章をつづってみようと思います。御所様も、どうか、御自分の思う歌を御詠みくださいませ」

 実朝は、長明の言葉に深く頷いた。

 長明は、京に戻って間もなく名高い随筆『方丈記』を執筆している。


 その年の暮れ。和田義盛は、二年前から執心していた上総の国の国司の嘆願書を急に取り下げた。この件について、実朝は、北条や朝廷とも調整を進めて、いずれ何とかしようと考えていた。

「しばらく待つように申し付けておいたではないか。自分から願い出て、こちら側のいうことを無視して勝手に取り下げるなど、主人の威光を蔑ろにする振る舞いではないか」

 実朝は、広元を通して、譴責の言葉を義盛に言い渡した。

(私は、北条だけを格別贔屓しているつもりはない。だが、北条は、母上の実家であるとともに、私の養い親でもある。血縁関係にあり、生まれた時から行動を共にして気心が知れている分、どうしても私との関係が近くなってしまうのはやむをえぬ。和田は、それが気に入らぬのであろうか。和田と北条との間に、よからぬわだかまりが生じていなければよいのだが)

 実朝が憂慮しているのは、北条と和田との関係だけではなかった。兄頼家が修禅寺に向かった後、政子と共に泣いていた善哉の顔と、鎌倉を離れる時の善哉の泣き顔が重なって、実朝は己の無力さを感じずにはいられなかった。

 実朝の意向を受けた三浦義村から真実を聞いた善哉の心の衝撃を思うと、実朝自身が多くのことを語ればかえって善哉を傷つけることになる。実朝にできるのは、幼い頃に、父頼朝がしてくれたように、善哉を抱きしめてやることだけだった。

(それでも私では、親の代わりにはなれないのだ)

 深い物思いに沈んだ様な表情の実朝を、倫子は心配そうに見つめている。妻を心配させまいと、実朝は何とか笑顔を作って抱きしめた。

 妻との幸せな時間は、多くの者の犠牲と悲しみのうえに成り立っている。そのことを実朝は深く自覚していたが。

 それでも、実朝はどれほど多くの者に恨まれ、憎まれようとも、この妻との幸せだけは決して手放したくなかった。


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